この世界で生き残っていけません
彼には素質があると判断した。だからこそ、路地裏で死にかけていたところを拾い上げた。
確かに素質はある。元々武術をたしなんでいたことから、極めし者としての呼吸法も比較的早く会得した。
極めし者は数が少ない。とてもありがたい存在だ。
だが……。
「お呼びですか、社長」
呼びだしに応じてやってきた秘書見習いの若者、レッシュの声音も表情も、雇い主に向けられるべきものではない。
必要以上に畏れ敬えとは言わない。特に外の目があるところに出ることの多い社長秘書としての最低限の態度でいてもらえればいい。
だがこの若者は、感情というものを表に出し過ぎるきらいがある。
彼にとって面白くない事態があればすぐに態度に出る。今も恐らく他の社員となにやらあったのだろう。
古株の連中は私に取り入ろうと必死だ。そこへ十代の、しかも路地裏生活者であったレッシュが割り込んできたのは我慢ならないことだろう。彼らがレッシュを追い落とそうと、あれこれ画策を巡らせているのも伝え聞いている。
社に損害をもたらすような妨害でなければ、私がレッシュをかばうことはない。これぐらいの問題は自力で解決できなければこの世界では生き抜いていけない。
怒りを呑みこみ損ねているレッシュに一瞥をくれると、少しだけ感情を隠すそぶりを見せる。
従順な態度に軽く笑みを返してやると、レッシュの口元も緩んだ。
単純な男だ。だがおもしろい。
用件を伝えると、かしこまりましたと一礼して部屋を離れていく。
少しずつではあるが、社長秘書としての振る舞いが身についてきているな、と感心したのだが。
数日後、信じられない報せが飛び込んできた。
レッシュが、取引先の一つであるドラッグディーラーに危害を加えた、というのだ。
先方はいきなりレッシュに殴られたと大層立腹しているらしい。
何をやらかしているのだ。
レッシュを社長室に呼びつける。
どうしてここに呼ばれたのかは、さすがによく判っているようでレッシュはいつもより悄然としている。
「なぜディーラーに危害を加えたのか弁明があるなら伺いましょう。見苦しい言い訳なら無用に願います」
言うと、レッシュは驚いたように顔をあげた。
しばらく、何かを思案する様子だったレッシュが、ぼそりと言葉を吐いた。
「とんでもないことを言われたから、つい」
うまく説明する言葉が見つからない、と言うようにもどかしそうにしている。
「つい、で相手を殴っていたら、あっという間に刑期がたまりますよ。……何を言われたのですか」
冷やかに返してやるとレッシュは口ごもる。
言いにくそうにしていたが、私の顔をきっと見て、決意を込めたように言う。
「おれとあんたが……、デキてるんだろう、と。だから自分の相手もしろ、と」
仕事中に口調が乱れているが、彼が食らったのは、それを不問にするほどの侮辱だった。
思わず嘆息した。
恐らくからかっただけだろう。まだ若く社会経験の乏しいレッシュがやり過ごせないのも、無理からぬことやもしれない。
相手が殴られたことを盾にとって商品を高値で取引してこようなどと考えなければ、それだけで済む話だが。
まぁ、それは後々のこととして……。
「それはしっかりと文句を言っていいとは思います。しかし暴力はいけません。あなたは極めし者となったのです。力いっぱい殴らなくとも相手が能力者でない限り簡単に重傷を負うのですよ」
そう、彼は極めし者だ。属性は彼の気性に見合った、炎。
「けれどあいつは――」
「それぐらいで頭に血が上って手が出るようでは、あなたはこの世界で生き残っていけません」
まだ反論しようとするレッシュに、ぴしゃりと叩きつけた。
悔しそうに、しかし言葉を呑みこみ耐えたレッシュに、うなずいた。
「それでいいのです。……あなたに屈辱を与えた男には、殴られたことへの相応の詫びと、くだらない冗談を不用意に放った見返りを受け取っていただきましょう」
レッシュの表情が、驚きから、軽い笑みへと変わる。
「……ありがとうございます。それでは、失礼します」
一礼をして部屋を出ていく見習い秘書に、そっと溜息をもらした。
彼はまだまだだ。だが、素質はある。
荒くれな炎の幼竜には、適度な飴と鞭を与えていかねばならないということだ。
正直、彼の制御はかなり気を使う。
私自身、誰かを育てるには向いていない性格なのかもしれない。なかなかに加減が難しいのではあるが、拾ったからには無責任に放りだすわけにもいくまい。
仕事上で長い付き合いになることを、願うばかりだ。
(了)
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