番外編

番外編① スーサイド=ネットワーク

番外編① 第1話 == 自殺衝動

 人間の行動は無意識に支配されており、自意識は支配の結果を観測しているに過ぎない。


 ほとんどの人間が感じている自意識による行動決定は錯覚であり、自意識はそれ自身よりも早く発火する無意識による行動決定を傍観しているだけなのだ。

 要するに、人間の行動決定に自意識は一切関与していない。ただ日頃の生命活動で蓄積された膨大な情報を無意識が自動的に処理し、最大幸福を得るためにはどの行動を行えば良いのかを選択肢の中から選択する単純な仕組みだ。


 では、それは意識を持たない自律装置ロボットと何が違うのだろうか。


 事前に用意されたプログラムに独立変数を入力し、従属変数を推測するだけの装置。

 無意識による自動的な選択が絡まりあって生まれる物語を推測しているだけの人間。


 自意識の殻に囚われ続ける限り、その答えは導き出すことはできない。


 「……」


 第八防衛都市の第二外周区。

 金属放熱器ヒートシンクのように整然と立ち並んでいるビルの群れは九九式機関による都市計画の賜物であり、限られた面積で多くの人々が生活できるように区画あたりの人口密度が高密度になるように設計されている。


 その中に一棟だけ、他とは幾分見劣りのするビルがあった。高度はそれほどの高さはなく、老朽化が進んでいる故に取り壊しの計画が持ち出されているビルである。

 その屋上に、魂が抜け落ちてしまった虚ろな表情で立ち尽くす一人の男が居た。


 神楽坂かぐらざかという簡易識別名ドメインで登録されている男は、生ぬるい夜風に撫でられながら第二外周区の煌びやかな夜景を瞳に映していた。

 神楽坂は九九式機関の非正規雇用枠で働いている事務員であり、最前線でレプリカントと戦っている解体師たちの裏方で支援業務に従事している。


 非正規雇用枠とはいえ、防衛都市を統治している九九式機関に勤務しているというだけで社会的地位はかなり上位層に食い込むことができる。金銭面でも不自由はしておらず、婚姻契約を結んでいる妻との間に授かった玉のような息子と娘は比較的高水準な教育を受けることができた。


 それは、絵に描いたように幸せな人生であった。


 存在意義を明確に自己定義することができていた神楽坂にとって、この過酷な社会でも幸福を感じることができるのは至極当然のことである。

 直接的ではないが、解体師が最高のパフォーマンスを発揮できるように支援に徹することは防衛都市やそこに住む人々――妻や子供たちを守ることに繋がる。


 自身の人生に意味を見いだした神楽坂は今の生活に十分満足していた。これ以上の人生はどれだけ探しても見つけることはできない、と意識している。


「ああ……」


 そんな彼が屋上の縁に立ち、投身自殺を図っているのは何故だろうか。


 他と比較して高さのないビルとはいえ、人間が身体を投げれば死ぬことは間違いない。

 その高さでも視界には遠近法が適用されており、周辺の建築物は地面に近付けば近付くほどに細くなっていくように錯覚して見えている。

 そして、神楽坂はまるでそこに足場があるように、ゆっくりと空中に足を踏み出した。ほんの一瞬だけの無重力と、不意に襲いかかる恐ろしいほどの重力。


 「私は……」


 自意識が自殺を行うように行動決定をしているわけではない。

 無意識が脳内に蓄積された情報を演算処理し、最大幸福を得ることのできる行動を決定しているのだ。導き出された答えが神楽坂にとっては自殺という選択であったに過ぎない。

 そこには家族を遺してしまう罪悪感や悲しみといった感情は関与しておらず、ただ自殺衝動という無意識による行動促進を自意識が観測しているだけだ。


 そして、人間は反射的に決定された行動を観測して過去を悔やむのだ。


 何故、もっと良い行動を選択することができなかったのか。

 何故、あの時にあんな酷い言葉を発してしまったのか。


 それは、自殺衝動に従ってしまった神楽坂にとっても同様であった。


「……何をやっているんだ」


 恐ろしい速度で頭上に近付いてくるアスファルトが敷き詰められた地面を感じながら、神楽坂はゆっくりと懺悔の言葉を紡ぐのであった。

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