第34話兵舎での聞き込み
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
冬の気配は、急激に濃くなっていった。
北から吹いてくる寒風は、雪雲を連れ立ち、わずかに残っていた木々の葉を地に落とす。
そして、木々の足元に広がる葉の屍を、羽毛のように軽やかな雪が埋葬していく。
外へ出れば真っ先に視界へ飛び込んでくるのは、鉛色の分厚い雲。
ただでさえ重く暗い消し炭色の城が、より陰鬱な様相を強めていた。
ぎゅっ、ぎゅっ。
音もなく静かに舞い降りていく雪の下、水月は荷袋を背負い、城の敷地内を東に向かって歩いていた。
耳まですっぽりと被った毛皮の帽子のせいで、自分の足音と息遣いがやけにこもって耳へ響いてくる。
手袋をしていても指がかじかんでしまい、水月は何度も温かい息を吹きかける。
だが、わずかに温もりが届いたと思ったら、すぐに指先へ鋭い冷たさが戻ってきた。
(まだ冬に入ったばかりでこの寒さかよ。まったく気が滅入ってくるぜ……さっさと用事を済ませねぇとな)
本城を過ぎて角を曲がると、すぐ隣りに大きな建物が見えてくる。
入り口では数人の兵士たちがシャベルを持ち、雪かきしている最中だった。
一人がこちらに気づくとシャベルを置いて駆け寄ってきた。
「待ってたぞナウム! さ、早く出してくれよ」
瞳を輝かせながら嬉々として話しかけてくる兵士に、水月は悪戯めいた笑みを浮かべた。
「こんな所で出したら雪で濡れちまうだろトール。兵舎の中でちゃんと渡すから、そんなにがっつくなよ」
水月の答えを聞いてトールが腕組みをして満足気に頷くと、乱暴に肩を抱いてきた。
「じゃあ早く中へ入ろうぜ。他のヤツらも楽しみに待ってるぞ」
言い終わらぬ内に、トールは強引に水月を兵舎まで運んでいく。
他の兵士たちも各々にシャベルを置くと、浮き足立って兵舎の中へと入っていった。
中へ入ると、熱気とともに何とも言えない酸っぱい臭いが鼻につき、水月は頬を引きつらせる。
男ばかりが集まった時の、独特な臭い。兵舎だから当然だと割り切っていても、臭いは慣れるものではなかった。
兵士たちが寝起きしている大部屋へ行くと、あっという間に人だかりができる。
苦笑しながら「落ち着け、落ち着け」と水月は兵士たちを宥めると、ドスンと荷袋を床に置く。
そして、もったいぶるようにゆっくりと袋を開けて手を突っ込み、中を探って目的の物を取り出す。
丁寧に中から出したのは、黒茶色の大きな瓶だった。
軽く振ってみせると、たぷんと海の波が大きくうねるような音がした。
「さあ、これがトラン村の山葡萄酒だ。なかなか出回らねぇ代物だ、オレに感謝しながらじっくり味わって飲んでくれよ」
誇らしげに水月は胸を張りながら酒瓶を前に差し出すと、あちこちから野太い歓声が上がった。
一番近くにいた兵士に手渡すと、彼はしっかりと瓶を握って満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうな、ナウム! この恩は絶対に忘れないぞ。……いやあ、よく手に入れられたな。大変だったんじゃないか?」
「まあな。出処は言えねぇが、かなり手間取ったぜ。何日も通い続けた甲斐があったってもんだ」
水月は笑い返しながら、酒を手に入れるまでの日々を思い出す。
酒の在り処はすぐに分かったが、入手困難な酒ということで、金を出しても持ち主が譲ってくれず交渉に時間がかかった。
どれだけ話しても、首を縦に振ってもらえなかった。
なので、仕事の合間に情報を集めて相手の弱みを握り、半ば脅すような形でようやく譲ってもらった酒だった。
他の兵士たちから次々と感謝され、水月は手を振って応えていく。
一区切りついてところで、声を大きくして周囲に言い渡した。
「また何か必要な物があれば言ってくれよ。酒でも服でも女の心でも、何でも持ってくるぜ」
周りから笑いが起こって一気に賑やかになった後、各々に雑談をしながら部屋の奥へと移動を始める。
そんな中、一人の小柄な兵士が立ち止まったまま俯き、嗚咽を漏らしていた。
仲間に慰められている様子を眺めていると、水月の隣にトールが並び、ポツリと呟いた。
「アイツはトラン村の出身だ。近い内に戦地へ向かうから、死ぬ前に故郷の酒を飲んでおきたかったんだと」
心の中で同情しつつ、水月は声を小さくして尋ねる。
「戦争か……もう始まっているのか?」
トールはさらに水月と距離を縮め、同じくらいに声を落とす。
「本格的に始まっていないが、既に小競り合いが起きているらしいぜ。……ここ十年、いつも何処かの国と戦っているから、いい加減うんざりしてんだけどな。昔はもっと穏やかな国だったのに……」
重くなったトールの声に、水月は目を細める。
いつ死地へ向かうかと怯える日々は、心の底から気の毒に思う。
しかし感情を押し殺し、努めて冷静に頭を働かせて情報を拾っていく。
こうして兵舎に出入りしているのは、彼らと打ち解け、必要な情報を集めるためだった。
城の台所へ出入りして使いっ走りを請け負うことも、街へ買い出しに行く口実を作ることも、全ては情報のため。
いずみにジェラルドの過去を調べて欲しいと頼まれたのは、一ヶ月ほど前。
寝る間を惜しんで動き回ったおかげで、かなり情報は揃っていた。
水月は大きく頷いて、共感したフリをする。
「ほとんど相手からケンカふっかけられているんだろ? 甘く見られているよな、オレらの国は」
「そう。そうなんだよ。昔は周りがこぞって貢物をくれてバルディグの顔色を伺ってたんだぜ? 今じゃあ考えられないよな。俺がガキだった頃なんて――」
小声ながらに熱く語り始めたトールを、水月はジッと見つめ、相槌を打ち、聞き役に徹する。
私腹を肥やしている王侯貴族はともかく、大半の市民は昔に戻りたいという願望を胸に秘めている。
だからなのか、バルディグの人間は昔の話になると饒舌になっていく。それが情報集めにはありがたかった。
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