第19話狂王の診察へ

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 日が沈みかける頃を合図に、いずみは薬を入れた箱を持ってトトとともに王の部屋へ向かう。


 初めて対面した時と同じ部屋へ入室すると、椅子に深く座って背もたれによしかかるジェラルドが、いつも虚ろな目でこちらを見据えてくる。

 人払いをしているため、部屋の中はどこか寒々しく、重くなった空気に胸が押し潰されるような錯覚に陥る。何度訪れても慣れるものではなかった。


 二人はジェラルドの元へ近づくと、その場へ横に並び、跪いて頭を垂れる。

 

「陛下、今日の薬をお持ちしました。どうか陛下のお体に近付くことをお許し下さい」


 ここへ来ると、いつも穏やかで柔らかなトトの声が硬くなる。ジェラルドを恐れる気持ちは隠し切れていなかった。

 

「近付くことを許そう。早くこちらへ来い」


 抑揚のないジェラルドの声で許しを得て、いずみとトトは立ち上がり、厳かな足取りで近づいていく。

 段差を登る直前で足を止めると、トトは正面で王と向き合って跪き、目だけを動かしていずみに進むよう促した。


 ここからは自分だけ。否応なくいずみの鼓動が早くなる。

 息を詰まらせながら王に触れられる所まで近付くと、いずみはしゃがんで薬箱を足元に置いて蓋を開けた。


 いくつか小瓶が並んでいる中、透明な瓶に黒茶色の液体が入った薬を手に取る。その栓を抜くと、ジェラルドを見上げ、薬を両手で恭しく差し出した。


「どうぞ、少しずつゆっくりお飲み下さい」


 ジッといずみを見つめてから、ジェラルドはおもむろに手を伸ばして小瓶を摘み、鈍い動きで口をつける。


 言われた通りに飲み終えると、彼は小瓶を目の前に持ち上げて眺めた。


「こんな少量の薬では時間がかかるのではないか? もっと量を増やして、一日も早く余を不老不死にしてくれ」


 声をかけられ、いずみの背筋が強張る。

 不興を買わないように言葉を選びながら、頭を下げ、乾いて貼りついた唇を離した。


「申し訳ありません、陛下。体を変えていくということは、とても負担がかかる行為です。無用に薬の量を増やせば、陛下のお命が危うくなります。どうかお許し下さい」


 ジェラルドの意向に背いてしまう形になるが、ここで嘘を言って誤魔化す訳にはいかない。

 床を見ながらいずみは返事を待つ。生きた心地がせず、体が震えそうになる。


 しばらくして、気だるげなジェラルドのため息が聞こえてきた。


「死んでは元も子もないではないか……仕方ない、辛抱するしかないな」


 不本意そうではあるが、激昂されないことに安堵し、いずみは密かに胸を撫で下ろす。

 頭を上げて「ありがとうございます」と伝えてから、ジェラルドから空き瓶を受け取って箱へ戻し、恭しく両手を揃えて差し出した。


 無言でジェラルドは肘掛けから左手を下ろすと、いずみの手の上に載せる。

 手の状態は色々なことを教えてくれる。皮膚や爪の色や形、肌の艶や滑らかさ、手の平の温度や肉の盛り上がり具合――簡易的ではあるが、ここを見るだけでも体の状態を知ることができた。


「陛下、今日のお体の調子はいかがですか?」


 いずみは自分よりも大きな手を凝視しつつ、場所を変えて何度も指で優しく押しながら尋ねてみる。

 鼻から深く息をつくと、ジェラルドは小さく首を振った。


「いつも通りだ、全身に力が入らぬ。頭の中も靄がかったままで、考えることすら億劫になってくる……まあ、お前に診てもらうようになって、食欲は出てきた気はするがな」


 一ヶ月前のジェラルドの手は、酷く黄色味がかっており、骨は浮き出て、肌の感触もカサカサだった。

 今もそれは続いているが、以前と比べれば少しだけ色は薄くなっている。少しずつではあるが、間違いなく体は回復に向かっていた。


 ただ、予想していたよりも回復が遅いことが、少し引っかかった。


(今使っている材料の中で、陛下の体に合わないものがあるのかしら? 明日から少し材料を変えてみたほうが良いかもしれない)

 

 いずみが心の中で首を傾げていると、


「失礼します、陛下」


 急に後ろからキリルの声がして、思わず肩が跳ねてしまう。

 少し顔の向きをずらして後方を見ると、いつの間にかキリルがトトの隣りに立ち、ジェラルドを見上げていた。


「宰相閣下がいらっしゃいました。お通ししても宜しいでしょうか?」


「ペルトーシャが? こんな時間に珍しいな……まあ構わぬ、通せ」

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