第3話

 リョウは一体どうしたものかと、夕飯の三色丼を作りながら考え込む。

 ミリアにはとにかく夕飯ができるまでソファで教科書を読むように命じ、ミリアは粛々とそれに従ってはいるものの、がっくりと肩を落とし、その内容に集中しているというよりは理不尽な目に遭わされたと今にも泣き出しそうな気配である。

 しかしリョウにはそれ以外の方途は浮かばない。自分が勉強を教えられる程の頭脳を持っていればいいが、全くそれにかけては自信がない。ギターだったらどんなテクニックであっても教え込める自信があるが、勉強なんぞ何をしたのか、今もって覚えてるものなぞ一つもないのである。

 しかしどうにかミリアを高校と名の付く所に追いやらなければ、これは、あの父親と同じである。つまり虐待である。どうにかミリアに人並みの生活をさせ、人並みの幸福を味わわせてやらねばならない。リョウは使命感に燃えながら、三色丼に乗せるオクラをやたらめったら切り刻んだ。


 「おい、旨いな!」リョウはオクラを啜りながら言う。

 「……うん。旨い。」しかしミリアはやはり元気がない。落胆をしているのはこっちだ、とリョウはげんなりするものの、しかしどうにかミリアに勉強のやる気を出させないといけない。デスメタラーとしては不得手というよりは無理難題に違い課題ではあるが、今までミリアの勉強を放ったらかしにしてきた報いだとばかりに己を叱咤し言い立てた。

 「あのなあ、これ、オクラだろ、納豆だろ、とろろだろ。こういうネバネバしたもん食うと頭良くなるらしいぞ。だからどんどん食って……」

 「ミリア、……頭悪いもん。」

 たしかに、とそう頷きそうになるのをどうにか押しとどめ、「お前は馬鹿じゃねえ! ちゃんと音楽理論完璧に頭入ってんじゃねえか。ギターのコードだって小学校低学年で完全マスターしてんだぞ。そんな奴滅多にいやしねえ。それにそれに、何だ、その……。」リョウは必死に頭を巡らす。「料理だって旨ぇもん作ってくれんじゃねえか。馬鹿に出来る芸当じゃねえよ。」

 ミリアは本当に? とでも問うようにちら、とリョウを見上げる。

 「だから勉強すりゃあ、成績上がんだよ。そして高校生になれんだよ。」

 「リョウは、ミリアが高校生になったらいいと思うの?」

 「ったりめえだろ!」リョウは遂に箸を置いてミリアに迫る。「あのなあ、だから言ったろ? まずはお前に高校生になってもらわなきゃ困んだよ!」さすがにあの父親と同じようになりたくないから、とは公言できずにいると「何で?」ミリアの方が問いかけた。「……そりゃあ、食ってけなくなるかんな。」

 「リョウと結婚すんの。」

 「お前馬鹿か!」馬鹿は禁句だった。リョウは慌てて次の言葉を紡ぎ出す。「兄妹は結婚できねえの! 法律で決まってんの! 言っただろ!」

 「法律変わるかもしんない。」

 「法律が変わっても高校に行かねえ奴とは結婚できねえ。」

 ああああ、ミリアは泣き出す。

 「泣くな、泣くな。高校なんざちっと勉強すればできるって。俺が見てやるから。」何を? 思わずリョウは自問自答する。

 「本当に?」しかしミリアが濡れた瞳を輝かせたものだから、リョウは渋々肯いた。


 何とも味のしない夕飯を食べ終えると、ミリアはテーブルに先程の教科書を広げて見せた。リョウも一緒に覗き込む。しかし広げた所で、二人とも何も、解らない。ミリアは目頭を押さえ、そして肩を震わせた。その姿はあまりにも憐憫を誘ったが、球が落ちる速さがどうのこうのと、リョウにも一向に何を言っているのだか分かりはしない。

 「……何、言ってるのよう、これ。」

 ミリアが泣き顔でリョウを見上げ、リョウは途方に暮れる。

 「俺も、そういうのは、実は、よくわからん。」

 ミリアはばっと両手で顔を覆った。

 「わかった、ミリア、泣くな。今日は英語にしよう。俺、英語は得意だぞ。歌詞全部英語だしな。これなら余裕だ、余裕。」

 リョウは揚々と棚から自分のCDを抜き出すと、ブックレットを引っこ抜きテーブルに叩きつけた。

 「日本語訳は、こうだ。教えてやる。」歌詞の書かれたページをぺらぺらと捲りながら、「まずは、一曲目。……絶望が永遠に続いていく。脱却の術は無い。死が訪れるその瞬間まで。」

 今まで涙を宿していたミリアの瞳がキラキラと輝き出す。

 「……夢も現実も同じ絶望を突き付ける。」ミリアが後を続けた。

 「ほら、お前もう勉強わかっちまったじゃねえか。この調子じゃあ、三十点ぐれえ余裕だな。」と言ってリョウはミリアの背をばんばんと叩いた。「サビはこうだ。どこにも絶望を免れる術は無い。デスラッシュの神が囁く。憎悪の炎で全てを燃やし尽くせ。」

 「勉強」、は日付の変わるまで行われた。

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