第17話 8月28日。信頼と疑い

 今日も月曜が来た。


 低血圧だから朝は弱いとか、急な季節の変わり目だから弱いとか色んな口実は出来るが、何のことはない。休み明けは皆辛いものだ。


 いつも利用するバスが行きの停留所の途中で事故が発生したらしく、バス会社の職員さんに一旦乗用車に乗せてもらう。


 途中、肌もピチピチの女子高生も乗せていたので若干ドキドキ。


 結局、すぐに最寄りの停留所付近に遅れてバスが来たのでそれに乗り継いだ。職員さんさようなら。女子高生のお嬢さんもさようなら。女子高生のお嬢さんはちょっとだけお近づきになりたいものだ……麗しくて直視できないけど。


 などという妄想に少しだけ浸りつつ、迂回運行するバスで事業所に向かう。今日は少し涼しかったから途中から歩きでも良かったかもしれないが、そうすると刻限に遅れるので大人しく市バスに乗り継ぐ。


 なあに、直後のプログラムであったエクササイズと、家で行なう筋トレを考えれば、丁度良い運動量の調節だ。昨日の日曜も一万歩は歩いたし。


 午後の後半のプログラム。何度か記している哲学的恣意を行なう時間では、『信頼』についての話などをした。


 僕は自分の目的や目標はある方だが、『己が己である』という自己の確立はまだまだ弱い。


 だから、他人から信頼の言葉や態度、気持ちを寄せられても、それを疑ってしまいがちだ。


「自分はそんな善き人間ではない」

「自分はそんなに優れた者でもない」


 そうして素直に他者からの厚意を受け取れないことがしょっちゅうだ。お世辞か何かではないかと疑ってしまう。


 自分への、酷ければ他人への不信感へ繋がり、なかなか自信を積み上げることが出来ないのだ。


 恐らく、理由は二つだ。


 一つは、人は信じることよりも、疑っている方が楽だから。期待を捨て、疑いを持っている方が上手くいかなかった時のダメージが少ないから。


 二つは、そうした恐れも含め、ただ言われるがまま自分を肯定してしまったら……いずれ増長して取り返しのつかない事になるのではないか、という自戒の念。実際、少なくとも二十歳過ぎぐらいまではそうして痛い目を見てきた。


 いつかは自己を確立し、もっと素直な気持ちで生きられるようになりたいものだ。行動や態度のみではなく、自分の芯からの自信を。他人への信頼を。


 時間が解決してくれる……などと言うありふれた妄言に従う気は毛頭ない。


 自分を育て、変革出来るのは自分自身。その意志と行動のみ。


 一生勉強。


 一生教育。


 一生成長。


 色んなモノを疑う僕だが、そう前進する自分の姿勢ぐらいは信じたいものだ。


 少なくとも、少なくとも僕を幼い頃から見守ってくれている人の為にも。

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