The Season of Fresh Green(前編)

The Season of Fresh Green(前編)第1話

 吉野は、苦しげに唸りつつ頭を抱えていた。


 考えれば考えるほど——明らかに、失敗としか思えなかったからだ。





 ついさっき——

 もう会えないかもしれないと思っていた岡崎が、思いもよらず自分の元を訪れた。

 部屋へ押し入るや否や、少なくとも2年先までは行ったきりになるはずだった海外赴任を断った、と口走り——

 それより何より、アメリカの赴任先のCEOに告白されたがそれも断った……そんな、とんでもなく衝撃的な事実まで聞かされた。



 いくつものビッグチャンスを目の前にしながら——こいつは、全て棒に振った。

 そして……小さく呟いた。


「——お前のせいだ」と。



 目の前のことが、夢じゃないかと思った。


 でも、どうやら夢ではなく——。

 それでも……簡単には信じられなくて。


 夢じゃないならば——

 自分の腕の中にいるこいつを、もう二度と離したくなくて。


 本当なら、一生かけても口にできるかどうか……そういうレベルの熱烈な告白が、気づけば口を突いて出た。

 会えない間に募り続けた想いが、まるで一気に溢れ出るように。




 俺は——

 もう、お前を離したくない。

 絶対に。


 いつ解けても仕方ないような……そんな強さでしか、俺たちは結び合えないのか?

 もっと固く、簡単に解けないように結び合いたい……そう願うのは、間違いか?


 俺は……

 たとえどこへ行っても——お前のいる場所へ帰って来たい。

 お前のそばで、目覚めたい。

 これからずっと。

 どんな繋がりよりも固く、お前と結ばれていたい。





 ——こんな情熱に満ちた告白を、恋人からされた日には……

 その相手は、瞳をハートにして即座に頷くか、または青ざめてドン引くか。

 概ね、どちらかだろう。




 ……だが。

 そんな一世一代の告白に——

 こいつは苦しげに視線を逸らし、静かに俯いた。




「…………だめだ。やっぱり」




「…………え……


——だめ……なのか?」



「……ああ、だめだ。

——やっぱり、酒はちゃんぽんで飲むべきじゃない。

俺としたことが、うっかりした……

うぐっ……気持ち悪い。吉野、水」


 耐えかねたように低くそう呻くと、岡崎はふらりとソファに頭を凭せかけ、苦しげに口を手で覆った。




「————てめえ……」


 こんな大事なシーンに限って……この酔っ払いがっっっ!!



 吉野はドカドカと腹立ち紛れにキッチンへ向かい、がしゃっと冷蔵庫を開けるが生憎ミネラルウォーターは切れている。

 仕方なく蛇口のレバーを全開にして、水道水をコップにドボドボ注いだ。


 ふんっ!むしろ好都合だ。カルキの刺激で目覚めやがれっ。


 そんな憤りと共にリビングへ戻ると、岡崎は最早ソファに正体なく身体を預け、今にもずり落ちそうに爆睡していた。



「………………ったくお前はぁ〜〜〜〜〜〜っ!!!!!」



 思わず口を突きそうになる悪態を、吉野はぐっと堪えた。




 …………もしかしたら。

 ここに来るまでに……こいつも、きっと苦しんだのかもしれない。



 考えてみれば——

 ガッチガチに頑固なこいつのことだ。

 一度会わないと決めた約束を、自分から反故になんて……普通なら、絶対にしないはずだ。

 このまま、もう戻ってこないつもりかもしれない……この俺ですら、そう予想する状況だったのだから。



 今日はきっと、散々酒を呷って……迷いに迷った末に、ここに来たんだ。


 酒の力も借りて——付きまとってくるいろいろな思いを振り切って、ここに来たに違いない。



 そういえば……

 こいつは、俺のことももう知っていたようだった。

 ——小山田の娘との話を、断ったことを。


 その情報を岡崎に知らせることができるのは——リナか、カクテルバーのマスターか……その二人だけだ。



 もしかしたら、こいつは……あのカクテルバーで、マスターと何かを話したのかもしれない。

 マスターからの言葉を聞いて、酒を手当たり次第に飲んで……散々悩んで。

 それで、ここに来ることを決心したんじゃないか。



 多分……そうやって。

 こいつは、俺の側へ戻って来てくれた。



 それで、もう充分じゃないか。

 ——今はそれで。




「んん……」


 苦しげに小さく唸り、ますます身体が傾きそうになる岡崎を、とりあえず自分のベッドへ静かに運ぶ。


 メガネをそっと外し、急にあどけなく見える寝顔を見つめた。




「——おかえり、晶」



 もう一度そう囁き——優しく唇を重ねる。




 ……去年の春は、酔っ払ったこいつを介抱するのに、自分でも訳のわからないムラムラモードと死闘を繰り広げたんだっけ。



 今は——

 こうして、穏やかにお前を見つめられる。


 お前の気持ちは、俺の側にある——それが、わかってるから。


 もう、焦らずに待てる。

 酔ってなんかいないお前が、自分から俺に扉を開いてくれる、その時を。



 ——これから、少しずつ近づくんだな。

 俺たち。





「…………ん……?」



 ……ちょっと待て……


 なんか、順序違わね?



 そこで吉野は、ふと首を傾げる。




 ……頭が冷静になってきたら、現状がよく見えてきた……


 さっきの告白……

 もしかしたら、とんでもないフライング発言だったんじゃないか……!!!???



 だっだだって……そうだろ!?

 そっっそういうアレコレも含めて……俺たち、まだ恋人らしいこと何ひとつスタートしてないじゃんか……?

 なっなに一足飛びにプロポーズレベルの告白しちゃってんだよ!!??


 それによく考えれば、さっきからどさくさに紛れてこいつの名前呼び捨てとか……してるよなおい??

『アキラ』って……うっそマジかよもう鼻血出そう……お前すっかりカレシか!?

 ……流石にこれ順序めちゃくちゃ過ぎだわ……



 どーしよう……あわわわわわ…………!!!!




 ——という経緯で、最初のシーンへと繋がるのである。





✳︎





「……失敗した……

男の人生で最も失敗できないところで、完全にコケた……」


 派手に混乱した自分の思考回路を落ち着けたくて、頭からシャワーを全開で浴びてみたが、失敗の痛みは大して鎮まるわけでもない。

 ガシガシと髪を拭きつつリビングに戻り、はだけた岡崎の毛布をかけ直すと、のそりと冷蔵庫に向かった。


 妙に冴えてしまった頭で、動揺を処理しきれないまま缶ビールのプルタブを開ける。

 全く旨さも感じず、ただロボットのようにぐいぐいと冷えた液体を呷った。



「——っはあ……」



 どう考えても、いろいろ大事な部分をすっ飛ばし過ぎだろ……。


 どかりと胡座をかいてローテーブルに置いた缶を握りしめ、逃避しそうな思考力をぐっと引き戻す。



 さっきの告白を要約すれば……

 俺は少なくとも、こいつに「同棲してくれ」というような要求をしたわけで。

 ……仮に、それが実現したとして。


 初日の夜から、もうどうすりゃいいかわかんねーじゃんか……



 しかも……

 こいつにとっては……いろいろ、その……はっ、初体験なわけだし……。

 そんな状態で、毎晩こいつが横に寝てたりしたら……もうムラムラし過ぎてどうにかなりそうだし……

 うあぁーームリ。絶対無理。



 それに……こいつは言わずと知れた、最強レベルの不沈艦だぞ?

 いきなり同棲やら何やら求めたら、まず120%ドン引かれる。

 先々、このことで変な警戒をされたり、いちいち身構えられたり……そんな気まずい思いをするのも、絶対嫌だ。




 ————もしかしたら……


 気持ちが抑えきれなかったのは、実は俺だけで——

 こいつは、俺のために仕方なく戻ってきた……

 そういうことだって、考えられるじゃないか……?



 そんな最悪のパターンをイメージした途端、暗雲が凄まじい勢いで胸に湧き上がる。





 さっきこいつに伝えた気持ちは、間違いなく、俺の本心だ。



 ……けれど……



 この告白は——

 一旦保留、または白紙に戻さなければ。

 できるだけ早く。




 悩みに悩んだ末——吉野の脳は、そういう回答を導いた。





 ……仕方ないだろ。



 明日……

 こいつが、この件に関して何かリアクションをする前に……俺がそのことを切り出さなきゃいけない。

 ——昨日はうっかり早まった、と。


 現段階で既にドン引きされてる可能性が、限りなく高いのだ。

 全力の告白を、ひんやりあっさり拒否されてべっこり凹むなんて……想像するだけで胸が潰れそうだ。




「…………はぁ…………

今までの人生で、ダントツ一番疲れた…………」


 時計を見れば、既に午前3時を回っている。



 あーー、今日はもうやめだ。

 とにかくそう決まったんだから、とりあえず寝よう。

 これ以上悩んでも、もう完全にキャパオーバーだし。


 あとは全部、明日になってからだ——。




 そのまま吉野はソファにどさりと横になると、毛布をガバッと被った。





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