第19話 黒い太陽

 深紅の鎚はラヴァをなぎ倒した。葉先から落ちた滴が地面で弾けるように、ラヴァの身体は四散し、靄となる。すかさずルテルが手をかざし、ラヴァの靄を集めた。

 ジェンドは走り続けた。断続的に襲ってくるラヴァを退けながら、黒ジェンドがいる街の中心部へ急ぐ。やがて民家が建ち並ぶ区画に入ると、湧士の姿をよく見かけるようになった。彼らは汗だくになって周囲を警戒している。時折大声を出して路地の一画を指差し、数人の集団が強ばった顔で逆方向に走っていく。建物の中に身を潜めている者もいた。

 走るジェンドの頬を紋章術の刃がかすめ、近くの民家の壁に突き刺さった。言い争いが聞こえてくる。

「お前ら何をやってる! あっちにたくさん群がっていたぞ。早く何とかしろよ」

「だから何度も言ってるだろう! 数が多すぎて騎士だけでは手が回らないんだ。戦うことならあんたら湧士にもできるだろう。力を合わせないとどうにもならないぞ」

「戦う? 俺たちがラヴァ相手に? はっ。あの化け物がマタァを作ってくれるとでも言うのか。命に加えてマタァまで使い捨てなんて冗談じゃない。ああいう奴らを何とかするのがお前ら騎士の役目だろうが」

 数人の男女が顔をつきあわせ、睨み合っている。近くには翼竜が翼を畳んで主の指示を待っていた。どうやら助けに来た騎士と地元の湧士が揉めているようだった。

 湧士のひとりがジェンドに気付いた。怪訝に目を細め、直後に腰を抜かす。

「ラヴァだ! 武器を持ってるぞ」

「何だと。――くそ、嘘だろ。新種か。人間と同じ姿に変わりやがって」

 騎士たちが一斉に武器の切っ先を向けてきた。ジェンドは、これまで撃退してきたラヴァが自分と瓜二つの容姿をしていたことを思い出した。

 湧士たちは一度は逃げる素振りを見せたが、圧倒的に数が違う状況を思い出し踏みとどまった。騎士と湧士の敵意に四方を囲まれ、ジェンドは焦りと悲しみを抱いた。

「俺は違う。そこを通してくれ」

「喋った? 気をつけろ。こいつ、ただのラヴァじゃない」

『やめてください。スティマスはあなたたちと敵対するつもりはありません。私たちもラヴァを倒しているのです』

 ルテルが声を張り上げる。必死に主を庇う使い魔の姿に、騎士たちの戦意が鈍る。だが湧士は逆に激昂した。

「そうか。これは貴様の仕業か。ふん、だから使い魔持ちはろくな奴がいないんだ」

『何を言っているのですか』

「うるさい。善人ぶった顔して、俺たち全員からマタァを取り上げようって腹だろうが。さすがにあんだけでかい紋章術を使われたら、こっちはお手上げだからな。いいぜ、貴様の目論見通り、この階級戦、乗ってやろうじゃないか。俺たちから巻き上げたマタァで、せいぜいよい暮らしをすればいいさ」

「そういうことかよ。何て野郎だ」

「この卑怯者。私たちを痛めつけて追い詰めて、楽しんでるって言うのね。許せないわ」

 湧士たちが口々に罵る。一方の騎士たちは、半信半疑の表情でジェンドを見ていた。ルテルがジェンドの横髪を握る。悪意と疑念にさらされ、ジェンドは唇を噛みしめた。眦を決する。

「どんな風に言ってくれても構わない。だけど、俺は俺を打ち倒さなきゃならないんだ。道を空けてくれ」

 鋭い視線に射貫かれ、湧士たちは罵声を止めた。それでも、気圧されたことが我慢ならなかったのか、構えを取ったままにじり寄ってきた。ジェンドは悲しさで睫を伏せ、武器を下ろす。無抵抗のまま歩を進めた。舌打ちした湧士が紋章術を放った。光球がジェンドの横面に向かって飛ぶ。

 着弾の直前、空から降ってきた盾に阻まれ、紋章術は煙を上げて四散した。

「止めるんだ、お前たち!」

「……エザフォス」

 翼竜に乗った騎士の友人を、ジェンドは呆然と見上げた。筆頭騎士の隣にはキクノとピオテースもいた。彼女らは真っ先にジェンドの元へ降りてきた。間を詰めていた湧士たちが慌てて距離を取る。

「やっと見つけた。狼煙くらい上げなさいよ」

「キクノ。無事だったんだな。でもどうしてここに」

「筆頭が神様から聞いたのよ。あなたがあの化け物に立ち向かうから、その手助けをしてやれって」

「まさか徒歩だとは予想外だったがな」

 エザフォスも隣に降りてくる。彼は大声を張り上げ、呼びかけた。

「皆、俺たちの敵はあの巨大な黒い影だ。この男じゃない。それに、ジェンドはこの中で唯一、黒い影に対抗できる術(すべ)を持っている。これは事実だ。その証拠に、俺はこのことネペイアの神様から直接聞いた。だから間違いない」

「デタラメを言うな。なぜあんただけが神の言葉を聞けるんだ」

「俺だけじゃないぞ」

 筆頭騎士はそう言うと空を指差した。紋章術で煙る青空の中を何騎もの翼竜が横切っていく。

「ラブロの塔の民たちだ。俺も少し前まで塔にいた。ネペイア神は塔にいたんだよ。あの方はこの状況を憂えていた。だが直接手を下すことができない。俺たちが、そしてジェンドがやるしかないんだ」

 集まった湧士ひとりひとりに視線を合わせる。彼らのほとんどはエザフォスから目を逸らした。

 そのとき、湧士の背後の地面が数メトルに渡って黒く染まった。ラヴァの手がいくつも生え、湧士を捕らえようと伸びてくる。ジェンドはその場の誰よりも早く反応した。足がすくんで動けないでいた湧士を離れさせ、穴の中心目がけて深紅の鎚を振り下ろした。鈍い手応えとともに穴にひび割れが走り、直後に粉々になった。鎚が輝きを増し、粉塵となったラヴァを吸い取っていった。

 一撃でラヴァを撃退してみせたジェンドを、湧士たちは呆気にとられた表情で見つめていた。

 湧士の肩をエザフォスが軽く叩く。

「これでもまだ、ジェンドの邪魔をするつもりか?」

「……じゃあ何をすればいいんだよ」

「道を開く。彼が憂いなく戦えるように」

 皆の視線がジェンドに集まる。

 キクノが側に来た。彼女は両手でジェンドの頬を叩いた。

「ほら、何て顔してるの。筆頭が言ってたでしょ。私たちのことは心配しなくていい。あなたはあなたの戦いをするの」

「キクノ……」

「ま、ここに来る直前まで気絶してた私が、偉そうに言えた義理じゃないけどね」

 冗談めかして肩をすくめる。ジェンドは微笑んだ。

 エザフォスが言った。

「今、仲間たちが街の各地に散っている。黒い影がいる中央区は地上も空中もラヴァだらけだが、一点に力を合わせれば風穴が空くはずだ。あとはお前の仕事だぞ、ジェンド。任せたからな」

「ありがとう。任せてくれ」

「珍しく自信満々ね」

 キクノが言うと、ルテルが胸を張って言い返した。

『スティマスは以前と違うのです』

「あなたもね」

 指先で頬をつつかれ、使い魔は目を丸くした。

 雄叫びが遠く聞こえてきた。エザフォスが表情を引き締める。

「動き出したぞ。俺たちも行く」

「ジェンド。ピオテースに乗って。空からの方がまだ接近しやすい。私が補佐する」

 ジェンドは左手を見た。エナトスの神は無言である。ジェンドはそれを肯定と捉えた。キクノにうなずきを返し、ともに翼竜に騎乗する。ピオテースは気合いの咆哮を上げた。

「おい、お前」

 ジェンドに絡んできた湧士の男が声をかけてきた。

「あの黒いデカブツ。街に溢れたラヴァもそうだ。お前そっくりの顔してやがる。この騒ぎ、お前のせいなんだろう」

「ちょっと。あんたまだ――」

 色をなすキクノを制して、ジェンドは湧士に向き直った。そして静かにうなずく。湧士は唾を地面に吐き捨てた。

「だったらさっさと終わらせて、また階級戦ができるようにしてくれ。それならマタァの無駄打ちも我慢してやる」

 右腕を突き上げてくる。意外な反応にジェンドは憮然としたが、すぐに左拳を突き出して応えた。

「おら。飛べる奴は先に行っちまえ」

 ピオテースの尻を叩く湧士。エザフォスが号令をかけた。

「出撃!」

 騎士と湧士の雄叫びが重なった。翼竜が羽ばたき、土埃を巻き上げる。風圧に背中を押された湧士たちが駆ける。

 彼らの戦う意志に触発されたように、次々とラヴァが出現し襲いかかってくる。ラヴァとの戦闘経験が豊富な騎士たちは、的確に紋章術をぶつけ、退けていく。一方の湧士も負けていない。戦うことに関して騎士よりも貪欲な彼らは、ひとたび高揚感で恐怖を塗りつぶしてしまえば、奮迅の戦いぶりを見せる。

 数体のラヴァがジェンドに向かって空を飛ぶ。伸ばされる黒い手を、ピオテースを駆るキクノは見事な手綱捌きでかわす。すれ違いざま、ジェンドの鎚がラヴァを叩き落とす。

 翼竜は編隊を組み、鏃のように黒ジェンドへと迫る。騎士と民に呼応して、ネペイア・アトミスの戦力が結集しつつあった。ジェンドの行く手を切り拓くため、無数の紋章術が間欠泉のように噴き上がる。倒されたラヴァは粒子となり、ジェンドの手に吸い寄せられる。黒い粒子の流れは、さながら旋風つむじかぜのようであった。黒ジェンドの威容に負けない巨大なうねり。地上の人間も、空の人間も、皆士気を上げた。

 前方に黒ジェンドを捉える。眼球の欠けた目がこちらを見据える。ジェンドは背筋が震えた。まだずいぶんと距離が残っているのに、心を揺さぶってくる。魂が、欠け落ちた我が身を求めているのだ。

 あれほど巨大な闘争本能を受け入れればどうなるか。

 不思議と恐れは感じなかった。

 だが使い魔は違った。

『スティマス。とても恐ろしいです。もし、スティマスまで――』

 肩の上で震える使い魔を軽くつつく。ルテルは驚いていた。主が笑っていたからだ。

 場違いだと理解しているが――ジェンドは嬉しかった。これまで主の思考と感情に支配されていた彼女が、自分の感情を表すようになったことを喜ばしいと思った。

「何とかなるさ」

 しばらく呆然とジェンドを見つめていたルテルは、小さな胸に手を当て深呼吸をした。それまで細かく震えていた羽根をぴんと伸ばす。鈴の鳴る声で彼女は告げた。

『キクノ。隊の前に出てください』

「どうしたの、急に」

『大きいのが来ます』

 キクノが前に向き直った直後だった。

 黒ジェンドが限界まで口を開く。空間が歪み始める。使い魔でなくても、何か巨大な術が練り上がっていく様は肌で感じる。

「あれの真正面に立てって言うのね。面白いじゃない」

 半ば捨て鉢となって吐き捨て、キクノは手綱を振るう。勇気ある翼竜は即座に反応し、速度を速めた。隊列の一番先頭に躍り出る。

「気をつけろ。下も様子が変だ」

 すれ違いざま、エザフォスが警告する。

 目抜き通りが黒く染まっていく。ほうぼうに散っていたラヴァが集まってきたのだ。粘土細工のように徐々に高さを増していく。歪で、とてつもなく大きな『腕』を形作っていく。

 落盤時の轟音のような雄叫びが響き渡った。歪んでいた空間が解放され、抑え込んでいた力が衝撃波となって疾駆する。翼竜十数騎からなる編隊を丸ごと飲み込めるほどの大きさである。景色の歪みが高速で近づいてきて、キクノは目を見開いたまま悲鳴とも咆哮とも取れる叫びを上げる。

 ルテルが前に躍り出た。

 彼女の身体から放出された緋色の靄が、黒ジェンドの咆哮波を正面から受け止める。七色の火花が散る。空中にいるはずなのに、地震のように全身が揺さぶられる。ジェンドは視界全体に広がる光の乱舞の中に、猛々しい意志を見た。敵はどこだ。すべてを取り戻す。そのために戦う。敵はどこだ――

「ああ、そうだ。すべてを取り戻すために戦うんだ。だから、大人しく俺に帰れ」

 緋色の靄がいっそう強く噴き出す。初めて聞くルテルの雄叫び。黒ジェンドの魂の叫びは彼女によって受け止められ、光の粒子へと変換され、ジェンドの身体に染み込んでいく。

 ――波を、抜けた。

 青空が戻ったのも束の間、今度は黒い影が翼竜部隊に覆い被さってくる。ラヴァが寄り集まってできた巨大な『手』。陽光を隠し、数百数千の顔が上から迫ってくる。

 ジェンドは鎚を構えた。他人が見ればもどかしいほどゆっくりと、そして寒気がするほど落ち着き払って、残り数メトルと近づいたラヴァの集合体へ向けて鎚を振り上げる。先端が顔のひとつを砕いた。隣の顔もほぼ同時に砕ける。さらにその隣も、その隣も――歴然とした数の差をまったく問題とせず、ちっぽけな鎚は『手』を穿ち、押し返した。黒い手の中指と薬指の間から亀裂が走り、全体を崩壊させる。黒い手が霧雨となる中、騎士たちの雄叫びが響き渡る。

「よし。よしっ!」

 握り拳を作って喜ぶキクノ。彼女の背中にジェンドはもたれかかった。呼吸がなかなか鎮まらない。あれほどのラヴァ意志をまとめて吸収するのは、苦痛をともなった。

「ジェンド、周りを見て」

 興奮した様子のキクノに促され、顔を上げる。黒ジェンドの周囲に四つの黒い球体が現れていた。ジェンドは息を呑む。それはかつて、エナトスを滅ぼした術と同じものであった。反射的に鎚を振り上げるジェンドをキクノが制する。

「心配しないで。あれは下の連中が力を合わせて練り上げた紋章術よ。あらかじめ仲間が伝えて回ってたのよ。いざとなったらあれを使おうって。私たちがラヴァの群れを引きつけたから、術を使う余裕ができたのね」

 キクノの顔は自信と興奮に溢れていた。

「ありったけの水と才能をつぎ込んだ超威力の紋章術。それも四つ。いくらあの化け物でも、ひとたまりもないはずよ。人間の本気を見せてやるわ」

「駄目だ」

 ジェンドはキクノの肩を掴んだ。

「あれは、俺がやる」

「大丈夫よ。あなたはここまでよく頑張った。だから後は彼らに任せておきなさい。ジェンドはとどめを刺せばいい。それであなた自身にも区切りがつくでしょう」

「そうじゃない。そうじゃないんだ」

 目を凝らす。黒ジェンドの額には、ほんのわずかに他と色が違っている部分がある。言われなければそうと気付かないような、人の手だ。身体の部分は黒ジェンドの中に埋まってしまっている。

「あの黒い奴は、スピアースを核としているんだ」

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