The Evil Castle 1

 

   1

 

 ひゅう、と音を立てて、硝子の割れた窓から吹き込んできた冷たい風が頬を撫でてゆく。手近にあった埃まみれのベンチに近づいて、アルカードは溜め息をついた。

 何度見回しても、変電所の中の空間はだだっ広い――おそらくは資材搬入用のものだろう、UFOキャッチャーに似た電動式クレーンが設置され、天井から伸びたチェーンの先の頑丈なフックが床から一・八メートルほどの高さで揺れている。

 電動式クレーンは大規模な火力発電所にある様な、人が入って操作するたぐいのものではない――が、専用の操作室を設けてある大型のものだ。操作室の硝子は以前の侵入者が破壊したのだろう、見る影も無く割られてしまい、床の上に破片が散乱していた。

 床の上に転がっている黒焦げのスプレー缶の様にも見える物体は、アルカードが投げ込んだ特殊閃光音響手榴弾ディストラクション・ディヴァイスの残骸だ。

 壁際には知識の無いアルカードにはなにがなんだかわからない様な大型の機械が、大量に置かれている。メンテナンスもある程度はここでこなすのだろう、ずいぶんの古いロゴの入ったSnapOnの工具ケースもそのまま残っていた――好奇心から開けてみると、中に入っていた工具の大半は持ち去られたあとだったが。

 持ち去られた高級工具とは対照的にうち棄てられていた錆びた工具は、もともとこの変電所の運営企業が支給したものだろう――電力会社は儲かるだろうに、基幹部分にあまり金をかけないのだろうか。

 胸中でつぶやいて、アルカードは足元にあった衣服を拾い上げた。

 周囲には何組か、つい先ほどまで人が身に着け動いていたかの様に衣服が絡み合って落ちている――無論『様に』どころか、実際に先ほどまで人が、正確にはヒト型をした怪物たちが身に着けていたものだ。

 アルカードが殺した敵の痕跡だ――アルカードはつまみあげたトレーナーを適当に丸めて、鉄のフレームにプラスティックの座面を置いただけの簡素なベンチに堆積した埃と硝子片を乱雑に拭い取った。

 そのままベンチに腰を下ろす――体重をかけた瞬間、ばきっという音とともに視界が縦に激しく動いた。座面が折れる破壊音とともに、激しく埃が舞い上がる――もろに埃を吸い込んでしまい、アルカードは咳き込みながら立ち上がった。

 視線を向けると、ベンチの座面が真ん中あたりからまっぷたつに折れている――どうやらフレームが腐蝕していたために、アルカードの重量に耐えかねて折れたらしい。

 そもそも全備重量数百キロというこの体重でこの手の――工場の喫煙所に、自販機と一緒に置かれていそうな簡素なベンチに座ったのははじめてだったが。

 その初体験の結果がこれだ。盛大に溜め息をついて、アルカードはレザーコートの裾についた埃を手で払った。

 二度と座るまい。

 再び溜め息をついて、足元に転がっていた折れたベンチのフレームを拾い上げる――塗装の剥がれた箇所から真っ赤に錆びたフレームを鉛筆の様にくるくると回しながら、アルカードは踵を返して歩き出した。

 とうの昔に遺棄された天井式クレーンからぶら下がった巨大なフックには、男がひとり吊り下げられていた――金属製の手錠を左右の手首に一本ずつかけられ、反対側の手枷をフックに引っかけられて宙吊りにされている。

 ズボンを脱がされてトランクス一枚にされた男の両脚は暴れられない様に手錠で固められ、わずかではあるが爪先が床についている。爪は無かった――両足の爪は一枚残らず、足元に転がっている錆びたペンチによって引き剥がされている。

 爪が剥がされて露出した肉の表面にまぶされた白い粉は、この男が持ち込んだコンビニ弁当についていた『ゴマ塩』のふりかけだった。顔は幾度と無い打擲により腫れ上がり、左目は腫れて完全に見えなくなっている。

 脚はひどい有様だ。一枚残らず生爪を剥がれた爪先もさることながら、刃渡りの短い針の様な細身の刃物で滅多刺しにされている――まあ針の様な細身の刃物というか、とどのつまりは針の様な細身の刃物アーマーピアッサーで滅多刺しにしたのだが。

 ズボンを脱がせて太腿のつけ根をそのへんで見つけた錆びた針鉄で縛ってあるのは、拷問で脚を傷つけても出血多量で死なない様にするためだった。あらかじめ止血をしておけば、動脈を切り裂きでもしない限りは多少傷つけた程度で一気に失血死することは無い――代わりに血が行き渡らず、放置しておけばすぐに細胞組織の壊死が始まるだろうが。

 救急手当てなどで止血帯を一定時間ごとに傷口から血が出てくるまで緩めるのは、傷口に血液を送り込むことで止血された手足の致命的な壊疽ネクロージスを防ぐことが目的だ。これを怠ると出血は止まっても代わりに止血帯から先の組織が死滅を起こし、腐って失う羽目になる。

 まあ腐ろうが溶けようがどうでもよかったので、アルカードは締め上げた部分が鬱血するほどの力で針鉄を締めつけていた――聞きたいことを聞き出すまでの間にこの男が失血死する様なことにならなければ、それで十分だ。

 だが逆に言えば、聞きたいことを聞き出すまでは生きていてもらわないと困る。とはいえこいつも『クトゥルク』の下僕サーヴァントだから、少々痛めつけたところで死にはしないだろう。

 だが死なないわけではないし、死にはしなくても口が利けなくては困る。聞きたいことを聞き出してからなら、別にかまわないが。

 かといって暴れられても困るので、抵抗能力を奪うために魔力強化エンチャントを這わせた鎧徹アーマーピアッサーで滅多刺しにしたのだ――魔力強化エンチャントは武器や防具を補強するだけでなく、対霊体殺傷性能を附与する目的にも使われる。

 霊体に対する破壊力を持たないただの武器であれば、それで負った傷は高速で治癒する。肉体は損傷しても霊体は無傷であるため、霊体に順応して肉体が高速で治癒するのだ。

 だがたとえ微弱であっても、魔力強化エンチャントを這わせた武器で負った傷は肉体だけでなく霊体も損傷するために吸血鬼の治癒能力は作用せず、簡単には治らない。

 学生のペン回しの様にくるくると回転させていたパイプ状のフレームを、一度宙に投げ上げ――落下してきたフレームを空中で掴み止め、アルカードは逆手で握ったその丸鋼管パイプの一端を宙づりにされたままぐったりと動かない男の右の太腿に突き立てた。今度は魔力強化エンチャントは施さない。引き抜くつもりが無いからだ。

 さながらクッキーカッターの様に肉を切り取りながら骨に当たるまでフレームが喰い込んだ瞬間、激痛で一気に覚醒したらしい男が体を反り返らせて悲鳴をあげた。

「――ッぎャァァあァアぁ!」

「――まだ出るじゃねぇか」

 鉛筆を削るみたいにフレームをぐりぐりと捩じりながら、アルカードは激痛にのたうつ男の耳元で囁いた。

「どれ、元気が出たところで質問の続きといこうか。『クトゥルクあのくそアマ』はどこに逃げた?」

「し――知らない! なんで僕がこんな目に遭わされるんだ!?」

「『なんで僕がこんな目に』――ねぇ」 皮肉を込めた口調で鸚鵡返しにしてから、アルカードは目を細めた。

「僕がなにをしたっていうんだ!? あんたが何者か知らないけど、あんたがあの女を追ってるなら僕は被害者だろうが!」

「へぇ……?」 アルカードは鼻を鳴らして視線を転じ、壁際の一隅を見遣った。

 ほとんど襤褸布の様な衣装しか身に纏っていない十代の少女が数人、床の上に倒れている。いずれもひどい性的暴行を加えられた形跡があり、この男の趣味なのか火傷を負っている者もいて――そしていずれもすでに冷たくなっていた。

 噛み痕の有無を調べたわけではないが首筋に血糊がこびりついており、吸血の痕跡が残っている――いずれもすでに死斑が浮き出ており、また喰屍鬼グールに喰い散らかされた痕跡もあったので、調べる必要が無かったのだ。

 吸血を受けた被害者の遺体が噛まれ者ダンパイア、もしくは喰屍鬼グールとして蘇生する素質を持っていた場合、彼らの遺体はどれだけ長い間放置していても傷まない。腐敗はもちろん死斑が浮き出たりすることも無く、死後硬直すら起こさない。ただ眠っているだけであるかの様に、首筋の傷以外はまるで綺麗なままなのだ。

 また被害者の亡骸が噛まれ者ダンパイア喰屍鬼グールとして復活する場合は、喰屍鬼グールが餌にしないという特徴もある――どうやってかは知らないが喰屍鬼グールには噛まれ者ダンパイア喰屍鬼グールとして蘇生する遺体とそうでないの見分けがつくらしく、ほかに餌の無い状況でも蘇生する遺体には手を出さない。

 周りに喰屍鬼グールがいなければならないし、その喰屍鬼グールに死者の亡骸を喰わせなければならないので、世辞にも褒められた方法ではないが。

 いずれにせよ、転がっている亡骸の肌にはすでに死斑が浮き出ている――傷みが進行しているということは、彼女たちの遺体は噛まれ者ダンパイア喰屍鬼グール、いずれの適性も持っていないということだ。復活する恐れは無い――だ。

 これ以上亡骸を傷つける必要だけは無い――その事実に安堵しながら、アルカードは再び男に視線を戻した。

「被害者? おまえが?」

「そうだよ、あいつは僕に魔術を仕込んで利用したんだろう!? 僕は被害者じゃないか!」

 その言葉に、アルカードは溜め息をついた。

 『クトゥルク』が密航したと思われる船が日本に到着してから一週間――香港から帰国したアルカードは到着の翌日、装備品の受け取りをあきらめて港へ向かった。

 葵青貨櫃碼頭クヮイチンコンテナターミナルを出港した、彼女の乗っていると目される貨物船が港区に到着する予定だったからだ。

 だが到着した貨物船を確認しても、『クトゥルク』はどこにもいなかった――その後の調べで、同日の夜に現代貨箱碼頭有限公司モダン・ターミナルズの貨物船が葵青貨櫃碼頭クヮイチンコンテナターミナルから横浜港に出港していることがわかった。

 そちらはすでに今度はアメリカへ出港してしまっていたために調べられなかったが、国土交通省経由で貨物船内を船員に調べさせた結果、何者かが隠れていた痕跡が見つかった。

 つまりアルカードが『クトゥルク』配下の吸血鬼を殲滅した時点では、彼女はまだ香港にいて葵青貨櫃碼頭クヮイチンコンテナターミナル内で息をひそめていたのだ。

 彼女にとっての誤算は、アルカードの現在の活動拠点セーフ・ハウスが日本に存在していたことだろう。無論彼女自身はそれを知る由も無いが、いずれにせよ追手である彼はこうして日本にいる。

 彼がすでに日本にいることは知る由も無いだろうが――『クトゥルク』はすでにいくつかの痕跡を残している。

 そのうちのひとつがこの男だった。

 『クトゥルク』がたまたま魔術の素養のあったこの男を襲って下僕サーヴァントに作り替え、その脳に自分の使える魔術の一部を転写して野放しにしたのは五日ほど前のことらしい。

 一日二日の間はこそこそと息をひそめていたが、意識に焼きつけられた魔術の使い方を覚えるにつれて行動が大胆になり、尻尾を出したのが三日前のことだ――自分と同じ年代の少女を攫っては手を出したり、噛まれ者ダンパイア喰屍鬼グールにしたりとやりたい放題やっていたらしい。

 たった数日の間に行方不明者が立て続けに出てその行方不明者のほとんどが女性、それも中学から高校にかけての女子学生であったこと、短期間に件数が多すぎることから、愛知県警から警視庁経由でアルカードの派遣が大使館に要請された。

 この変電所跡に侵入したとき、襲ってきたのは二体を除いて噛まれ者ダンパイア喰屍鬼グールかを問わずにすべて女だった――それらすべてが手酷い暴行を加えられた形跡のある女だ。

 さんざん暴行を加えたうえで、吸血を行い魔物に作り替えられたのだろう――先日のカニ型ガーゴイルの一件で壊滅したごろつきの集団はそうはしていなかったが、性的暴行を好む吸血鬼にとっては噛まれ者ダンパイア化した被害者は普通の人間であれば死んでしまう様な手酷いやり方で凌辱しても死なないし、上位個体が肉声で命令すれば絶対に逆らえない。

 だがそれで相手の心まで支配出来るわけではないので、泣き叫び赦免を請いながら肉体だけは上位個体の命令のままに抵抗も出来ず凌辱される。殴りながら、あるいは首を締めながら犯すことを好む変態の慰み者になっても、反撃や抵抗はもちろん逃げることも出来ない。

 先日ボウリング場で回収したふたりの少女たちは、血を吸われていなかった――全身が子種でまみれ汚れていたことから察するに、それなりの日数が経過していたにもかかわらず。

 教会の手配した医療チームのカウンセリング班が彼女たちから聞き出したところによると、彼らは少女たちを噛まれ者ダンパイアに変えることで却って抵抗能力が向上することを理由に意図的に血を吸わなかったらしい。下位個体は上位個体が肉声で与えた命令に叛抗出来ないが、ありとあらゆる命令すべてに唯々諾々と従うわけではない。例外のひとつが、『自分以外の誰かの命令に従え』という命令だった。

 あの状況であれば、あの場にいた吸血鬼の中で最上位の個体である下僕サーヴァント、おそらくアルカードとエルウッドに向けて発砲し一番最初にカニ型ガーゴイルの餌食になったあの男だが、仮に彼が少女たちの血を吸った場合、少女たちが噛まれ者ダンパイアに変化すると彼女たちに命令出来るのは下僕サーヴァントだけになる。

 残る吸血鬼たち、つまり下僕サーヴァントの下位個体なわけだが、下僕サーヴァントが少女たちにほかの下位個体への服従を強いても、その命令は拒絶される。噛まれ者ダンパイアに変化した少女たちはほかの噛まれ者ダンパイアに対して反発し、抵抗することが出来るのだ。

 そしてもちろん、年端も行かぬ少女の細腕であっても噛まれ者ダンパイアの膂力を以てすればたいがいの拘束手段は易々と破壊出来る――少なくとも霊的に加工されていない普通の手錠程度ならば、紙縒こよりのごとく引きちぎれるだろう。それを防ぐために、彼らはあえて少女たちの血を吸わなかった。

 アルカードが侵入したとき、この男はちょうど噛まれ者ダンパイアになった女を凌辱している最中だった――上位個体が肉声で命令を下せば、下位個体は内心がどうあれ絶対に上位個体に逆らえない。この男の様にすべての被害者を自分の下位個体にして自分で凌辱するなら、別にくだんのチンピラどもの様な注意は必要無い。

 むしろいくら痛めつけても死なず、直接命令すれば絶対に逆らえない相手は、この男にとって最高の性の奴隷だったに違い無い――人間の屑という言葉がこれほどまでにふさわしい者もそうそう無いが、十歳を境にして以降の半生すべてが性犯罪歴に彩られた経歴を見れば、それが間違い無いと確信出来る。

 鶏山由紀雄――十七歳、地元の高校生。痴漢行為での補導歴、女性更衣室の盗撮容疑による補導歴あり。十六歳のときには高校の同級生をアルコールを注射して酩酊させたうえで強姦したとして、一度は警察に逮捕されている――地元の有力者の両親が被害者側の両親を買収したのか脅迫したのか、被害者側が被害届を取り下げたために処分は受けなかったが。

「なんでだよ、なんだって僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだよォ……」 

 めそめそと泣き言を漏らす鶏山の横に廻り込んで溜め息をつき――アルカードは足元に転がっていた四ポンドのハンマーを拾い上げた。柄は半ばから折れていたが、彼の目的には十分だ――振り返り様に、鶏山の左脚に突き刺さったままになっているフレームの一端を、手にしたハンマーの玄翁で正確に打ち据える。

 ぎええええっ!

 悲鳴をあげて身をよじる鶏山を無視してハンマーを足元に投げ棄て、アルカードは埃まみれの床の上に転がっていた大型のマイナスドライバーを取り上げた。べっとりと血がついているのは、これで鶏山の脚を滅多刺しにしたからだ――血糊に埃がついて真っ白になった刃先を、鶏山の喉元に突きつける。

「わかりきってることだろうが。てめえがやったのがまともな人間から侮蔑されることだってのは、貴様の足りない頭でもわかってるだろう――それともあの子らを攫って手籠めにしたのも、あの薄汚い淫売女の命令だとでも言うつもりか?」

 噛まれ者ダンパイアが血を吸うのは、本人の飢餓感のほかに上位の吸血鬼の精神支配の影響もある。一度血を吸えば、あとは早い――麻薬に一度手を出せばあとはずるずると深みに嵌まっていく様に、継続的に血を吸う様になる。そうするうちに倫理観も磨滅して失われ、自分の欲求に素直に行動する様になる――男の噛まれ者ダンパイアが強姦に走るケースが多いのは、このためだ。

 まあもっともこの鶏山に関して言えば、元から倫理観の持ち合わせなど無い人間の様ではある――鶏山の自宅に侵入して居場所の手がかりを捜索したときに見つけた大量の盗撮写真とパソコンのハードディスクに保存されていた画像や脅迫メールの履歴を思い出して、アルカードは嫌悪感に顔を顰めた。

 『クトゥルク』の下僕サーヴァントは、ほかの噛まれ者ダンパイアと違って上位個体である『クトゥルク』に魔力を吸い上げられたりはしていない。その一方で自分の下位個体の噛まれ者ダンパイアからは魔力をかすめ取っており、ある意味主持たずヴァンパイヤントに近い存在であるともいえる――吸血被害者の噛まれ者ダンパイアとしての蘇生確率がきわめて高く、さらに蘇生までのタイムラグも通常の噛まれ者ダンパイアの吸血被害に比べて短いという、かなりたちの悪い相手だ。

 そこの少女たちが蘇生していない理由はわからない――下僕サーヴァントでも噛まれ者ダンパイアに変化させられないほど適性が低かったのか、あるいはなにかほかの理由か。この男が自分で吸血をしなかったのかもしれない。いずれにせよ遺体は傷み始めているから、蘇生の心配は無い。

 話を戻すと、たいていの上位個体は下位個体ダンパイアを野放しにするとき、人の血を吸って自分に魔力を献上することしか要求しない――彼らは普通に食事を必要とするが、それとは別に人血をすすらなければ強靭な肉体を維持出来ない。吸血は生存手段そのものなので、それは強制しなくても放っておけば勝手に実行する。だから野放しにしておいても問題無いのだ。

 『クトゥルク』の下僕サーヴァントの場合は、上位個体に魔力を奪われないので自己強化のペースが普通の噛まれ者ダンパイアに比べて非常に速い。さらに『クトゥルク』の直下下位個体である下僕サーヴァントに対して、『クトゥルク』は独自の叛乱防止システムである御霊みたま喰いを行うのだ。

 御霊みたま喰いを受けた人間は吸血能力を持ち、その被害者を噛まれ者ダンパイアへと変化させる能力を獲得する。

 その一方で日光を忌避し、日光を浴びると塵と化して消滅するといった噛まれ者ダンパイアと共通する弱点も持つ。

 しかし下僕サーヴァントはその独自の特徴として、ロイヤルクラシック並みの高い繁殖能力と主持たずヴァンパイヤントと同等の自己強化速度、霊魂が肉体に無いがゆえの普通の噛まれ者ダンパイアをはるかに凌ぐタフさを誇る。

 だがその一方でこれをされた状態で『クトゥルク』が死ぬと、その下位個体である下僕サーヴァントも死んでしまう。定期的に力を使い果たして休眠状態に陥り、完全な無防備状態になる『クトゥルク』が、下位個体である下僕サーヴァントに服従を強制し自分を守らせるための仕組みだ。

 本来下僕サーヴァントは上位個体である『クトゥルク』に随伴するから意味のあるものだ――クロウリー・ネルソンやジャクソン・スタンレーがそうだった様に、下僕サーヴァントは休眠状態に陥り完全に無防備になった『クトゥルク』の身を守り、必要が生じれば休眠中の主を運んで拠点を変えるからだ。

 先日のボウリング場のチンピラども、それに香港の欠陥建築物を根城にしていた連中もそうだが――『クトゥルク』が下僕サーヴァントを置いていったのは単純に囮に使うためだろう。

 『クトゥルク』は聖堂騎士団の魔殺しアルカード、正確には教師ヴィルトール・ドラゴスを知っている――下僕サーヴァントたちが見聞きした記憶を、休眠中であっても共有しているからだ。確認が取れたわけではないが、そうでないと説明のつかない事例がいくつかある。

 以前、アルカードは教会の聖堂騎士たちとともに下僕サーヴァントを襲撃している――教会と結託していることを知っていれば、ヴァチカンを通じて接受国側の支援を受けていることも予想がつくだろうから、必要に応じてターゲットの抹殺よりも囮の殲滅を優先する傾向があることも想像が及ぶだろう。実際『クトゥルク』は、香港でそうやって逃走時間を稼いでいる。

 そして囮に使うなら、派手にやらせたほうが都合がいい――だから『クトゥルク』はこの男の行動を制限する様な命令は一切しなかったはずだ。逆に言えば、この状況はこの男本人の意思なのだ。

 この男は自分の意思で、これまでの所業を重ねてきた。したがって同情の余地など存在しない。

 ひいひい泣いている鶏山の脚に突き刺さったままのベンチのフレームをマイナスドライバーの尖端でかんかん叩きつつ、アルカードは続けた。

「まあそんなわけで、別に俺としてはおまえに同情するつもりなんてこれっぽっちも無いんだよ。わかったら、さっさと言うことを言っちまえ。そしたら楽にしてやる」

「知らない、僕は本当に知らな――」

 鶏山の声は、アルカードが細軸のマイナスドライバーの先端を左耳の穴にあてがった時点で途切れた。

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