第3話 世界の切れ端

 それからの5日間、アネットはあてがわれた自室で過ごしていた。

 誰かと会うのは食事が運ばれて来る時くらいで、部屋の外に出ることは一切許されない。格子の付いた小さな窓から外を眺めても、見えるのは何処までも続く砂漠。ただそれだけだった。

 アーツが予告した婚礼の日は、いよいよ明日に迫っている。為すすべもなく、アネットはため息をついた。


 アネットが窓際でぼんやりしていると、部屋の外が俄かに騒がしくなってきた。兵士たちの怒号や悲鳴、さらには爆発音のようなものさえ聞こえ始める。

 アネットはぎょっとして人を呼んだが、外は混乱している。誰もアネットに見向きもしない。そうこうするうちに、外の喧騒はますます激しくなってきた。

 轟音が響き、辺りの壁や床が振動している。窓もびりびりと音をたてて、今にも割れてしまいそうだ。アネットは恐ろしくなり、ドアを開けようとノブを回す。だが、やはり鍵をかけられたまま動かない。ドアをどんどんと叩いてみるが、びくともしなかった。

 焦るアネットの後ろで、天井から誰かがするりと飛び降りて来る気配がした。アネットは驚いて振り返り、叩いていたドアを背にしてそちらを見ると、ひとりの青年が立っていた。

 青年は人間だ。薄茶色の髪に濃紺のバンダナを巻き、黒い皮のジャケットを羽織っている。中の白いシャツがジャケットからちらりと見えた。

 黒い細身のズボンの裾を焦げ茶色のブーツに入れて、手には指が出ているタイプの黒い皮手袋をしていた。左手で何やら大きな白い布を抱え、腰には鞘を青い石で装飾された短剣が下げてある。

 男の登場の方法も出で立ちも、ずいぶん怪しい。だが、彼は好青年そのものといった顔つきでアネットの姿を確認すると、人なつっこそうな笑みを浮かべた。


 アネットはモンスター達に囲まれているのも落ち着かなかったが、どう見ても不審な人物の登場も歓迎できない。戸惑いや動揺を隠せずに後ずさりをしようとしたが、背後は開かない扉がぴたりと背中に張り付いている。


「やっと見つけた。探したぜ。あんただろう、メシアは。目も髪も、本当に黒いんだな」


 男は少し身を屈めて、アネットの顔をのぞき込む。怯えるアネットを気遣うような優しい表情と、珍しい物を見つけて好奇心に溢れる表情が混ざったような面もちだ。


「……誰? 」

「俺?か弱いレディを魔王から救う正義の盗賊、アドルフ様だ! 」


 アドルフと名乗った男はアネットにパチンとウィンクし、右手の親指をぴっと立てた。アドルフは格好をつけたつもりだが、アネットは、胡散臭そうにアドルフを見ている。


「盗賊なのに、正義なの? 」

「堅いこというなよ。それより、あんたは俺と来てもらう」


 そう言うと、アドルフは顔つきを引き締める。そして、手に持っていた布をアネットに

ばさりと被せた。それは丈の長いローブで、裾も長い。そのローブはフードも付いていて、アネットの姿をすっぽりと被い隠してしまえるサイズだ。

 アネットは訳が分からないまま、服の上から素早くローブを着せられていく。


「な、何するすもり? 何処へ行くの? 」

「俺たちのアジトに行くのさ。あーらよっと。ほら、行くぜ! 」

「え? あ、あの、ちょっと……き、きゃあーーー! 」


 アドルフは素早くアネットの頭にフードを被せ、彼女を軽々と肩に担ぎ上げた。そのまま窓を蹴破り、外に出る。窓からロープが垂らしてあり、それを伝って壁をどんどん下って行った。

 地上では、アドルフの仲間と見られる者達と、リチャードや彼の部下達とが激しくぶつかり合っていた。どうやらアーツはここにはいないらしい。代わりにリチャードが指揮を執っている。


 一人の剣士が剣を振り回し、リチャードの小隊の一つを一人でなぎ倒していた。アドルフはその剣士に声をかけ、逃走用の馬を手配する。アドルフはアネットをその馬に乗せ、自分もその後ろに飛び乗った。剣士も赤いマントを翻し、別の馬で彼らの後に続く。

 しかし、馬を走らせ始めたところで、アネットのフードが風になびいてはらりと落ちてしまった。その瞬間、リチャードはさらわれていくアネットに気づいた。


「おのれ小童! アネット様は我らのものじゃ! 皆の者、追えー! 総員参れ! 」

「ちっ、まずいな。おい、しっかり捕まってろよ! 」


 リチャードは鬼のような形相で激しい炎を吐き出し、彼の全ての勢力を用いてアネット達の馬を追いかける。アドルフは馬を走らせ懸命に逃げるが、直ぐに追いつかれてしまった。

 ぐるりと敵に囲まれて、アドルフ達は逃げ場を完全に失った。勝ち誇ったように笑いながら、リチャードが迫って来る。剣士は苦々しく顔をしかめ、剣を構えた。

 しかし次の瞬間、リチャードが突然何かに弾き飛ばされていた。アネットが唖然としてその光景を見ていると、魔法使いらしき姿の少女や侍のような格好の男、濃い紫色の長いローブを付けた男が宮殿の入口の方から次々と現れる。さらに、紫色のローブの男の真上に大きな龍のような生き物まで現れたのだからたまらない。アネットは目を丸くして驚いた。

 現れた龍はリチャード軍に光線を吐き出した。それは軍隊を包み込んだと思ったら、あっさり丸ごと倒してしまった。まさに一網打尽とはこのことだ。

 また別の場所では、あちこちに火の玉が現れたり、侍が兵士たちを斬りまくったりしている。

 リチャードの兵たちは、彼らによって次々に蹴散らされた。アドルフ達はその隙をつき、巧みに馬を操る。


「サンキュー! 助かったぜ! 」


 アドルフは躍動する仲間たちにそう叫んで、一目散に馬を駆った。


 しばらく走った後、追っ手が来ないことを確認すると少し休むことになった。既に砂漠を抜け、目の前には大草原が広がっている。

 アネットは馬から降ろされ、木陰に腰を下した。アドルフは馬から降りた後、アネットが腰かけた木の太い幹をするすると登って行く。

 アネットがほっと息をついていると、剣士も馬から降りた。彼が兜を外すと、彼の総髪にされた黒く長い髪が流れるように出て来る。

 剣士の瞳は水色で、兜と揃いの真っ赤な鎧によく映えていた。精悍かつ、実直そうな切れ長の目つきは、鋭いながら穏やかさも併せ持つような雰囲気だった。

 剣士の顔を見たアネットは、思わず目を大きく見開いた。剣士はアネットの本当の夫とそっくりだったからだ。剣士は身動き一つしないで自分を見ているその視線に気が付き、彼女に話しかけた。


「お初にお目にかかる、メシア。私はラトニアの剣士オウエン。急な事ですまない。驚いただろう」

「い、いえ……」

「戸惑うのも無理はない。しかし、あなたが魔王のものになってしまうと、この世界は終わってしまうだろう」


 オウエンはアネットの夫と顔立ちはよく似ているが、全くの別人だった。まさかとは思いながらも、淡い期待を抱いたアネットは少しがっかりした。

 木に登って木の実を取っていたアドルフも、オウエンやアネットの頭上から会話に参加する。


「俺たちに協力してくれよ、アネット。その力を貸してくれ」

「わたし、何の力もないわ」

「まさか。そんなことないだろう。知らないだけなんじゃないか? 」


 アドルフは木の実をもぐもぐと頬張りながら、下にいる二人にも投げてよこした。受け取ったアネットは、手の中にあるリンゴを少し小振りにしたような赤い果実をじっと見つめながら言った。


「そんなこといわれても、困るわ。わたしは本当に何もできないのに、みんなそう言うの」


 アネットは下を向いたまま、当惑して眉をひそめた。それきり口も利けない程、思いつめたような表情をしていた。


「取り敢えず、今はアジトへ向かうぞ。話はそれからだ」


 オウエンはそう言いながら、木の実を一つ口の中に放り込んだ。


 アーツは白いマントを翻し、広間をうろうろしていた。イライラした様子で、その顔は怒りに満ちている。

 アーツの軍はアドルフ達による奇襲に遭い、大勢の兵を失った上にアネットまでも連れ去られてしまった。彼女を取り戻せなかったリチャードは平伏して、アーツに許しを乞うていた。ビバルもまた苦戦を強いられて、体のあちこちに包帯が巻かれている。


「もう少しで力が手に入ったというのに……おのれ反乱軍め……」

「申し訳ありませぬ。こうなったら詰め腹を切ってでもお詫びを」

「よせ。私にそんな趣味はない。それよりも、アネットを取り戻せ。世界を手にする力は、魔王である私にこそふさわしい。忌々しい人間どもめ。どこまでも邪魔をする気のようだな」


 アーツは、アネットには見せたことのない猛々しさで捲くし立てた。抑えきれない凶暴な血が、焼け爛れるように渦を巻く。

 アーツは怒りに燃えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る