第71話 最終話「心臓いっぱいの愛を」(27)


 柳原たちと別れた俺は、階段を使って上の階を目指した。


 階段の途中ですでに検出装置の音が目まぐるしい速さになっていた。

 俺は一つ上の階に通ずるドアの前で立ち止まった。検出装置が発する音とは別にもう一つ、高いトーンの音が混ざっていることに気づいたからだ。


 ――この階だな。

 

 俺はドアを押し開くと、フロアに足を踏み入れた。


 フロアの構造は、下の階と同じ居住者用の造りになっていた。

 俺はドアが等間隔に並ぶ廊下を、二種類の音に耳を傾けながら進んでいった。

 角を一つ曲がり、少し進んだ時だった。あるドアの前で検出装置の音が、耳を弄さんばかりの大音声になった。


 俺は足を止め、意を決するとドアの取っ手に手をかけた。施錠されていたら、ピッキングをしてでも調べようと覚悟していたが、案に相違してドアはあっさりと開いた。


 俺は人気のない玄関で靴を脱ぐと、「お邪魔します」と言って中に入った。


 ――柳原、俺もお前のことは言えないぜ。元防犯課が堂々と不法侵入をしようって言うんだからな。


 俺はリビングに足を踏み入れると、隣接するドアを一つ一つ、調べ始めた。果たして住人がいないからと言ってこんな事をしていいのかと思いつつ、俺は和室、寝室とドアの向こうをいちいち改めていった。そしてある部屋の前に立った時、検出装置がこれまでにない激しい反応を示した。


 ――ここか。


 俺は思い切ってドアを開けた。目に前に現れたのは、どうということのない八畳間だった。「ウブタマ」どころか、壁に穴一つ空いていなかった。

 部屋にはギターとアンプがあり、俺は音楽好きの息子でもいるのだろうなと思った。俺は作りつけのクローゼットに近づいた。検出装置の音は、この中に誰かがいることを示していた。


俺は慎重な手つきでクローゼットの扉を開けていった。する半分ほど開いたところで、半透明の被膜のような物が顔を見せた。


 俺は思い切って扉を一気に開けた。中に詰まっていたのは半透明の、液体のような物が詰まった「袋」だった。被膜は「袋」の外皮らしかった。


 ――これが「ウブタマ」か。


 よく見ると袋の奥には、緑色の管と袋で繋がっている物体があった。物体は液体の中で身じろぎすると、こちらを向いた。それは身体を丸くした、少年だった。


 ――大樹!


 俺が叫ぶと、液体に身体を浮かべた大樹がうっすらと目を見開いた。大樹と袋とは、大樹の腹部から出ている管とで繋がっていた。あれを切断するのか。俺は電話を取りだすと、最上階にいる真純を呼び出した。


「もしもし……泉下だ。「ウブタマ」を発見した。中に成体になった「大樹」がいる」


「……わかりました。さっそく、こちらの「脳」と繋がっている方の管を切ります」


 真純が応じた直後、何かが打ち付けられる音と、悲鳴に似た声が聞こえた。同時に検出装置の音が一瞬、止まった。

 ……失敗か?ぞっとした直後、再び鼓動に似た音が聞こえ始めた。俺はほっとして「こちらも管を切断して、成体を救出します」と告げた。


 ――まずは、この被膜を破らないことにはどうにもならないな。


 俺はポケットからナイフを取りだすと、できるだけ大樹から遠い位置に狙いをつけた。


 頼むから、何も起こらないでくれよ。そう思いつつナイフを押し当てた、その時だった。


 背後に人の気配を感じたかと思うと、次に何かを噴き付けられる感触があった。


俺は反射的に呼吸を止めると、背後を見た。すぐ後ろに立っていたのは、スプレー缶を手にした逢賀だった。俺はしまったと思った。ミストを吹き付けられるまで気づかなかったのだ。


「君ともあろうものが、随分と無警戒なことだね。友人のことで頭が一杯だったかな?」


 ――ちくしょう、俺としたことが、迂闊だった。


 俺は逢賀の胸ぐらをつかもうと手を伸ばしかけ、そのまま床に崩れた。どうやら、ひときわ強力な奴を嗅がされたらしい。

 動けない俺をあざ笑うかのように、逢賀はクロ―ゼットの前に立つと、携えたケースから注射器に似たシリンダーを取りだした。


「きさ……ま、一体何を」


 俺は沈黙を続ける体内の「粒子」に呼びかけながら、逢賀の動きを追った。

 逢賀が手にしているシリンダーの内部は、褐色の液体で満たされていた。


 逢賀はシリンダーから伸びているチューブの先端に針を取りつけると、おもむろに「袋」に突き刺した。大樹が一瞬、ひるんだように身じろぎし、俺は怒りで呻き声を漏らした。


「さて、君にはさんざん手こずらされてきたが、ようやくリセットだ。この薬品は一度、「成体」になりかけた「ウブタマ」を再び退化させ、「プラント」に吸収させる性質を持っている。君の大切な「友人」が世界を統べる「神」になるところをよく見ておくんだね」


 逢賀はそう言うと、シリンダーの上部にあるスイッチを押した。ぶうんという低い音が聞こえ、シリンダーの中の液体が泡立った。同時に袋の中の液体が茶色く濁り始め、大樹がにわかにもがき出すのが見えた。


 ――畜生、大樹を溶かそうだなんて、そんなこと、させるものか。


 俺はかろうじて動く頭で、周囲を見回した。必死で顔を動かしていると、左手の近くにギターアンプがあるのが見えた。その瞬間、俺の頭の中に一つの考えが浮かんだ。


「大樹、待ってろよ」


 俺は左手の「粒子」に呼びかけた。繰り返し呼びかけると爪が伸び、短いながら「悪霊の爪」になった。


 俺はギターアンプがコンセントに接続されていることを確かめると、アンプのシールドジャックをつなぐプラグに爪の一つを差し込んだ。


 俺は右手の義手をそっと袋の下の方に押し当てた。視界の隅では逢賀が勝ち誇ったように苦しむ大樹を眺めていた。俺は覚悟を決めると、残った指でアンプのスイッチを入れた。


「うああああっ」


 アンプから流れ込んだ電流が俺の身体を貫き、義手の電池ボックスがスパークした。


 袋の表面がぶるぶると震え始め、体勢を崩した逢賀がシリンダーを手放すのが見えた。


「なっ……いったい、なんなんだっ」


 俺は袋の表面に押し付けた義手に力を込めた。大樹が苦痛に顔を歪めているのが見え、俺は目を固く閉じると「持ちこたえてくれ、頼む」と口の中で唱えた。


 やがて手の平から抵抗が消えたかと思うと、大量の液体が俺の身体に降り注いだ。


 ずぶ濡れになりながら顔を上げると、粘液を浴びて転倒する逢賀と、管に繋がれたまま俺の前に押し出された大樹が見えた。大樹は俺を見ると、わずかに表情をほころばせた。


「イズミ……さん」


「大樹、俺がわかるか。助けに来たぞ」


 大樹はぼんやりした表情のまま、かすかに頷いた。


「今、管を切ってやる。……一緒に帰ろう」


 大樹の身体から管を切り離そうとナイフを取りだした。その時だった。


 俺は信じられない光景を目の当たりにした。大樹がゆっくりと、しかしたしかに大きくかぶりを振って見せたのだった。


「僕……行けないよ。ここにいなくちゃ」


「何を言ってるんだ。ここにいたらいずれ、ビルと一体化してしまうんだぞ」


「でも……あいつらを置いて一人では行けないよ」


 大樹はそう言うと、袋が入っていたクローゼットを振り返った。よく見ると奥の方に、ソフトボールほどの大きさの「ウブタマ」が幾つか姿を見せていた。


 内部には、人間と言っていいのかどうかわからない胎児に似た生き物が眠っていた。


「あいつらは、僕がうまく成体になれなかった時のための「保険」なんだ。僕が成体になって切り離されたら、あいつらはきっと消えてしまう。だから僕は行けないんだ」


「大樹、それは違う。自分が助かるのは卑怯なことでもなんでもないんだ」


 俺はナイフを管に向けて打ち下ろした。管は思いのほか頑丈で、何度刃を撃ちつけられても、小さな傷を見せるだけだった。

「くそっ、切れろっ!」


 俺の必死の努力をあざ笑うかのように、新たな管が何本も伸び始め、大樹の下半身を覆い始めた。


「やめろっ、大樹を連れて行くなっ」


「イズミさん……僕、この場所に来てから、たくさんのことを知ったんだ。この木が繋がっているネットワークのおかげで、世界中の新しい音楽、古い音楽、知らなかった知識がどんどん入ってくるんだよ。それだけでも、幸せなんだ」


「違うっ、そんなのは本当の人生じゃない。知っているだけじゃ、戸棚のレコードと同じだ。お前はあんなにうまく歌えたじゃないか。もう一度、俺に歌声を聞かせてくれ」


「でもね、木になってみてわかったんだ。木も歌ってるんだってことが。……イズミさん、もう一度だけ、一緒に歌ってよ」


 俺はナイフを振り降ろす手を止め、大樹を見た。


「「ボクサー」がいいな。いっぱい練習したから。……でも、もしかしたら僕、途中で歌えなくなってしまうかもしれない。それでもいいかな……イズミさん」


「……ああ。歌ってもいいが、諦めるのは許さない。俺は、何が何でもお前を助ける」


 俺が言うと、大樹は嬉しそうに口元をほころばせ、歌い始めた。

 俺は慌ててコーラスパートを合わせ始めた。一か月以上のブランクがあるのに、大樹とのコーラスワークは完ぺきだった。病院で二人で練習した時の記憶が鮮明に甦り、俺の目から涙が溢れだした。


「イズミさん、すごいよ。こんなに気持ちのいい「ボクサー」は初めてだ」


 心地よさそうに歌う大樹の胸から下は管に覆われ、何本かの先端部は首に達しようとしていた。俺はナイフを使うことを諦め「悪霊の爪」を管に突き立てた。


「うっ」


 表面の思わぬ固さに、俺は呻いた。構わずさらに力を込めると「悪霊の爪」は途中で折れ、血が滴り落ちた。俺が奮闘している間に、大樹を包んでいる管は顔を覆いつつあった。


「イズミさん……ごめん、もう駄目みたいだ」


 最後のリフレインを、大樹は辛うじて動く口で必死に繰り返した。俺は一緒に声を張り上げ、誰か大樹を助けてくれ、と心の中で叫び続けた。


 やがてふっと大樹の声が途切れ、管に包まれた大樹の身体がゆっくりと床に転がった。


「大樹……嘘だろう、大樹」


 俺の目の前で、大樹の身体はするするとクローゼットの奥に吸い込まれ、やがてとけるように背板の隙間に消え失せた。俺はあり得ないというようにかぶりを振った後、血を吐くような叫びを上げた。


「やはりこうなったか。……わざわざ薬を使うまでもなかったな」


 俺は背後を振り返った。尻餅をついたままの逢賀が、ふて腐れたような表情で俺を見ていた。俺は逢賀の前に進むと、右手で手首を掴んで勢いよく吊り上げた。


 手首を俺に掴まれたまま宙づりになった逢賀は、怯えた目で俺を見つめた。そのまま身体を放り出すと、逢賀は勢いあまって近くの壁に激突した。


「生き返ってからこっち、俺は汚ねえ奴らの碌でもないたくらみを腐るほど見てきた」


「…………」


「奴らは命という宝物を……俺のような死人にとって、目が潰れるほどに眩しい輝きを持っているくせに、そのありがたみを微塵もわかっていなかった」


「あ……あ」


「俺は俺に生きていることの素晴らしさを教えてくれた人たちを、絶対に守ると決めた」


「たのむ……殺さないでくれ」


「貴様など、殺すだけの価値もない。……二度と俺の前に姿を現すな」


 俺は吐き捨てるように言うと、逢賀に背を向けた。

 

 ――大樹……おれはどうすればいいんだ。どこへ行ったらいいんだ。


 俺が煩悶していると、ふいに電話が鳴った。出ると、相手はミカだった。


「めぐちゃん、早くそこから脱出して。ビルの最上階が崩落したの。下の階も、そのまま居たら危険よ」


「なんだって?」


 俺の胸を絶望が締め上げた。会長は?真純は?


 俺は真純の番号を押した。いくら待っても、呼び出し音すら鳴らなかった。


 ――なにもかも……なにもかもが、失敗に終わったというのか。


 俺は逢賀をその場に残し、部屋を立ち去ろうとした。


「おい……せめて出口がどっちだか、知らないか」


「一人で勝手に探すんだな」


 俺は捨て台詞を吐くと、ふらつきながらエレベーターへと向かった。

 エレベーターに乗り込むと、俺は一階のボタンを押して床の上に蹲った。


 一階へと降りてゆくエレベーターの中で俺は、ミカは一体、最上階の崩落をどんな思いで見つめていたのだろうと思った。


                 ※


 ビルの敷地に戻った俺を出迎えたのは、予想通りミカだった。


「ミカ……」


「よかった、無事だったのね」


「しかし会長が……」


 俺はビルの上の方を目で示して言った。


「もし運命が味方してくれるなら、きっと助かってるわ。少なくとも私はそう、信じてる」


 気丈にふるまうミカの姿を見て、俺は頭を垂れた。これが大人だ。とても敵わない。


 俺は一体、いつになったら運命を受け入れられるのだろう。そんなことを考えていると、突然、誰かが「あれは何だっ?」と叫んだ。


 見ると、複数の人たちが上を見上げ、夜空の一点を指さしていた。

 なんだろう、そう思って頭上を見上げると、上空から不思議な形の物体が、ゆっくり降下してくるのが見えた。


「あれは……」


 それは、半月型の「莢」のような物体だった。「莢」は二つあり、みるみるうちに俺たちのいる場所の上空に迫ってきた。


「ほうら、こっちよ。……そうそう、けがするから、あわてないでね」


 ふいに俺の背後で声がした。幼いその声に、俺は聞き覚えがあった。振り返った俺の目の前に、緑色の髪をなびかせながら両手を動かしている少女がいた。

  

 ――杏那。……するとあれは杏那がやっていることなのか?


 俺があれこれ想像を巡らせていると、二つの「莢」は地上にふわりと降り立った。


 ミカが先頭に立って近づくと、それに気づいたかのように「莢」が中心からごく自然に裂け始めた。やがて、開ききった「莢」の中から、身体を丸めた人間が姿を現した。


「パパ……」


「莢」の中にいたのは、会長だった。


「じゃあ、こっちは……」


 ミカが言うと、もう一つの「莢」も二つに割れ、中から真純が姿をのぞかせた。


ミカが泣きじゃくりながら父親に抱きつく姿を見て、俺は「救われた人もいる」と思った。


 ――帰ろう。もう俺にできることはない。


 俺がビルに背を向けかけた、その時だった。俺の前に、いつの間にか杏那が立っていた。


「……誰か、歌ってる」


「なんだって?」


「誰かが、あなたに向けて歌ってるの。また会えるって」


「また会える……」


 俺はビルの方を振り返った。上半分がほぼ壊滅したビルは、巨大な生物の死骸のように見えた。

 俺は自分の両手を見た。右手の義手は「袋」の粘液にやられたのか、指が強張っていた。左手は爪が折れ、折れた部分に血がこびりついていた。


「だから、泣かないでって。悲しいことなんか何一つないって。……わかった?」


 安那はそう言い残すと、くるりと背を向けた。

 杏那が立ち去った後、俺は目の前の闇を見つめた。


 何一つできなかった……大樹一人でさえ、救うことができなかった……でも。


 ――悲しみを消すことができないのなら、俺も運命を受け入れよう。……大樹のように。


 俺は自分にそう言い聞かせると、全てを飲み込むかのような闇へ、再び足を踏み出した。


            〈第二十八話に続く〉

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