ⅩⅠ

 あたしはこれでいいのだろうか?あたしがその事実に気づいたとき、プロムスのギュルがあたしに忠告をしてきた。

「このことはご内密にお願い致します。特にあの4人には……。」

ギュルのあの真剣な顔、今も覚えている。でも本当にこれでいいのだろうか……?


 7月の期末テストが終わって、今日から午前授業になる。教室での話題は早くも夏休みの予定で持ちきりだ。僕はたくさんのプリントを持って霞たちの教室を訪れた。

「1曲目の譜面できたよー!」

「わーい!ありがとう!」

霞が一目散にプリントを置いた机に駆け寄ってくる。そしてクラリネットのパート譜を見つけて目を輝かせながら見ていた。

「すげえ。」

焔が譜面を見て言葉を失っている。

「早く吹きたいなー。」

凪が微笑みながらこう言った。

「ほんとにありがとう。ほかの2曲もよろしく!」

「もちろんです!」

「じゃああたし、幹部で話し合いがあるから行くね。」

そう言って明先輩は教室から出ていった。

「最近忙しそうだね、明先輩。」

「次の部長候補なんだって。」

僕の言葉に霞がすぐに答える。

「へー。でも、僕たちがいなくなったらどうなるの?」

「あくまでも候補だから……。何人かああいう風に呼ばれてる先輩がいるよ。」

「そっか……。」

なんだろう?さっき去っていった明先輩の背中になんか暗いものを感じた気がした。これから何かが起こるような……。

すると誰かがここに向かって走ってくる音が聞こえてきた。

「ついでにこの紙を出そうと思っていたこと忘れてた!団体名はHANCHアンサンブルでいいんだよね?」

明先輩が息切れをしながら聞いてきた。

「はい、そうです!」

「じゃあいってくるね!」

僕が答えると、明先輩はまた教室から出て走っていった。


“有志の紙は出してきた。でもクラスの文化祭のほうはまだ全然まとまってない……。委員会もやらなきゃだし、部活のほうもちゃんと先輩から引き継いでいかなきゃ。うちに帰ったら譜読みをして……。”

 あたしはそんなことを考えながらいつもの教室で練習をしていた。クラスの文化祭係、委員会、部活、今年は特にこの時期やることが多いなと思っていたら、それに追加で、5人でやることになった有志のことまでやることになった。隣の教室から凪が吹いているのびのびとしたホルンの音が聞こえてくる。あたしは負けじとトランペットの音を教室に響かせた。ワイシャツがじっとりと汗で濡れてくる。

あたしは教室の暑い空気に耐えられなくて窓を半開から全開に開けた。外から風が優しくあたしのところを通り抜けていったけれど、そこまで暑さは変わらない。ボーッと窓の外を見ていると、顔だけに熱がこもっているような暑さを感じた。そして視界がグルグルと回るようなめまいを感じ、同時に体から力が抜けその場に座り込んでしまった。体をさっきよりも重く感じる。あたしは壁にもたれかかった。そこから動くことができない。

「暑い……。」

あたしはそれからなにが起こったのか覚えていなかった……。


 さっきから隣で明先輩が吹いているはずのトランペットの音が聞こえない。

“おかしいな。いつもはもっと音が聞こえてくるはずなのに……。”

うちは楽器を近くの机に置いて、明先輩がいるはずの教室まで歩いていった。ゆっくりと教室のドアを開けると、そこには窓のそばにもたれかかっている明先輩の姿があった。

「明先輩!?大丈夫ですか?」

うちは明先輩のほうに急いで向かっていき、肩を揺さぶりながら明先輩の答えを待ち続けた。でも明先輩は答えてくれない。どうすればいいのか、慌ててなにもできないでいると誰かの弱々しい声が聞こえた。

「ムル、ウィント、離れたくないよ。どうしてエードラム王国から出ていかなくちゃいけないの?最後にもう一度会いたいよ……。」

“明先輩、何を言っているの?”

すると、誰かがこっちに向かってきた。

「凪―!セクション練やるよー!」

霞の声が聞こえる。教室の時計を見ると、とっくにセクション練は始まっている時間だった。うちは霞に聞こえるように大声で叫ぶ。異変に気づいてこっちの教室に走ってきた。そしてすぐに自分が持っていたタオルを水道まで濡らしに行って、そのタオルを明先輩の首にかける。

「凪、ワイシャツのボタンを第2ボタンまで開けといて。先生を呼んでくる。」

うちがうなずくと、すぐに教室を出ていった。うちはボタンを開けると、今日持ってきた飲み物の中にスポーツドリンクがあったことを思い出して自分が練習していた教室まで取りに行った。明先輩はまだうなされている。うちはさっきスポーツドリンクと一緒に持ってきた冷たいペットボトルたちを脇の下や頬にあてた。

「冷たい……。」

さっきよりもはっきりとした明先輩の声が聞こえて、うちは少しホッとした。すると霞と先生が教室に入ってきた。

「明のことはこっちでやるから、2人は練習に戻りなさい。」

先生はうちらにそう言ってから、明先輩を保健室に連れていった。

セクション練をしていると、外から救急車の音が聞こえた。明先輩が運ばれていくのだろうか?うちは頭の中で先輩のことを心配しながら、先輩がうなされていたときに言っていた言葉の意味を考えていた。


 薄い鉄の板同士がこすれる音が聞こえる。そして次第に誰かの息の音や話している声が聞こえてきた。あたしが目を覚ますと、薄暗い蛍光灯と点滴袋が目に入った。

「ここは、病院?」

あたしはゆっくりと体を起こした。奥にある窓の外からは黄金に輝く夕焼けとその明るさに照らされた雲の集団が見える。ボーッと眺めていると、部屋のドアが開いた。そして制服姿の霞と凪が入ってくる。

「明先輩、大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫。今日の練習はどうだった?」

「特に何もなかったです。」

「ふーん。そっか。」

何気ない会話を2人とする。でもいつもよりも会話が続かない。2人はあたしに何かを言いたそうにしているように思えた。

「明先輩、正直に答えてください。」

凪が真剣な表情であたしに話しかけてきた。3人の空気が一気に張り詰める。

「明先輩は、本当の記憶を取り戻しているのではないですか?」

あたしは目を見張った。霞も驚いた表情で凪のほうを向く。何故、凪はそのことを知っているのだろうか?

「うち、聞いてしまったんです。明先輩が倒れていたときに、話していた言葉を……。」

「え?どういうこと?」

「先輩、うなされていて……。そのときの言葉に、この前の本に書かれていた単語がいくつかありました。もしかしてと思って聞いてみたんです。」

「なるほどね……。」

あたしはどうしようか考えた。ギュルには固く口止めされているし、話してしまってもいいのかあたしには分からない。あたしは目を閉じてギュルのことを強く思い浮かべた。

“ギュル、今の状況を見ているでしょ?記憶が戻っていること、2人に話してもいい?”

あたしはギュルにこう伝える。するとすぐに返事が返ってきた。

“はい。記憶が戻っていることだけはお話していただいても大丈夫です。しかし、あまり深くはお話にならないで下さい。”

あたしは目を開けた。2人の真剣な表情が再度目に入る。あたしは気持ちを決めて話し始めた。

「そうだよ。あたしは本当の記憶が戻っている。」

2人の顔が固まった。

「どうして、話してくれなかったんですか?」

凪が戸惑った表情であたしに聞いてくる。

「あたしのプロムスに口止めされてて……。本当の記憶を取り戻すには鍵が必要で、みんなには自分の力でその鍵を見つけてほしいんだって。」

「じゃあ、1つ質問に答えてくれませんか?」

霞があたしに聞いてきた。

「私たちの本当の名前を教えてください。今いる2人だけでいいので。」

「それくらいだったらいいけど、聞いてどうするの?」

「どうするってわけではないですけど……、なんとなく聞いてみたかったんです。」

あたしは大きなため息をついた。

「霞の本当の名前が、凪は、そしてあたしが。」

あたしがこう言うと、2人はハッとした表情に変わった。

「その名前、この前夢に出てきました。」と霞が言うと、「明先輩がうなされていたときに言ってました。」と凪も言った。

“なんだ、すでに聞き覚えがあったのか。”

2人が笑い出す。それにつられてあたしも笑った。すると凪がなにかを思い出したように話しだした。

「今日、大変だったんですよ!帰りにディソナンスが出てきて……。最近5人で戦うことに慣れてきて、1人分の穴を埋めるの大変でした!」

「え、そうなの?」

「はい!この前LINEで話したじゃないですか、5人が揃って初めてアンサンブルができるんだって……。だから名前もHANCHにしたんですよね?うちらもそうですけど、あまり無理はしないでください。」

「そうだね。分かった。」

そんな話をしていると、あたしの母が部屋に入ってきた。2人が軽く挨拶すると、時計を見て慌てて帰っていった。あたしは母にこっぴどく叱られて、念のため明日まで入院することを告げられた。あたしはふてくされて壁の方を向いてまた寝た。母がため息をついて部屋を出ていく。あたしはさっき凪が言っていたことを思い出していた。

“5人が揃って初めてアンサンブルができる。無理はしないでください。”

あたしは涙を浮かべながら、この言葉を胸に叩き込んだ。

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