27.
「――と、いうわけで少し話を聞かせてもらえるかい? 片瀬桐人くん」
にっこりと社交的な笑顔を浮かべる壮年の男に、桐人は突っ込みたくなった。
――いや、というわけでって。どういうわけでしょう?
少年が目覚めたのは今から十一時間前――昨晩の午後十時頃だ。丁度、病院が消灯する時間だった。
別に誰かに呼びかけられたわけでも、叩き起こされたわけでもない。誰も居ない時間――静寂に満ちた空間で、ふっと桐人の意識は浮上したのだ。
最初に彼が目にしたのは、橙色の灯に染められた白い天井。
何がどうなっているのか分からず。かと言って思考することもせず。桐人はしばらく、唯、ぼーっと眼前の光景を眺めていた。長らく休んでいた脳と体が倦怠感に襲われていたのだろう。沼に浸かっているような心地だった。
桐人の思考が正常に廻りだしたのは、看護師が彼の目覚めに気づいた後だ。
バタバタと動き回り、医者を呼ぶ看護師を傍目に、自身が今いる状況を分析して――そうして、芋づる式に《蟲》から《風間菜々美》のことまで思い出し、慌てて起き上がろうとした桐人は、看護師に制止された。
医者による検査。それから「菜々美ちゃんや花耶は?」と安否を聞けば無事だと伝えられ、その日は大人しく身体を休めることを強制された。といっても、二週間も自身が昏睡状態に陥っていたことを聞かされた衝撃で、なかなか寝付けなかったわけだが……。
二週間も眠っていたのだ。
眠くなれないのは当たり前だ。
道理で全身がだるかったわけだ。思考も鈍っていた気がする。
そして現在。
恐らく陰察庁に隠蔽されたであろう事件の顛末と風間菜々美たちの無事をとりあえず確認できた桐人は、頭を悩ませていた――目の前の陰察官たちに。
「あー、やっぱり話をするにはちょっと早かったかな? すまんね」
「……いえ」
戸惑ったような表情を見せる桐人に、男は申し訳なさそうに笑った。簡易椅子に座る男性は、少年に威圧感を与えて怯えさせたりしないように、背中を曲げることで己の目線をなるべく低くしようとしていた。
顎に乱雑に生える無精髭に、スッキリとした短髪。残業帰りの草臥れたサラリーマンを彷彿とさせる風貌の男だ。碌な睡眠も取れていないのだろう。その目の下には男の疲れが見て取れた。
気の良さそうなおじさんではある。相手の仕事上、胡散臭いと思わなくもないが、少なくとも居心地の悪さを感じさせるような雰囲気ではない。そう、その背後に佇む青年のようには――。
(知らないおっさんより、知っている先輩の方がやばく感じられるのはなんでだ……)
それはきっと、相手がどういう人間か――どんな鋭利な言葉を吐いてくるのかを予測できてしまえる程に、付き合いがそれなりにあるからだろう。
あの怜悧冷徹な双眸を向けられると想像しただけで、悪寒が止まらない。自分に非があると分かっているから、尚更である。
きっと今回の事件に首を突っ込んで、勝手に引っ掻き回したことを根に持っているのだろう。
ごくりと、桐人は無意識に唾を飲んだ。
「ええ、と……じゃあ、まず初めに片瀬くんはなにが起きたかちゃんと覚えてるかな?」
「……刑務所が襲撃されたり。俺が、その、蟲ん中に飛び込んだところまでは……あと、蟲が崩壊したのも、なんとなく」
桐人は正直に答えた。下手に隠してもバレるのは目に見えているし、嘘が見破られれば後に疑いをかけられる不安があったからだ。
ちらりと桐人は坂下の肩に乗る『もの』を見た。ヤモリのような、蛙のような姿をしたそいつは恐らく式神か何かだろう。黄緑色の双眸が見透かすように桐人をじっと見つめている。
じわりと背中に汗が滲んだ。
桐人の直感が告げている。之は嘘を吐いたらアウトな奴だ。
おそらく、この式神は桐人の話の真意を計るために用意されたのだろう。
だが、桐人は万葉のことを話すわけにはいかなかった。
(……まじか)
天を仰ぎたくなった。最悪だ。頭が痛い。
目が覚めた途端に事情聴取とは……拷問だ、と訴えてもいいだろうか。
病院で昏睡状態から目覚めたら一に医者か看護師、二に親族か友人。と、まずは顔を合わせるものだと、桐人は見っともなくも嘆きたくなった。
だって、そうだろう。ドラマや小説では人はよく家族や友人、恋人の傍で目を覚ますではないか。もちろん、現実ではそんな創作物のような都合の良い展開が待っているわけがないと言うことは桐人自身よく理解していたが、それでも、目覚めて一番初めの面会相手が刑事、とはあんまりだと思うのだ。
それに、唐傘などと言った騒がしく鬱陶しい妖怪連中と懇意にしていたから、「まず最初に、あいつらが押しかけてくるんだろうな」と先程まで痛む腹を摩りながら達観していたのだ。あいつ等なら十中八九、早朝から人目なぞ何のその、己の怪我も具合もお構いなしに突進してくるだろう。
想像しただけで疲弊しながらも、そんな事態を桐人は覚悟していたのである。
それが、どうしてこうなった。
早朝。医者と看護師による検査を終え、身体に繋がれていた管を取り除いてもらった後、軽い食事を済ませて一息ついていた頃に、がらりと開かれた病室の引き戸。母か、或いは唐傘かと勝手に予想して身構えて見てみれば、出来れば会いたくなった人物が其処に立っていた。
その時の桐人の驚愕と言ったら。実に筆舌にしがたいものである。
現れた、その玲瓏たる
しかし、医者もよく許したな。
つい昨晩まで昏睡状態に陥っていた患者に、事情聴取なんて許して良いのか? ……いや、良いのか。
「――なるほどね。それで、どうして病院から脱走を? 現場に目的を持って現れたみたいだが」
投げかけられた質問によって、逃避行していた桐人の思考が現実へと引き戻された。
ハッと我に返って、慌てて狼狽しながらも桐人は答える。
「その……知り合いが蟲に捕まって。友達も、一緒に捕えられてたし……」
ちくちくと土御門春一の視線に刺されてるような気がするのは、己の勘違いだろうか。
坂下の背後に佇む青年を、桐人は見ることができなかった。
「ああ……風間菜々美ちゃん、だっけか?」
「あ、はい……」
どうやら大体の事情は春一から把握していたらしい。坂下が納得したように頷き、次の疑問を口にする。
「現場には人避けの結界を張ってたはずだが、どうやってアソコに辿りついたんだ? 空から降ってきたように見えたが」
「空?」
「あのデッカイぶよぶよの蟲の上を突き刺した時。あれ。どっから、現れたのかな?」
首を傾げる桐人に、坂下は記憶を呼び起こすように当時の状況を口にした。
すると、その光景がありありと桐人の脳裏に蘇る。
「ああ……」
佐々木万葉の口車に乗せられた時だ。
思わず遠い目をしてしまったのは、仕方のないことだろう。
「ええと……さっき、話したみたいに『裏新宿』にも蟲が発生した時。そいつらが出現した場所を追ったんです。そしたら、赤塔の上に裏新宿の出入り口があって」
「で、そっから飛び降りたらあの現場に辿りついた、と?」
「はい……」
その肯定の言葉に坂下は目を丸くし、呆れたような驚いたような、どちらともつかない息を漏らした。
「随分な無茶したなぁ……死ぬとは思わなかったのかい?」
「必死だったもんで……」
実際、その可能性は考えたし危機感で身を震わせた。だが佐々木万葉の口車に乗せられたとしても、乗ると決めたのは桐人自身だ。それだけ切羽詰まってたのである。
「しかし、自分もよくやったよな」と、我ながら呆れにも似た関心を今になって抱いた。
ははは、と空笑いを浮かべる桐人に坂下はまじまじと珍種を観察するかのような眼差しを向ける。
「勇敢だねぇ」
そうして素朴な感想を口にした。それに複雑な感情を覚えながら、桐人は次の質問を待つ。
「片瀬くんは今回の事件についてどこまで知っているのかな?」
「え、と……どこまで、ですか」
「うん」
どこまで、と聞かれると桐人はどう答えれば良いのかと逡巡した。質問の意図はハッキリしているが、問い方が曖昧な気がしたのだ。
桐人が知っていることは現場で見たもの全てだ。『蠱毒』のことは桐人自身の勝手な推測でしかない。とりあえず、蟲に関して気づいたこと全てを話せばいいのだろうか。
「蟲が霊気を吸収して自己再生していたこととか、仲間食って成長していたことまでなら……すんません。その、詳しいことは」
歯切れ悪く言葉を口にする桐人を観察しながら、坂下は膝の上に肘を立て、指を組んだ。組んだ手を口元に当てながら少年の顔を覗きこむ。
「……そっか。じゃあ、次の質問。あの蟲は君がやったのかい?」
「え、」
「あの蟲」――聞かずとも何を指しているのかを瞬時に理解した桐人は、僅かな沈黙の後、口を開いた。
「いえ。俺は何もしてません」
「じゃあ、なぜあの蟲が急に崩壊したのかは?」
「……わかりません」
それは本当だった。桐人自身、現場には居たものの、実際に何が起きたのかは知らないのだ。彼はずっとあの肉壁に挟まれていたのである。気がついた時には、事は既に終わっていた。
そう正直に答えた桐人に坂下は「そっか」と呟くと、次に懐から一枚の写真を取り出した。
「片瀬くん。これ、何か分かるかい?」
差し出された写真を見て、桐人は首を傾げる。
「なんかの、干物……ですか」
浅黒く、カラカラとスルメのように干乾びたソレを注視する。
サイズは隣に配置された定規を見るに、それほど大きくない。人の手に収まる大きさだ。崩れかかってはいるが、之は――。
「内臓……心臓、とか?」
疑問形で返された返答に、坂下が頷いた。
「ああ、蟲の残骸の中から見つけたものだ」
「蟲の……?」
では、これは蟲の心臓というわけか。それにしても小さすぎるのではないだろうか。それとも、蟲が寄生していた人間のものなのか?
「片瀬くん。これに見覚え、或いは何か思い当たることはないかい?」
「……いえ、全く」
ふるりと一度だけ桐人は首を横に振った。その顔からは微かに当惑の色が見て取れる。
「そっか……」
どことなく沈んだ声色と共に溜息を漏らして、坂下は背筋を少しだけ伸ばした。
下から自分を覗きこんでいた双眸が逸れ、視線から解放された桐人は微かに安堵した。坂下の様子に、何時の間にか緊張を覚えていたようだ。
春一のような冷たい双眸では無い。だが坂下の瞳は深淵のようだと、桐人は思った。
「どうやら今回の事件について、本当に何も知らないみたいだな」
「すいません……」
「いや、謝ることじゃない。こちらこそ、すまないね。病み上がりにこんな話しちゃって」
「いえ……」
眉尻を下げながら笑う表情は、先程の引き締まった顔付きと違って朗らかになり、桐人は肩の力を抜いた。
「で、次の質問なんだけど」
「はい?」
まだあるのか。
終わりの見えない質問の連続に桐人は困憊しそうになった。
だが坂下は、そんな奴の様子など意に介することもなく次の質問を口にした。
「あの黒い妖刀は何なのか聞いても?」
――反則だ。
どくりと、桐人の心臓が一際大きな鼓動を刻んだ。
なぜ、そんなことを聞くのだろう。
気を抜いた瞬間に出された爆弾は、桐人の表情を凍らすには十分なものだった。これでは「何か隠そうとしています」と公言しているようなものではないか。
「……なに、と言いますと」
黒い妖刀。何のことだと問わずとも、それが何を差しているのか察してしまった。
刀ではなく『妖刀』と称したということは、相手は既にアレが普通のものではないと確信しているということだ。いや。あの刀が普通ではないということは、見れば誰にでも分かるか――。
苦し紛れに桐人は質問に質問を返すが、それは全く意味の無いものである。
「そうだな。例えば、何処でどうやって手に入れたのか、とか。あの妖刀について知っていることを洗いざらい吐いてくれると有難いな」
洗いざらい吐けって言いやがったよこの人。
困ったように微笑を湛える様は、ある意味土御門春一より恐ろしい。
いや、別に脅されているわけではないが。その言葉の裏に籠められた「嘘を吐いてはいけないよ」という強制力を、ひしひしと肌で感じてしまったのだ。
「……知り合いの妖から貰いました」
嘘ではない。
実際に刀は元々からかさから貰ったものだ。ただ、後からちょっと弄っただけであって。
「知り合いってのは?」
「……か、からかさ小僧です」
ああ、言ってしまった。
己の口の軽さを嘆きながらも、桐人は正直に吐いた。
「あの
傍観に徹したいたはずの春一が、思慮するように呟く。
桐人は察した。あの顔は間違いなく、からかさにも尋問を行なう気だ。
――すまん、からかさ! お前に面倒事を飛び火させてしまった!
内心ダラダラと冷汗を垂らしながら桐人は、今はどこにいるかも分からぬ唐傘に謝罪の念を送った。
奴には悪いが、此処は恩人のためにその名を売らせてもらう。
からかさは実質無害であり、何も知らないので、悪いようにはされないはずだ。多少の恐怖を土御門春一により味わう事となるかもしれないが、怪我はしないだろう。……すぐに無関係だと気づかれ解放される、はず。
(あ、でも待て)
大丈夫だろうと腹を括った桐人。だが、ふとあることに気づいて戦慄する。
(先輩のこと口止めしてない……!)
しまった。あまりの現状に混乱で思考が回らず、大事なことを見落としていた。妖刀のことは知らずとも、からかさは自分が佐々木万葉に協力を仰いでいるところを見ていたのだ。
まずい。これは本当にまずい。早くこの面会を終わらせて、あの唐傘の所まですっ飛んでいかねば。
ダラダラと冷汗を流し、桐人は内心で頭を抱えた。
そんな恐々とする桐人を尻目に、坂下は『からかさ小僧』という妖を記憶に仕舞いながら、質問を続けた。
「それで、あの妖刀が実際に何なのか教えてもらってもいいかな?」
またこの質問だ。
何故こうも同じ質問を繰り返すのだろうか。「何だ」と聞かれても答えようがないし、答えるわけにはいかない。
頭を悩ませがらも桐人は、「わかりません」と誤魔化そうとした。
「いや、あの……何、と聞かれましても」
言葉を濁す桐人。そんな少年を目にして、坂下は僅かに顎を引きつつ溜息を零した。
「君はあの妖刀を使っていた張本人なんだ。他にも何か知っているんだろう。話してくれ」
合わされた視線に空気の重圧が増す。
桐人は思わず息を飲んだ。
全て吐くまで許さない。そう言われたような気がした。
密室に漂う緊迫感。重い空気が知らず知らずのうちに心臓の鼓動を大きくする。
「……なんで、そんなこと」
ただの妖刀ではないか。何故そこまで拘る。
そりゃあ確かに珍しいものではあるが、其処らの少年が握っていたものだ。そんなに頓着することは――。
(いや、ある)
桐人は歯噛みしそうになった。
そうだ。其処らの少年が『妖刀』を持っていたことに、問題があるのだ。
グレーゾーンではあるが、桐人の位置はどちらかというと一般人寄りだ。そんな自分が『妖刀』などという異質なものを手にしていれば問題視もされる。
それに忘れてはいけない。本来現場に来るはずのない自分があそこに居た事実を。
それだけで、片瀬桐人は疑うに値するのだ。
不穏分子。それが今、陰察官の目に映る、自分なのだ。
あの妖刀をどこで手にいれたのか。答えによっては捕縛される可能性もあるかもしれない。
(この人たちは、俺を疑っているのか――)
桐人が何故あの現場へ向かっていたのか、坂下たちは既に理解しているが、それで桐人を疑わない理由にはならない。
先程の蟲に関しての質問は、桐人がこの事件と何等かの糸で繋がっているのではないのかという疑心によるものだったのだ。
少し考えれば簡単に分かる事実を今更ながらに理解した桐人は、震えた。
被疑者でなくとも、自分は『重要参考人』として見られていたのだ。
この面会は、言わば審議。
己が実害か無害な存在であるかを図る場。
喉元に剣を突きつけられたような心地で、桐人は必死に言葉を探した。
動揺で揺れる瞳を、坂下は静粛たる眼差しで見つめる。
「君が倒したあの蟲な。俺ら、結構苦戦させられたんだよ」
「……え」
器用に眉尻を片方だけ下げながら、男は話した。癖なのか、最後の語音が僅かに伸びる。
「あの現場に居た蟲全て。幾ら撃っても斬っても、喰らった霊力で自己回復してたからねぇ」
桐人は僅かに瞠目した。それは桐人自身、今の今まで気づかなかった事実だ。
あの巨大な蚯蚓もどきが不死身に近い事は知っていたが、他の蟲たちに関しては意識していなかったので気づかなかった。いや、気づく余裕も猶予もなかった、というべきか。
何故なら自分が相対した蟲は、あの蚯蚓以外、全て一斬りで倒していたからだ。
「君が空から降ってきて突き刺した蟲もそうだったんだが……もしかして、君。気づいてなかったのか?」
「……」
――いいや。全く。
思考が驚きで染められる。
どうやら自分はとんでもないことを見落としていたらしい。
蟲が自己再生する瞬間を、あの蚯蚓以外で目にしたことなど無かったのだから無理もないのかもしれない。
だが、そういわれて思い返してみればあの時――自分があの現場に降り立ったあの時。この手で刺したあの蟲は、更なる攻撃を与えてもいないのに突然倒れた。
そう、何もしていないのに倒れたのだ。自分が佐々木万葉に呼びかけた瞬間に――。
「俺には、あの妖刀が蟲の霊力を根こそぎ喰らったように見えた。しかも、後から鑑識が調べてみれば見事に蟲だけ取り除かれててな」
霊力を喰らう、妖刀。
其れがどれだけ異質なのか、目の前の陰察官を見れば、容易に察せた。
(……先輩。あんた、本当に唯の蟲喰いじゃなかったんだな)
あの料亭での会話を思い出して、桐人は口元に引き攣った笑みを作りそうになった。
万葉は蟲喰いだ。蟲を喰うのは容易いこと。だが彼女が実際にやってのけてみせたことは、やはりというか、普通のことではなかったらしい。
――靄がかっていた脳が一気に覚醒したような気がした。過去に起きた出来事に、今になって、ようやく違和感と実感が沸いてきた。
硬直する桐人を尻目に、坂下は困ったように頭を掻く。
素直な少年だ。顔から内心がダダ漏れになっている。これで演技だというのならば、外見と反してとんだ食わせ物だ。
どうやらあの妖刀のことさえもあまり詳しく知らなかったらしい桐人に、坂下は何故か罪悪感を覚えた。
「なに。霊力を喰らう妖刀なんぞ、他にも存在するさ」
そうやって気休めのような言葉を口にする。だが、事実は事実だ。
「けどな、あの妖刀はどう見たって異様だった。そして、あの現場に居た蟲たちと同じように霊力を喰らう妖刀が現れるのは、あまりにもタイミングが良すぎる」
霊力を糧にする蟲に、蟲ごと霊力を喰らう妖刀。
それは確かに何か意味があるのではないかと思わせるほどの、絶妙な組み合わせだった。
「……繋がりが在るにしろ無いにしろ、あの妖刀は異質だ。調べる必要がある」
坂下の声に、重みが増した。
「これ」
ぺらりともう一枚の写真を、桐人の前に翳す。
ぎくりと、病衣を纏う少年の肩が強張った。
――これは当たりだ。
やはりこの写真に写る錆刀は、あの大太刀なのだと、坂下の勘が囁く。
ならば、何故このような姿になっているのか。
「鑑識に色々と調べてもらった結果。あの大太刀と同一のものだと判明した」
嘘だ。
唯の可能性の話であり、本当にそうなのかは鑑識も曖昧にしか報告していない。
坂下は、鎌をかけた。
「あの黒い妖刀は、この錆刀が変容したものだね?」
「……」
桐人は答えなかった。答えられなかった。
否定しても嘘だとバレるのは直感で分かっていた。坂下の口調は確信を得た上のものだ。
ならばこれ以上情報が漏れないように、口を閉じていた方が得策だ。絶対に、佐々木万葉のことだけは覚られてはならない。それが彼女との約束であり、桐人にとっては最低限の義務なのだから。
「片瀬くん。何でもいい。この刀について、君が知っていることを全て話してくれ。あの妖刀は何故、このような姿になっているんだ?」
それは桐人にも分からない。けど推測をするならば恐らく、佐々木万葉がもう《其処》には居ないからだ。
坂下の様子を見るに、彼女はまだ陰察庁に捕まるどころか存在さえも覚られていないようだ。
良かった、と安堵する反面、バレてはいけないと緊張が走る。
「封印をされてるのか。或いは、霊力を流し込むことで目覚めるのか。此方で色々と試させてもらったが、反応はない。唯の錆刀になっている」
続く坂下の質問。桐人は黙ったままだ。
「片瀬」
男のものより、澄んだ声色が鼓膜を揺らす。
声の根本は扉の前に未だに佇んだままの青年――土御門春一だった。
久々に聞いた声は、更なる切迫感を桐人に与えた。
「話せ。でなければ、我々はお前を見す見す解放することは出来ない」
「土御門」
脅しとも取れる言葉を、坂下が睨んで咎める。そして一つ息を吐くと、少し怯えたように身を引いた少年に、努めて優しく話しかけてみた。
「脅かすようなことを言ってすまんね。こっちも必死なもんでな」
そうやって謝る坂下の顔には、申し訳なさそうにも見える苦笑が乗っていた。
「けど、本当になんでも良いから。知っていること、話しちゃくれねぇかな」
「頼む」。そう言って頭を下げた坂下を桐人は戸惑ったように見た。先に口にしたように、この人は本当に必死なのだろう。
下がっていた頭が再び上げられる。こちらを見つめる双眸に、身体が萎縮した。
虚偽は許さない。
深淵のような瞳がそう囁いている気がした。
「……」
その眼から逃げるように桐人は視線を逸らすが、逆に別の視線に捕えられてしまう。
坂下の広い肩に乗る式神。黄緑色の眼光がじっと此方を見据えている。淡い光を放つ、宝玉を真っ二つに割ったような黒い瞳孔に、桐人の意識が自然と吸い寄せられる。
駄目だ。嘘はつけない。
「片瀬くん?」
沈黙を守る桐人に、坂下が足すように声を掛けた。
「……い、」
喉から桐人が絞り出した声は、情けないことに掠れていた。
頭を必死に回転させる。カラカラとハムスターが回し車の上を走るような音がした。ぐるぐるぐる。脳の焦りと混乱が視覚にまで伝染する。ぐるぐるぐる。視界が回っているような気がした。
それでも桐人は「喋るしかないのだ」と苦し紛れに言葉を発する。
「いえ、ません」
その言葉に眉を顰めたのは坂下ではなく、土御門春一だった。
口を一線に引き結びながら俯く桐人の旋毛を、鋭利な双眸で貫く。
「と、いうと?」
温度の籠っていない声が病室という名の空間に浸透した。ひんやりとした、一滴の冷たい滴が水面に波紋を広げる。
湿度の下がった空気を肌で感じた桐人の米神から冷汗が垂れた。
――これは、本格的に詰んだかもしれない。
「だが、それでも」と覚悟を決めて、桐人は口を開いた。恐る恐る顔を上げて、相手方と目を合わせる。
「……俺が、」
カラカラになった喉を唾で潤し、真っ直ぐに男たちを見返した。
「あの妖刀について、俺が言えることは――何もありません」
♢
「いや、完敗だったな」
「……」
「もう少し話を聞けると思ったんだが。まいったまいった」
時計の針が十二時を差す、病院の入り口。受付付近の自動販売機の前で、珈琲を片手にする男と青年。
男は朗らかに笑っているが、青年はどこか不満気に見えた。
「さっきからダンマリしやがって。何だよ、不満なのかよ。怖いぞ、その無表情。いつものことながら」
「そうですね……俺としてはもう少し有力な情報が欲しかったです」
「つってもなぁ……あれ以上、片瀬くんが口を開いてくれるとは思わねぇし。あんまりやりすぎると、警察に目ぇつけられるしなぁ。ただでさえ嫌われてるんだからよぉ、俺ら」
笑い交じりの溜息を吐く坂下に、春一も嘆息を零す。
「わかっていますよ……ただ、どうにも納得がいかない」
「いいじゃねぇか。今のだけでも十分、分かったことはあるんだからよぉ」
こくりと冷えた缶コーヒーを傾けながら、坂下は目を細めた。すると視界に黄色い尻尾がゆらりと滑り込み、俄かに頬を緩ませる。尻尾の主は、左肩に未だ居座っている妖――『覚』だ。
「ありゃ、無害な人間だ。事件には殆ど関わりねぇよ。実際、『覚』も大概大人しかった」
そう言って、するりと肩の上の小さな頭を撫でてやると、黄緑色の目が気持ちよさそうに伏せられた。
白とは残念ながら言いきれないが、片瀬桐人は限りなく白に近い。それが事情聴取の最中で、坂下が導き出した答えだった。
「今日が初対面の俺より、前々から関わりのあるお前の方がそれは良く分かってんだろ」
「随分と彼の肩を持つんですね」
「どこぞの糞生意気な無表情の餓鬼より、ああいう馬鹿正直な小僧の方が割と好感持てるんでね」
肩を竦めながら軽く嫌味を混ぜる坂下。その顔は挑発的な台詞と相まって飄々としている。
それに呆れたように眉尻を下げながら、春一は一つだけ大事な事実を述べた。
「確かに片瀬桐人は嘘は吐いていない……が、まだ何かを隠している」
片瀬桐人は妖刀のことは『知らない』とは言わずに、『言えない』と言った。それは知っていることを隠していると公言しているようなものだ。
全く、馬鹿正直にも程がある。
「ああ、うん……まあ、やましいことじゃないんだろうけどなぁ」
やましいことを隠していれば、あんな堂々とした態度を小心者の子供には取れないだろう。
僅かな時間で片瀬桐人の人柄を大体把握した坂下は、弱ったように頭の裏を掻いた。
「わかりませんよ。案外、演技かもしれない」
「やめてくれよ。あの狼狽えっぷりとか馬鹿正直なあれとか、全部演技でしたなんて言われたら、俺もう誰も信じられねぇよ。つか、あんな演技して何の意味があんだよ」
「言ってみただけですよ」
「お前なぁ」
本当、可愛くねえガキ。
春一の言動に疲弊した坂下は、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「けど、彼が隠していることがやましいことであろうがなかろうが、関係ない。あの妖刀は我々が今掴める怪奇事件の少ない手掛かりなんだ。なんとしても、洗いざらい吐いてもらう必要がある」
「そうは言ってもなぁ……上級の『覚』を本部から引っ張り出せってか? 手続きにかなり時間と手間がかかるぞ。アレは制御するにもかなりの曲者だし。つか、そこまでやらなくても良い気が……」
「其処までは言ってませんよ」
「じゃあ、監視でもつけるってか? そんな人員、今は大忙しで無ぇぞ」
坂下の窘めるような声に、春一は真っすぐな視線を返した。
「土御門……あんまり張り切りすぎんなよ」
「別に、張り切ってはいませんが」
今一つ、表情に動きの無い春一。その様子に眉を顰めながら、坂下は部下から受けていた報告を口にした。
「お前、
ぴたりと、春一は静止した。珈琲を口にしようと、缶を持ちあげた手が止まる。
「『神の欠片』ごと、蟲を排除しようとでも思ったか」
「……」
深淵のような瞳に、鋭い光が差した。空気の重圧が増し、肩にかかる。静寂が二人の間に落ち、まるで周囲の空間から切り離されたかのようだった。
だが、春一は口を開かない。沈黙が意味するのは肯定だ。
「『神の欠片』は護衛対象であるはずだ」
「そうですね。良からぬ輩に『利用されない』ために、その力が他に害を及ぼさないために、護衛するのが俺の役目です」
それはまるで沢良宜花耶を守っているのではなく、彼女から他の人間を守っているのだと、言ってるように聞えた。
「分からねぇな。お前さんは少なくとも、彼女を好ましく思っていたんじゃねぇのか……何を考えている」
坂下は怪しむように春一を見やった。奴が記憶している限りでは、土御門春一は沢良宜花耶に好意を持っていたはずだ。鑑識課の顔見知りである出雲からも、そのような噂話を聞いている。
「否定はしません。確かに彼女のことは、嫌いではない。だが、それとこれとでは話が別です」
そう。自分が彼女にどのような感情を抱いていようが、関係ない。
そんな事、他人から見ればどうでも良い事なのだ。
「あれ以上蟲をあのままにしていたら、『神の欠片』は喰われ、被害は更なる膨大化をしていたかもしれない。それほど事態は緊迫化していたんだ。だから最悪の事態になる前に、災いの元を消し去る。陰察官として。裏の世界を取り締まる者として、当たり前のことをしたまでですよ」
「土御門。お前……」
それは陰察官としては、間違っていない答えだった。
だが、坂下としてはどうしても許容の出来ない言葉でもあった。なんの感慨も無く、スラスラと現実的で残酷な事を吐く目の前の青年に、複雑な心情を抱く。
だがそんなことなどお構いなく。眉間に皺を寄せる坂下に、春一は思わず大息を吐き出しそうになった。
坂下が何を考えているのかなんて、手に取るように分かる。
相変わらず甘い男だと、頭の片隅で吐露した。
「けど、あの時は貴方の部下に止めていただいて、助かりました。感謝してますよ。お蔭で余計な犠牲を出さずに済んだ」
あの時、慌てて必死な形相で己を止めようとした坂下の部下の顔が脳裏を過る。
彼が止めようとしてくれなければ、蟲が勝手に崩壊する前に、沢良宜花耶や他の人間ごと事を片付けてしまっていたことだろう。
それだけは、助かったと思っている。
淡々と礼の言葉を並べながら珈琲を啜る春一に、坂下は一瞬だけ顔を盛大に歪めると、呻くように髪をぐしゃぐしゃと掻き毟った。
そして苛立ちも戸惑いも、全ての悪感情を追いやるように、大きな息を吐き出す。
「……片瀬桐人はこのままにする」
「坂下捜査官」
思いも寄らない発案に、春一は咎めるように声をかけた。
それを坂下は疲れたように往なす。
「『神の欠片』についている式神に時折様子見をさせれば良い。彼は彼女の隣に住んでいるし、二人はよくつるんでいるんだろう? 式神は二体つけてるんだから、偶にどちらか一人を覗き見させれば問題はない」
「常に見張らせるべきだ」
坂下の提案を一息で却下する春一。だが、坂下は引く様子を見せない。
「彼女の守りを手薄にするわけにはいかない。それにお前もいるだろう」
「俺に、奴に常に張り付いていろと?」
「其処までする必要はない。どうせ後で『からかさ』とやらに妖刀の話は聞くし、他にも調べようはある。片瀬桐人にまだ疑わしい点があるのなら、此処を退院する際に局に来てもらい、一度検査と調査を霊視官と共にしっかりとさせてもらえば良い」
押しの強い口調で、反撃を許すことなく口を動かす坂下。それは冷たい双眸を光らせる春一を黙らせるには十分な威力を伴っていた。
「監視に関しては、俺が追々考える――良いな。土御門捜査官」
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