8.
「――じ、実は先日こちらで購入した腕輪について、お尋ねしたいことがありまして」
口を開いたのは全ての元凶であるからかさだった。
パチパチと徒然屋の店長であるオサキの目が数回瞬くと、次に「――ああ」と合点がいったように形の良い唇が動いた。
「『囚の輪』か――これは驚いたな。動いたのか」
「しゅうのわ?」
金色に輝く瞳が向く先には万葉と桐人の腕に収まる紅い腕輪。
心なしかどこか固まった様子の万葉を他所に、桐人は今しがた男の口から零れ落ちた「しゅうのわ」という単語に嫌な予感を覚えた。
「あの、これって縁結びとか、恋人同士が付けるための、そういう、もの、ですよね?」
たらりと頬に伝う冷や汗を感じながら桐人は確かめるように問いかけた。すると、はたりとオザキが一瞬惚けたように彼を見やる。
「いや?」
「え――」
「囚の輪は昔、ある技工士が作った『縛りに特化した呪具』――手錠さ。試作品でその開発も終わってしまったがね」
「って!?」
――てじょう!?
まさかの事実に桐人は呼吸することを忘れかけ、おそるおそる後ろを振り返った。見ると其処には思考から現実へと引き戻されたらしい万葉が其処に居た。
「――へぇ?」
顔に張り付いた薄ら笑いに、眼鏡の奥に映る白けたような目。ひくりと桐人は口を引き攣らせ、ゴクリとからかさが唾を飲んだ。
「『縁結び』の輪じゃなくて、『手錠』かぁ」
「い、いや――あ、あの私も『二人を強く繋ぐ腕輪』としか聞いておらず」
「その後に、『――囚人と看守用だけどね』とも付け足したはずだが」
わたわたと言い訳を口にするがあっさりとオサキの補正によって遮られ、「え!?」と驚いたように傘を広げた。どうやら最後までオサキの説明を聞かずに『二人を強く繋ぐ』という謳い文句に注意を奪われ、終始自分の
「霊視回路は死んでいるが、モノがモノだから気安く使わないようにとした忠告もその様子では聞いていなかったようだね」
苦笑するように眉尻を下げるオサキに、「うっ」と傘が呻く。その反応で奴が狐の忠告を話半分に聞いていたことがよく分かった万葉は、室内の温度を更に下げるように目を細めた。
早急に目の前の傘をへし折ってやりたいところだが、その前に聞かなければならないことがある。
つい、と琥珀色の双眸が浮世離れした雰囲気を纏う男へと向く。
お互いに面識があるはずだが、男が万葉に気づいた気配はない。忘れたのか、それとも昔と今の彼女が結びつかないのか。三百年も前の話なのだから仕方がない。万葉はそんな大して目立つ存在でもなければ、特出したものを持っていたわけではなかったのだ。
其処らへんの風景と変わりなかったのだろう、と万葉はほんの少し自嘲をすると共に心のどこかで安堵した。あの時代は彼女にとって黒歴史と称しても差異はないものなので、忘れてくれているのなら好都合だ。
そもそもこの男のことは昔からなんとなく苦手だったのだ。何故このようなところで、このような店を開いているのか甚だ疑問だが、このまま知らぬふりを貫ぬかせていただこう。
「ちなみに、コレの鍵は?」
「古い掘り出しものだからね。残念ながら見つけた時には――」
最後まで聞かずとも自ずと察せるその答えに万葉はますます舌打ちをしたくなった。視界の端では桐人の顔が青を通り越して白くなり始めている。
「鍵以外に解く方法は――?」
「さてね。不良品だと思っていたものだから私にはさっぱり。ただの技工士が作り上げたものなら容易くこじ開けられるが――こればっかりはね」
「匠の名は――?」
あまり良いとは言えない雲行きに万葉の眉間についに皺が寄り始める。
「――
一瞬の静寂。後に訪れたのは困惑めいた声だった。
「――冗談でしょう?」
「おや。無理に回路を断ち切ろうとした痕跡がないところを見るに、その腕輪がただの呪具ではないと理解していると思っていたのだが」
「作者が只者ではないにしても次元が違いすぎる。そんなもの、不良品でもこの傘に買えるはずがないだろう。いや、それ以前に売れるはずがない」
肩を軽く竦めるオサキに、万葉はいつにない深刻な表情で横で呆然とするからかさを指差す。ぽつりとからかさの赤い口から言葉が滑り落ちた。
「あ、あの……申し訳ありません。その腕輪はそれ程に高価なものでしたのでしょうか? わたくしめにはさっぱり」
その気の抜けた発言に万葉は溜息を吐かずにはいられなかった。
「
「――え、」
とんでもない事実が発覚した。想像さえもしていなかったのだろう。己が手にしていた品の価値を知ったからかさは石のように固まった。それを哀れに思ったのか、なんてことはないという口調でオサキが言葉を足す。
「そう怯えることはないさ。確かに偉大などといふ拙い言葉では片付けられないほどの高邁な人物ではあったが、だからといってその腕輪の価値が高くなるわけではない」
「鳥守首の作品がか?」
怪しむような声を上げたのは万葉だ。
「鳥守首は確かに高名な術師ではあったが、かの作品は君が思うほど希少なものではないんでね。なにせ千年以上も生き続けたと浮評されたほどの怪物だ。その手によって作られた呪具の数は何千何万とある。最も大半は試作で終わってしまったものだけどね」
「これもその大半のうちの一つだと?」
「そう――霊子回路も
「……随分と気前が良かったのね」
訝しむような面持ちで麗しい顔を睨み上げる女を前に、くつりと狐の喉が鳴った。
「懐かしい面と相見えたものでね。気分が良かったのさ」
「……」
つまり、その日は気分が良かったから格別の価額で物を売ったということだ。それも名だたる術者の作品をーー。
掴みどころのない、どことなく柔らかな空気を漂わす眼前の男を万葉は胡乱気に見上げた。だが男は慣れているのか、それを意に介した様子はない。どころか、楽しそうに女の手首に飾られた腕輪をまじまじと見つめている。
「しかし、本当に驚いた。呪符ならばともかく、生まれて千年も経つ霊子回路が再び動き出すとは。円にズレもなければ路に穴もない。流石は『碧の怪物』といふたところか。ああ、実に綺麗な霊脈だ」
「ーーあ、あの」
そろりと一人の腕が上がった。桐人だ。
ずっと強い置いてけぼり感を感じていたようで、迷子の子供のような表情をしていた。
「すんません。その、本当にコレ。外す方法はないんですか?」
このまま腕輪が外れなければ困るのは万葉だけではなく、桐人も一緒だ。一体どんな作用がこの腕輪にあるのか分からないし、名前からしてあまり良い印象は抱けない。
縋るような目で少年に見つめられた男は少し困ったように首を傾げた。
「さてね。鳥守が組み立てたこともあって、実に頑丈で繊細で複雑な回路だから。無理に破壊したり組み替えようとしても、君たちが怪我するだけだろう。鍵を探すほかあるまい」
「どこにあるかは――」
「人からの贈り物のうちの一つだったものでね。それを手にした時には既に無かった」
「その贈り主は」
少年の質問に男はふるりと首を振った。
「随分と前に逝ってしまったよ」
「あ、すみません」
「構わない。昔の話だ」
ゆるい笑みを浮かべる男には気を害した様子はない。それに小さく息を吐きながら桐人は疲れたように目を伏せ、次にダラダラと米神から汗を流す。
まずい。非常にまずい。「鍵の在処も分からない」と言われた瞬間、どうしようもない焦燥感に少年は囚われていた。
「我武者羅に探すしかないってことか――」
途方もない。たった一つの鍵をこの広い世界から見つけ出さなければならないなどと、一体どこの冒険物語だ。
憔悴しきったように肩を落とす少年。その様を横目にしながら黒髪の女性も何度目になるか分からない溜息を吐いた。こちらも彼と同じような心境を抱いていたようだ。だが、このまま帰るわけにはいくまい。とにかくなるべく情報を引き出そうと再度男と向き合う。
「鍵の特徴は」
「申し訳ないが」
眉尻の下がった形の良い眉を目にした万葉は、口元まで込み上げる苦い気持ちを飲み込んだ。
――最悪だ。
だがこうして落ち込んでも無意味なことだ。
ちろりと腕輪を見てすっと瞼を閉じると、手首から己の中に潜り込んでしまっている霊脈を意識した。血脈のように伸びる青白い光の線。その幾多もが己のと複雑に絡み合い混じり合っている。見事に同化している。動き続ける腕輪の霊子回路と自分を繋げる霊脈を診て数秒。万葉は静かに思考して、決断した。
腕と複雑に絡み合った霊脈。頑丈な腕輪。無理矢理外すのが難しいのであれば、と目を開いて己の細い手首へと視線を定める。
――よし。
「切りおとしてみるか」
「――え?」
落とされた小さな呟きに反応したのは、桐人だった。
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