The Evil Castle 16

 

   *

 

「行くぞ。索敵を再開する」

 アルカードの言葉にうなずいて、エルウッドは千人長ロンギヌスの槍を拾い上げた。

 いつまでもスプリンクラーの作動している室内にいても仕方が無い――し、窓硝子が破壊されたせいで外から風雨が吹き込んできている。アルカードたちが帰国した段階でもかなり風が強かったが、そのときよりもかなり風が強くなっている様だった。

 風のせいでひどく寒かったので、ふたりはとりあえず廊下に出て扉を閉めた――相変わらずホテル内の空気は冷たかったが、風が無くなっただけでもだいぶましになる。

 周りが暖かいならまだ救いもあるのだが――残念ながら停止された東京電力からの送電が再開された際に空調設備のたぐいは復旧していないらしく、この数時間でホテル内の空気は完全に冷え切っている。犬の様に身震いする横で、アルカードが盛大に嘆息した。

「不覚だったな――俺やおまえがそれなりに警戒していて、それでも気づかないほど奴らが隠密行動が上手いとは思わなかった」

 アルカードの言葉に、エルウッドはかぶりを振った。

「それは俺も驚いたよ。複数いる可能性を考えると、もうこれ以上は部屋を個別に調べて回るのはやめたほうがいいんじゃないか――どうせ向こうからこっちを襲ってくるさ。全部の部屋に爆薬を投げ込むほど装備に余裕があるならともかく、確認した部屋に外から入りこんでこられるんだから、個室の個別確認にたいした意味は無い。むしろ狭い室内で退路を塞がれてあの冷気攻撃をされるほうが、深刻な脅威だろう」

「その主張はわからないでもないんだがな、キメラが何体孵化したのかを把握しておきたいのさ」 アルカードがそう答えて、塵灰滅の剣Asher Dustを手に歩き出した。

 そう言われてしまうと反論の余地は無い。それが重要な情報なのは事実だ。

「で、どこから調べる?」

「調べるといってもアテがあるわけじゃないからな――まあ適当にいこう。とりあえずは部屋を片端から調べて、キメラが何体いるのか把握する」

 要するにさっきまでの続きだな、と言いながら、アルカードは隣の部屋の扉を開けて中に入り込んだ。

「……これは……」

「どうした?」

 アルカードに続いて部屋に入り、エルウッドは猛烈な死臭に顔を顰め――ベッドの上に転がっているものを見て小さくうめいた。

 そこにあるのは女性の死体だった。

 ベッドの上にあるのは、十代後半から二十代前半の若い白人女性の死体だった――否、食べ残しと言ったほうが適当かもしれない。

 衣装はほとんど身につけていない――フリルのついた白いブラウスは胴体部分は引き裂かれて原形を失い、悪い冗談の様に袖だけが残っている。胸を覆っていた下着はずり上げられ、内腿には血がついている。スカートと下穿きは無理矢理に引き剥がされてベッドの横でくたびれており、悪夢の様な時間を必死で耐えていたであろう顔には涙の跡が残っていた。

 だが問題はそこではない。

 女性の体は信じられないくらいに痩せ細っていた。スマートだのなんだのいうレベルではない――いったい何十日絶食したらこうなるのだろうと思わせられるほどにがりがりで、骨と皮だけの状態に近い。手足は骨ばって、頬は痩せこけ、肋骨は浮き出ている。この年頃の女性なら当然あるはずの胸のふくらみも無かった。

 即身仏だと言われれば信じてしまうかもしれない――パレルモのカプチン修道会の地下納骨堂に、ロザリア・ロンバルド嬢と一緒に納まっていても違和感が無さそうだ。

 彼女の下腹部は内側から破裂したかの様に突き破られており、腸が細かくちぎれて飛び散っている。肌に残された赤黒い赤ん坊くらいのサイズの手形は――これは、足跡か。

 内臓は喰い散らかされた痕跡がある――腹が内側から喰い破られたのは明らかだった。

「キメラの母体だ」 陰鬱な口調でそう言ったのは、アルカードだった。

「キメラは単性生殖だが、繁殖に母体を使用する。キメラの子種は最初から受精卵の様な状態で、女の体内に入り込むと子宮に到達して着床する。そして急速に胎盤を形成し、それを介してホルモンバランスを調整して生理状態を妊娠状態に変化させたあと、胎盤を通して女の体からカロリーと栄養をあるだけ全部奪い取る――そして最後には、の腹を喰い破って生まれてくる。だから、キメラの母体はほぼ例外無くこうなる――餓死死体の様な死体になるのは、キメラの赤ん坊の成長のために体内に保持したカロリーや栄養を全部奪い取られるからだ」

 そう言って、アルカードは周囲を見回した。おそらく女のはらから這い出したのは、生まれたての仔犬くらいの大きさの生き物だろう――それが腹から這い出してベッドから転げ落ち、そのまま這い進んでいったらしい血の跡の先に、小さな水溜まりが出来ている。

 否、正確には朱色とクリーム色の入り混じった奇妙な液体だった。

「これは?」

「キメラの赤子だ。おそらくカロリー不足で、成長が始まる前に死んだんだろう――母体から奪い取ったカロリーが不十分だったらしいな」

 そう言って、アルカードが小さく舌打ちを漏らす。

「敵地に放り出すタイプのキメラはたいていこうだ。ほかのキメラ研究者、あるいは現代であればどこかの国家にでも死体が鹵獲されて研究されない様に、生命活動が停止すると体内に分解酵素が生成されて骨も残らず消滅する。DNAサンプルも残らん」

「これが十時間程度で成体になるのか?」

「俺が知ってるやつはな。ただ、それは製作者が設定した代謝速度によると思う。さっさと使い物にならないと困るから、基本的に成長サイクルは早回しにされてるが――新陳代謝の速度が速いから、そのぶんほぼ常にひどい飢餓感に苛まれているし、寿命も短い。半年持てばいいほうということも多い。逆に言えば手傷を負わせても、高速で治癒するということだ――ただしそのときにカロリーを大量に消耗するから、ダメージを負わせることは無駄にはならないがな」

 そう言って、アルカードは溜め息をついた。

「これは魔術師が自分で卵を植えつけた母体かキメラが襲った母体、どっちだろう?」

「キメラが襲ったほうだろうな――魔術師だったら母体の女に催眠術をかけて、抵抗を封じるくらいはするだろうから」 一ヶ所に集めて作業したほうが効率がいいだろうしな、と言ってから、アルカードはエルウッドが短い祈りを捧げるのを待って部屋を出た。

 隣の部屋に足を踏み出して、だが数歩先を歩くアルカードが片手を翳したのに気づいて、エルウッドは足を止めた。手にした槍の柄を握り直したとき、天井裏からガタンという音が聞こえてきた。

 敵か……!?

 アルカードもすでに足を止めている――場所が狭いからだろう、アルカードは塵灰滅の剣Asher Dustをいったん消して、刃渡り七十センチ程度に再構築した。

「アルカード?」 声をかけると、金髪の吸血鬼はかぶりを振った。

「否。『見えない』」 短くそう返事を返してくる。

 最上級の吸血鬼であるアルカードは可視光線以外の光を光源にしてものを見たり、温度分布でものを見たりする高度視覚を持っている――使い方次第で壁の向こうを透視することも出来るのだが、どうもそれらの視覚を以てしても敵影を捕捉出来ないらしい。

 キメラにアルカードの高度視覚から姿を隠せるだけの擬態能力があるのか、それとも構造物が悪くて透視出来ないのかもしれない。

「おまえの鼻は?」 アルカードに聞き返されて、エルウッドはかぶりを振った。

「わからない――周りの部屋の死体の血の臭いが強すぎる」

 窓側から入り込んでいれば、こちらが気づくことは無い――しかし狙撃チームが報告してくるはずだ。夜間の作戦なのだ、当然熱源感知式の暗視装置ナイトビジョンくらいは用意しているだろう。

「ライル。後ろを」

 アルカードの言葉に、エルウッドは背後に向き直った。たがいに武器を振るうのに支障無い距離だけを取って、背中合わせに身構える。

 あれは道具を使えるほどの高い知能のある生き物だ――基本的な目的と禁止事項だけを教えられれば、禁則事項を回避しつつ目的を達成するためにみずから判断するだけの知能を持っている。

 ロビーで遭遇した個体が即座に撤退を選択したのは、おそらく奇襲に失敗したことと、アルカードやエルウッドが自分たちに対して攻撃してきたからだろう――それで、彼らがそれまで手に掛けてきた人間とは異なるものであることを理解したのだ。

 二体目の奇襲と撤退は、こちらに対する威力偵察である可能性が高い。こちらがどの程度自分たちに対応出来るのか、どういうことが出来るのか、それを確認するために、深入りしないで攻撃を仕掛けてきたのだ。

 今気にしなければならないのは先ほどのキメラがロビーで遭遇したときに見せた能力、つまりアルカードはシアノアクリレートと呼んでいたあの接着剤を使わなかったことだった――単に使わなかっただけなのか、それとも使えないのか。

 使わなかったのなら、あれには状況に応じて攻撃手段を取捨選択するだけの知能があるということになる――もしくは、生まれたてで自分の能力を把握していないために、とりあえず使ってみて自分の能力にどの程度の効果があるかを試しているのか。もしそうだとしたら、それこそあれは霊長類と同程度の知能があるということだ――自分になにが出来るかを試すのは、好奇心がある証拠だ。

 使えない場合は、それとは別の問題が生じる――能力の異なる個体が、複数体いるということだ。

 彼らが別々の個体であると判断した場合、最低限二種類の攻撃手段を持つキメラが少なくとも一体ずつ。

 どちらが厄介かはエルウッドには測りかねたが、唯一確かなことは十の能力を持つ敵ひとりより、五の能力を持つ敵二体のほうが手強いということだった――はっきり言ってしまえば、自分よりも上の実力を持つひとりが繰り出してくる渾身の一撃より、半分の実力しか持たないふたりが間断無く繰り出してくる連続攻撃のほうが怖いのだ。

 最初に遭遇したキメラが飛ばしてきたあの接着液――シアノアクリレートは、先ほどのキメラが見せた極低温冷凍能力と相性がよすぎる。シアノアクリレートでこちらの足を止められ、冷気の中に閉じ込められたら、いかな彼らといえども手の打ちようが無い――冷気で動きが鈍ったところで生体モーターのドリルや、あるいは最初のキメラが見せた鞭状の武器で打擲を受ければ極めて危険だ。

 鞭状の武器は極めて鋭利な切断能力を見せて花器と台座を引き裂いていったし、あの生体分子モーターによる掘削器官はアルカードのコートや甲冑も容易に貫通するだろう。おそらく、人体の骨格も針を紙に刺すがごとくに貫くに違い無い――強靭な肉体と高い再生能力を誇るアルカードであっても、脳を破壊されればどうなるのかは想像がつかない。

 仮にそれを凌ぎ続けたとしても、そもそも一酸化窒素を発生させることによって作り出した冷凍ガスだけでも十分危険だ。

 アルカードが言う通りに一酸化窒素が酸化して出来た二酸化窒素が水に溶けることで容易に硝酸になるのならば、周囲に水気があれば――あるいは発生した冷気を吸い込んでしまっただけでも、瞬時に酸化して二酸化窒素に変わった冷気は濃硝酸となって猛威を振るうだろう――もし吸い込んでしまったなら、喉の奥で水分に溶けて高濃度の硝酸となり、気道や口の中を溶解せしめることになるからだ。

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