中二病オーバードライブ

水月康介

遠雷


『皆さん、おはようございます、朝のニュースをお送りします』


 男性ニュースキャスターの爽やかな声が、朝の訪れを告げる。

 家族そろっての朝食。いつもどおりの風景だ。


 ご飯とみそ汁を交互にかき込みつつ新聞を読む父。

 手際よく弁当におかずを詰め込んでいる母。

 無言でゆっくりと朝食をとっている妹。


 そこに僕が少しだけ遅れて合流する。


「おはよう」


「忌々しい朝ね、お兄様」と妹の晶子あきこが言った。

「ああ……、え、忌々しい? お兄様?」


 僕は首をかしげる。晶子はふだん僕のことを〝お兄ちゃん〟と呼ぶのだけれど、いったいどうしたのだろうか。


「そんなことないでしょ。まばゆい光がキラキラと降り注ぎ、小鳥のさえずりが心を穏やかにさせる、とても素敵な朝じゃないの、ねえ」と母が言う。

「え? あ、ああ……、うん、おはよう」


「来たな、博人ひろと。授業の準備は十分か?」と父が低いけれど渋くない声で言う。

「え、まあ、たぶん……」


 僕は困惑しつつも自分の席に着いた。

 どうしたんだろう、みんな。


 どこがどうと具体的に言えるわけではないが、誰もが芝居がかった物言いをしている。僕が来る前に何か、心の中の熱いところに火をつける、特殊な番組が放送されていて、そいつに強い影響を受けたのだろうか。


 テレビに視線を移すと、キャスターが頭を抱えて机にうずくまっていた。こちらもおかしい。


『こんな……ッ、このような暴虐が、許されていいのでしょうか! 超大国のエゴは際限なく肥大し、それを恥じることもない。自らの意にそぐわぬものは、力によって排除する。醜悪ッ! あまりに醜悪! かつて正義を自任していた自由の国は、今や不寛容という病理をまき散らす害悪へと成り下がってしまいました。しかし、私にはどうすることもできません。自分の無力を嘆きながら、ここで指をくわえて見ていることしかできない……。傍観者に成り下がった私を、無様と笑いますか? それもいいでしょう。あなた方視聴者にはその権利があります。――では次のニュース』


 舞台役者のように大げさなトークを終えたかと思うと、一転してにこやかにパンダの赤ちゃんが順調に成長していますという呑気枠のニュースを語り始める。躁鬱そううつを疑うレベルの変化だった。


 しかし、家族たちはこの番組を特に気にすることなく聞き流している。


「どうしたの? お兄様。ひどく動揺しているようね。前世の記憶を垣間見てしまったのかしら」

「前世……?」

覚醒めざめときは近いわね……」

「何を言っているんだ晶子あきこ

「やめてッ!」

 晶子は激しく首を左右に振った。

「おいどうした」

「その名でわたしを呼ばないで。呼ぶなら前世の真名――プリズムと呼んで頂戴」

「ぷり……? なんだって?」


 そのあとも晶子とのやり取りはちぐはぐだった。そもそも格好に違和感がある。いつもはティーン雑誌の読者モデルを参考にして動きのあるヘアスタイルをしているのに、今日は日本人形のような黒髪ストレート。そして真っ白なヘアバンドをつけていた。銀の十字架ロザリオを右手首に巻いて、ときどき物憂げにそれを見つめている。まるで恋人の形見の品であるかのように。


 僕たちのやり取りを、父も母も、温かい目で見つめていた。

〝温かい〟の基準が狂ってしまっていることは明白だった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 そういえば、と僕は思い出す。

 昨晩にはもう、この奇妙なノリの予兆があった。


 それは事件現場からの生中継だった。

 薬品工場で発生した爆発事故。それを中継していたレポーターの言動が、おかしなことになっていたのだ。


『赤い炎があちこちの窓から出ています、ご覧いただけるでしょうか。

 黒い煙も高く立ち昇り、辺りは騒然となっています。

 消防車が多数、出動して必死の消火活動を行っています――』


 とまあ、始まりは無難な語りだった。

 それが一変する。


『赤い――紅蓮の炎が生き物のごとく工場を蹂躙しています』


 ――はい、確かに随分と火の手が上がっていますね。


 スタジオのキャスターが相槌を打つ。

 レポーターの声に熱がこもる。


『黒煙はまるで昇り竜のごとく渦を巻いて天高くへ駆け上がっていきます。逃げ惑う人々、騒ぎ立てる群衆――まるで地上に出現した煉獄、阿鼻叫喚の地獄絵図です』


 ――高田さん?


 スタジオのキャスターが困惑の声を上げる。

 レポーターはノンストップ。


『しかし安全圏にいる人々は、われ関せずと対岸の火事を眺めている、地球の裏側で起こっている戦争に興味を持たない我々と同じようだ、なんというアイロニー』


 ――あのー、高田さん? 周辺の被害状況などはどうなっていますか?


『消防の人々が決死の消火活動を続けています。すべてを飲み込む紅蓮の悪魔に、高圧放水器という名の水の剣で立ち向かう勇者たち。彼らの奮戦によって、悪魔の暴虐の魔手は、水際で食い止められています。水だけに。無辜の市民にはかろうじて届いていません。勇者たちがその身を挺して、紅蓮の悪魔を押し止めています』


 キャスターは諦めの顔で傍観を始めた。


『しかし、しかし、状況は予断を許しません、先ほどから悪魔のかいなは弱まっていません。彼奴きゃつはいまだ健在なのです、時折、こちらの抵抗をあざ笑うかのように爆発音が聞こえてきます。あれは単なる火災ではなく、本当に、邪悪な何者かの意志が形をとったのではないか――そんな風に感じてしまいます。同時に私は自らの無力をも感じずにはいられません。私にできることは、ただこの状況をお伝えすることだけ! それが職務だとわかっています、しかし、歯がゆくて仕方がないのです、ほかにも何か、自分にできることはないのか……ッ』


 ここでレポーターが辺りを見回し、新たに到着した消防士たちに近づいていく、


『あのッ、私になにか、協力できることは――』


 映像はそこで途切れたのだった。

 その動画が投稿されたのは、昨夜の九時ごろだ。まずリアルタイムでニュースを見ていた人たちの口コミで、ヤバいレポーターがいると口コミで一気に拡散。

 動画サイトに投稿されるや、視聴回数は爆発的に伸び、大量のコメントが寄せられたが、それらはすべてがレポーターの奇妙な言動を笑っているものだった。


 それが反転し始めるのが、夜半過ぎから。

 徐々にレポーターを格好いいと賞賛する書き込みが増加を始める。最初はただのフリか煽りだとみられていたが、増加傾向は止まることなく、最終的には肯定一色になった。レポーターは神と祭り上げられていた。なんだこれ、と僕は思った。

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