Dance with Midians 8

 唇をゆがめてかすかな笑みを作り――グリゴラシュが床を蹴る。踏み込み様に繰り出されてきた刺突を、アルカードはみずからの霊体武装を真直に振り下ろして叩き落とした。その反動で鋒を跳ね上げ、がら空きになったグリゴラシュの顎先に曲刀の帽子を引っ掛ける様にして彼の咽喉のどに手にした塵灰滅の剣Asher Dustの鋒を突き立てようと――

 するより早く、グリゴラシュの姿が視界から消えた。こちらがグリゴラシュの刺突を撃墜した時点で、その流れから派生した反撃の縦払い刺突づきが届くより早く、上体を沈めて刺突を躱したのだ。

 腕が伸びきっているために、そのまま真下に振り下ろして背中を叩き割ることも出来ない。こちらが霊体武装を引き戻そうとしているうちに、グリゴラシュは若干間合いを離して自分の間合いを作りつつ、側面に廻り込んできた。

 そのまま、胴体をめがけて寄せ斬りを繰り出してくる――受け止めるのは間に合わず、回避も不可能。

 そう判断して、アルカードは空いた左手でグリゴラシュの肩口を力任せに突き飛ばした。

「うおッ……」 百キロを超える重量を腕力任せに突き飛ばされ、グリゴラシュが上体を仰け反らせる――グリゴラシュはそこらの剣と比べても比較にならないほど強力な吸血鬼ではあるが、純粋な腕力や魔力総量では真祖であるアルカードのほうが上だ。突き飛ばされて仰け反った体勢からそのまま後方に向かって跳躍し、グリゴラシュはいったん間合いを離した――振り抜く動作を止めていなかったグリゴラシュの一撃が、視界の上部を斜めに引き裂いていく。

 ちっ――即座に後退を決断したグリゴラシュの判断に、小さく舌打ちする。さすがはグリゴラシュというべきか――アルカードは称賛の意をこめつつも小さく毒づいて、突き飛ばしたその腕を死角に使って腹部めがけて突き出していた塵灰滅の剣Asher Dustを引き戻した。

 もしもグリゴラシュがその場で踏鞴を踏んでいたら、そのまま下腹部をえぐってやれていたのだが、そうそう巧くいかせてはくれないらしい。先ほどの撃ち落としからの刺突を引き戻してからの攻撃だったためにタイミング的に遅れていたこともあり――入るかどうかは分の悪い賭けだった、それだけの話だが。

 もう少し早ければ、致命傷を与えることは無理でも隙は作れたのだが――胸中でつぶやいて、アルカードは霊体武装を肩に巻き込んで構え直した。

Wooaaaraaaaaaaaaaaaaオォォアァァラァァァァァァァァァァァァッ!」 咆哮とともに――グリゴラシュが体勢を立て直す前に、前に出る。左肩めがけて撃ち込んだ一撃を、しかしグリゴラシュはわずかに右にステップして軌道から逃れることで回避した――鋒が地面に落ちるより早く軌道を変えて、低い軌道でグリゴラシュの膝を薙ぎにいく。

 グリゴラシュがこちらの一撃を回避した時点で回避行動を止めていれば、少なくともそれで片脚は落とせただろう、が――

 考えている暇は無い。

 グリゴラシュが先ほどの後退動作から再び踏み込みながら、引き戻した剣の鋒を突き出してくる。わずかに頭を傾けて、アルカードは正確に眉間に向かって突き出されてきた鋒を躱した――視界の右半分が、剣の鋼色で埋め尽くされる。グリゴラシュがわずかに手首を返すのを見て取って、アルカードは即座に上体を沈めた。

 突き込まれた態勢からそのまま薙ぎ払われた長剣が、ヴオンという重い風斬り音とともに頭上をかすめていく。速度が瞠目すべきものであることを除けば、なんということもない刺突つきから横薙ぎへの連携――刺突から横薙ぎに変化するのは、珍しくもない変化だろう。

 かがんだ姿勢のまま、左手で保持していた霊体武装の柄に右手を添える――左足を捩じり込みながら側方に踏み出して、アルカードは左脇に巻き込んだ霊体武装を薙ぎ払った。

 小さく舌打ちを漏らして――グリゴラシュが後方に跳躍する。

 それを追って、アルカードも床を蹴った。踏み込みながら、グリゴラシュが防御のために翳した長剣に霊体武装を叩きつける――衝突の瞬間にグリゴラシュが剣の鋒を斜めに落とし、物撃ちの上をずり落ちた霊体武装に引きずられる様にして、アルカードもまた体勢を崩した。

 こちらの霊体武装の物撃ちを剣の横腹で擦り上げる様にして、グリゴラシュが剣を走らせる――胴を狙って繰り出されてきた一撃を、アルカードは危ういところで後退して躱した。

 が――右手に焼ける様な激痛が走る。正確に神経を切断されたのか指先から力が抜け、右手で保持していた霊体武装が手の中からこぼれ落ちた。

 ふっ――鋭く呼気を吐き出しながら、グリゴラシュが振り抜いた胴撃ちを切り返して再び横薙ぎの一撃を繰り出してくる。捌くのは間に合わない――そう判断して、アルカードは後方へ跳躍してその一撃から逃れた。

「ぬ……」

 小さく舌打ちを漏らして、アルカードは右腕を見下ろした。腕の付け根に近い個所で右脇の関節部分を覆う鎖帷子チェーンメイルを貫き、細身の短剣スティレットが腕に突き刺さっている。

 大ぶりの胴撃ちを見せ技に、こちらの後退動作に合わせて腕を死角に投げ込んできたのだろう。針の様に細い刃を備えた短剣なので、損傷はさほどでもない――が、魔力を帯びて補強エンチャントされることで一時的に霊体にも損傷を負わせられる霊的武装になっている。

 痛みはどうということもないが、霊体構造ストラクチャの損傷が問題だった。神経系が切られたらしく、出血はほとんど無いものの指と肘が動かない。霊体構造ストラクチャが修復しない限り腕に負った傷は治らず、腕も動かない。

――Iyyyyyyyaaaaaaaaa――イィィィィィィィィヤァァァァァァァッ!」 咆哮とともに――離れた間合いを再び詰めて、グリゴラシュがこちらの顔めがけて刺突を繰り出してきている。

 まずい――ただの刃物で斬られただけならば二十秒もあれば完治するが、魔力強化エンチャントされた刃物で神経を切断されたのだ。霊体構造ストラクチャにダメージが及んでいる以上、後遺症は残らなくとも即座には治癒しない。

 右手から離れた塵灰滅の剣Asher Dustが、そのときになって床の上で跳ねる――いったん消して、左手に再構築して迎撃するのも間に合わない。

 塵灰滅の剣Asher Dustを消すだけは消しておいて――別にグリゴラシュに奪い取られる恐れは無いが、あとから再構築するときのために消すぶんの時間だけでも貯金に回しておきたい。

 同時に左手で右腕に突き刺さった短剣スティレットを引き抜き、足元に投げ棄てる――投擲を主眼に置いているらしく、柄が細すぎる。鹵獲しても使い物にならない。

 踏み出しながら――左拳を固める。先ほどと同様、頭を傾けてこめかみをかすらせながら、その一撃を遣り過ごし――アルカードは腕の外側から左の廻し撃ちを撃ち込んだ。

 こちらの狙いの即座に気づいたのだろう、グリゴラシュが腕を捩ってこちらの攻撃に対処する――今のは別に、顔を狙った廻し撃ちではない。傍目にそう見えても、実際は自分の首に敵の腕を引っかけ、廻し撃ちの動作で外側から相手の肘を固めて逆に極めて折る、関節技の一種だ。

 肘が内側を向いてしまったために、もはや関節技としての態は為さないが――それも関係無い。腕が撓んだために、グリゴラシュの顔に手が届く。

 その狙いにも気づいたのだろう、グリゴラシュが若干表情を引き攣らせて後退しようと重心を沈める、が――

「がッ――」

 右の瞼を引きちぎられて、グリゴラシュの口から短い悲鳴が漏れた――手甲の指先で眼球が潰されて、内容物が眼窩から噴き出す。手甲だけならアルカードでも魔力強化エンチャントは可能なので、今の一撃も魔力を帯びている――グリゴラシュの能力も考慮するとおそらく一時間も経たないうちに治癒するだろうが、とりあえず視力を奪うだけは出来た。

 小さくうめいて、右目の視界を完全に奪われたグリゴラシュが仕切り直そうと後退する。こちらの追撃を阻止するために、一度剣を水平に強振しながら――それはわかっていたので、アルカードは追わなかった。

 追わないまま――その場で浅く踏み出して、左足を跳ね上げる。上段左廻し蹴り――右目が見えなくなっているために遠近感が取れず、さらに視界の右半分が完全に封じられたグリゴラシュが、小さくうめきを漏らすのが聞こえた。

 死角からの蹴りで――しかもこちらの追撃を牽制するために右手で保持した長剣を強振したため、今のグリゴラシュには攻撃を防御する手段すら無い。

 左手で受け止めようとするも――間に合わない。間に合ったところで、死角になっている右側からの一撃だ。完全に防ぐのはまず不可能に近い。

 受け止め損ねた上段廻し蹴りがこめかみに入り――グリゴラシュの体が傾ぐ。おそらくはこちらに対する苦し紛れの反撃なのだろう、右の腰元に固定していた小剣を引き抜き、蹴り足を引き戻して体勢を立て直しつつあるこちらの胴を薙ごうと――

 だがその一撃は苛烈な金属音とともに受け止められ、アルカードに損害を与える事無く終わった――無論魔力強化エンチャント技能で甲冑全体を補強出来ないアルカードは、甲冑の強度を恃みに防御を怠るほど愚かではない。

 魔力強化エンチャントは出力が同じであれば、表面積が狭ければ狭いほど強度が高くなる――それはつまり、小さな武器ほど強度が上がるということだ。

 グリゴラシュの魔力強化エンチャント技能は地上屈指のもので、アルカードよりもはるかに練度が高い。魔力強化エンチャントの意義は負荷を減らすことで剛性を仮想的に引き上げることと、副次的なものながら対霊体殺傷能力を賦与して一時的に霊的武装化することだ――魔力強化エンチャントを使うことで切れ味が増すわけではないのだが、魔力強化エンチャントなしでならあっというまに刃毀れして使い物にならなくなる様な極端に鋭利な刃つけも可能になるし、それをせずに普通に使うならば刃にかかる負荷ストレスが減ることでより苛烈な撃ち込みに耐える。

 魔力強化エンチャントを施されていなければ、霊体の外殻から造られた装甲にでも歯が立ちかねないほどに、だ――そしてグリゴラシュの膂力と剣の技量を以てすれば、その可能性は決して無視出来ない。

 未補強の鋼製甲冑など紙のごとくに引き裂くであろう一撃を受け止めたのは、コートの下の甲冑の左腰に固定していた鞘から左手で逆手に引き抜いた格闘戦用の大ぶりの短剣だった――甲冑同様受肉した霊体の外殻を加工して作られた短剣ハートペネトレイターはアルカードの指先が柄に触れた瞬間に瞬時に魔力を這わされて強化され、性質の異なる魔力の干渉によって生じる紫色の火花と、刃に加えられた衝撃を変換することで発生した激光を撒き散らしながらグリゴラシュの一撃を受け止めた。

 同時に、右足が跳ねる――若干離れすぎてはいるが、この間合いなら次撃の蹴りが届く。こちらの動きに気づいてか、グリゴラシュが後方に跳躍するのが見えた――グリゴラシュが左手で右から左へ胴を薙ぎにきた一撃を受け止めたことで、こちらはグリゴラシュの腕の外側に出ている。

 腕の外側にいるのは、内側にいるよりも圧倒的に有利になる――敵の両腕のどちらか外側に出ていれば、敵はこちらの動きに対して迎撃するにも防御するにも片腕しか使えないからだ。しかも攻撃は体幹から体側に振り出すものだけに限定されるために至極読みやすく、肩と肘の回転のいずれかを抑えるだけで動きを止めることが出来るので攻撃の阻止も容易い。

 こちらがグリゴラシュの一撃を受け止めている以上、グリゴラシュは武器を振るえる間合いまで距離を離さねばならない――だから当然離れる、こちらの動きに関係無く。だが――

 当然間合いが離れて蹴り足はグリゴラシュに当たらない、が――アルカードは気にすること無く前蹴りを蹴り抜いた。どのみち、最初から蹴りをグリゴラシュに当てるつもりなど無いのだ。

 蹴ったのは、形骸を実体化させた塵灰滅の剣Asher Dustの柄頭だった――腱を切断された右手で霊体武装を扱うことは出来なくとも、実体化させることは出来る。構築されたまま使われること無く落下し始めた霊体武装を、アルカードはグリゴラシュに向かって蹴り飛ばした。

 すさまじい絶叫をあげながら、実体化した霊体武装が鋒をグリゴラシュの胸元に向けて飛んでいく。

「……ッ!」

 グリゴラシュが表情を引き攣らせながら小さく毒づいて――手にした長剣を横薙ぎに払ってその一撃を撃ち払う。そのこと自体は気にも留めなかった――構築した塵灰滅の剣Asher Dustはどこに飛んでいこうが関係無く、彼の意思でいったん実体化を解いてまた手元に構築出来る。

 塵灰滅の剣Asher Dustを弾き飛ばしたことで隙の出来たグリゴラシュの懐に踏み込みながら――逆手に持ち替えた左手の短剣を、その右肩口に突き立てる。

 技量で劣るアルカードの魔力強化エンチャントは表面積の広い甲冑の装甲板などに対しては十全の補強が出来ないものの、対霊体殺傷能力の附与や補強強度そのものはグリゴラシュに引けを取らない――まして手にした得物は普通の武器よりもはるかに魔力強化エンチャントとの相性がいい霊体の外殻から作られた心臓破りハートペネトレイターだ。装甲の隙間から撃ち込まれた短剣ハートペネトレイターの鋒はグリゴラシュが甲冑の下に身につけた魔力強化エンチャントされた帷子を突き破って、皮膚を裂き肉をえぐり血管を切り裂いた。

「がっ――!」 グリゴラシュが苦鳴を漏らしながら、左手の小剣を突き出してきたが――アルカードはそのときには突き立てた心臓破りハートペネトレイターをそのままに、グリゴラシュの体を突き飛ばしながら後退している。

 グリゴラシュがこちらに左手の小剣の鋒を向けるのが見えた。次の瞬間、彼の体から放出された虹色の文字列が視界を埋め尽くす。

 ――魔術!

 荘厳な王宮の建造物を見上げるかの様に雄大で、名工の手に為る彫刻のごとくに繊細なその虹色の文字列は、北欧の極光オーロラの様にうねりながら収縮と膨張を繰り返し、周囲を埋め尽くしたあと一気に収斂して――

 小さく舌打ちして、アルカードはいったん距離を取り直した。

 空いた左手に塵灰滅の剣Asher Dustを再構築――アルカードはそのまま剣を振るい、大聖堂のステンドグラスの様に周囲を覆い尽くした虹色の文字列が織り成す極光を引き裂いた。

 次の瞬間、周囲の空気が膨張する――あまりにも静かに、優しく。

 あまりに穏やかすぎて、それが爆発の衝撃波であることに気づかなかったほどだった。

 ちゅん、ちゅんっ――石造りの構造物が沸騰する音が聞こえてくる。すさまじい熱と閃光と大音響と衝撃波が、五感を押し潰した。だがその苦痛も、一瞬のこと――

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