その○○、ちょっと待ったー!
黒崎君の計らいで照子と旅行にやってきた。
昼間は近くの高台を観光して、宿泊先の保養所に帰ってきた頃に雪が降ってきた。
夜になって、少し離れたところにある天然露天風呂に行こう、という話になった。
露天風呂か。初めてだな。
照子は旅行も好きで、職場の仲のいい職員とか、大学時代の友人とかと温泉旅行をしたことがあるそうだ。
雪がちらつく夜道、照子と手を繋いで歩く。
歩く道は湿っているだけだが、誰も通らない草や土の上、建物の屋根などには雪がうっすらと積もっている。
手を繋いで体を寄せて、寒い中、ほんのり温かいけれど。
露天風呂って混浴じゃないよな?
ってことは一人だよな。
あんまり行く意味なくないか?
とかあれこれ考えたが、せっかく照子が楽しみだというから言わないでおく。
やがて露天風呂についた。当然ながら入口で男湯と女湯の入口に分かれている。
「それじゃまた後でね。のんびりしよう」
照子と別れて扉をくぐる。
受付のおじさんに保養所でもらったサービス券を見せて中に入る。ついたての奥がすぐに脱衣所だった。
思っていたより広い。しかも他に利用客はいないみたいだ。棚に並んでいる籠、二十個ぐらいがすべて伏せられている。
年末だしな、とひとりごちて服を脱いで、外に通じるガラス戸を引き開けた。
「さっむ!」
身を切るような冷気に思わず声が漏れた。
「寒いよねー」
女湯から照子の声がする。
「そっち、一人?」
「うん、そっちも?」
どうやら本当に誰もいないみたいだ。
改めて湯煙漂う露天風呂を見回してみる。
石造りの洗い場が左手に、真正面に露天風呂がある。
洗い場の手桶でかけ湯をしてから、引き寄せられるように風呂に体を浸した。
少し熱めの湯がじんじんと体に染みる。
思わず「ふわぁぁ」と声が漏れた。
誰だ行く意味ないなんて考えてたのは。すごく気持ちいいじゃないか。
……俺だな、うん。
「雪が降ってる露天風呂、なかなか風流ねー。星が見えないのが残念だけど」
照子の声が聞こえてきた。
肯定の返事を返しながら、あぁ、今隣に照子がいればなぁ、と思う。
そんなことを考えたからか、ふと人の気配を感じた。
って、これ殺気!
咄嗟に風呂のそばに置いてある桶を手に取って身構える。
桶を持つ手に小さな振動と、木に何かが刺さる小さな音がした。
湯の中で身構えつつ、桶の裏をちらと見ると細い針が刺さっている。
針を打ち出したのは入口付近に佇む気配だろう。湯気の奥に目を凝らすと襲撃者がゆっくりと姿を現した。
銃のようなものを持った身長一七五センチほどの白人の男だ。肩までの茶髪を後ろで軽く結わえている彼に見覚えはない。
「暗殺者か? しかし――」
不敵に笑う男に、心に浮かんだ疑問を素直に投げかけた。
「なぜ浴衣姿なんだ?」
「ニホンのオンセンに行くにはこの格好が怪しまれない、と聞きましたので」
暗殺者は屈託なく笑った。男にしては少し高い声だ。
これ、どう応えるべきだ。
「ということで、死んでくださいね」
迷ってると男が銃を持ち上げた。まずい!
「その暗殺、ちょっと待った!」
背後、温泉の外から気配が二つ。
また何か来た!
湯煙の中に華麗に降り立ったのは、黒崎君とエリーだ。
しかし。
「助けに来てくれたのは嬉しいんだが……。なぜ君達まで浴衣なんだ?」
「浴衣の方が怪しまれないので」
黒崎君がむすっとしてる。隣のエリーはなんだかちょっと嬉しそうだな。
……エリーの希望か。
「むっ、三対一ですか。これは不利ですね」
暗殺者が援軍を見てたじろいだ。
「手を引け“ニードル”。さもなくば拘束する」
コードネーム、持ってる武器がニードルガンだからか。
安直だな、と思うがここは黙っておこう。
「さすがに真正面から戦うと負けそうですね。ならば――」
暗殺者は低くかがんだ。
撤退か、と思ったら。
男は思い切りジャンプした!
――女湯との境へ!
「隣にはターゲットの恋人――」
「きゃーーーーー!」
ぱっこーん!
照子の悲鳴が響き、宙に浮いた暗殺者に、手桶がクリーンヒットするのが見えた。
まぁ、そうなるわな。
どぼん。
暗殺者は男湯の湯舟に墜落した。
よほど綺麗に決まったのか、ぷかぁと浮いてきた暗殺者は目を回している。
「ちょっとぉ、結、なんか飛んできたよ!?」
女湯から苦言が。俺に言われても困るが。
「突然入ってきて突然わけのわからないことを言い出して、ジャンプしたんだ。ごめんな止められなくて」
「そうだったんだ。気にしないで。ヘンタイの考えることなんて予測できないもんね」
「だよなー」
この際、“ニードル”にはヘンタイに成り下がっておいてもらおう。
「みじめな奴」
黒崎君が肩をすくめた。
「とりあえず、こいつは拘束しておきます」
完全に伸びてる暗殺者。大股開きで浴衣の裾がめくれあがって、ちょっと見るに堪えない。
「うん、頼む」
ここは黒崎君に丸投げしておく。
……と。
「その拘束、ちょっと待ったー!」
脱衣所の方からドアをどーんと開いてやってきたのは、レッシュだった。
「そいつが
……ここに現れた理由も言い分も判らなくはないが。
「なぜおまえまで浴衣なんだ……」
そう、レッシュも浴衣姿だ。
「こういうところは浴衣の方が目立たないからな」
おまえもか。
「それはいいが、合わせが逆だ。死に装束だな」
黒崎君の鋭いツッコミ。
「帯の結びも変」
さらにエリーまで指摘した。
「えっ、間違ってたかっ」
慌てて帯をほどいてなおしているが、温泉の中なのになぜまた着なおしているんだ。
まぁここで全裸になられてもちょっと困るんだけど。
「さて浴衣をなおせたところで改めて、“ニードル”をこっちに渡してもらおう」
ふんっと偉そうにしてるが。
「おまえ、状況をよく見て言えよな」
黒崎君に指摘されて、レッシュは呆けたように俺らを見回した。
元気な極めし者が三人。しかも黒崎君は頭一つ抜けて強い。
「そっか、そうだよなー。勢いで乗り込んだら勢いで渡してくれないかなーって思ったけど、やっぱ無理か」
レッシュは苦笑いをして頭をガシガシとかいた。
「んじゃ、あきらめるわ」
ん? レッシュにしては素直だな?
「交渉で渡してもらうのはな!」
言うなりジャンプした。女湯へと。
こいつもかっ!
「照子っ、またヘンタイがっ」
咄嗟に声をあげる。
「ヘンタイ言うなっ」
レッシュは空中でこっちを見た。
その後頭部に女湯から飛んできた手桶が。今度は闘気付きだ。
どぼーん。……ぷかぁ。
さっきの“ニードル”とおんなじパターンだ。浮かび方まで一緒。
だから見たくないぞ、男の浴衣の裾がめくれ上がった状態なんて。
「“ニードル”の末路見てただろうに」
「まったく、バカね」
黒崎君達に完全同意だ。
「さて、こいつも拘束――」
黒崎君がレッシュを引き上げたところで、脱衣所からやってくる気配が。
また誰か来たのかっ。まさか今度はリカルドとか言わないよな?
しかし現れたのは温泉の管理人らしき男性だった。
「あんたら、さっきからうるさいよ。ん? 外人さんが湯あたりで伸びてるじゃないか」
いや、これどう見ても湯あたりじゃないだろ。
「たまーにいるんだよ。はしゃいで温泉に跳びこんじゃうのが」
浴衣のままで?
「とにかくこっちで引き取るから、あんたら騒いじゃダメだよ」
えっ? 引き取るって。
「あと、お嬢ちゃんはもう女湯の年だろう。お隣ね。ゴーネクスト」
いやその英語違う。
いろいろ言いたいことがあったが一言も話す隙を与えられず、管理人さんは“ニードル”とレッシュをずるずると引きずっていった。
「まぁ、仕方ないです。詳しい事情を話すわけにもいきませんし。病院に着く前に回収しておきます」
黒崎君が気を取り直したようにエリーを伴って出て行った。
三十分後、黒崎君からの連絡で“ニードル”達が病院への搬送中に逃げてしまったことを聞いた。せめて暗殺者だけはどうにかする、と言っていたがどうなっただろうか。
「いい湯だったねー。ヘンタイが二度も飛んでこなければ最高だったのに」
何も知らない照子の感想に、まったくだと返すしかできなかった。
(了)
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