Dance with Midians 28
闇夜に慣れてきた目は、薄暗がりの中で仰向けに倒れた女性の姿をはっきりと捉えている。近づこうとして、ヴィルトールは噎せ返る様な悪臭に顔を顰めた。
血の臭いに混じって漂ってきているこの臭いは、間違い無く――
果たして近づいてみれば、倒れているのはやはり知った顔だった。
その惨状が見える距離まで近づき、実際の状態を目にして口元に手を当てる――ひどい有様だった。
衣服は剥ぎ取られているが、その下にある胸のふくらみは無い。獣に喰いちぎられたかの様にごっそり無くなっている。脇腹は皮膚とその下の筋肉組織が剥ぎ取られて、血塗れになった白い骨が露出している。
剥き出しになった腹部は、無慙に肉がえぐり取られていた――ちょうど胸骨の下あたりから下腹部にまで腹筋が剥ぎ取られ、胸の悪くなる様な異臭を放つ腸が引きずり出されている。腕は片方が肘の関節から先が無くなっており、そして先ほど最後に動いた敵が落としたのはその無くなった腕の肘から先だと知れた。
両腕も皮膚と肉が引き剥がされ、血脂がこびりついた骨が剥き出しになっている――あらわになった太腿は、獣に喰い荒らされた屍の様に肉が喰いちぎられ無くなっていた。
顔は片頬が喰いちぎられ、その下から血塗れになった歯列と顎の骨が露出している。
反対側の無事な頬には、激痛のためか涙が伝っており――意識があるのかどうかはわからないが、痛みのためか時折小さく痙攣していた。
あいつらは彼女を喰っていた、のか……?
吐き気をこらえながら、ヴィルトールは小さくうめいた。もはや状態を診るまでも無い――これでは助からない、むしろまだ息があるのが不思議なくらいだ。
たすけて、おねがい、だれか――譫言の様にそう繰り返しているのを聞き取って、ヴィルトールは手にした長剣を握り直した。
ヴィルトールには今この場で彼女を助けてやれる様な手段は無い――彼が出来ることなど、彼女の苦痛を終わらせてやることくらいだ。
どのみち彼女は助からない――ならば苦しむ時間は短いほうがいいだろう。
「……許せ」 抑えた声でささやいて、ヴィルトールは手にした長剣の鋒を彼女の胸元に突き立てた。
強固な胸骨をぶち抜いて、長剣の鋒が心臓をえぐる。一度大きく痙攣して、それを最後に彼女は絶息した。
かがみこんで開いたままになっていた瞼を閉じてやり――小さく息を吐いて、ヴィルトールはふと耳をそばだてた。
きぃん、ぎん、という金属同士のぶつかり合う音が聞こえてきたのだ。
剣戟――間違い無い。近くで誰かが戦っている。
そう判断して、ヴィルトールは地面を蹴って走り出した。
*
女子高生ふたりが離れていったところで、エルウッドは手にした聖遺物――聖槍
蚤の様な動きで床を蹴った子ガニを、水平に薙ぎ払う一撃で迎え撃つ――コンクリートの破片を撒き散らしながら、粉砕された子ガニの破片が床の上にばらばらと舞い落ちた。
「
咆哮をあげて――ボウリング場の床を駆ける。
巨大な穂先を水平に寝かせて、エルウッドは繰り出した刺突で飛びかかってきた子ガニの胴体をぶち抜いた。どうやらこの子ガニはアルカードが戦っている親ガニとは違い、さほど複雑な構造にはなっていないらしい。
親ガニが高圧をかけた水によるウォータージェット切断器官を持っているのはたまたま視界に入っていたので見えていたが、子ガニの群れは三十体近くも犠牲を出しているにもかかわらず、一体もその攻撃を仕掛けてきていない――おそらく子ガニが小さすぎて内部に水圧をかける構造物が収められないからだろう、ぶち抜いた箇所から水も出てこない。
子ガニを串刺しにしたまま、エルウッドは手にした槍を振り回した。飛びかかってきていた子ガニたちが次々と吹き飛び、穂先からすっぽ抜けた子ガニがボールラックに激突して粉々に砕け散った。
「――!」
親ガニがぶち抜いていった風穴から流れてくる強烈な魔力に気づいて、足を止める――使用者の魔力を注ぎ込まれて活性化した霊的武装の発する、独特の魔力の波動。
こと物体を依り代とした魔物に対して使用する限り、アルカードの持つ霊的武装の中では最強の破壊力を誇る
地上に降りてしまえば、多少派手に暴れても問題無い――少なくともゲレンデヴァーゲンが瓦礫の下敷きになる心配だけは無くなる。
気兼ね無く暴れても大丈夫だと判断して、一気に潰しにかかることにしたのだろう――そうなると、こちらもそろそろ急ぐべきか。
あれを使い始めたなら、たぶん数分以内に片がつく。
見たところ、子ガニを発生させていた円陣からはすでに魔術の気配は感じられない――おそらく子ガニの生産のために与えられていた魔力をすべて消費し、『式』が自壊してしまったのだろう。
つまり、もうこれ以上子ガニが増えることは無い。
「さて、と――」 聖槍を床に突き立てて両手を空け、エルウッドは手袋を嵌め直しながらゆっくりと笑った。
†
掌の中で小瓶が容易く握り潰され――砕けた小瓶の中から漏れ出してきた水銀が、指の隙間から滴り落ちて地面を濡らす。
小瓶を握り潰した右手を顔の前に翳し、手首に向かって肌を伝い落ちる水銀を堰き止める様に左手で手首を掴むと、水銀の冷たい感触が左手にも伝っていくのがわかった。
明らかに小瓶の容積をはるかに超える量の水銀が、両腕全体を包み込む様にしてまとわりつく――しかし重力に逆らってそれ以上したたり落ちることも無く、まるで原生生物の様に両腕の下膊を手甲の上から包み込んでいる。いったんは地面にしたたり落ちて雨後の水溜りの様に足元に溜まっていた水銀もまた重力の扼を振り払い、脚甲を伝って上に向かって落ちていき、膝下全体を包み込んでいた。
やがて、水銀の表面に変化が生じる――それまではまるでゼリーの様にプルプルと震えていた水銀が収斂して硬質化し、爬虫類の表鱗に似た質感の装甲を形成する。あれよという間に微細な鱗状の質感を持つ滑らかな曲面形状の装甲が、両手脚を鎧う甲冑の装甲の上から四肢を覆っていた。
「さて、と――」 唇をゆがめて笑ったとき、カニが再び第一脚の鈎爪を振り上げた――左拳を固め、うなりをあげて振り下ろされてきた鈎爪を迎え撃つ。
基本形態は使用者の両手両足を鎧う具足で、
四点に分体した具足それぞれがみずからが放射する重力を制御する機能を備えており、使用者自身に影響を与えないまま四肢の装甲それぞれが三百グラムから四十五キロの間で自在に自重を増減させることが出来る。
すなわち――
次の瞬間激光とコンクリートの砕片を撒き散らしながら、
欠点と言えば、直接接触して打撃を加えない限り、霊体に対してはダメージを与えられないことくらいだが――復元能力を持たないガーゴイル相手であれば、依り代となっているコンクリートの筺体を破壊するだけで事足りる。
わずかに重心を沈め、アルカードは地面を蹴って高々と跳躍した――振り翳した右手の、その周囲の光景がゆがみ始める。
右手の装甲が周囲に放射する高重力によって引き寄せられた大量の空気の流入で右手の周囲だけ大気密度が上がり、周囲の光の屈折率が変化しているのだ。
真上から撃ち込まれれば、いかに巨体とはいえひとたまりも無い――本体が破損せずとも、脚などの細い部分は耐えられない。よしんば破壊出来なかったとしても、脚の尖端が地面に喰い込んでしまう。
それでなくても足を踏み変えるたびに柔らかい地面に脚の尖端が喰い込んで動くのに手間取っていたカニは左右四対、一本切断したから計七本の脚が悉く根元まで地面に喰い込んでしまったために、ろくに動くことすら出来なくなってしまった。
「ふん」 鼻で笑って――跳躍したまま、アルカードは軽く目を細めた。両手をそれぞれ逆の肩に巻き込み、×字を描く様にして交差する軌道で振り下ろす――次の瞬間周囲の空気を圧縮して巨大な轟音をひしりあげながら、刃状に束ねられた衝撃波が左右四対合計八条、カニの背中を直撃する。
カニの背中にビキビキと音を立てて×字状の亀裂が生じ、背中全体に無数の亀裂が走った。
破壊力も大きく見劣りするし実際の挙動も異なるが、近距離であればほぼ同等の効果を出せる――場合によっては高い連射性など、オリジナルに無い利点も多い。
本家の
そのまま吸い寄せられる様にして、カニの背中に向かって落下する。同時に
「
アルカードは
再び
「
物体に走った亀裂というのは、その端から広がるものだ――紙に鋏で切れ目を入れてから両端を引っ張ると、必ず切れ目の部分から裂けていく。加工食品の樹脂パック、ポテチの袋両端の接合部分がギザギザになったり、チータラのパッケージに切れ目や切り欠きが入っているのも同じ理屈からだが、これは谷状の部分がもっとも応力に脆弱になるからで、亀裂に対しても同じことが言える。
樹脂製のオートバイのカウルなどに亀裂が走ると進行を喰い止めるために亀裂の端の部分に丸い孔を開けることがあるのだが、これは端の部分にかかる力を分散させることで亀裂の進行を止めているのだ。
逆に言えば、いったん亀裂が入った箇所に集中的に攻撃を加えることで、攻撃者は標的をより効率よく破壊することが出来る。
そしてこのカニにはもはや亀裂が広がることを喰い止めるすべは無い。二度、三度と足を叩きつけるたびに、更なる荷重がかかって亀裂が広がっていく。
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