205話お母さん! 母と魔女⑧

「うわぁぁぁ!!! 血が! 血......!」


「どうしたの~? 痛くないでしょ~?」


「え?」


 先程、腹から決壊したダムのように血が溢れていた。

 ブラックの声を聞いた直後に腹を見ると、何ともない。

 血も出ていなければ、服も破れていない。


「......あれ? さっき、血が出ていたよな? お前が俺の腹を......」


 頭が混乱する中、ブラックは俺の顔を見て。


「そうね~。確かに私は今、あなたを殺そうとしたわ~。でも、死ななかった」


 人を殺めようとしていた事を平然と口にするブラック。

 殺そうとした事実に対する怒りや恐怖という感情よりも先に、俺は”死ななかった”というワードが気になる。


「死ななかった? どういうことだ?」


「この世界ではあなたは死なないって事よ~」


「この世界では?」


「ええ~。ここはどうやらあなたの世界みたい」


「......?」


 あなたの世界?

 まあ、俺がいるのは地球だからな。


「おい。お前、意味を分かってないだろ?」


 横目でこちらを睨みながら、曾爺さんが棘のある言葉で俺を揶揄する。


「え? どういう事?」


「はぁ~。本当に俺と血が繋がってんのかこいつは」


 曾爺さんはどうしてこんなにも曾孫に対して厳しく当たるのだろうか。

 もう少し喜んだり、甘やかして欲しい。

 俺は、褒めて伸びるタイプだしな。


「お前、桃太郎って昔話を知っているか?」


 ん?

 急にどうした?


「知ってるけど......」


「桃太郎は話の途中で死ぬか?」


「いや、死なないでしょ。桃太郎が死んだら物語にならない」


「だよな。つまり、今、お前がその桃太郎って事だ」


「......はぁ?」


 あまりにも突飛な事を言いだす曾爺さんに俺は呆れてしまう。

 堅物そうな爺さんから繰り出されるジョークは分かりづらい。

 無表情がさらに拍車をかける。


「おいおい。曾爺さん、それじゃあ、まるで俺が物語の主人公って言い方じゃねえか」


 おい。

 曾爺さん。

 これでいいか?

 俺は曾爺さんにぎこちない笑顔を向ける。


「そうだ。この世界はお前が主人公の世界。お前が死ぬ事はない」


「......おいおい。ブラック、お前も黙ってないで曾爺さんの言葉を訂正してやってくれよ」


 ブラックを見ると、首を横に振り。


「どうして~? 怜人は間違ってないわよ~」


「おいおい。ブラックまで......」


 ブラックも曾爺さんも俺に現実を理解しろと言わんばかり、じーっとこちらを見てくる。

 確かに、俺はブラックに腹をぶち抜かれても死ぬ事はなかった。

 血の痕や服が破れた形跡はないが、頭の中では今さっき起きた映像がこびりついている。


「ちょっと、外に出てみて~」


 ブラックは俺に外に出るように促す。

 まぁ、ここに居てもやる事もないし、全然孫に優しくない爺さんの相手するのも疲れた。

 昔の世界を観光するのも良いだろう。


「あれ? 開かないぞ」


 ベッドの脇に設けられていた腰窓を開けようとするが、ビクともしない。

 建付が悪く動かない訳ではない。

 まるで、腰窓が絵画のように張り付いているようで動く気配すらないのだ。


「ちょっと、下に行く!」


 そうだ。

 窓がダメでも玄関がある。

 部屋を飛び出し、赤い絨毯が敷かれた廊下を駆け。

 段差を数段軽快に飛ばし、アンティーク調の玄関ドアの金色の取っ手を握り、力いっぱい引いた。


「くそ! 全然動かねぇ! 押すタイプか!?」


 引けども、押せども、玄関ドアはビクともしない。

 ダイニングの窓、廊下の窓、キッチン奥にある勝手口。

 外に出られそうな場所はくまなく調べたが岩のように固く、全く蝶番ちょうつがいが仕事をしていなかった。



 ◇ ◇ ◇



「はぁはぁ......」


 屋敷の中は広く、30歳間近の肺と膝は悲鳴を上げ、俺は玄関ホールで大の字で寝そべり、10m以上はある吹き抜けた天井を見上げ途方に暮れる。


「これで分かったかしら~?」


 茶色い一辺倒だった景色の横から、ブラックが顔を覗かせる。

 金色の長い髪は俺の顔に垂れ下がり、自身の豊満なバストを俺に覗かせないようにしているのかと思った。


「ここに閉じ込められたのは分かった。だが、俺が主人公の世界という話は飛躍し過ぎじゃないか?」


「そうでもないのよ~。あなたの元に来た時から何か変だったのよね~」


「俺の元に来た時から?」


 金色の滝を跳ね除け、俺はブラックに質問を投げる。


「そうよ~。あなたに会うだけなのに随分と時間が掛かった事もそうだし、魔力の反応も微弱だしね~。本当、レインの魔石がなかったらあなたを見つけられなかったわ~」


 ブラックは胸元から赤い魔石を取り出す。

 取り出した魔石は微弱だが、微かに点滅を続けている。


「レイン......。懐かしい名だな」


 ブラックの後ろにいた曾爺さんはポツリと寂しそうな声で赤く点滅する魔石をチラリと見る。


「レインもあなたに戻って来て欲しいと望んでいるのよ~」


「いや、そんな事言ってないだろ」


「私とレインは同じ時代を生きた魔女よ~。それくらいの事分かるわ~」


「お前、魔女って単語出せば何とでもなると思っているだろ。戻って来て欲しいって言ったってここから出られないし、俺が異世界に行く理由なんてない。そもそも、どうしてお前は俺を異世界に連れ戻したがる? 金か? 名誉か?」


 そういえば、ブラックが俺を連れ戻そうとする理由をキチンと聞いていなかった。

 俺は、今の生活に満足している。

 余程の事がない限り異世界なんて場所に帰りたくはない。


「そんなもの要らないわ~。ずっと、私の耳元であなたを呼ぶ声が聞こえるのが煩わしくてね~」


「俺を? 誰が?」


 俺は、異世界に行っていたという薄っすらとした記憶はある。

 だが、そこで誰と会って、何をしたのかは全く思い出せない。

 異世界に行った経験は夢を見た時の感覚と似ている。

 目覚めた直後は鮮明に夢の内容を覚えているが、数日経つと夢の内容は思い出せなくなる。

 多分、俺にとって異世界での経験は記憶の奥に留めて置くようなものでもなかったに違いない。

 俺を呼ぶ少女だって深い付き合いでも、何でもないはずだ。


「シルフ。その名前を聞いても何も思い出さない?」


「......シルフ」


 聞いた事があるような。

 無いような。


「うん。全然分からんな」


 あっけらかんと答える俺を見て、ブラックは今まで聞いた事がないような深いため息をついた。

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