第47話 戦士にとってたいせつなこと
先生は私を戦士に育てる、と言ったけど、実際にはそれまでの勉強とそれほど違いはなかった、ように思う。
もちろん違いもあった。教室で文章や算術を教えてもらう他に、身体を動かす時間が出来た。
それにはお屋敷で先生と一緒に住んでいる、浅黒いモグイ人の使用人も加わっていた。というか、始めの頃は殆どその人、インファさんが私の面倒を見ていた。
「懐かしいですわ。こうしてまたお子のお世話ができると思うと」
庭の一画に磨いた板が敷かれて、私はそこに座って彼女の指示に従って体を動かしていた。時折、彼女は私の背中を押したり、足を引っ張ったりした。
「インファさんは、先生とずっと一緒に暮らしているんですか?」
「ええ。お嬢様……スピネイル様が子供の頃から、ずっと」
「子供の頃の先生、ってどんな人だったんですか?」
「それはもう、わんぱくでしたわ。お父上様の家来を引き連れて遊び回ってましたもの」
やっぱり、先生はどこか帝国人の偉い人の娘なんだ、と思った。
「お父上を亡くされてから、長らく暗い顔をすることが多かったですけれど。ここ一年で随分と明るいお顔をするようになりましたわ。貴女に目を掛けるようになったのも、その表れでしょう。さ、立ち上がって。筋を伸ばしたので、次は動いてもらいますわ」
私の二人目の先生、インファさんは私をまずいろんな動きが出来るようにと指導した。始めは、凄くゆっくりとした動きで、慣れてくると徐々に早い動きを教えてくれるようになった。
沢山動けば、当然お腹が減る。するとそのうち、先生たちは自分たちの食卓に私を招き入れるようになった。
「君の家に貸した小作地だが……もし、君が戦士として教育を受けるなら、畑の世話を誰かに任せなければならないね。君のお婆さんだけじゃ辛かろう」
大盛のお粥に、野菜と肉が入ったスープを食べながら、先生は私に聞いた。
「お婆ちゃんに畑以外の仕事が出来ればいいんですけど……私よく知らなくて……」
「インファ。ヨンのお婆さんの所に行って、お話してきてちょうだい。場合によっては貴女の下で働かせてもいいから」
「分かりましたわ」
その後、お婆ちゃんは本当にインファさんの下で働くようになった。毎日お屋敷の中を掃除して、洗い物をしていた。それまでお屋敷はインファさん一人で管理していて、二人が使う場所だけ手入れされていたらしい。
「さして使う用事もないけれど、綺麗になるといいもんだね」
「当然ですわ。お婆さんも雨風に中らず仕事が出来て結構でしょう」
私の生活は、お陰でまた大きく変わってしまった。
まず、朝。鶏の鳴き声で目覚め、お婆ちゃんの手伝いをする。薪を割ってお湯を沸かすために水を汲んでくる。大人のオークが入れるような大きな水瓶がいっぱいになるまで、水汲み場を往復してから、身体を拭いてお婆ちゃんと朝ご飯を食べる。
その後、板張りの庭でインファさんに付いてもらって、体を解す体操というのをやる。それから運動を休憩を挟みながら昼の鐘がなるまで続ける。昼には、先生と一緒にご飯を食べた。
インファさんやお婆ちゃんと一緒に夕食の準備の手伝いをしてから、先生に付いて部屋で勉強をする。その頃には文字と数字だけじゃなくて、もっといろんなことを、先生の気まぐれじゃなく真剣に教えてもらえるようになった。時折、先生はインファさんを連れて村を出た。その時は勉強もお休みで、私は村の中で自由に遊ぶことが出来た。村には帝国人にもオーク族にも子供がいたけれど、あまり一緒には遊べなかった。
一度、皆が集まって石合戦をしているところに出くわして、混ぜてもらおうとした。皆は家畜用の藁束で作った壁を挟んで石合戦をしていて、オークと帝国人で別れていた。
「ねぇ。私も入れてよ!」
「えー、別にいいけど。あんたどっちに付くのさ? こっちはオーク、あっちは小さいのだよ!」
「私はオークだよ」
「でも、あんた領主さまの子になったんでしょ。だったらあっち行きなよ」
「私は先生の子じゃないよ」
「じゃあなんで一緒に住んでるのさ。ちょっと前まで畑に出てただろ?」
「それは……先生が戦士にしてくれるっていうから……」
「それって騎兵のことでしょ? 領主様の家来みたいなるなら、やっぱり領主の子だよ」
結局、その日私は石合戦に加わらずに帰った。
後日、先生にその時のことを話すと、凄く真剣な顔で頷いて言った。
「それは、まずいな……」
「……えっと、それは私が先生の子って言われることが……」
「ああいや、それはまぁ、いいんだ。子供たちが二つの種族に分かれて遊んでるのがさ、あまり良くないかなって」
「……どうしてですか?」
「ここでは帝国人もオークも、一緒に暮らしてるんだ。体つきの変わらない子供の頃から、お互いを別々の者だと思って過ごすと、大人になってから大変な目にあうだろう。大きな町に行くと人もオークも入り交じって働いているからね」
先生はしばらく考えると、私を見た。
「また次の休みの日に、子供たちはまた石合戦をやるだろうか?」
「……多分、やるんじゃないでしょうか。石垣の外は危ないし、沢は水が減ってるので、水遊びには向かないかなって……」
「ふむ。じゃあヨン・レイ。君にちょっとした訓練をしてもらおう」
「訓練、ですか?」
「そうだ。少し早いかも、とも思うが。これも戦士の技術の一つ……『統率について』だ」
先生はそういう時、何故か凄く活き活きとしていた。私はそんな先生が好きだから、訳も分からず嬉しくなって首を振った。
先生はその日から暫く、部屋での勉強を取りやめ、私を連れて村の外に出るようになった。外と言っても、石垣のすぐ傍、村を挟むように流れる沢の向こう側にある、林の中へと向かった。
「ここなら訓練にはもってこいだ。人の迷惑にならずに済む」
「迷惑になるようなことなんですか? 訓練って」
「まぁね。ヨン。君は戦士にとって何が大事か、分かるかな?」
切り株の一つに腰かけた先生に向かい、私も切り株を探して座った。丈高い木陰のお陰で林の中はひんやりとして静かだった。
「えっと……戦いに強いこと、ですか?」
「うん。それもある。でもそれだけじゃ、本当に強い戦士にはなれないんだ。……戦士にはいくつかの技術が必要だ。農夫が作物の種、土、水、天気の知識が要るようにね」
先生は私の前に手を突き出した。ほっそりとした綺麗な手だった。
「まず『武術』 武器を使い、敵を倒す方法を覚えていること。戦士はいざとなったら裸でも相手を倒せる方法を持っていなければならない。
次に『統率術』だ。戦士は多くの場合、一人では戦わない。常に誰かと一緒にいる。他人がどれだけの力を持っているか、あるいはいないのかを見極め、目の前の戦闘に対してどれだけ有利に進めることが出来るのかを知っているべきだ。
それから『騎乗術』 帝国人なら馬、オーク戦士なら象を乗りこなす能力があれば、圧倒的に戦場で有利になれる。地面に立っている敵に対して、高さと速さで勝るが、そのためには乗っている獣の性質について把握していなければならない。
最後に『話術』だ。戦士は自分の実力を内外に向け宣伝できなければならない。あるいは味方に自信を与えるために、敵に不安を植え付けるために必要になる。優れた弁舌の才を持った戦士は不利な戦いをひっくり返し、味方を救うことができる」
先生が指折り数えるのを、私は頷きながら聞いた。それは私がイメージする『オークの戦士』とはちょっとかけ離れた存在だった。
「もちろん、全てができる者などいないが、どの技術がどの程度、自分に身に付いているのかを知っているか否かで、戦士の価値、ひいては戦場での価値が決まる。すなわち、己自身の生死が決まるんだ。それを知らず、無理を続ければ命を縮めるし、仲間を多く殺すことになる……」
無理をすれば、と聞いて、私は夢うつつに見た父の姿を思い出した。父は、あの時のレイ・オーク族の戦士たちは、皆無理をしていた。だから死んでしまったのだろうか。
「……さて。そこでヨン、君には子供たちを『統率』してもらおうと思う。と言っても、それほど難しいことじゃない。要はオークと帝国人が混ざって遊んでくれるように誘導してくれればいいんだ。その為の方法を今から話すし、そのためにここで練習してもらう」
先生がまたインファさんと村を出かけた日。私はお屋敷の仕事を終えて村の中へ出掛けた。手には、この日のために取っておいた干し葡萄の袋を持っている。
歩いていると、石垣の近くの空き地で子供たちが遊んでいた。今日は積んであった藁束を使って何かままごとのようなものをしていたらしい。
「みんな、何してるの?」
「私たちは礼拝ごっこしてるのよ。分かる? 礼拝って」
「知ってるよ。帝国の神様に御祈りするんでしょ」
「そうよ。詳しいわね、オークなのに」
帝国人の女の子は私を不思議なものを見る目で私を見た。
「オークの子とは遊ばないの?」
「だってあいつら、小さいのの神様なんて知らないって言うんだもの。だからあっちで別なことしてる」
指さすところでは、オークの子供たちが太くて固い藁を束から抜き取って、棒の代わりに遊んでいた。
「ふーん。……そうだ、今私おやつ持ってきてるんだけど、食べない?」
「おやつ?! 何持ってるの?」
「干し葡萄だよ。一緒に食べよう?」
私は袋の中身の半分を、そこにいた帝国人の子供たちに分けた。甘くて酸っぱい干し葡萄をみんな喜んで食べてくれた。
「美味しいわ! ありがとう」
「どういたしまして。ねぇ、折角だから、オークの子たちとも遊ぼうよ。私が話をしてあげるから」
「うーん……分かったわ」
帝国人の子供たちはそれぞれに頷いてくれた。
そこで私は振り返って、胸を張って息を深く吸った。
「みんなー! こっちに来て―! おやつに干し葡萄を持ってきたから一緒に食べよー!」
私の声を聞いてオークの子たちが一斉に振り向いて私を見た。私は袋を振って彼らに見えるようにした。
先生に教えられながら、大きくてよく通る声の出し方を練習したんだ。お陰でみんな、私の所に近寄ってきてくれた。
「なんだよ。おやつくれるのかよ」
「うん。ほら、皆手を出して」
オークの子たちにも干し葡萄を配ると、袋は空になった。
「ねぇ。折角同じ村にいて、同じ場所で遊んでるのに、別々に分かれて遊ぶのって勿体ないと思わない? 私は思うんだけど」
「……でも僕ら、一緒に遊べないよ」
「そんなことないよ。大人たちは一緒に働いてるじゃない。一緒に遊ぶくらいわけないよ」
「そうよ。あんたたちが礼拝ごっこに付き合ってくれればいいんだわ!」最初に話した帝国人の子が言った。
「小さい奴の神様なんて分かんないよ」
「それより槍合戦やろうぜ。やーやーわれこそはー」
「あんたたち力が強いから叩かれると痛いのよ」
「そうだよ、あんたらが合わせなさいよ」
言い争いになりそうなので、私は両手を挙げて声を上げた。
「はい! 待った。それじゃいつまでたっても遊べないよ。お互いに知ってる遊びじゃだめなんだよ」
「じゃあ、いったいどうすれば良いっていうのよ」
「それを今から一緒に考えるんだよ。その為にまず、組み分けをしようよ」
「組み分けって、なんだ?」
私は藁束から藁を一本抜いて、半分に千切って握った。
「貴方たち、二人が隊長になって、お互いの人数が同じになるように組み分けするの。ただし、帝国人とオークが同じ数になるようにすること。はい、穂先のある方を抜いた側から先に指名して、組を作っちゃって」
オークの男の子と帝国人の女の子は、不思議そうに私の手から藁を抜く。そして順番に互いのグループから指を指して組を分けていった。
「よし。これで御互い、出来ることは一緒になったわけね。ここには藁束もあるんだから、これも使っちゃいましょう」
先生は私に声出しの練習をさせながら考えていた。
「まずこっちの言うことを聞いてもらい、次に簡単なことからやってもらう、というのが、こっちの作戦さ」
オークと帝国人が互いに塊になってるから、別々に遊ぼうとするんだと先生は考えていた。
「だから、まずこの塊を壊してしまおう」
一旦塊を崩して、その状態で遊べてしまえば、後はその形を保ってくれるのではないか、と先生は言った。
「オークと帝国人が混じっても、遊べる方法がないと困るんじゃないですか?」
「そうだね。なら、そこはヨンの宿題としようか」
「宿題ですか?」
「うん。機転を利かすことも戦士の大切な才能だ。思いがけない場所、道具で、その場を切り抜けることが出来なきゃ戦ってはいけないからね。裸でも戦える、っていうのは、そう言う意味さ」
背格好はそう変わりない子供でも、私から見たらオークの方が力が強いし、帝国人の方が手先は器用だと思った。だから、それがうまいこと利用できた方が楽しいと思う。
藁束を積んで背が届かない高さし、他の藁束から藁を抜いて輪を作って貰った。それを帝国人の頭に乗せて、オークの子には一人から二人で帝国人の子を負ぶってもらう。
三つできた『藁の塔』を挟んで、オークに乗った『騎馬隊』が出来た。
「それじゃあ、位置について―……用意、始めー!」
互いの集団から一組ずつ騎馬が飛び出すと、塔の隙間を縫いながら真ん中の塔を回り込み、奥の塔を折り返して再び真ん中の塔で互いを追いかけ回す。
「あ、こら! 待てー!」
「待てって言われて待たないよ! あいた! 藁に当たってる! もっと離れて!」
「離れたらあっちに手が届かないよー!」
騎馬は塔を回りながら、お互いの頭に乗ってる輪を狙って手を伸ばす。かと思えば足を止めて、塔を挟んで睨み合ったりする。
「やれー! がんばれー!」
「負けるなー!」
私たちは自分たちの組が勝てるように応援を送った。皆、この新しい遊び『藁の塔くぐり』に熱中してくれた。
お互い一組ずつ『騎馬隊』を送り出して、頭の藁の輪を取られたら負け。それを繰り返すのだ。数が減ってきた自分側の輪を作り足すのも有りだ。勝ち続けると持ってる藁の環が増えてきて動きが鈍くなるし、藁も取り換えされてしまう。
私たちは日が暮れて大人たちが子供を呼ぶ声が聞こえるまで、遊び続けた。
「うまくやれたようだね」
次の日、インファさんと帰ってきた先生が私を見て言った。
「はい! がんばりました!」
「ははは、そうか。よし、じゃあ褒美をあげよう」
「ご褒美、ですか?」
「そうだ。インファ」
呼ばれたインファさんは、大きな行李を何個も摘んだ荷引き馬を曳いて庭に入ってきた。
庭に広げられた行李を開けると、黒っぽい青色をした、革で出来た胸当てや手甲、膝当て、長靴に兜、木目の細かい棒、槍の穂先、手斧、戦斧の斧頭、長さの違う二本の剣、それに先生の持っているキラキラした棒によく似た、黒光りする鉄製の棒が入っていた。
「これは……」
「これから、ヨンには本格的な戦士の鍛錬というものを身に着けてもらいたい。そうなったら、一丁前の武具がないのは困るだろう? これらはサヴォークで用立てたものだ。一応こちらの要望通りに作って貰ったものだけど、身に着けてみて窮屈だったり、丈が余ったりするようだったら言って欲しい」
「こんなもの……貰っていいんでしょうか」
「当然さ。オーク戦士なら、手斧以外の武器を自前で持つには色々と問題があるんだが……なに、構うものか。ここは帝国だ」
「ヨンさん、着付けして差し上げますわ」
インファさんの手で、おろしたての鎧下から始まり、全ての防具が身に着けられた。それは窮屈で重く、変な匂いがした。
「どうだ?」
「……重い、です」
「初めはそんなものだ。君が成長したら手直しはするし、身体が出来てくれば重さは気にならなくなる。軽すぎるようなら鉄張りの物に変えなければいけないところだったね」
これが一人前に、身に馴染む日がくる。先生はそう言っている。
そんな日が来るんだろうか? でも、そんな日が来るのなら、その時の私は、父や母を殺した『オークの戦士』ではなくなっているだろうと思う。
「……先生。素晴らしい贈り物をしてくれてありがとうございます。綺麗ですね、この黒っぽい、青い色」
「藍染、というんだそうだ。心を落ち着け、魔を退ける力があるとか……しかし、凄い臭いだな。革屋はその内臭いは消えると言っていたけど」
「先生、それちょっと酷いです」
陽を浴びて照り輝く、藍染の皮鎧の感触。
それから何年も過ぎて、鎧武器が体の一部になってからも、最初のあの時の感触は忘れなかった。
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