第40話王との語らい


 屋敷に戻りみなもが正面の玄関から中へ入っていくと、壁に寄りかかって待ち構えていたナウムが手を上げた。


「悪かったな、早々に呼び戻しちまって。時間がない、ついてきてくれ」


 ナウムが数歩進むのを見てから、みなもは距離を取って後ろへついていく。

 しかし彼は歩みを遅めて、こちらの隣へ並んだ。


「ちょっと急な客が来てな、お前と話をさせてくれと言われたんだ。気が短いヤツだから、待たせると怖いんだよ」


 肩をすくめながら、ナウムは小声で口早に言ってくる。まるで誰かに聞かれると困るような感じだ。


 昨日、この国で一番偉い人と会ったばかり。

 また立場のある人が来たとしても、昨日以上に驚くことはないだろう。


 みなもがそう高をくくっていると、ナウムは屋敷の中央にある室内の庭園へと向かって行った。


 青々とした芝生に、ほっそりとした幹の木々。花壇には今にも開き始めそうな花のつぼみが、真上から差し込む光を浴びて輝いている。

 中に足を踏み入れ、真っ先にみなもは上を見やる。そこには神々しい鳥が描かれた円形のステンドグラスが、外からの光を取り入れていた。


 こんな爽やかな所もあったのかと思いつつ、みなもは辺りを見渡す。

 少し奥まった右側に生えた木の脇に、青銅の脚をしたベンチが置かれている。

 そこには黒い軍服を着た男が、足を組み、ベンチに深々と腰かけていた。


 昨日の緊張がみなもの中で一気に蘇り、手に汗が滲んだ。


「お待たせしました、イヴァン様」


 跪いて頭を垂れようとしたナウムを、イヴァンは「そのままでいい」と煩わしそうな声で制する。


「形式だけの挨拶など面倒なだけだ、せめて非公式の場ぐらいは勘弁してくれ。みなも、お前もな」


 恐れ多さで跪きたいところだが、王自らの言葉を断る訳にもいかず、みなもは「はい」と答えるしかなかった。


 こちらの返事を聞いてイヴァンは頷くと、ナウムに目配せをした。


「みなもと二人で話がしたい。お前は席を外してくれ」


「分かりました。では私は中庭に人が入らぬよう、部下と共に見張っております」


 深々と一礼して、ナウムは踵を返して立ち去っていく。


 一人イヴァンと対峙した瞬間、彼の威圧感がみなもに全て向けられる。

 こう考えるのは嫌だったが、ナウムでもいいから、この場に誰かが居て欲しいと願ってしまう。


 緊張を隠せないみなもを見て、イヴァンは小さく吹き出した。


「そう硬くなるな。ここは公ではないんだ、堅苦しいのは抜きにしよう。さあ、そんな所に立っていないで隣へ座れ」


 ……マクシム様といい、イヴァン様といい、どこの王様もこんなに気さくなものなんだろうか?


 躊躇しながらも、みなもはぎこちない動きでイヴァンの隣へ腰を下ろす。そして恐る恐る彼に顔を向けた。


 イヴァンはナウムが去ったほうへと目配せすると、鼻で笑った。


「相変わらず白々しいヤツだ。頭を垂れて丁寧な言葉を使いながら、未だに心は俺に屈していないくせに――付き合いは長いが、いけ好かない男だ」


 不意にみなもは、昨日ゲームをしながらナウムから聞いたことを思い出す。


 ナウムにとって、今もいずみは特別な存在だ。

 そんな彼女の隣に居続けるイヴァンを、快く思えるはずがない。

 けれど、いずみと近い距離に居たいがために、イヴァンへかしずいているのだろう。


 自分も好きになれない男だが、報われない想いに少し同情する。

 が、だからと言ってナウムを受け入れることはできない。彼の執着がこちらにも向けられて、正直なところ辟易してしまう。


 みなもがそう思っていると、イヴァンはこちらへ目を向けた。


「お前を連れて来た褒美として、ナウムの部下にすることを許可したが……もしアイツの部下が嫌ならば、いつでも俺に言え。また新たな居場所を与えよう」


「ありがとうございます。イヴァン様にそう言って頂けるなら、私も心強いです」


 上辺ではなく、心の底からありがたいと思う。緊張はまだ解けなかったが、それでも薄くみなもの顔に安堵の笑みが浮かぶ。


 イヴァンは小さく頷くと、少しバツが悪そうに目を細めた。


「本来ならば、妃の妹として迎え入れるところだ。だがエレーナ……いや、いずみをバルディグの貴族の娘と偽って俺の妃にしている。妃が東方の異国人だとなれば、面白く思わない者も大勢いるだろう。悪いが、いずみの妹であることは隠し通してくれ」


 いずみがバルディグの王妃だと分かった時点で、そうしなければならないことは察しがついていた。

 これが普段の時でも秘密がバレれは大事になるが、バルディグは王が代わって日が浅い。秘密が分かった時の混乱も大きいだろう。


 みなもは頷き返し、真っ直ぐにイヴァンの目を見つめる。


「分かりました。誰に認められなくとも、私たちが姉妹であるという事実は変わりません。私はそれだけで十分です」


「そう言ってくれるとありがたい。妹としては迎えられぬが、いずみの側近として迎え入れよう。ようやく会えた家族だ、できる限り近くに居たいだろ? 王の名と誇りにかけて約束する」


 公の場ではなくとも、王自らそう言ってもらえることなど普通は有り得ない。

 破格の扱いを受けているのだと、否が応にも骨身にしみる。


 そんなイヴァンの譲歩に感謝する思いの裏側で、みなもの中に重く苦々しいものが広がった。


 浮かない顔のみなもに気づき、イヴァンは首を傾げた。


「いずみの側近では不服か?」


 みなもは即座に首を振り、言いにくそうに睫毛を伏せる。


「……失礼を承知でお尋ねします。イヴァン様は、このまま姉さんに毒を作らせ続けるのですか?」


 こちらの問いかけに、イヴァンの耳がピクリと動く。

 僅かに浮かんでいた申し訳なさそうな表情が消え、厳しい王の顔に戻る。


「俺個人としては、妃に毒を作らせたくはない。だが、今はその毒がバルディグの戦況に大きく影響している。……容易に頼る気はないが、この国は先王の悪政の傷からまだ癒えておらん。いずみの毒はそんなバルディグの数少ない切り札の1つ。国を統べる者として、ここで止めさせる訳にはいかぬ。しかし――」


 急にイヴァンの手が上がり、みなもの肩を力強く掴んだ。


「みなもよ、お前がバルディグのために尽力し続ける覚悟を見せてくれるならば、いずみに二度と毒は作らせぬ。その代わり、必要があればお前に毒を作ってもらいたい」


 思わずみなもは息を呑み、イヴァンと目を合わせる。


 これを言いたいがために、わざわざ王自ら出向いてきたのだろうか?

 高まる緊張に合わせて、動悸が急かしてくる。しかし、安易なことは言えないと、みなもは慎重に言葉を選ぶ。


「覚悟を見せるには、どうすれば良いのですか?」


「難しく考えずとも、与えられる任務をこなしてくれればいい。……誰でも口先だけならどうとでも言えるが、実際に己の手を汚すとなれば、戸惑い、動けなくなる者も多い。いざという時に動けぬ者に、国の機密を任せる訳にはいかんからな。だからみなもよ、お前も行動で覚悟を示してくれ」


 言葉ではなく、行動が全て。

 単純な答えではあるが、単純だからこそ誤魔化しがきかない。


 あれこれ言葉を並べる程に、こちらの言葉が軽くなってしまう。

 色々と質問したいことはあったが、みなもは「分かりました」と一言告げるだけにとどめた。


 イヴァンはみなもの肩から手を離すと、両腕を大腿に乗せ、長息を吐き出した。


「……重い話はこれぐらいにしよう。今日はただ、みなもと話をしたいから来たのだ。ぜひ聞いてみたいことがあってな」


「私に聞きたいこと、ですか?」


 みなもが小首を傾げると、イヴァンは少し照れくさそうに頭を掻いた。


「いずみの好きなものを教えてくれ。俺が尋ねても、毎度『イヴァン様から頂けるもなら、何でも嬉しいです』と遠慮して教えてくれんのだ」


 聞いた瞬間、みなもは目を丸くする。そして次第に表情を和らげた。


(イヴァン様は姉さんのこと、本当に愛していらっしゃるんだな)


 いずみの辛い過去の中にも明るく温かなものがあったのだと思うと、嬉しくなってくる。


 そして同時に、胸の内側から刺すような痛みが走る。

 

 姉の幸せを優先するためには、自分の想いを抑え込まなくてはいけない。

 今まで見てきたことも、感じたことも、見て見ぬふりをして。


 イヴァンといずみの話で談笑しながらも、みなもの靄がかっていた心に、より淀んだものが広がっていた。

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