第20話 魔窟

 一千万の借金を放り出してとんずらこいた七十代の老夫婦を追いかけて、とんだ田舎まで来てしまった。棚田も半ば放棄された過疎地には、コンビニどころか自販機もろくに見当たらない。思わず糞が、と呟いて煙草を灰皿の上で押し潰した。


 取り立て屋はやくざ者がする仕事だなんて世間は思ってるらしいが、昨今じゃバイトの学生だってちらほら見かける。相方の西田だって大学二年生だ。何とか経済大とか、名前も聞いたことのないFラン大学のパーだ。まあパーはパーでも、柔道部だけあってガタイはいいしグラサン付けて凄めば本場のやくざ顔負けの迫力だ。


 借金取りは怖い人ばかりだぁ? そりゃそうよ。借金踏み倒す奴らなんて、甘い顔してりゃどこまでも小狡く逃げ回ろうとするのが常だからな。どうせ家財道具、それこそ布団一枚残らず引っぺがしても、数日経って来てみりゃ新調した布団にくるまっていい顔で眠ってやがるんだから、憐れむ必要なんてからきしねえよ。はっきり言って、奴らこそが社会のゴミだ。人の良心や甘さにとことん付け入る屑ぞろいだ。


 そんな屑を追いかけて、都会からわざわざ車で二時間もかけてこんな僻地までやって来た。老夫婦だからって容赦なんてしねえ。どこかに隠し持ってる金をふんだくらなきゃ、こっちの収入もパーだからな。


聞き込みを終えた西田が嬉しそうに報告した。


「矢島さん、やっぱり向こうの集落にいるっぽいですよ。当たりでしたね!! マジまんじっす!!」


「頼むから日本語で話してくれよ」


 運転席に戻った西田がサイドブレーキを下ろし、ハンドルを忙しく回しながらタイヤをキキーと鳴らして反転した。言っておくが、俺は安全運転派だ。制限速度はめったに超えないし、黄色信号で加速などしない。だがこの西田ときたら、一昔前の走り屋気取りの運転をしやがるもんだから、気分が悪くなってくる。


「おい西田、何度言ったら分かんだ、丁寧に運転しろつってんだろが、ボケ!!」


「すみません、次はもう少しハンドルを早く切ります」


んなこと言ってんじゃねえよ、カス!! 怒鳴りたくなるのを抑え込んで、新しく煙草に火をつける。


「ったく、俺はガキのお守りかよ」


「ガキって俺のことっすか? ひどいっすよ。これでも先週、童貞を卒業したんすから」


「俺の紹介したソープでな。もう何度も聞いたよ。一応言っとくが何の自慢にもならんから、他所では喋るなよ」


 Fランてのはこんな天然バカぞろいなのか。そういう俺はどうなんだって? 中卒ですが何か? 高校で教師殴って退学、あとはお決まりのヤサグレ人生ですよ、悪うござんしたね。


 隣の集落まで三十分。田舎道ってのは曲がりくねってるわ道幅は狭いわ、碌なもんじゃない。おまけに所々は砂利道なもんだから、車酔いで吐きそうになった。エアコンのクーラーを強めにしてみたが、どうにも気分は良くならなかった。


 集落の入口にある家で聞き込みをしようと庭先の老人に声を掛けたが、よそ者を嫌う田舎特有の目付きで睨んできたかと思うと、顎でしゃくってお終いだった。愛想の欠片もありゃしねえ。とっとと潰れちまえばいいんだよ、ポットン便所臭ぇこんなド田舎。


 くだんの老夫婦はどうやら一番奥の廃屋に隠れてるようだ。


 狭い砂利道を進んでいくと、陰気臭いジジイやババアが、こっちに不審気な視線を寄こしてきやがる。怒鳴りつけてやろうかとも思ったが、喉元まで胃液が逆流してきそうだったのでやめておいた。腹いせにラジオの音量を最大に上げてやった。


 廃屋、ってのが視界に入ったとき、何だか喉の奥が一気に冷えるような心地がしたよ。元は旧家なんだろうか、人の手が入らなくなって久しいのだろうが、広大な敷地に瓦屋根の、かつての堂々とした佇まいが偲ばれるような家だった。


 だが、それだけじゃない。上手く言えないんだが、何か普通でないものがその家に巣くってるような、そんな気持ちにさせるものがあったんだ。

 とは言ってもな、ここでビビってちゃ話にならねえだろ。おくびにもそんな素振りを見せず、西田を促して門を潜った。


「ねえ、倉本さーん、いるのは分かってるんですよー、いい加減にしないとキレちゃいますよー? 早く出てきなさーい」


 呼びかけても応えがないので、西田は正面玄関から、俺は中庭から、二人で手分けして家探しを始めた。庭からは屋敷を一望できたが、しかし人の影は見当たらなかった。庭に面したガラスの引き戸を割って解錠し、ガラガラと開け放つ。


 中は黴の臭いがむっと立ち込めていて、じめじめとした生暖かい空気が頬を撫でていった。障子戸を開いて、思わず眉を顰める。


「あんだよ、これ…………」


 ローテーブルには料理が並んでいるが、そのどれもが腐ったり蠅や羽虫がたかったりしていた。米は黴てカチコチになり、皿によそわれた焼き魚からは蛆がこぼれ落ちていた。

 おええ、と声を漏らしつつ、ハンカチを取り出して顔に当てる。一体どんな暮らしをしてるんだ、あの老夫婦は…………。


 すぐ隣の部屋は仏間だった。仏壇に供えられた果物もまた、すべてが腐り虫が蠢いていた。倉本のジジイババアは、本当にこんな所に隠れてんのか?


「矢島さん」


すぐ後ろから声を掛けられて、内心びくりとして振り返る。西田だった。


「おう、なんだ」


「ちょっと、こっち来てもらえませんか」


西田に案内されて、狭い廊下を進んでいく。床がみしみしと今にも割れそうな音を立てている。土足で上がって正解だった。


 


 廊下の突き当りはトイレ、左手には風呂、右には階段が続いていた。それも上ではなく、下へと降りていくための。しかし、そこからは異様な臭気が漂っていた。


 屍臭だ。


 仕事柄、自殺の現場に出くわしたことが何度かある。人間、生きても死んでも所詮は糞袋。同じ糞袋なら、搾り取る側に回るべきだよな?


「まさか、倉本夫妻…………」


「確かめてこい」


「嫌っすよ!! なんで俺が!!」


「お? 俺に逆らうのか、てめえ。給料は出来高だって言ってあるよな?」


「分かりましたよ。貸しですからね」


 恩着せがましく言い残し、ハンカチで鼻と口を抑えながら階段を下りていく西田。そのたくましい背中を見て思う。Fランってのは、日本語が理解できないパーチクリンだらけなのか? いや、西田が特別製なんだろう。そうだと信じたい。


 ドアは簡単に開いた。ギギイ、という音とともに、ブウウン、と唸るような無数の羽音と猛烈な臭気が立ち上ってくる。思わず俺は廊下を引き返していた。ドタドタと階段を上がってきた西田が、おえええ、と胃の中身をぶちまけた。


「おい、どうだった」


「すみません、死体のようですが、誰かは分かりません」


「分かりませんだぁ? もう一回行ってこい!!」


「無理っすよぉ…………」


 苦しそうにむせる西田にそれ以上強要は出来ず、仕方なく俺はハンカチとネクタイで作った即席のマスクを顔に巻き付け、階下に降りて行った。どちらも上等のやつだったのに。


 蠅どもが幾分外に出たお陰で、中の様子はさっきより分かりやすそうだった。ドアの手前からスマホのライトで中を照らすと、腐乱死体が転がっていた。野郎、くたばりやがったか。返済はどうしてくれる?


 そう思いながらも、何か違和感を感じた俺は目を凝らした。心臓がどくどくいってやがる。糞、なんてこった。


「おい、西田!! ここから出るぞ!!」


 振り向いた俺に、何かが圧し掛かってくる。その重さに耐えきれず、俺はよろけるように地下室に転がり込んでしまった。ああ、蛆と蠅の群がる腐乱死体のど真ん中だよ、糞が!!


「野郎!!」


思わず怒鳴り声を上げた俺に、懐中電灯を向ける奴がいた。


「おい!! 何しやがる!!」


ヒッヒッヒッ、と嫌なしわがれ声が響いた。誰だ、あいつは。つうか、この圧し掛かってる奴は…………。


「西田…………」


その首はべっとりと血で汚れていた。死んでいる。


「誰だ、てめえ、ぶっ殺すぞ!!!!」


「ぶっ殺すぅぅぅ?」


そいつはやけに余裕のていで答えた。倉本ではない老人の声だ。


「ぶっ殺すってのは、こうやるんだぞ、若造」


 ドン、という発砲音と同時に、俺の体は吹き飛んでいた。野郎…………そう言おうとした俺の口元から、ごぼごぼと鉄臭い液体が溢れていく。


「じゃあ、お仲間と一緒に地獄に落ちな。ああ、誰も助けになんて来ねえぞ。証拠はみんなで隠滅すっからよぉ」


 あばよ、と老人は軽く言い置いて、ご丁寧にドアを閉めて行きやがった。思わず呻いて目をつむる。死体がごろごろと幾つも転がってる、この腐肉だらけの糞だまりで俺の人生は終わるのか。糞が、糞が、糞が、糞がぁぁ!!!!!


 だがしかし、あの見知らぬ老人がどうして俺たちを殺す? 倉本と繋がりが? その時になってやっと、いつか聞いた噂を思い出す。


 借金苦やらなんやらから夜逃げした老人どもが、限界集落や廃棄された村落に住み着いているって話を。なんでも、連中は取り立て屋が来たりした日には寄ってたかってなぶり殺しにするんだと。集落全員が示し合わせて隠蔽するのだからタチが悪い。キャバクラで聞いた先輩の話を、そんなのただの都市伝説でしょ、と笑って済ませてたのが失敗だった。


 ほんと、あの時の自分をぶん殴りてえよ。女の尻撫で回してる場合じゃなかったぜ。今更すべてが手遅れだがな…………

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る