第8話 仮面の盗賊あらわる

 三人は宿題をさておいて、さっそく時計台に向かった。時間はすでに夜の八時を過ぎていた。あと一時間もすれば、そろそろ寝る準備をしろと、管理人が回ってくる時間だ。

 そんな心配をするはずもなく、三人はそれぞれ片手にシンジが魔導ランプ、ガイが虫眼鏡、万が一のために武器となる魔導杖をシンが持って、時計台に向かった。星がきれいに輝く星空の下、寮の下り坂を通り、学校の校舎にきた。校舎内は入れないが、校庭なら問題なく入れる。さわさわと風の気持ちいい中、校庭の草の上をサクサクと歩き、三人は校庭の一番奥にある時計台に向かっていた。

「ほんとに時計に光の石が使われているのかな?」

 とシンジ。

「さあね~。でも古い時計だからありえるかもよ~」

 とガイ。続けてシンもつぶやく。

「でもどうやって確認するだべ? やっぱり壊すだべか?」

「それは駄目」

 即、二人からつっこみが入る。

「やらねーだべよ!! ……あれ?」

 シンが突然立ち止まる。そのシンの目線を二人も追うと……。

 時計台の足元に立っている人物がいた。相手はシンたちに気付く様子はない。彼らの距離だと、ようやくその人影が確認できる程度だ。月明かりに照らされて光る白い髪色と、その背丈からそれがフタバだとかろうじてわかった。三人が首をかしげている間に、フタバは時計台の中に消えていった。それを見て、シンは興奮した様子で勢い込む。

「これはますます怪しいだべよ! あのフタバもここが怪しいとにらんでいるようだべ!」

「そーかなぁ……」

 ガイが不審そうにつぶやくと、シンジも首をひねる。

「でもホント、何でフタバくんもこんな所にいるんだろ……? それに」

と、シンジはそのまま時計台に走り出した。それを見てシンとガイも続けて走る。時計台の入り口に到着すると、三人は塔を見上げた。塔の天辺は、はるか上空だった。目の前にある時計台の入り口は、硬い石の扉でいつもは閉ざされている。古びた扉はそれだけでも威圧感いあつかんがあるが、それに加えて鍵がかけてあるのだ。じゃらじゃらとした鎖に鍵がついているタイプで、それがますます威圧感を強調していた。

 だが今日はその扉が少し開いて、塔の中がのぞけた。もっとも月明かり程度しか光源がないため、真っ暗でほとんど何も見えないのだが。

 シンジは時計台に到着すると、塔の中には目もくれず、きょろきょろと扉を見渡した。

「何してるだ? シンジ」

 シンの問いに弟は振り向かずに、そのまま扉を見渡して答えた。

「いやさ、なんでフタバ君、この中に入れたのかなって……。校舎には全て鍵がかかっているはずなのに……。あ、扉の鍵……」

と、時計台の扉の鍵に気がついたシンジはその鍵を取って見せた。鍵は鎖でつながれ、南京錠のような魔導キーで閉められていた。呪文であけるタイプの鍵だ。その鍵が真っ二つに割れていたのだ。

「……まさかとは思うだべが……フタバが開けたわけじゃ……」

「そんなことしないよ!」

「わぁ!!!!」

 突然、予想外の人物の返答に、シンもシンジもガイも思わず大声で叫ぶ。時計台の扉の奥の暗がりから、こっそり顔を出したのは、他ならぬフタバだった。

「お、お、脅かすなーーーっ!!」

「ガ、ガイ落ち着いて……」

 突然の登場によっぽど驚いたらしいガイがキレて叫ぶと、それをシンジがなだめる。それを見て、フタバも頭をかきながら謝る。

「いや、脅かすつもりはなかったんだけど、ごめんごめん」

「それはそうと、なんでこんな所にお前がいいるだべ?」

 シンがすかさず尋ねると、フタバは苦笑して見せた。そして顔つきを変えてじっとシンを見つめた。その顔にはどことなく真剣で緊張した様子が見えた。思わずシンは身構えた。その様子に気がついたシンジも恐る恐るフタバに問う。

「……どうしたの、フタバ君……。そんな怖い顔して……」

 フタバはシンジの問いにうなずくと、三人の顔を見渡して低い声で話はじめた。

「僕、いつもこの時間はフラフラ散歩してるんだけど、たまたま今日は校庭を散歩しようとしてたんだ。で、寮の坂道を降りていたら、道のずっと先をさ、白い影がすっと歩いているのが見えたんだ……。誰だろうと思って見ていたら、そのまま校庭をつきっていくからさ。おかしいな、と思って後を追ったら、この時計台の中に消えていったんだよ。いつもは鍵が掛かっているのにおかしい、と思って近寄ったら……鍵が壊れてて……。で、僕も後を追おうと思って、中に入ってみたってわけさ……」

 その話にガイがひぃっと小さく悲鳴を上げる。シンジはゴクリとつばを飲み込んで周りを見渡す。シンも緊張した面持ちで周りを見ると、フタバは続ける。

「でも……とりあえず中には誰もいないみたいなんだ。……もしかしたら」

 とフタバは頭上はるか上空の時計台の最上階を指差した。

「この上にもう進んでいったのかも……。」

 シンはそうっと時計台の中をのぞき込んだ。月明かりのおかげでうっすらと中が見える。薄暗がりの中、よく目を凝らすと、時計台の中は螺旋らせん階段が続いており、そのはるか天辺まで延々と続いていた。その螺旋階段の最終地点に時計の置かれている最上階があるのだ。天井と思しき所はガラス張りにでもなっているのだろう。室内にも関わらず、上空からは静かに月明かりが差し込んでいた。シンは螺旋階段にじっと目を凝らしてみた。しかし階段のどこにも、人影らしき物は見えない。

「ねぇ、帰ろうよ~。怪しい人だったら危険だよ~! ボクらだけじゃ何もできないって!」

 ガイは声を潜めひそひそ声で必死に訴える。そんなしがみつくガイをなだめつつ、シンジもひそひそ声でささやく。

「でも、何しにいったのか気にならない? 何かここってオバケの噂ってあるの?」

「少なくとも僕は聞いたことはないよ」

 首を振りながらフタバが答えると、シンも首をかしげて続ける。

「オラも聞いたことはないだな……。お化けでないとしたら……怪しいだべよ」

 そういってシンはじっと塔の天辺をにらむ。

「怪しい〜……?」

 恐る恐るガイが尋ねると、シンはマジメな顔で答えた。

「あの『光の石』だべよ! もしかしたら、塔に登っていった奴も、時計にある『光の石』を狙っているかもしれないだべ!」

「ええっ!? 光の石がこの時計の中に入ってるの!?」

 予想外のシンの発言に驚いたらしい。フタバが大声で叫ぶと、あわててシンとシンジがフタバの口をふさぐ。

「シーッ! あくまでシンの予測だよ。ホントにあるかどうかはわからないよ!」

「わからないだべよ! もしかしたらホントにあるかもしれないだべ!」

 ひそひそ声でシンとシンジが会話を始めると、フタバが二人の手を払って会話に混じる。

「予測でも何でも、もしそうだとしたら危険じゃない!? 何者かに石を盗られたら大変だよ!」

「確かに〜……。超古代文明の魔法アイテムだからね〜……。強大な魔力を秘めているだろうから、悪用されたら大変なことになるかも~……」

 フタバの発言に、ガイはそう言ってぶるるっと身震いする。そして今度はフタバにしがみついて再びガイは抗議する。

「だから、早く先生とか呼びに行こうよ~! ボクら子どもだけじゃ危ないって~!」

 ガイの言葉にフタバも深くうなずいて、

「そうだね……。目的は知らないけど、誰かが塔の中に進入したことは間違いないんだ。これは急いで報告したほうがいいかも。先生の所に行こう!」

と、ガイと一緒に駆け出そうとすると、シンが意外なことを言った。

「じゃ、オラは上を見てくるだ!」

「ええッ!?」

 思わずガイとフタバが声を上げる。

「なっ……シン君、何言ってるんだよ! 相手が何者かも分からないんだよ? 一人じゃ危険だよ!」

「じゃあ、ボクもシンと一緒に行く!」

 フタバの抗議に賛同するどころか、今度はシンジまで言い出した。

「シンジ君まで何を……」

 フタバがあきれたように言うと、意外にもシンジは真面目な表情で口を開いた。

「フタバ君の言ってることはわかるよ。でも、もしホントに何者かが時計の中にあるかも知れない光の石を狙っているのだとしたら、ゆっくりしていられないんじゃないかな? 先生を待っているうちに、それを持ち出して逃げちゃうかも知れないよ」

「……それは……確かに……」

 予想外にも筋の通ったシンジの意見に、フタバは反対の意を唱えることはなかった。しばし考え込んでいたが、すぐ顔を上げると、シンとシンジの方を見て決意した面持ちでうなずいた。

「わかった。じゃあ、僕とガイ君で先生を呼んでくるよ。二人には塔の見張りをお願いするよ。間違ってもその何者かに立ち向かっちゃ駄目だよ! どんな危険人物かわからないんだから……」

 フタバの言葉にシンは胸を張って、にかっと笑って見せた。

「任せるだ! 犯人は逃がさないだべよ!」

「犯人じゃないけどね~」

 フタバの後ろですかさずガイがつっこむ。

「なるべく危ない真似はしないようにするよ! よっぽどのことがない限り」

 シンジもフタバに向かってほほえんでみせる。フタバはシンの発言には少々不安そうであったが、シンジの発言を聞いてちょっと安心したらしい。「頼んだよ」と二人に残し、ガイと一緒に校庭を静かに駆けていった。


 それを見送りながら、シンはシンジに静かに問う。

「……ホントに黙って見張りするだけだべか?」

「うーん……。その何者かが何しているかによるよね。ホントに石を狙う泥棒だったら、見張るだけじゃなくて、正体くらい突き止めないといけないだろうし」

 とシンジは答えて塔の上を見上げる。シンも一緒に塔を見上げていたが、やはり我慢できないらしい。待ちきれないと言わんばかりにシンジに再び問う。

「ここからじゃ奴がいるのかどうかさえ分からねーだ! せめて何者かは知っておくべきだと思うだよ! ちょっと上に行ってみないだか!?」

 そんなシンを見て、シンジもちょっとゆらいでいるらしい。うなって首をひねる。

「そりゃ気になるけどさぁ……。危険な真似はするなって言われてるし、変に相手に気付かれても困るでしょ?」

「て、ことは、気付かれなければ、近づいてもいいだべよな?」

「…………まぁ……そう、なるかな……?」

 シンの発言にシンジの好奇心も相当ゆらいでいるらしい。塔の中が気になるのか、こっそりと塔の中に顔をつっこんだ。シンもすぐそれに続く。

 静かな塔の中は月明かりだけで照らされて、冷たい感じがした。長い螺旋階段は暗闇に続いており、その天辺も静かだった。とても人の雰囲気は感じられない。沈黙に耐えかねて、シンジは塔の中から外にこっそり戻る。シンもこっそりとそれに続く。

「……もしかしたら、もう時計のある天辺にいるのかも……」

 塔のあまりの静けさに、シンジがぽつりとつぶやくと、シンはシンジの袖を引っ張って再び抗議する。

「だべ!? はやく行かないと大変なことになるだべよ!!」

「……そうだね……ばれなきゃいいんだよね」

「そうだべさ!」

 シンの説得に、シンジの好奇心も傾いたらしい。二人は顔を見あわせこくりとうなずくと、静かに塔の中に入った。シンジが静かに螺旋階段を登りだすと、シンは自分の胸あたりに手を当て、ひっそりと呪文を唱えた。

飛翔ヒショウ!」

 すると、シンの胸元にある魔鉱石がポウと静かに光を放ち、シンの身体が静かに宙に浮いた。シンの身に着ける十字がけの布は、一種の魔法アイテムだ。風系の魔術師が呪文を使えば、簡単に空を飛ぶことができる。

 シンはシンジの少し前をゆっくりと飛び、魔導ランプを弱くして道を微力ながら照らした。明かりのレベルは最小で足元がちょっと見える程度だ。あまり明るくしては、相手に気付かれるかもしれないという警戒の表れだ。薄明かりでも、シンジは慣れた足取りで音も立てずに階段を上ってゆく。

「シンは飛べるからいいよね……。歩くのに気も使わないもんね」

 シンジがひそひそとつぶやくと、シンもひそひそと返す。

「その分、道を照らすのは任せるだよ。この階段、あんまり使われてないようだから、ガラクタいっぱいだべ」

「そう考えると、上に行っているかもしれない何者も、空を飛んでいった可能性はあるよね。やっぱり足がない幽霊かも」

 とシンジがちょっと肩を上げて、怖がるそぶりをして見せた。その割には本当におびえている様子はない。それはシンも同様だった。むしろ、犯人に近づいているという心境から、興奮の方が気持ちを占めているようだった。

 だんだん上に近づくにつれ月明かりも明るさを増し、ランプがいらない程、階段がはっきり見えるようになった。シンはランプを消し、シンジより先にそっと天辺に近づいていった。ふわりと音も立てず、天辺のガラス張りの天井からこっそりと天を仰ぐ。ガラス張りの天井からは月が見えた。きれいな星空に、一際かけた月が輝く。ガラス張りの部分は天井の半分を占めていた。残り半分は塔の作り同様、古びた石で作られている。ガラス張りの所からは空しか見えない。と言うことは、どうやら肝心の時計は残り半分の石の天井部分にあるらしい。

 シンはガラス張りの天井を見渡した。一ヶ所に取っ手がついており、丸く金属で縁が作られている。どうやらこのガラス部分が時計元への入り口の扉らしい。見た感じ、上へ持ち上げて開けるタイプの扉だろう。

「……どうするの、シン? 開けてみる?」

 シンに追いついたシンジがささやく。シンはうなずいて、

「ここからじゃ時計が見えないだ。開けてみるしかないだべ」

 と取っ手に手をかける。シンジはそれを見てあわててひそひそとシンに耳打ちする。

「静かにね! 静かにのぞくんだよ!」

「分かってるだべさ!」

 取っ手を持つ手が汗ばんでくる中、シンは慎重しんちょうに取っ手を回した。よほどゆっくり回したおかげか、わずかな物音も立てず取っ手はゆっくり回った。回しきるとシンは静かに一息ついてシンジと目を見合わせる。シンジもうなずいて、二人はそっと扉を開ける。まず小指分、続いて薬指分……。ようやく握りこぶし分上に開けると、二人はこっそりと顔をのぞかせ、そうっと外をのぞいた。

 二人は一瞬息を止めた。

 ……いた。

 二人の予測は正しかった。そこには黒い影があった。石の床から天に向かって伸びる影は異様に長く、不気味に黒い服が風にゆれていた。影は巨大な時計の正面に立っていた。月明かりを受け輝く時計は古びてはいるものの美しかった。白銀に輝く本体の縁、ガラス張りの透明な数字盤にはエメラルド色の石がはめられ、同様に白銀の針が静かに時を刻んでいた。

 風の音とその時計の時を刻む音が静かに響く中、黒い影はその長い腕を伸ばし、時計に向けて声を発した。

『シスマ・ニュクス』

 その途端とたんだ。影の発した呪文を引き金に、時計が崩れ落ちた。時計の縁はいくつにも割れ、カシャンカシャンという音と共に、ガラスの数字盤は粉々にくだけ、数字盤のエメラルドの石もバラバラにくだけ落ちた。まるで星がくだけ散り、星が降るかのごとく。

「何てことするだべ!!」

 とっさにシンが叫びガラスの扉から飛び出した。シンジまでもあまりの出来事に半身飛び出していた。そんな二人の目の前で、くだけ散った時計は静かに地面に落ちていった。

 そして影の目の前に残ったもの――それは黒く、そして炎のようにゆらめく、緑に輝く不思議な宝石だった。影がその宝石に手を伸ばすと、しずくのような形をした宝石はまるでその手のひらが定位置であるかのように、その手の上で浮いていた。

 双子にとって、今まで見たこともない石だった。そして何よりも、強い力を感じた。

「まさか……あれが光の石……?」

 その光景にシンジの口から言葉がもれる。次の瞬間、はるか下の方からガラスのくだける音がした。壊れた時計が地面に落ちたのだ。

「光の石……か。とんだ見間違いだな」

 突然、影が答えた。静かな声だが異様な冷たさがある男の声だ。影はゆっくりとシン達の方を振り向いた。

 その影の姿に二人はぎょっとする。長身な姿に漆黒しっこくのマント。風にゆれるマントの隙間から、青白い服が見え隠れする。死人のように青白い手、指は細長く不気味な力を匂わせ、先ほどの黒い宝石を浮かばせていた。そして何より二人をぎょっとさせたのはその顔だ。白銀の髪に照らされ、そっとのぞかせる顔――。

 真っ白な仮面に、真っ黒に見開かれた目、そして口も真っ黒な空洞だった。何より大きく裂けて不気味に笑ったその表情は、恐ろしい印象を与えた。

「古より伝わる闇の石……。ようやく手に入ったな」

 冷たい声は満足そうにささやいた。男の声に反応するように、手中の宝石は緑の炎をゆらめかせて輝いた。見ているだけで、その宝石に並々ならぬ力があふれていることがわかる。緑の炎はその石がもつ魔力の表れだ。肉眼で見ることができるほど、強力な魔力を秘めているのだ。

「おめー、一体何てことしてるだ!? オラたちの学校の時計壊してるんだべよ!」

 シンはあまりの出来事に、怒りを爆発させた。フタバとの約束なんてすでに頭から飛んでいる。目の前の男に向かって激しく叫んだ。

 歴史的にも価値のある時計であり、その美しさは校内の生徒にとっても、思い入れのある時計なのだ。それを粉々に破壊した相手なのだから怒るのも当たり前だ。

 男はそんなシンの様子を見て、一瞬動きを止めた。仮面で表情は見えない上、その不気味な仮面の表情だ。沈黙ですら威圧感を覚え、シンもシンジも思わず緊張が走る。

「そうか……忘れていたな。確かに時計を破壊したことは謝ろう。目的のためとはいえ乱暴なことをするしかなかったからな」

 仮面の男は声の冷たさを変えずにそう言い放った。その偉そうな物言いに、シンもシンジも怒りを覚えたらしい。扉から全身飛び出して、シンジも相手をにらんだ。シンはキッと相手を強くにらみつけると、指を突きつけて叫んだ。

「本気で悪いなんて思ってないだべな! 謝ってすむような問題じゃないだべ!」

「大体お前、一体何者なんだ!?」

 シンジもシンに続いて叫ぶと、男は腕を大きく払い、マントを風になびかせた。

「お前達に名乗る名などない。私は目的さえ果たせればこんな場所にもお前達にも興味はない」

 と吐き捨て、くるりと背を向けた。怒りから、すかさずシンが一歩踏み出した。

 次の瞬間だ。

 シンが勢いよく男に向かって体当たりを繰り出した。が、それとほぼ同時に男は、顔だけ後ろを向いて、宝石を持たない方の手をシンに向けた。ブオンと風が不気味にゆがむ音がして、シンの身体は男に触れる手前で跳ね返された。その反動で床に倒れこみ、シンの身体はシンジの足元まですべり込む。

「何だべっ!?」

「シン、大丈夫!?」

 シンジはシンの身体を起き上がらせながら、シンは立ち上がりながら男を見た。

「今の見た……」

「ああ、呪文を使わなかっただべ……」

 二人は目線を男に合わせたまま小声でつぶやいた。

 通常の魔法なら図形、数式、呪文を使って術を発生させる。しかしこの男は何の予兆もなしに術を発動させたのだ。しかもシンの身体を簡単に弾き飛ばすほどの威力で。

「この私に刃向かおう等と、おろかな考えは今後持たないことだな……」

 男は一瞥いちべつするように顔を二人に向け言い放った。その声には感情は一切感じさせず、二人の行動などちっとも気にかけていないことが伺えた。それだけ圧倒的な力があることを示しているのだ。

 シンが悔しそうに唇を噛み、燃えるような目線で相手をにらんだ。その手をきつく握り締め、今にも振り上げそうになるところを、シンジが隣で押さえ込んだ。そんなシンジも目には怒気を含ませて相手をにらんでいた。シンの腕をつかむ腕にも力がこもる。

 男が再び後ろを向き、塔の端に向けて歩き出した時、シンが叫んだ。

「待つだ! 一体おめー……何者だべさ!」

 男は再び歩みを止めた。そしてゆっくりと振り向いた。月明かりに照らされ、仮面のその表情は不気味に闇に浮かんでいるように見えた。

「お前達に名乗る名などない。……が、名乗る名があるとしたら……」

 男はまたも大きくマントを払い、床を大きく蹴ってふわりと宙に飛び上がった。

「我が名は『ペルソナ』――この世にありえぬ仮の存在だ――」

 名乗り終わると同時だった。男の身体は、宙に浮かんで一瞬静止すると、今度はマントを風にゆらしながら、急激に塔の下に落下していった。

 二人はあわてて塔の端に走りよった。勢いよく塔の縁につかみより、下を見るが――。

 ――誰もいない……。

 つい先ほど、ここから飛び降りた男の姿はすでにそこにはなく、視界に入るのは、はるか下に広がる校庭の地面だけだった…。

「……き、消えちゃった……」

 シンジが口をぽかんと開けて、下を見たままつぶやく。シンもだまされたような気持ちでただうなずいた。

 夢だったのだろうか……。しかし二人が上を見上げると、今は何もぶら下がっていない時計台の木製の台座だけが空しく立ち尽くしていた。足元には破壊された時計の残骸ざんがいのわずかな欠片が、月明かりに照らされて輝いていた……。


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