22.

「し、しっ……!」


 ――死ぬっ!!


 はくはくと乱れた呼吸を懸命に整えながら、桐人は泣きそうになった。


 間一髪で潜り込めた蟲の腹の中。背後の肉壁に開けられた穴が徐々に塞がっていく。

 穴が小さくなるにつれ、手元を照らしていた光が段々と暗く染まってゆくのを傍目にしながら、桐人は阿魂への恨み言を連ねた。

 幾多の触手の動きを運良く躱し続けられたが、もし途中で桐人が蟲に捕まっていたら、どうするつもりだったのか。


 ――なんの予告もなく人を投げやがって。


 無茶苦茶すぎるだろう、と桐人は頭を抱えた。


『……文句を言いたいのは分かるけど、ボサッとしている場合じゃないわよ』


 その言葉に、我に返る。

 手元の大太刀から流れ込んできた声に答えるように、桐人がバッと後ろを振り向けば、こちらへと迫る肉塊が視界に映った。

 咄嗟に横へと飛べば、赤い手のようなそれが足元を貫く。


「っつ……!」


 鋭い痛みが、桐人の腕に走る。

 避けるように、床へと滑り込んだ際に腕を擦ってしまったのだ。

 そっと腕を覗きこめば、薄らと皮膚が一枚、剥がれかかっているのが見えて、息を飲んだ。


 まるで酸に溶かされたような痕に、桐人は危機感を抱くと、即座に膝を床から離すように立ち上がった。


(これって……胃酸、か?)


 その単語に思考が行き着いたとき、ぞっと悪寒が桐人の背筋を走る。

 まるで、自分が胃の中で消化されようとしている《餌》――に、なった、みたいだった。


「ななみちゃん……!」


 恐怖と焦りが膨れ上がる。周囲を見渡せば、壁に埋まっている人らしきものが何体も確認できて、知らずつかを握る桐人の手に力が篭もる。


 まるで蟲の一部と化した犠牲者たちの姿に形容しがたい感情を抱きながら、桐人は菜々美と花耶の身を案じた。

 本当に、急がなければ取り返しのつかないことになりそうだ。


 だが、立てていた作戦を行動へと桐人が移そうした刹那、足をに捕まれてしまい、床にまた膝を落としてしまった。

 後ろを振り返れば、肉に埋まる足が見えた。


「っの、」


 其処から足を引き抜こうとしても、肉が固まって動けない。

 仕方がなく、桐人は靴を脱ぎ捨てた。


(どこだ……!?)


 肉壁に埋まる人間たちをひとりひとり確認しながら、迫りくる赤い『肉塊』から逃げ惑う。

 脚、手、腕、胴体に顔。肉の壁に埋まった人々の姿に眉を顰めながら、あるはずの《もの》を桐人は探し続けた。

 しかし、灯もない密閉した空間のせいで、視覚が困難だ。


 必死に目を凝らそうとする桐人に、万葉が助け舟を出した。


『其処らじゅうにわよ』

「本当ですか!?」

『君の推測通り……そのまま横の壁をたたっ斬ってみて」


 万葉の指示に逡巡しながらも、迫りくる肉塊に構わず桐人は構えた。

 刀が重い。腕を掲げるのも辛い。

 だがそれでもボロボロの身体を叱咤して、大太刀を握る手を振り上げた。


「せーのっ!」


 刀身の刃を壁に突き刺す。

 すると、プツリと何かが切れる音がした。


(手ごたえあり、か?)


 壁に埋まる黒い刀身。

 それをハラハラと見守りながら、桐人は蟲の変化を待った。


「あの……」


 一秒、二秒、と待ってみても、直ぐに何かが起きるわけでもなく。焦りが増して、桐人は万葉に話しかけようとした。

 すると、大きな震動が足元を唐突に遅い、バランスを崩した桐人が床に倒れ込む。

 先程まで動き回っていて肉塊は麻痺したかのように、制止していた。


『……霊脈が、途切れた』


 ぽつりと、万葉が呟いた。

 《霊脈》――それは、霊子的エネルギーの流れのことだ。血脈が血を流すパイプであるように、霊脈は霊気を持ち運ぶパイプの役割を果たしている。

 今し方、桐人たちが斬った《霊脈》は、蟲の体内に居る人間たちから霊力を吸い取り、巨体を上手く機能させることが出来るように、蟲の全身に張り巡らされた――いわば傀儡の糸として機能していた。


「もう一度、繋がる気配は……」

『分からない』


 《霊脈》は陰察官や阿魂の攻撃を受けても、途切れることなく繋がったままでいた。攻撃の威力が加減されていたせいか、阿魂たちの刃は脈まで届かず、逆に攻撃に込めた霊力を、蟲の糧にされていたのだ。


 しかし、こうして桐人が体内に侵入し、蟲を喰らう万葉の協力を得ることで、自己回復させずに流れを断ち切ることができた。


「じゃあ……」


 終わったのか?

 あまりにも呆気ない終わり方に、桐人は疑心に満ちた顔で周囲を見渡した。

 この作戦が上手くいかなかければ、このまま蟲の本体を探し当てて直接潰す覚悟をしていたので、正直、拍子抜けしたのだ。


「――いや、」


 ——違う、まだ終わってない。


 未だに背筋にひしひしと押し寄せる悪寒に、桐人はハリネズミのように警戒の棘を全身から張り巡らせた。


 すると、その予感は的中し、どくりと、ドラムのような大きな心音が鼓膜を揺らした。


「なっ……!」


 床や壁が、急に動き出した。

 四方八方から肉壁が迫り出し、急いで其処から離れようと走り出そうとした桐人だったが、いつの間にか足が捕まっていて、動けなかった。


「うそだろ!?」


 必死に抜け出そうとしたが出来ず、抗っている間にも赤い壁は着々と空間を狭めていた。


「あつっ……!」


 じわりと熱と痛みが足に広がった。十中八九、あの胃酸だろう。

 痛みにもがき呻く桐人を尻目に、万葉は周囲を確認した。


(やっぱり駄目だったか……)


 途切れたはずの霊脈は瞬く間に修復しはじめている。

 やはりこの蟲は本体を潰さない限りどうにもならない。


『片瀬くん。このまま私を壁に突き入れて』

「え……?」


 万葉としては、放っておきたいところだが、このままにしておけば自分が巻きこまれることは間違いないし、死ぬことはなくとも肉に挟まれるのは遠慮したい。


 それに今の霊脈の動きのお蔭で、一つの可能性を見出すことが出来た。


(他の霊力を吸う蟲、喰らったはずの脈の異様な自己修復……まさに、《不死》)


 まるで自分たちのようだと、万葉は複雑な心境でいた。

 喜べばいいのか、嘆けば良いのか。

 どちらにしたって『不可叉』絡みの、面倒事には変わりなさそうだ。

 出来れば違っていてほしかったが、その可能性は限りなく低い。


 サイレンのように、万葉の勘は騒いでいた。

 苦い思いを飲み込みながら、とにかく桐人を急かす。


『急いで。このまま無駄死にしたくはないでしょう?』

「っ……」


 万葉の問いに、桐人は深く同意するように顎を引いた。

 手元に転がっていた柄を力強く握って、全身の力を腕へと総動員させる。


 突き刺した刀身を、更に奥深くまで押し込むように左手も添えた。ありったけの力をこめようとする桐人の腰は自然と低くなり、足が肉の床へ、より深く沈んだ。瞬間、鈍い痛みが足を伝って広がり、桐人の顔がぐしゃりと歪む。


 けど止めることなく、歯を強く食い縛りながら痛みに耐え、そのまま刀身を鍔まで壁に埋め込んだ。


「すみません……お願いします」

『了解』


 苦心に満ちた顔をする少年を尻目に、万葉は眼前の問題に集中した。


(くっさ……それに、べたべたする)


 胃液か、何かだろう。肉に埋まっていることもあり、万葉の視界は暗かった。というか、何も見えない。


(――蟲は)


 蟲の一部、それも内部に触れることで本体の位置は大体把握できるようになった。

 この肉壁は、当然、《本体》と繋がっている。霊気の流れを読み取れば、おのずと正確な位置も万葉には掴めるようになっていた。


(つーか、これって……いや、今はいい)


 内部と霊脈に直接触れることで、様々なことが発覚するが、万葉は構わず先に進むことにした。


(このまま、真っ直ぐいけば……)


 何やら肉塊が、霊力を自分から吸収しようとしているが、放っておこう。

 胃酸で溶かそうとしても、刀身が傷つくことはない。


(さて、どうするか)


 蟲の本体が何処にあるのか分かったとしても、万葉は動けない。

 とりあえず桐人に、此処から引き出してもらおうと声をあげる。


『片瀬くん……て、あ』


 視点の位置を刀身から柄へと移すと、肉に完全に飲み込まれそうになっている少年が見えた。


(あーあー……)


 それを目にして、「これは無理だな」と、万葉はあっさりと結論を出す。


 肉塊から脱出しようにも逃げ場がどこにもない。万葉も、桐人も、完全に飲み込まれているようなものだった。


 そうこうしている間にも、桐人の身体は胃酸で蝕まれている。

 重症化するのも時間の問題だ。

 だが、意識はまだはっきりしているらしい。万葉を必死な形相で凝視しながら口を動かそうと懸命に足掻いている。が、その口を開けたら、それはそれで色々とまずい。なにせ、此処は胃酸まみれだ。

 聞えていればいい、と万葉は言葉を重ねた。


『片瀬くん……他言無用の約束、忘れないでね』


 言いたいだけ言うと、桐人の返答には頓着せず、万葉はそのまま視点を刀身へと切り替えて、意識を集中させた。


 再び己の身体の造形に神経を研ぎ澄ませる。


 ――万葉は、何にでも変身できる魔法使いではない。

 だが、新たな物体を生み出すことはできなくとも、同化した物質の量を利用して造形を変化させることは出来る。


(細く、長く……)


 ばかデカイ刀身をこれ以上大きくすることはできないが、幅を削る代わりに、その分、刀長を伸ばすことは出来る。


 針のような、半径一ミリの凶器を万葉は想像した。

 胴体から下半身まで細く長く、頭部は鋭く、何をも貫けるような、そんな《形》を。


 ――届けば、それで良い。


 目指すは、己に深い関わりがありそうな《本体》。

 煩わしいほどの心音を立てる《そいつ》に、僅かな苛立ちを覚えながら、万葉は個体の構築を崩した。

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