02.気苦労ホムンクルス

 にわかに廊下が騒がしくなった。足音と人の話し声だ。続いて、部屋に備え付けられた魔石による無線が鳴り響く。それを無視したイアンはうっそりと微笑み、しかし溜息を吐き出した。

 ホムンクルス127号が逃げ出したという報せだろうが、遅すぎる。自分達で捕らえられると思ったのだろうが、彼は普通の人間より遥かに力が強い。早々に上司へ連絡を取るべきだっただろう。本当に彼等はマニュアル通りにしか動けない。


「おい、見つかるぞ、逃げないと――」

「人目を気にするのですねえ。取り敢えず、今部屋を飛び出せば私達がどこへ逃げたのか、連絡を取り合って割り出されてしまいます。私の部屋まで誘き出し、彼等を一人残らず始末した上で逃走するのが正しいでしょう」


 なおも何か言いつのろうとした127号――改め、ジャックの言葉はしかし、イアンの私室に兵士4名が乗り込んで来た事で中断された。

 顧問魔道士の姿を見つけた兵士が少しだけ驚いたように目を丸くする。


「イアン顧問魔道士!?気をつけて下さい、127号はどうやら暴走状態にあるようで、我々の言う事を聞きません!」

「はい。存じていますよ」


 言うが早いか、イアンはベッドサイドに放置されていたコインを1枚手に取った。利き手――左手でそれを摘み、即席の魔法式を作成する。コインより一回り大きいそれを纏ったまま、コインを親指で弾いた。

 爪とコインがぶつかる僅かな音とは反比例し、それは弾丸のような速度で一番先頭に立っていた兵士の喉を撃ち抜く。人体を平気で貫通したコインはその勢いを緩めること無く、背後の壁に突き刺さる。

 潰れた蛙のような声、その一瞬後には兵士が床に崩れ落ちた。


「ひいっ……!?な、何故……イアン殿!?」


 周りに撃ち出せる物が無くなった。元来、物をあまり持たない方だったので仕方が無い。すでに逃げ腰の兵士達が事の重大さを理解し、ジリジリと後退りを始めている。逃がしてしまえば面倒な事になるのは自明の理だ。

 しかし、何故か兵士と一緒になって固まっていたジャックが身を翻した。

 硬直している3人の内1人に躍りかかり、蹴り飛ばす。軽い動作に見えたが骨の砕けるような衝撃がはっきりと伝わった。そのまま残り2人も難なく伸してしまう。魔法は術式を作成する為にどうしてもタイムラグが出来てしまい、雑魚処理に向かないがフットワークの軽い味方というのは存外使えるものだ。

 ただ。惜しむらくは――


「禍根を残すのが好みなのですか?後々、手痛い仕返しを受けても文句は言えませんよ」

「あんた、人を簡単に殺し過ぎだろ。こいつ等にだって家族がいるかもしれないのに……」

「生死観について、貴方と問答したくはありませんね。貴方のその理論は、空想に基づく思考の共感でしかない訳ですし」


 チッ、とジャックが舌打ちした。


「もういいから、早くここから出ようぜ。それが目的なんだから」


 ***


 部屋から出たイアンは迷わず左を向いた。右側には延々と廊下が続いているが、左側には確か階段があったはずだ。ここは3階なのだから、とにかく階を下り、1階へたどり着く方が先である。


「逃走仲間はどなたですか?」

「リカルデ・レッチェ。騎士兵だ、つってたよ。あんた、アイツの事を何か知ってるか?」

「騎士兵については知っていますよ。彼等は戦の花形ですからね。しかし、忠誠心が高い人物が多いと聞いていましたが、貴方には寝返りを促す才能でもあるのでしょうか?」

「……というか、俺に脱走を持ち掛けて来たのがアイツなんだけど」

「へぇ。それは大変興味深い話ですね」


 騎士兵は愛国心の強い者が多い。恐らく、外国ではなく帝都から排出されるエリートだからだろう。彼等彼女等は士官学校で多くの知識を学び、そして思想を育まれている。謂わば、洗脳済みの兵士というわけだ。

 ――リカルデ・レッチェ。一体何を思って帝国を裏切ろうとしているのだろうか。洗脳漬けの脳でさえ、帝国の破綻している現状に違和感を覚えさせているのかもしれない。


 階段を下りている時だった。下のフロアから兵士達の騒ぎ声が聞こえて来る。道を譲る気はさらさら無いので、道すがらイアンは魔法を編み始めた。大声で自身の居場所を報せているとしか思えない、驚く程の手際の悪さ。いっそ哀れにさえ思えてくるようだ。


「そうだ、レイスでも放ちましょうか。あの子ならば霊体ですし、サイズも大きくありません。拠点内部の攪乱に一役買ってくれそうですね」

「レイス!?あ、あんた馬鹿か!室内であんなもん放したら大惨事だろ!」

「私が召喚師なのですから、レイスが私達に危害を加える事は――いえ、後回しにしましょう」


 部屋に乗り込んで来た兵士達と全く同じ反応。今日までお手手繋いで作戦をこなしてきた上司が、まさか唐突に裏切るとは思っていないような態度にが、何だか可笑しくなってくる。

 こんなゾクゾクするような刺激的な出来事は久しぶりだ。

 イアンは常日頃、まるで期待していない部下達に手向ける笑みを、やはりいつも通りに手向けた。そのまま、展開した魔法式を張り付けた掌で壁に触れる。

 吐き出す息が白く凍る。清潔そうな白塗りの壁を氷の蔦が這い、瞬く間に冷凍庫の中のような景色に移り変わった。人の形をした氷像が3体鎮座しているのがよく分かる。


「オイ、あんたホント容赦ないな……!というか、これどうするんだよ!こんな滑る階段、下りられないぞ!」

「掃除が大変そうですね」


 足下に展開した別の魔法式を踏み砕く。衝撃の波が地面を走り、張った氷を砕いた。


「これで問題ありませんね。さあ、下りましょうか」

「お、おう……。何つーか、便利だな、魔法って」

「誰だったか正確には覚えていないのですが、私より達者に魔法を使う師匠からの直伝ですからね。そうだ、レイスを――」

「レイスはもういいって!あいつ等、無機物を腐敗させるんだろ!?拠点が崩れたら、俺達だけじゃなくリカルデも巻き込まれるかもしれないだろうが!」

「成る程。そういえばその方と落ち合う予定でしたね」


 1階に到着。人影は無い。

 ――おかしい、どうして1階に人が配置されていないのだろうか。


「待っていたぞ、127号――と、イアン殿?何をして……?」


 人の顔と名前を覚えないイアンですら聞き覚えのある声。そうだろう、と変に納得して頷いた。長い廊下、その中程に男性が立っている。

 金髪、エメラルドグリーンの瞳にやや小柄な体格。

 ドミニク・シェードレ大尉だ。

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