第60話意地と信念
イヴァンは剣を振り上げ、浪司の顔を目がけて斬りつける。
体を蝕む痺れで勢いは半減しているものの、鋭く空を切る音がした。
――ギィンッ!
素早く浪司が短剣をかざし、刃を受け止める。
上から力をかけている自分のほうが有利のはず。
しかしイヴァンが全力で刃を押しても、浪司はびくともしなかった。
だが――不意に浪司から力が抜け、刃が届く前にその場を退く。
拮抗が崩れ、勢い余ってイヴァンの体勢が崩れそうになる。
倒れる訳にはいかない。
王が倒れてしまえば、国そのものが傾いてしまう。
どれだけ体が痺れていようが、重病を抱えていようが、倒れることは許されない。
一刻も早くこの男を叩き斬らねば……。
よろけながらも膝に力を入れ、イヴァンは浪司へ再び剣先を向けた。
溢れ出す殺気と怒気を、惜しみなく浪司にぶつけていく。
それなのに、彼の顔色も態度もまったく変わることはない。こちらから目を背けず、見据え続けている。
この行いが間違っていないのだと、己を信じて疑わない。そんな印象を受けた。
「誇り高きイヴァン王よ……どうかワシの話を聞いて欲しい」
ふざけるなと一蹴しかかったが、激情のままに動けば、自分から器の小さな王だと認めてしまう気がする。
イヴァンは息をついて少し頭を冷やすと、「良かろう、聞いてやる」と話を促した。
安堵したのか、わずかに浪司が眼差しを和らげた。
「ワシは不老不死を施された常緑の守り葉、何百年も一族を見守り続けている。……何度も一族の力を悪用されそうになり、その都度ワシは守ってきた。国を相手にするのは、これが初めてではない」
不老不死。その言葉にイヴァンのこめかみが引きつる。
先王――父が求め続けていた秘術。
単なる伝説に過ぎない。いくらまともな状態ではなかったとはいえ、そんな物に心を奪われ、政をないがしろにするなど馬鹿げたことだと思っていた。
今もその考えは変わらない。
不老不死など夢物語でしかない。この男は何か狙いがあって嘘を言っているだけだ。その狙いがどんな物なのかは検討もつかないが。
警戒心を強めながら、イヴァンは注意深く浪司の話に耳を傾ける。
「貴殿のように久遠の花や守り葉の力を借りて、国を守ろうとする権力者はいた。だが一族を囲ってその力を独占しようとする時は、いつも同じ顛末を辿っておる」
「……同じ顛末、だと?」
「不老不死を抜きにしても、久遠の花はその知識と力で未知の病を治す薬を作ることができる。守り葉は一族が作った特殊な解毒剤でなければ治せぬ毒を作ることができる。この力を利用すれば、その国は圧倒的に優位な立場になれるんだ」
浪司は言葉を区切って息継ぎすると、苦しげに顔をしかめた。
「ある国は他国に伝染病の薬を高額で売りつけ、際限なく金を搾り取ろうとした。ある国は、他国の要人に特殊な毒を与え、解毒剤と引き換えに無茶なをことを要求するようになった。……その結果、周辺の国々が追い詰められて、数多の民衆が苦しむ羽目になった」
「我が国も同じ道を辿ると決め付けるな! 必要以上に相手を弱らせて追い詰めるなど、王として恥ずべき所業だ。我が国を侮るんじゃない」
「貴殿が口先だけの王でないことは、ワシも疑っておらん。だが……他の要人がイヴァン王と同じ考えを持っているとは思えない。もし貴殿が殺されでもして、志のない者が権力を握れば――」
反論しかけ、イヴァンは言葉に詰まる。
己の欲のために手段を選ばない人間など、物心ついた時から山ほど見ている。
そして従順な態度を取りながら、裏ではいかに相手を出し抜き、より多くの利益を得ようと画策する重臣も少なくはない。
自分が玉座についている内は、不必要に相手を苦しめるような真似はしない。
しかし自分以外の誰かが玉座についた後も、それが守られるとは断言できない。
この男を信用する訳ではないが、恐らく真実なのだろうと心のどこかで思っている。
それでも一国の王が素直に引き下がる訳にはいかない。
イヴァンは腕を前に伸ばし、剣で浪司を指した。
「貴様の言うことも一理ある。だが、貴様が同じことをしないという証拠はどこにもない。それに、本気になれば城中の人間を毒で殺す力を持つ輩を、放っておく訳にはいかぬ!」
言い終わらぬ内に床を蹴り、剣を高く振り上げながら浪司へ迫る。
こちらの奇襲に一瞬だけ浪司は目を見開いたが、すぐに目を据わらせ、己の刃で受け止めた。
「そりゃあワシも分かっているが……今、人が死ぬような毒を流していないってことが証明にならんか?」
「ならんな。単に貴様が危険人物だと証明されただけだろうが」
刃を交えながら、イヴァンはさらに体が痺れていくのを実感する。
剣を打ち合う衝撃も、激しく動かす腕の感触も消えていく。動けなくなるのは時間の問題だった。
明らかに浪司のほうが優位に立っている。
だが、これだけ攻撃されているにもかかわらず、彼から殺気はまったく感じられない。
ここで膝をついたとしても、この男は自分を殺さない――戦う内に、そんな確信が芽生えてくる。
確信はあっても、自分から剣を置くつもりはなかった。
(俺が少しでもコイツを足止めすれば、駆けつけたナウムがいずみを逃がしてくれる。……ずっといずみは奪われ続け、傷ついてきたんだ。これ以上、傷を深めるような目に合わせられるか!)
体の感覚を少しでも取り戻そうと、イヴァンは強く唇を噛み締める。
どれだけ強く歯を立てて口内の肉を貫いても、疼く痛みはか弱く、遥か遠くに感じる。
そんな心もとない痛みだけが、イヴァンの体と意識を繋いでいた。
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