第52話手抜きなしのチュリック

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ひと通りの訓練と仕事を夕刻前に終わらせた水月は、急ぎ足で兵舎へと向かう。


 中へ入って顔見知りの兵士たちに「よっ」と手を上げ、簡単に挨拶をすると、二階への階段を上った。

 そして廊下を渡り、兵舎の中央に位置する部屋の前で足を止めると、コンコンと軽く扉を叩いた。

 

「待っていたぞ、ナウム。早く入れ」


 部屋の中から聞こえてきたイヴァンの威圧感が滲む声に、水月は眉間に皺を寄せる。


(いくら必要があるとはいえ、王子様の相手をするのは面倒臭ぇな……あー、考えるだけでも肩がこってくるな)


 軽く肩を回して気持ちを切り替えると、水月は「失礼します」と扉を開けて体を潜らせる。

 真っ先に視界へ入ってくるのは、正面を臨む窓。日は落ちたがまだ外は明るい。


 窓の前にはチュリックの盤と駒が置かれた脚の短いテーブルと、それを挟んで向かい合う椅子が二脚。

 その内の一脚に腰掛けていたイヴァンが、瞳を流してこちらを見ると、不敵な笑みを浮かべた。


「今日は口うるさいお目付け役はいないから、かしこまらずに話せ。敬語は絶対に使うなよ」


 ……ああ、今日は一段と面倒臭ぇな。

 危うく思ったことが顔へ出そうになり、水月は笑って誤魔化す。


 普段はルカもこの場にいるのだが、たまに別の用事で席を外すことがある。

 そんな日はイヴァンと二人きりでチュリックをしながら、敬語抜きの報告を強要される。


 どうしてそんな必要があるのかと尋ねたら、「敬語が煩わしいから」と返ってきた。

 だが本当は少しでもこちらの本音を、敬語という言葉で隠させまいとすることが真の狙いなのだろう。


 ルカがいれば阻止してくれるのだが……。

 この場にいないルカを恨みながら、水月は「了解」と肩をすくめてイヴァンの前に座る。

 それからおもむろに、胸元から銀貨を一枚取り出した。


「じゃあ、今日はどっちが先行になるか――」


 水月が親指で銀貨を弾こうとした瞬間、イヴァンは黒い駒を手にする。


「先行はお前に譲る。少し試してみたい手があるからな」


 チュリックは先行が有利になるゲーム。それを譲るということは――。

 水月は小さくクッと笑いを零した。


「今まで一度もオレに勝てねぇのに、随分と大きく出たな。どんな手なのかじっくり堪能させてもらうぜ」


 白い駒を摘み、盤面をじっくり眺めてから駒を置く。

 水月が駒から指を離した直後、イヴァンが腕を伸ばして黒い駒を置いた。


 いつもと違う調子に、水月は目を細める。


(さっさと進めて、オレに考える余裕を与えないつもりか? そんな小細工したところで、オレには関係ねぇんだけどな)


 チュリックなら特に考えなくても盤面を見た瞬間に、どこへ駒を置き、どう攻めれば良いのかが分かる。

 やり方を覚えた時からそんな状態だったため、今までチュリックで負けたことは一度もなかった。


 それでも熟考するのは、全力で叩きのめして屈服させるか、少し相手を持ち上げて接戦の末に勝つか、それとも――と、どう負かせばこちらにとって利があるかを考えるためだった。


 心の中で肩をすくめると、水月はイヴァンと同じ速さで駒を置く。

 こちらの動きにイヴァンは驚くことはなく、「お前なら乗ってくるだろう」と言わんばかりに口端を上げていた。


 序盤は互いに無言で駒を置いていき、ひと通り並べた所でイヴァンの手が止まった。

 腕を組んで盤面を眺めながら小さく唸ると、おもむろに水月と目を合わせる。


「そっちで新たに分かったことはあるのか?」


 水月は残念そうに顔をしかめ、首を横に振る。


「いいや、進展なし。オレもキリルたちも色々と調べているが、それらしい物は見つかっていない。……一番疑わしいのは誰なのか、分かってるのになあ」


 バルディグ内にいる大半の人間は、狂王がいなくなればいいと思っている。

 だから少し調べれば、ジェラルドに毒を盛って殺害しようとする動きがいくつも見つかる。


 しかし、いずみが疑っている毒は、人を殺す物ではなく正気を失わせる物。

 ジェラルドが殺されることも、正気を取り戻すことも望んでいない人物は誰かを考えれば、自ずと疑わしい人間は絞れてくる。


 宰相ペルトーシャの一族を調べ続ければ、いつか尻尾を掴めるだろうと確信している。

 ただ、今は自分が目の前で振られる尾を捕らえられないノロマな猫のようで、情けなく感じてしまう。


 本命の情報はなかなか手に入れることはできない。

 その代わり、他の不穏な話はいくつも耳に入ってきていた。


 イヴァンが「そうか」と言って駒を置くのを見ながら、水月は駒の頭を摘んでユラユラと振った。


「あーそうそう、宰相の次男がアンタを引きずり下ろそうと、裏で色々と画策しているようだぜ? 用心しておけよ」


 もしイヴァンに何かあれば、ようやく見つけた自由への道が閉ざされてしまう。

 それに、いずみが延々と心を痛め続けてしまう。ただでさえ一族を失った傷を抱えているのに、イヴァンが加わってしまえば間違いなく心は潰れ、壊れてしまうのは目に見えていた。 

 

 水月の忠告にイヴァンは顔色を変えず、ゆっくりと腕を組んだ。


「そんな動きがあるのは薄々感じていたが、本格的に動き始めたか。俺の立場を落として、アイーダ嬢を后に迎えざるを得ない状況にしようというところか」


「分かってんなら、さっさと別のヤツを后に迎えちまえよ。このままじゃあ宰相が権力を強める上に、やっぱり王子は男色家だって侍女たちが大喜びするだけだ」


 わざとらしくニヤリと笑って、水月は盤上に駒を落とす。

 ふと前に視線を戻すと、イヴァンはなんとも複雑そうに頬を引きつらせ、がっくりと項垂れた。


「どうして后を娶らんというだけで、男好きだと決めつけられるのだ……まったく、不愉快極まりない」


「だってなあ、オレがキリルに密偵の真似事をさせられるようになってから、アンタの浮いた話って一つも聞いたことがないぞ? そりゃあ言われて当然だろ」


 本気で嫌がっているイヴァンへ、水月はさらに追い打ちをかけてほくそ笑む。

 この王子と向き合い続けるのはだったが、こうしてからかえるのは気分がいい。


 が、スッと目を細めて視線の温度を下げる。


「今のところ、アンタの懐に一番深く入っているのはエレーナなんだろ? 何年か経ったらどこかの貴族の養子にして、后に迎えるなんてことは――」

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