Genocider from the Dark 32
こんこん、と扉がノックされて、アルカードは背凭れに体重をかけて振り返った。叩き方に癖があり、誰が来たのかすぐわかる。
「どうぞ」
控え目に扉が開いて、その隙間から小さな生き物が部屋に転がり込んでくる――アルカードはかがみこんで、足元に駆け寄ってきたマークツーの小さな体を抱き止めた。
顔を上げると、
「やあ――どうした? なにか用事か?」
「いえ――マークツーがこの部屋に入りたがってましたから」 こちらの膝の上のマークツーに視線を向けて、
そうかとうなずいて、アルカードは抱き上げたマークツーの頭を軽く撫でた。こちらの首元に頭をこすりつけてくる子犬の体を膝の上に下ろし、顎の下をくすぐってやる。
「アルカードさんは、水に触って平気なんですか?」
不思議そうにこちらを見ながら、
「どういう意味だ?」
「いえ――吸血鬼は水が苦手なんだって聞いたことがあるんですけど」
「それ、
背凭れに体重を預けると、アームがぎしりと音を立てた。
「それ大嘘だぞ。水が苦手な吸血鬼なんていない」
俺風呂にだって入ってたじゃないか――目を丸くする
「考えてもみろよ。例えば五百三十年生きてる俺が、水が苦手だったとしよう。当然、風呂にも入ってないことになるよな。当然歯も磨けないわけだ。吸血鬼だって新陳代謝はするんだから、五百年以上も風呂に入らず歯も磨かない生活を続けてたら――ものすごい臭いになると思わないか?」
顔を顰める
「気持ちはわからんじゃないがね。君たち人間は、吸血鬼を特別視しすぎる――俺たちだって風呂にも入るし、洗濯もするってことを忘れちまうのさ」
と、そこで思い出して、アルカードは椅子の座面を回転させてパソコンに向き直った――某スタイリッシュアクションゲームのキャラクター画像を背景に、『ユーザー名とパスワード』入力画面が表示されている。
目を丸くしている
†
「気持ちはわからんじゃないがね。君たち人間は、吸血鬼を特別視しすぎる――俺たちだって風呂にも入るし、洗濯もするってことを忘れちまうのさ」
マークツーを片手で抱いたまま、アルカードはそう言って肩をすくめてみせた。
そこで机の上に置いたノートパソコンがパスワード入力画面のままになっているのを思い出したのか、彼は椅子を回転させてパソコンの画面に向かい、キーボードを叩き始めた。
彼の体の陰になっていて気づかなかったが、かなり大型のノートパソコンだ。『ようこそ』画面しか見たことのない
「これ、なんの画像ですか?」
「2様」 必要事項を打ち込み終えたのか、吸血鬼がエンターキーを叩く――2様、という返答の意味はさっぱりわからなかったが。
いったん画面がブラックアウトしたあと、デスクトップに水平二連のショットガンを手にした銀髪の男が、地面に突き立てたドラゴンの頭と翼をモチーフにしたらしい長剣を前にどこかに腰かけている画像を背景にしたデスクトップが表示された。
「……これは?」
「初代」
またしても、吸血鬼が意味不明の返答を返してくる。深く突っ込んで答えを聞くのが怖かったので――壁紙の下のほうに、『CAPCOM』と表示されている――、
どうもこの吸血鬼は余計なものをデスクトップに置かない性分らしい。
アルカードがコード式のマウスのUSBコネクターをパソコン本体の端子に差し込むと、ややあってマウスのイルミネーションが点燈した。マウスの左ボタンを二度クリックすると、デスクトップ上に『Orchis Launcher』という名前の入った短冊のような長方形のウィンドウが開いた――Internet Explorerといったお定まりのソフトのほかに、google earthなどのショートカットも並んでいる。
そういったショートカットの列の中に日章旗みたいな模様を背にしたお化けキノコみたいなアイコンを見つけて、
「これ、なんですか? メル……?」
「格闘ゲーム」 死んだ魚の様な虚ろな目つきでそう答えてから、アルカードはiTunesを起動させた。
プレイリストを見ていると、この吸血鬼の好みのカオスさがよくわかる――Celled Weller、OASIS、Dark Tranquillity、Axxis、SUM41といったものからSimon & Garfunkel、Enyaまで、さまざまなジャンルが入り混じっている。
さらにルパン三世といったアニメソングまであった。鋼鉄の歯車という意味のプレイリストまである。
あからさまにビデオゲームのサウンドトラックだ。彼女だって話題程度には、ソリッド・スネークぐらい知っている――彼が蛇を食べるのが好きでないことを祈ろう。
彼が再生したのは、表示された曲名によるとRed Hot Chili PeppersのBy The Wayだった――昼間
膝の上でお座りをしたマークツーの前足を持って、ダンスでも踊っているみたいに左右に振りながら、アルカードは口を開いた。
「なにも言わないんだな?」
え、とこちらに視線を向ける
「君が一番、俺がしたことを責めると思ってたよ」
それで、
「わたしは現場にいませんでしたから。この教会にいますけど、アルカードさんと違って専門の知識もありませんし。アルカードさんがそう判断したなら、わたしがなにか言う筋は無いと思っただけです」
そうか、とうなずいて、アルカードは机の上に並べた銃の部品に視線を向けた。ちょうど武器の整備の最中だったのだろう、机の上に置かれた銃はばらばらに分解されている。
悪漢どもに拉致され、凌辱され、吸血によって殺された揚句に、帰郷すらままならないだろう女性の遺体をさらに破壊するために遣った道具。
傷つけ、殺し、蹂躙し、解体するための道具だ。
アルカードは胸元に抱いたマークツーを
「彼女がまだ生きていればな――助かる余地はあったんだが。俺が踏み込んだときにはすでに死んでいたから、どうしようも無かった。彼女が蘇生するのを待つために、
「生きてれば、助かったんですよね」 しんみりした気分で、
「ああ――生きていて、かつまだ吸血の経験が無い状態であればな。
その言葉に、
重くなった空気を変えるために、
「そうだ、さっき警部さんから電話がありました――部下の人たちはふたりとも、手術が無事に終わって入院してるそうです」
「そうか――まあ、あのふたりだけでも助かってよかったよ」 そう言って、アルカードが少しだけ笑う。
はい、とうなずいて、
「本当によかったです」
そう返事をしたとき扉がノックされ、返事を待って
「失礼いたします、ヴィルトール教師――
「ああ、わかった。ありがとう」
アルカードが部屋から出て行くのを見送ってから、かたわらの司祭に声をかける。
「
「どうしてあの人をヴィルトールなんて呼んでるの?」
「親父がそう呼んでた――詳しい由来は知らないけどな。あと、本人はああ名乗ったが、ヴァチカンからの伝達命令では派遣人員の名前がヴィルトール・ドラゴス教師になってたのさ」
「ふうん」 うなずいて、
†
「もしもし?」 司祭控室の電話機が秘話回線になっているのを確認して、アルカードは受話器に向かってそうささやいた。
レイル・エルウッドの一族はもともとイギリス本土の出自だが、ここ数代はずっとイタリアにいる――当然彼らはイタリア語に馴染みが深いので、アルカードは人に会話の内容を聞かせる必要が無ければイタリア語で話す様にしていた。
例外は日本に駐留していて、日本語に慣れさせる必要のあるライル・エルウッドくらいだ。
「師か。私だ」 エルウッドの声はこんな時間だというのに、元気そのものだった――否、ヴァチカンは香港より六時間遅いから、今は十五時というところか。
「遅くにすまない、師よ。状況を教えてくれ」
「昼間
そう言って、アルカードは小さく溜め息をついた。
「逃げた先は、やはり日本だろうか?」
そう訪ねてくるエルウッドに、アルカードは電話のこっち側でうなずいた。
「だろうな――まあ、そう見せかけて香港に潜伏してる可能性も否定は出来ないが。ただ、潜伏先として選ぶなら、この近くなら日本が一番いい。ここがヨーロッパなら、いくらでも逃げ込む先はあるが」
そう返事をしてこめかみのあたりを指でこすり、アルカードは唇を舌で嘗めて湿らせてから先を続けた。
「それもあるから、俺はいったん日本に戻る。香港の後任には、誰か上位の騎士をつけてくれ――今香港にいる吸血鬼はあらかた狩り尽くしたと思うが、生き残りがいないとも限らないしな。もしかしたらこっちの考えの裏をかいて、『クトゥルク』が香港にとどまっていないとも限らない」
「わかった。香港にはリッチー・ブラックモアと、彼の教え子数人を派遣することがすでに決定している。貴方の指揮下で当たらせる予定だったが、どうやらブラックモア指揮下の通常戦闘任務になりそうだな――ベルルスコーニとシャルンホストはさっきほかの掃討任務に出したところで、ヴァチカンを空けているからな」
その言葉に、アルカードは顔を上げて天井を見上げた。
「こんなところに連れてきて、使い物になるのか?」
「大丈夫だろう。うちふたりは
はぁ、と生返事を返して、アルカードは後頭部を壁に押しつけた。
「懐かしいな。あのモヤシみたいなのが、とうとう弟子を任される様になったか」
「そうだ。三人とも将来が楽しみな美人ばかりだぞ」
「三人とも女の子か。そいつは羨ましいね、俺のときは男ばっかりだったのに――あ、アイリスとリーラがいるか――まあそれはともかくとしてだレイル、発言内容がおっさんくさいぞ」
「私の七倍近く生きている貴方に言われたくない。昼間の――そちらでの話だがな――メールを見て、彼らには出発準備をさせていた。フィウミチーノ空港に移動させたが――まあ実際に出発するのはこちらの時間で深夜、そちらに到着するのは現地時間で朝になるだろうな――そちらの出発時間は?」
「〇九〇〇に香港国際空港から出発する。教会は――ちょっと早いが、〇六〇〇には出る予定だ」
「なるほど。では運が良ければ貴方の出発と重なるか、入れ替わりで着任出来るはずだ」 アルカードの返答に、レイル・エルウッドはそんな返事を寄越してきた。
「いいね、相変わらず仕事が早い――その勤勉さをライルに見習わせたいもんだ」
「貴方にもな」
「おいおい、真面目な勤労吸血鬼になに言ってるんだよ――ライルの奴、パワプロだのみんゴルだのにはまってるんだぞ、最近」
「貴方のゲーム機で、だろう――私はいちいちなにも言わないが、いくら内訳を請求されないからといって、あまりそういったものを経費に含めるのはやめてもらいたいものだ」
ばれてたか――軽く首をすくめ、アルカードは椅子に座り直した。ただ、くだんのプレイステーション3は俺のじゃなくてライルのだぞ?
胸中でつぶやいて、足元に寄ってきた教会の飼い猫に視線を落とした。
彼がここに以前来たときにも一度会った覚えがあるから、相当な高齢のはずだ――幼いころの
「覚えておくよ――と、そろそろ切るぜ。今夜中に武装の整備を終わらせて、荷物をまとめちまいたいんでな」
「わかった。では、また連絡する」
アルカードは電話機のフックを指で押して電話を切ると、受話器を置いて立ち上がった。
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