第10話
どれ程歩いただろう。気が付けばハニエルの目の前には城壁が間近に迫っていた。遠くには関所が見えており、兵の姿が確認できる。
そこでハニエルは歩みを止めた。
「うーん、魔術で強行突破かなぁ……。あんまりここに長居したくないし」
深夜とはいえ都の酒場には明かりが灯っており、まばらに人が往き交っていた。加えて先日の化け物騒ぎで巡回が厳しくなっており、兵の数も多い。その場に留まっていればハニエルの素性が明らかになるのも時間の問題だった。
意を決し彼は関所へと足を進める。
「関所の兵が動けなくなれば、王都を危険に晒しますよハニエル様」
聞き覚えのある声に振り返れば、そこにはロゼとグランツが立っていた。
「誰の手引きで王宮を抜け出したのかはわかりませんが、随分やんちゃな時期があったのですね。兵や従者に尋ねても、夜遊びだろうとまともに取り合ってくれませんでしたよ」
心底呆れた様子で語るグランツを見て、ハニエルの顔が引きつった。親のように慕っていた彼に自身の恥ずかしい過去が露見してしまい、気まずい雰囲気が流れる。
「まあそんなことより、僕がここに居るって良くわかったね」
「オリアスを討ちに行こうとしているのです。関所に向かうことくらい容易に想像できます。それに、ハニエル様なら今夜行動を起こされるだろうと思っておりました」
ロゼが淡々と述べる。どうやら彼女には全てお見通しだったようだ。
「それで、僕を連れ戻しに来たのかな?」
ハニエルの目が細められる。彼が動揺している様子はない。どうやら退く気はないのだろう。
対するロゼはそれを受け流すように柔らかく笑ってみせる。
「いいえ、あなたはこうと決めたら決して曲げないお方ですから、無理にでも連れ戻そうものなら実力行使も辞さないでしょう?」
ロゼの指摘はまさにその通りのものだった。ハニエルはうまく抜け出せなければ、いくらか魔術を使ってでも王都から出て行くつもりだった。
さらに彼女は続ける。
「言っても聞かないのです。でしたら私たちも共に着いて行きます。元より王子の殺害を企てる輩を放っておけるわけがありません」
ロゼに続くようにグランツが言う。
「それに国外へ行かれるつもりなのでしょう? ハニエル様は他国を知りません。私たちが一緒の方がより迅速にことが運ぶでしょう」
ロゼもグランツも退く気配は微塵も感じられない。ハニエルが出国を頑なに強行するのと同じくらいに、二人からは並々ならぬ気迫が感じられた。
「どうあっても退く気はないんだね?」
「ええ。あなたの決意と同じくらいに退く気はありません。どうしても嫌なら力ずくで私たちを振り切ってくださいまし」
ロゼの言葉にハニエルはこめかみを押さえる。そしてはぁっと大きな溜め息を吐くと、目を少し伏せて笑った。
「しょうがないなぁ……」
そう言ってハニエルは顔を上げて困ったように笑う。
内心一人で不安だったのだ。旧知の仲である二人が一緒に居てくれるということは、彼にとって大きな心の支えである。
同行を承諾された二人は安堵の息を漏らした。
「早速ですがハニエル様にはこちらを羽織って頂きます」
そう言ってグランツが寄こしたのは魔術師が着用するローブだ。
「関所を抜ける際、魔術師の一人という扱いで通過しようと思います」
「私とグランツ様で作戦は練ってありますので任せてください」
二人の準備の良さにハニエルが舌を巻く。王の護衛として立ち回っていた手腕は伊達じゃない。
すると、三人の背後から馬の足音が聞こえて来た。
慌ててローブを羽織り、フードを目深に被る。やって来たのは巡回の兵士だった。
「ロゼ様、どうしてここへ……」
「夜間の見回りよ。城壁外をぐるっと一周しようと思って」
「それでしたら馬と兵を用意しましょう」
そう言って去ろうとする兵士をロゼが呼び止める。壁の外まで兵が一緒では脱走の意味がない。
「大丈夫よ。エルトーツの剣姫ロゼ・バルキリーと、なによりグランツ様が同行してくださるのだから大事ないわ」
やや大袈裟に紹介すれば、兵も納得したのか歩みを止めた。
「そちらの魔術師は?」
兵士の目はハニエルを見ていた。
フードを剥がされやしないかと、その場に緊張が走る。
そのとき、グランツが口を開いた。
「先日魔獣騒ぎがあったと聞いていたのでな、すまないが魔術師を一人借りていくぞ」
落ち着いた声で説明をすれば、兵は顔を和らげ引き下がる。
「そうでしたか。ああ、魔術師一人だけで大丈夫ですか?」
「問題ない。一番腕の良い魔術師を連れて来たからな」
「一番? まさかハニエル様ですか?」
茶化す兵士の言葉に一同の表情が固まった。悟られないようにグランツが大きく咳払いをする。どうやら兵士は気付いていないようだった。
「関所の者には私から伝えておきますよ。皆様どうぞお気を付けて!」
そう言って兵士は馬を走らせる。恐らく関所の者に報告に向かったのだろう。何事もなければこのまま関所を通過できるはずだ。
「行きましょうハニエル様」
ロゼに促されハニエルは歩みを進める。少し先では関所の門が口を開けてハニエルたちを待っていた。
「行ってきます」
ハニエルは一度だけ振り返ると、吸い込まれるように闇の中へと消えていく。夜のうちになるべく距離を稼いでおかなければならない。
ハニエルはふと、空を見上げる。広大な星空には欠けた月が輝いていた。
夜明けまではまだ遠い。
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