第5話
リョウが買ってきた半額のブロッコリーを使って野菜スープを拵え、同じく半額になっていた鯖を焼き始めたミリアは、何やら隣の寝室でこそこそとリョウが電話をしているらしいことに気付いた。
「……そうそう、ミリアが……。猫の絵……。」
ミリアは菜箸を手に持ったまま、寝室の扉に耳を当てる。どうやら自分のことを話しているようであるが、詳しい所までは聞き取れない。ミリアは無理やり右耳を戸に押し付けたが、「ミリアに……勉強を……」などという途切れ途切れの声のあと、完全に静かになった。
しかしすぐさまリョウは晴れ晴れとした顔つきで、部屋から出てきた。戸の前に立ち尽くしていたミリアを見て一瞬驚きはしたものの、すぐ笑顔になり、
「ミリア、もう大丈夫だ。塾なんざこっちから願い下げだ。でもな、お前はちゃあんと高校生になれるぞ。ああ、持つべきものは友達だよなあ。……おい、なんか、焦げ臭くない?」と言った。
リョウが訝し気に台所を覗き込むと、ミリアははっと思い立ってグリルを開けた。そこには鯖の切り身が二切れ、正体不明となった黒さで鎮座していた。ミリアは恐る恐るリョウを見上げた。
「……今日は、……スープがたらふく食いたい気分だったんだよな。魚の入る場所は、ねえぐらいにな。うん。」
電話の相手は翌日すぐに知れた。リョウが夕刻早々とレッスンを終え帰宅した所を、いつものように玄関まで走って出迎えたミリアは、そこに見知らぬ男が立っていることに顔を顰めた。
「ミリア、こちらは、今日からお前の家庭教師をしてくれる先生だ。」
遠慮もなしにミリアは男を凝視する。リョウよりは幾分若いその男は、黒髪を肩下まで伸ばし、着ているTシャツはat the gatesだ。そしてやたら尖ったギターケースを担いでいる。これは形状からしてB.C.RICHのワーロックに相違ない。ワーロック? そして思い当たった。何度か対バンをしたことがある、デスメタルバンドのヴォーカリスト兼ギタリストだということに。
「覚えてんだろ? 先々月やったライブで一緒だった、Lunatic Dawnのユウヤ、否、ユウヤ先生だ。W大学の教育学部っつう所に在籍している学生様で、俺が知る中で最も頭いいメタラーだ。」
「ミリアさん、久しぶり。」
男は笑顔で言った。ミリアは恐る恐る肯いた。
「何か、変な感じだなあ、ミリアさんのギターに、あの時、すっごい感銘受けたんですよ。何か、年齢とか一切超越した凄いギター弾くなあって。しかもあとであのソロも、ミリアさんが考えたって知って、本当ビビった。このままじゃ俺もダメだって、凄ぇあれから練習しまくったし。テクニックだけある子供はいっぱいいるけれど、ミリアさんのは魂っていうか、思いが込められているから、それとは全然違う。本当はそこを、俺が教えてもらいたい所なんだけれど……。」
ユウヤはそう言って照れ笑いを浮かべながらリョウを見上げる。
「ギターだけ弾けたって生きていけねえだろ。とにかくユウヤにはミリアに何とか勉強を教えてやってほしいんだ。人並みにしてくれ、とは言わねえ。何せこいつ、教科書開いた瞬間一つもわからねえっつって泣きやがるんだ、見ちゃいれねえよ。まあ、ちなみに俺もわかんねえんだがな。あっはははは。」
リョウはまあ入れなどと言いながら愛想よくユウヤを中に招き入れた。ミリアは戸惑いながら後を追う。
「でな、ミリアが凄ぇんだ。昨日電話で言った通り。俺も相当なバカだったが、それを超越する逸材だ。先日、担任教師に呼び出しを食らい、高校には行けねえと地獄の宣告を受けた。今までgo to hellだのなんだのって歌ってきたが、ホンマモンの地獄ってえのはああいうことを言うんだな。でな、見てくれ。答案もこのザマだ。」と言ってリョウが猫の書かれた答案を出したその時、ミリアは突然リョウの頬に張り手を食らわした。
リョウは驚いて目を見開く。目の前ではミリアが赤くなった目をひたとリョウに向けていた。
「……嫌い! リョウ、嫌い!」
そう叫ぶとミリアは玄関のサンダルを突っかけ、セーラー服姿のまま家を飛び出した。
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