第3話咄嗟の叫び

 みなもと離れてから、いずみは元来た道を迂回しながら隠れ里へ向かう。


 すぐに捕まっては意味がない。

 ギリギリまで追手をこちらに引きつけ、みなもから遠ざけなければ……。

 いずみは注意深く辺りを見ながら、容易に見つからないよう頭を低くして進んでいった。


 次第に森から木が少なくなり、隠れ里が近いことを知らせてくる。

 痛いほど鼓動が弾み、容赦なく胸を強打してくる。


 大きく深呼吸して動悸を和らげると、いずみは腰に差していた短刀を抜いた。


(これでいつでも死ねる……お父さん、お母さん、私に力を貸して下さい)


 祈るように両手を組んでから、いずみは隠れ里の入り口へ近づいた。


 前方から男たちの声が聞こえてくる。

 鋭い声で「絶対に逃すな!」「久遠の花を生け捕りにするんだ!」という言葉が交わされていた。


 ビクリ、といずみは肩をすくめる。

 しかし怖気づく自分を奮い立たせるように小首を振ると、隠れ里の東側へ周り、飛び出るようにして森を抜けた。


 すぐに二人の兵士が気づき、こちらに向かって走り出す。

 それを確認してから、いずみは踵を返して再び森の中へ戻った。


 物心ついた頃からよく遊び、多くの恵みを手に入れてきた森。

 相手を倒す力はなくとも、地の利を活かして逃げることはできる。

 少しでもみなもを追手から離すことができればそれで良かった。


 木々の間を縫うように駆けながら、いずみは隠れ里の南側へと向かっていく。

 途中、新たな追手がこちらに気づき、「こっちに居たぞ!」と仲間を呼ぶ声がした。


 草や落穂を踏みつける音や、木々の枝を乱暴に退かす音が大きくなり、数も増えていく。

 もっと早く走らねばと思うのに、息は切れ、足の動きは鈍くなるばかり。

 苦しくて、苦しくて、次第に顔が上がってしまう。


 いずみは走りながら短刀の柄をギュッと握り、己の首へと近づけた。


(私の足じゃあ、これ以上は走れない……もう、限界ね)


 いつでも死ぬ覚悟は出来ている。

 あと少し追手を引きつけてから、この首筋を切り裂こう。


 最後の力を振り絞って、いずみはできる限り足を速める。

 早くなったのは、ほんの一瞬だけ。

 次の瞬間、足が鉄の塊のように重くなり、膝や大腿に痛みが走った。


 これ以上あがくことはできない。

 いずみは頭を上げ、首に刃を当てようとした。


 その時いずみの視界に、とある二人の姿が入ってきた。


 一人は灰色の長い髪を後ろで束ねた、細く背の低い青年。

 何の感情もない、冷ややかな顔。白い肌のためか、無機質な仮面をつけているように見える。

 青年は細身の剣を抜き、高々と振り上げていた。


 そしてもう一人。

 青年の足元で腰を抜かし、剣を見上げる少年。


 みなもと似たような、柔らかでクセのある漆黒の短い髪。

 いつも釣り上がった目の鋭さを微笑で和らげていた、いずみが見知った少年だった。


(あれは……もしかして水月?!)


 いずみはハッと息を引き、大きく目を見開く。


 一族の人間とは違うが、水月は久遠の花が作った薬を売る商人の子供だった。

 月に一度隠れ里へ来ていた彼に、妹のみなもはとてもよく懐いていた。その事もあり、彼が里へ来た時にはいずみも一緒に遊んでいた。


 どこか飄々とした、冗談好きな少年だ。

 けれど今、その面影はどこにもない。


 血の気の引いた顔を恐怖に歪め、力なく開いた口を戦慄かせている。

 この先、水月の辿る道が容易に想像できた。


 一族の知識も秘密も、彼らに渡す訳にはいかない。

 でも、ここで命を断てば、水月もこのまま殺されてしまう。


 人の命を救うのが薬師なのに、まだ生きている人を見殺しにするなんて――。


 いずみは素早く息を吸い込み、ありったけの声で叫んだ。


「殺さないで! 彼を殺すなら、私も死にます!」


 叫ぶと同時に、青年の剣が振り下ろされる。

 が、水月の額に当たる直前で、青年は手を止めてこちらを見た。


 水月も鈍い動きで顔を向ける。

 いずみと目があった瞬間、彼の目から大粒の涙がいくつも溢れ落ちた。


 良かった、間に合って……。

 小さく安堵の息をつき、いずみは短剣を鞘に収め、小走りに水月の元へ駆け寄ろうとした。


「待て、逃げるな!」


 間近に来ていた追手が叫ぶと、青年は首を振って彼を制す。背後からの足音が止まった。


 あの青年が里を襲った中心人物なのだろうか。

 憎い、という感情よりも、淡々とした青年の冷ややかさが怖かった。


 いずみが駆けつけてしゃがむと、水月は顔をくちゃくちゃにして抱きついてきた。


「うわぁぁぁっ! いずみ、オレ、オレ――」


「喚くな小僧。話ができない」


 顔と同じ、感情を一切見せない低い声で青年が口を開く。

 ヒッ、と小さな悲鳴を上げ、水月は全身を震わせ、いずみにしがみついた。

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