Genocider from the Dark 32

 こんこん、と扉がノックされて、アルカードは背凭れに体重をかけて振り返った。叩き方に癖があり、誰が来たのかすぐわかる。

「どうぞ」

 控え目に扉が開いて、その隙間から小さな生き物が部屋に転がり込んでくる――アルカードはかがみこんで、足元に駆け寄ってきたマークツーの小さな体を抱き止めた。

 顔を上げると、美玲メイリンが入ってきたところだった。

「やあ――どうした? なにか用事か?」

「いえ――マークツーがこの部屋に入りたがってましたから」 こちらの膝の上のマークツーに視線を向けて、美玲メイリンがそう答えてくる。

 そうかとうなずいて、アルカードは抱き上げたマークツーの頭を軽く撫でた。こちらの首元に頭をこすりつけてくる子犬の体を膝の上に下ろし、顎の下をくすぐってやる。

 美玲メイリンは彼女自身が特に用事があったわけではないからだろう、なにを言うでもなくこちらを見つめている――膝の上でごろりと仰向けになったマークツーのお腹をさすりながら、アルカードは空いた手を伸ばして机の向こうの窓に触れた。暖房のために部屋の中の水分が結露している――磨り硝子みたいに曇った硝子の表面に指を滑らせると、固まった水滴でゆがんだ街のネオンサインが見えた。

「アルカードさんは、水に触って平気なんですか?」

 不思議そうにこちらを見ながら、美玲メイリンがそう聞いてくる――その言葉の意図は大体想像ついたが、それでもアルカードは訊ね返した。

「どういう意味だ?」

「いえ――吸血鬼は水が苦手なんだって聞いたことがあるんですけど」

「それ、剛懿カンイーから聞いたわけじゃないよな?」

 背凭れに体重を預けると、アームがぎしりと音を立てた。

「それ大嘘だぞ。水が苦手な吸血鬼なんていない」

 俺風呂にだって入ってたじゃないか――目を丸くする美玲メイリンに、アルカードは平然と続けた。

「考えてもみろよ。例えば五百三十年生きてる俺が、水が苦手だったとしよう。当然、風呂にも入ってないことになるよな。当然歯も磨けないわけだ。吸血鬼だって新陳代謝はするんだから、五百年以上も風呂に入らず歯も磨かない生活を続けてたら――ものすごい臭いになると思わないか?」

 顔を顰める美玲メイリンに、少しだけ意地悪く笑って続ける。窓硝子に映り込んだ自分の姿を見ながら、

「気持ちはわからんじゃないがね。君たち人間は、吸血鬼を特別視しすぎる――俺たちだって風呂にも入るし、洗濯もするってことを忘れちまうのさ」

 と、そこで思い出して、アルカードは椅子の座面を回転させてパソコンに向き直った――某スタイリッシュアクションゲームのキャラクター画像を背景に、『ユーザー名とパスワード』入力画面が表示されている。

 目を丸くしている美玲メイリンのことは気にせずに、アルカードは片手でパスワードを打ち込み始めた。

 

   †

 

「気持ちはわからんじゃないがね。君たち人間は、吸血鬼を特別視しすぎる――俺たちだって風呂にも入るし、洗濯もするってことを忘れちまうのさ」

 マークツーを片手で抱いたまま、アルカードはそう言って肩をすくめてみせた。

 そこで机の上に置いたノートパソコンがパスワード入力画面のままになっているのを思い出したのか、彼は椅子を回転させてパソコンの画面に向かい、キーボードを叩き始めた。

 彼の体の陰になっていて気づかなかったが、かなり大型のノートパソコンだ。『ようこそ』画面しか見たことのない美玲メイリンにはいささか馴染みの無い、赤黒いコートを羽織った銀髪の男が、洋風の城の尖塔と満月を背景にたたずんでいる壁紙を背景にしたログイン画面が表示されている――やろうと思えばログイン画面の壁紙も変えられるのだろうか。

「これ、なんの画像ですか?」

 美玲メイリンが尋ねると、アルカードは振り向かないまま答えてきた。

「2様」 必要事項を打ち込み終えたのか、吸血鬼がエンターキーを叩く――2様、という返答の意味はさっぱりわからなかったが。

 いったん画面がブラックアウトしたあと、デスクトップに水平二連のショットガンを手にした銀髪の男が、地面に突き立てたドラゴンの頭と翼をモチーフにしたらしい長剣を前にどこかに腰かけている画像を背景にしたデスクトップが表示された。

「……これは?」

「初代」

 またしても、吸血鬼が意味不明の返答を返してくる。深く突っ込んで答えを聞くのが怖かったので――壁紙の下のほうに、『CAPCOM』と表示されている――、美玲メイリンは深くは聞かないまま『ごみ箱』のアイコン以外にはなにも無いデスクトップを見つめた。

 どうもこの吸血鬼は余計なものをデスクトップに置かない性分らしい。美玲メイリンはデスクトップにアイコンが多いと、それだけで起動が遅くなることなど知らなかった。

 アルカードがコード式のマウスのUSBコネクターをパソコン本体の端子に差し込むと、ややあってマウスのイルミネーションが点燈した。マウスの左ボタンを二度クリックすると、デスクトップ上に『Orchis Launcher』という名前の入った短冊のような長方形のウィンドウが開いた――Internet Explorerといったお定まりのソフトのほかに、google earthなどのショートカットも並んでいる。

 そういったショートカットの列の中に日章旗みたいな模様を背にしたお化けキノコみたいなアイコンを見つけて、美玲メイリンはそれを指差した。

「これ、なんですか? メル……?」

「格闘ゲーム」 死んだ魚の様な虚ろな目つきでそう答えてから、アルカードはiTunesを起動させた。

 プレイリストを見ていると、この吸血鬼の好みのカオスさがよくわかる――Celled Weller、OASIS、Dark Tranquillity、Axxis、SUM41といったものからSimon & Garfunkel、Enyaまで、さまざまなジャンルが入り混じっている。

 さらにルパン三世といったアニメソングまであった。鋼鉄の歯車という意味のプレイリストまである。

 あからさまにビデオゲームのサウンドトラックだ。彼女だって話題程度には、ソリッド・スネークぐらい知っている――彼が蛇を食べるのが好きでないことを祈ろう。

 彼が再生したのは、表示された曲名によるとRed Hot Chili PeppersのBy The Wayだった――昼間ホァンと一緒に戦闘終了後のデビルズネストに踏み込んだとき、一階の階段の下に打ち棄てられたスピーカーの駄目になったラジカセががなりたてていた曲だ。

 膝の上でお座りをしたマークツーの前足を持って、ダンスでも踊っているみたいに左右に振りながら、アルカードは口を開いた。

「なにも言わないんだな?」

 え、とこちらに視線を向ける美玲メイリンに、アルカードはそちらを見ないまま続けた。

「君が一番、俺がしたことを責めると思ってたよ」

 それで、美玲メイリンはアルカードがなにを言っているのか納得した――アルカードが言っているのは彼が吸血鬼の群れを殲滅したあと、噛まれ者ダンパイアになる可能性があるという理由で被害者の遺体を破壊したことだろう。

 美玲メイリンはうつむいてかぶりを振り、

「わたしは現場にいませんでしたから。この教会にいますけど、アルカードさんと違って専門の知識もありませんし。アルカードさんがそう判断したなら、わたしがなにか言う筋は無いと思っただけです」

 そうか、とうなずいて、アルカードは机の上に並べた銃の部品に視線を向けた。ちょうど武器の整備の最中だったのだろう、机の上に置かれた銃はばらばらに分解されている。

 美玲メイリンは銃の種類などわからなかったが、それが美玲メイリンたちが部屋に入っていったときに彼が手にしていた銃だということはわかった。

 悪漢どもに拉致され、凌辱され、吸血によって殺された揚句に、帰郷すらままならないだろう女性の遺体をさらに破壊するために遣った道具。

 傷つけ、殺し、蹂躙し、解体するための道具だ。

 アルカードは胸元に抱いたマークツーを美玲メイリンに返すと、小さく溜め息をついた。

「彼女がまだ生きていればな――助かる余地はあったんだが。俺が踏み込んだときにはすでに死んでいたから、どうしようも無かった。彼女が蘇生するのを待つために、ロンさんやリーさんが失血でショック死する危険を冒すわけにはいかなかったからな――そもそも吸血を受けても、吸血鬼として蘇生するか喰屍鬼グールになるか、何事も無い死体のままで終わるのかは、実際に蘇生するか、もしくは死体が傷み始めるまでわからないから。吸血痕が残っている以上、蘇生する可能性があるとして処分するしか無い」

「生きてれば、助かったんですよね」 しんみりした気分で、美玲メイリンはそう尋ねた。

「ああ――生きていて、かつまだ吸血の経験が無い状態であればな。なりかけヴェドゴニヤの状態だったなら、奴らを皆殺しにしたあとの手当てさえ間に合えば助かっただろう――ただしあんな目に遭ってその記憶をかかえたまま生き延びるのと、あそこで死んで逝くのとどちらが楽なのかは、男の俺にはわからないがな」

 その言葉に、美玲メイリンはかぶりを振った。あそこにあった衣服の数は三十をゆうに超えていた。それだけの人数に囲まれて、蹂躙され凌辱されるときの恐怖や絶望がどれほどのものか、それは彼女にも想像がつかない。

 重くなった空気を変えるために、美玲メイリンは話題を切り替えた。

「そうだ、さっき警部さんから電話がありました――部下の人たちはふたりとも、手術が無事に終わって入院してるそうです」

「そうか――まあ、あのふたりだけでも助かってよかったよ」 そう言って、アルカードが少しだけ笑う。

 はい、とうなずいて、美玲メイリンは微笑んだ。胸元に抱いたマークツーの首元に顔をうずめる様にして、

「本当によかったです」

 そう返事をしたとき扉がノックされ、返事を待って斗龍ツォウロンが顔を出した。

「失礼いたします、ヴィルトール教師――美玲メイリンもここでしたか。お話中申し訳ありません――先ほどヴァチカンの団長から連絡があり、直接ヴィルトール教師とお話しになりたいとのことです」 その言葉にうなずいて、アルカードが席を立った。

「ああ、わかった。ありがとう」

 アルカードが部屋から出て行くのを見送ってから、かたわらの司祭に声をかける。

斗龍ツォウロン」 斗龍ツォウロンは規律に厳しい若者だが、ふたりだけでいるときは名前で呼ぶのを許してくれる。声をかけると、足元のマークツーを抱き上げた斗龍ツォウロンがこちらに視線を向けてきた。

「どうしてあの人をヴィルトールなんて呼んでるの?」

「親父がそう呼んでた――詳しい由来は知らないけどな。あと、本人はああ名乗ったが、ヴァチカンからの伝達命令では派遣人員の名前がヴィルトール・ドラゴス教師になってたのさ」

「ふうん」 うなずいて、美玲メイリンはマークツーの鼻先に手を伸ばした。

 

   †

 

「もしもし?」 司祭控室の電話機が秘話回線になっているのを確認して、アルカードは受話器に向かってそうささやいた。

 レイル・エルウッドの一族はもともとイギリス本土の出自だが、ここ数代はずっとイタリアにいる――当然彼らはイタリア語に馴染みが深いので、アルカードは人に会話の内容を聞かせる必要が無ければイタリア語で話す様にしていた。

 例外は日本に駐留していて、日本語に慣れさせる必要のあるライル・エルウッドくらいだ。

「師か。私だ」 エルウッドの声はこんな時間だというのに、元気そのものだった――否、ヴァチカンは香港より六時間遅いから、今は十五時というところか。

「遅くにすまない、師よ。状況を教えてくれ」

「昼間強襲ハード・アンド・ファーストをかけたところはハズレだ――あの女狐アマ下僕サーヴァントを作るだけ作ってから自分だけとっとと逃げ出してやがった」

 そう言って、アルカードは小さく溜め息をついた。

「逃げた先は、やはり日本だろうか?」

 そう訪ねてくるエルウッドに、アルカードは電話のこっち側でうなずいた。

「だろうな――まあ、そう見せかけて香港に潜伏してる可能性も否定は出来ないが。ただ、潜伏先として選ぶなら、この近くなら日本が一番いい。ここがヨーロッパなら、いくらでも逃げ込む先はあるが」

 そう返事をしてこめかみのあたりを指でこすり、アルカードは唇を舌で嘗めて湿らせてから先を続けた。

「それもあるから、俺はいったん日本に戻る。香港の後任には、誰か上位の騎士をつけてくれ――今香港にいる吸血鬼はあらかた狩り尽くしたと思うが、生き残りがいないとも限らないしな。もしかしたらこっちの考えの裏をかいて、『クトゥルク』が香港にとどまっていないとも限らない」

「わかった。香港にはリッチー・ブラックモアと、彼の教え子数人を派遣することがすでに決定している。貴方の指揮下で当たらせる予定だったが、どうやらブラックモア指揮下の通常戦闘任務になりそうだな――ベルルスコーニとシャルンホストはさっきほかの掃討任務に出したところで、ヴァチカンを空けているからな」

 その言葉に、アルカードは顔を上げて天井を見上げた。

「こんなところに連れてきて、使い物になるのか?」

「大丈夫だろう。うちふたりは喰屍鬼グール相手の戦闘経験しかないが、噛まれ者ダンパイア相手の実戦経験持ちがひとりいる。なかなか筋がいいぞ、三人とも――上層部は若手のホープだと看做しているからな、教えられるうちに経験を積ませておきたい」

 はぁ、と生返事を返して、アルカードは後頭部を壁に押しつけた。

「懐かしいな。あのモヤシみたいなのが、とうとう弟子を任される様になったか」

「そうだ。三人とも将来が楽しみな美人ばかりだぞ」

「三人とも女の子か。そいつは羨ましいね、俺のときは男ばっかりだったのに――あ、アイリスとリーラがいるか――まあそれはともかくとしてだレイル、発言内容がおっさんくさいぞ」

「私の七倍近く生きている貴方に言われたくない。昼間の――そちらでの話だがな――メールを見て、彼らには出発準備をさせていた。フィウミチーノ空港に移動させたが――まあ実際に出発するのはこちらの時間で深夜、そちらに到着するのは現地時間で朝になるだろうな――そちらの出発時間は?」

「〇九〇〇に香港国際空港から出発する。教会は――ちょっと早いが、〇六〇〇には出る予定だ」

「なるほど。では運が良ければ貴方の出発と重なるか、入れ替わりで着任出来るはずだ」 アルカードの返答に、レイル・エルウッドはそんな返事を寄越してきた。

「いいね、相変わらず仕事が早い――その勤勉さをライルに見習わせたいもんだ」

「貴方にもな」

「おいおい、真面目な勤労吸血鬼になに言ってるんだよ――ライルの奴、パワプロだのみんゴルだのにはまってるんだぞ、最近」

「貴方のゲーム機で、だろう――私はいちいちなにも言わないが、いくら内訳を請求されないからといって、あまりそういったものを経費に含めるのはやめてもらいたいものだ」

 ばれてたか――軽く首をすくめ、アルカードは椅子に座り直した。ただ、くだんのプレイステーション3は俺のじゃなくてライルのだぞ?

 胸中でつぶやいて、足元に寄ってきた教会の飼い猫に視線を落とした。

 彼がここに以前来たときにも一度会った覚えがあるから、相当な高齢のはずだ――幼いころの斗龍ツォウロンによって焔斗イェンツォウと名づけられた猫の顎の下を指で軽く掻いてやりながら、

「覚えておくよ――と、そろそろ切るぜ。今夜中に武装の整備を終わらせて、荷物をまとめちまいたいんでな」

「わかった。では、また連絡する」

 アルカードは電話機のフックを指で押して電話を切ると、受話器を置いて立ち上がった。

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