The Troubles in Midwinter(後編)第3話

「ふんっ!順のバカっ!!ほんっとムカつく!!!顔も見たくないわ!!

本当は、今日の飲み会だって完全スルーしたかったんだからね!」


「そんなにキレるなって……

だから、小山田の娘の件はもう断ったって言ってんじゃんか……それ報告したらお前が喜ぶと思って、今日誘ったんだし」

「全然喜ぶ状況じゃないでしょ!!」



 バレンタインデーを終えた、金曜の夜。

 吉野は、居酒屋でリナに散々なじられていた。


「あなたのことだから、ちょっと綺麗な女だと思ってまたふらふらしたんじゃないの?

友達に写真見せてもらったわよ。何よあんなツンツンしたキツネみたいな女!!」


「キツネって……

女ってマジこえーな……」

「あなたがあんなヘンな女に引っかかってもたもたしてる間に、岡崎さんアメリカ行っちゃったじゃないのっ!しかも2年間、一切会わない約束したなんて……もう別れたと同じようなもんじゃないそれ!!」

「なあ——そういうことズケズケ言うなよ……」

 吉野は頭を抱えるようにそう呻くと、ジョッキのビールをいかにも不味そうに啜る。



「なんで岡崎さんを引き止めなかったのよ、順!

あなたの事情をちゃんと説明して、岡崎さんのアメリカ行きにも反対すれば何とかなったんじゃないの!?」


「あのさ……そうやって簡単に言うけどな。

よく考えろ。……アメリカ赴任は、岡崎にだってキャリアアップのチャンスに決まってんだろ。自分の勝手な気持ちだけで引き止めたりできるか?


それに、俺の方だって……社長候補の専務の娘だぞ?一度も会いもせずにさっさと断ったりできねーじゃんか……


多分……仕方ないってこともあるんだよ……男の社会にはさ」


 いつになく弱い声で、吉野はそう呟く。



 そんな言葉に、リナの怒りの勢いも少しずつしぼみ始めた。


「……まあ、それはわかるわよ。


それに——こういう見合い話みたいなのも、ややこしいわよね……恋人が同性では……。

いくら好きでも、同性じゃ将来を約束とかそういう説明は相手方にできないんだし……。


……そう考えると、なんだか腑に落ちないっていうか……」



「————」


「……でもさ。

岡崎さん、赴任期間終わったら絶対帰ってきてくれるわよ。——そうに決まってるじゃない。

2年なんて、あっという間だもの」


 リナは、俯いた吉野の顔を覗き込むと、パッと美しく微笑んだ。


「……だから、明るく待ってましょ。ね?

あなたが寂しい時は、仕方ないから一緒に飲んで泣いてあげるわよ。……こんないい女が側にいてやるって言ってんのよ?ほら元気出しなさい!!」


 そして明るい声でそんなことを言いながら、今度は吉野の背をバシバシ叩く。



「てっ!!いてーから止せって!!

…………でも……

ありがとな、リナ」


「だって、こうするしか選択肢がなかったんでしょ?

……なら、ジメジメはもうやめなきゃ。

なんとかなるわよ、きっと」


 吉野の言葉に、リナは少し照れたように微笑んだ。



「——そう……だよな」





 ————おい。



 こうするしか、選択肢がなかったのか?


 本当に?




 …………違うだろ。





 この結果は——

 お前が、自分で選んだんだ。



 ……気づいているくせに。





 吉野の心の奥で——もう一人の自分が、繰り返しそう呟いていた。






✳︎






 2月最後の金曜の夜。


 吉野は、いつものカクテルバーのカウンターに座った。



「いらっしゃいませ、吉野様。……ちょっとお久しぶりですね」


 マスターは、いつもの穏やかな笑顔で吉野を迎える。



「——そうですね。

いつものウイスキーを、ロックで」


 吉野は、マスターの言葉にどこか疲れたように答え、小さく微笑んだ。



「かしこまりました。

——今日は、お一人ですか?」



「…………」


 マスターの言葉には答えず——静かに目の前に置かれたグラスを、吉野は喉の渇きでも癒すように一気に呷る。


 そのままの勢いでグラスをテーブルに戻すと、何かを堪えるようにぐっと俯いた。



「…………お酒は同じものにいたしますか」




「————マスター。


……俺の話……聞いてもらえますか。


話せる場所が、ここしかないような気がして……苦しくて」



 吉野は、耐えかねたように静かに顔を上げると、懇願するようにマスターを見つめた。




「——私でよければ」






「俺——あいつが好きでした」





「…………」



「なのに——

俺は、迷った。

ほんの一瞬——あいつ以外のものを選ぼうとした」




「————」


「うちの会社の次期社長候補の専務の娘に、なんだか変に気に入られて。


……そういう道で得られるものに、気を取られました。


そうこうしているうちに、あいつにも海外赴任の仕事が入って——

あいつは、あっという間に俺の横を離れていった。



あいつは……一度、俺の前に選択肢を並べたのに——

俺は、あいつに何も言わなかった。

言えなかったんじゃなくて——言わなかったんです。

……何ひとつ。


もしもあの時、俺が何かを口にしていれば……きっと、こうはならなかった。



そして……

違ったんです。やっぱり。


彼女と会えば会うほど——自分の選ぼうとしたものの無意味さに、絶望した。


あいつが隣にいないことが、どれほど自分自身を突き落とすのか……そのことに、気づかなかった。

あいつを手放して得られるものなんて——結局、何もかもが空っぽなのに。


そう気づいたら、彼女とはもう一瞬もいられなくて……なりふり構わず、断ってきました」




「…………そうでしたか」



「——今更、何をやってるんでしょうね。

やっと手の中に掬い上げたものを……こんなにも呆気なく、手放した。

自分が何を失ったのか——こうならなければ、わからなかった。


全く、救いようのない馬鹿です」




「…………

彼は——本当に、もうあなたから離れてしまったのですか?」




「——もしかしたら、あいつはもう、戻ってくる気はないのかもしれない。

そんな気がするんです。


あいつは……俺の迷いに、気づいていました。

迷いがあるなら、自分以外のものを選んで欲しい。

自分以外のものを選んで——幸せになって欲しい。

あいつは、そんなふうに思うやつです。


自分の側にいても、悩みしかない——そんな悩みの中に、俺を引き込みたくない。

あいつは、そんなふうにばかり考えるやつなんです」



 俯きながら呻くように呟く吉野に、マスターは静かに言う。


「彼が戻ってこないならば……あなたが追いかければいい。

彼を手放した自分自身がどれだけ愚かだったのか——それを、ちゃんと彼に伝えなければいけないのでは?」



「……そうできたら……


でも——

俺が今、そんなことをしたら……あいつは、せっかく掴みかけたチャンスを、あっさり捨てるかもしれない。


——俺は、一度はあいつ以外のものに目を向けたんです。

これ以上、あいつの気持ちを振り回せる立場じゃない」



 吉野は、悔しさと自嘲の混じり合ったような苦い微笑で、グラスを乱暴に呷る。



「……あいつがこの仕事を終えるまで、少なくとも2年です。


2年後に、俺がどうなっていたとしても——多分あいつは、戻ってこない。


……そう思っていないと。

期待なんか残していては……あいつが戻ってこない現実を目の前にした時、俺はきっと立ち直れない」




 俯いて、手の中の空になったグラスをじっと見つめる吉野を——マスターは、ただ静かに受け止めていた。




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