第15話 古く悪臭のする召使いの館②
それから研吾は現状の建物を調べていっていた。研吾付きの召使いであるミルファーは何をしているのかと興味深げに顔をのぞかせていた。バルドールは工事中に召使いたちが泊まる場所の確保をしに町に出ている。他の召使いたちも仕事に出てしまったのでここには研吾とミルファーの二人だけしかいなかった。
「ケンゴ様、壁を叩いて何をされているのですか?」
「一応叩くことでこの奥に下地となる材料が入ってるかわかるんだけど……」
「下地ってなんですか?」
「だと思ったよ。この壁には全く何も入っていないからね。本当にどうやってもっているのか不思議だよ」
研吾は顔を近づけ、目を凝らして興味深そうに壁を見る。
「多分、この建物は四隅にある石柱で持ってるんだろうけど……増築のしすぎで本当に訳が分からなくなってるね」
「……すみません」
なんだか申し訳なく思ってきたミルファーは自分がした訳じゃないけど気が付いた時には謝っていた。
「いやいや、謝って欲しい訳じゃないけど……難しいね」
今までの依頼はあっさりとこなしていた研吾がここにきて真剣に頭を悩ませていた。
「とにかく一通り見させてもらうね。話はそれからだよ。それとミルファー、別に俺に敬語は必要ないよ。いつか言おうと思っていたんだけどせっかくだからね」
「そうは言われましても、ケンゴ様はケンゴ様ですから……」
「なんだか堅苦しい感じがするんだよね。一緒に依頼をこなしていく仲間なんだから一考してくれると嬉しいな」
「わかりました」
そう言われても研吾とミルファーでは立場が違った。国王のお気に入りで直接依頼を頼まれる研吾とただの召使いであるミルファー。とても言葉を崩すなんて考えられなかった。
研吾は次にシャワー室を覗きに行った。ここも相当年季が入っており淡い水色の石が張ってある部屋なのだが、その石は所々割れ、また、それを張り付けている防水液も劣化からか切れてきており、石と石の間に隙間が出来てきていた。
「ここもなんだか変な臭いがしますね」
「私が入った時からしてましたのでこういったものだと思ってました」
研吾の手伝いをするまでは気づかなかったが、普通はこういった臭いがしないものらしい。そのことを知ると急にここが不潔なものに感じられた。
ここも少し咳き込みながら研吾は調べていく。そして、一通り見終わったあと次の部屋へと向かった。
次はトイレ。ここはさすがに二人では入れないのでミルファーは外で待っていた。すると、先ほどより臭いがひどいここから出てきた研吾は少し涙目になっていた。
「よ、よくこんなところに入れるね……」
掃除はしているつもりだがどうしてもこびりついた臭いが取れなかった。ここを入る時はみな臭いは嗅がないようになるべく早く済ませていた。
「慣れです!」
詳しく説明する理由もないので一言そう言う。
「そうか……」
研吾もデリケートな部分だと思ったのかそれ以上聞いてくることもなかった。
そして、次はそれぞれの部屋だけど、さすがに当人がいない時に見るのは悪いと思ったのか、中まで入ることはなかった。
「この部屋って何人部屋なの?」
「私のところは二人部屋ですね。ただ、これはまちまちです。一人の人もいれば三人部屋の人もいます」
「つまり部屋の大きさもそれぞれ違うのか。これは工事が始まったら修正する必要があるな」
更にメモをとっていく研吾。その書き込みはいつもの倍以上の量となっていた。
「あの、ケンゴ様? 無理はしないでくださいね」
心配になったミルファーは研吾に視線を送る。
「大丈夫ですよ。任せてください!」
本当に全てできるかもと思えるほど自信たっぷりに答える研吾。他の人ならそれで安心できるのだろうけど、なんでだろう。ミルファーはどこか胸のモヤモヤを感じていた。
次の日、ミルファーはいつもと同じようにバルドールと一緒に研吾を起こしにやってきた。
「ケンゴ様、朝ですよー! 起きていらっしゃいますか?」
扉をノックしながら声をかける。しかし、中からは物音一つしない。まさかと思いもう一度声をかけた上で部屋の中に入る。
「ケンゴ様、大丈夫ですか!?」
すると、研吾は机に突っ伏して眠っていた。顔の下には紙が引かれ、遅くまで建築の計画を練っていたのが重々見て取れる。
「ケンゴ様、起きてください!」
眠っている研吾の肩を少し揺する。するとゆっくりと瞼を開け、眠たそうに擦っていた。
「あれっ、ミルファー? それにバルドールも……。どうしたの?」
「もう朝ですよ。それにベッドで眠られた方がいいですよ」
「あっ……、そうか。あのあとみんなの意見をまとめててそのまま眠ってしまったのか……」
研吾はテーブルの上に散らかった紙をまとめていく。そして、それらをカバンにしまい込むと大きく伸びをし、両ほほを手で叩く。それで気合の入れた研吾は立ち上がり今日の予定を説明してくれる。しかし、その目には隈がついており無理をしていることは一目瞭然だった。
今日は以前アンドリュー宅改装の時も買いに来た設備機器屋にやってきた。
「ケンゴ様、いきなり設備から買われるのですか?」
「まだ買わないよ。ただ、設備面の要望が多かったからね。値段の確認をしておこうと思ってね」
確かにそれは必要な事だけど、値段を聞いて驚かないかミルファーはそれが不安だった。
「き、金貨15枚? そんなにかかるんですか!?」
店員の人に値段を聞いて研吾は驚いていた。
「え、えぇ、こちらのキッチンは最新型ですのでやはりそれだけ値段がかかりますね」
研吾は何とか値下げしてもらおうと交渉していた。しかし、最新型キッチンという事もあり値段は中々下がらない。
「それならトイレとお風呂、シャワー、全てセットで値下げしてもらえないですか?」
まだ必死に食らいついている。そして、必要な設備の数を説明していた。
「ふむ……、全て購入いただけるようでしたら少しは値下げさせていただきましょう」
そう言うと一つ一つの値段を教えていってくれる。しかし、そのどれもが安いとは言い難い値段だった。
「わかりました。購入する際にはまた来させていただきますね」
お店から出た瞬間に研吾は大きなため息を吐く。
「あの……、ケンゴ様? あの要望は皆が思い思いに言ったことですから全てを満たす必要はないのですよ?」
ミルファーはなんとなく研吾がそのことについて引っかかってるのではと思い聞いてみる。
「うん、それはわかってるけど、できることなら全て叶えたいよね。それに最初から諦めるのと色々と考えた結果ダメだったじゃ説得力が違うよ」
そう言いながら研吾は再び思案に入る。
そして、今日の所はそのまま別れることになった。
それからしばらくの間研吾は自分の部屋に籠って紙と格闘をしていた。それを後ろから眺めるミルファー。何か手伝えることがあればフォローするつもりでいたが、あいにくと研吾はミルファーに頼ることなく一人で格闘していた。
しかし、それだけ考えていても中々まとまらないようで何度も頭を抱えては顔を左右に振り、紙を丸め、その辺に捨てる。それを邪魔にならないように拾うとゴミ箱に捨てる。今の所ミルファーに出来ることはそれだけだった。
「ケンゴ様、そろそろ休憩を……」
ずっと作業をし続けている研吾を心配してミルファーは声をかけるが研吾にはその言葉が届いていないようだった。
それが一日、また一日と日が過ぎていくにつれて研吾の顔に疲労の色が濃く映り、今に倒れてもおかしくないような状態になっていた。
さすがにこれ以上はダメだと思い、ミルファーはそのことをバルドールに相談してみた。
「バルドール様、あれ以上ケンゴ様が働き続けたら倒れられてしまうのでは?」
「そうだよな。研吾はちょっと根を詰めすぎだよな。でも俺の話も聞いてくれないしどうしたものか?」
頭を抱え悩むバルドールだがすぐに妙案が思い浮かんだようだった。
「そうだ! ミルファー、お前が研吾に膝枕でもしてやるんだ! うん、我ながら良い案だ」
何度も首を縦に頷くバルドールだが、その意見がミルファーにとって良いものには感じられなかった。
「ちょ、ちょっと待ってください。膝枕? 私がするのですか?」
「当然だろう。他に誰がするんだ?」
「で、でも……ケンゴ様だって私にされたら迷惑ではないでしょうか?」
顔を赤くし、もぞもぞと手を動かしているミルファーにバルドールは何か察する。
「あぁ、とにかく他に案がないから一度試してみるといい」
必死に考え事をしている研吾の部屋に再びやってくる。まだ頭をかきながら図面を睨みつけていた。
そこには設備の値段、必要な個数、その他の要望、などが書かれていた。そして、図面は何度も書いては消しての繰り返しを行っているようだ。
「ケンゴ様……」
ミルファーはケンゴの隣に立ち、声をかける。しかしその言葉に気づいてもらえない。
「ケンゴ様、少し休んでください!」
それでも気づいてもらえないので、何とか気づいてもらえる方法を考える。そして、思いついたことを恥ずかしいながらも実行する。
おそらく顔は真っ赤に染まっているだろう。
必死に考え事をする研吾の後ろから抱きつく。
「えっ、あっ、ミルファー? ど、どうしたの?」
今までのことに全く気づいていないようでいきなりこう言ったことをされた研吾は困惑気味に聞いてくる。
「あんまり無茶はしないでください」
研吾を抱きしめたまま今にも泣き出しそうな声で言う。
「大丈夫。今はそれよりこの図面を仕上げないと!」
「それが無茶だって言ってるんですよ。せめて今は休んでください」
「そうは言っても図面が……。早く仕上げないと……」
何かに取りつかれるように図面を書こうとする。どうして研吾がここまでしようとするのか。そういえば前に研吾自身から聞いた覚えがある。
自分は元いたところで毎日朝早くから夜遅くまで働かされていた。
それもやりたくないことを延々と……。それに比べたら今はやりたいことだけを出来るので幸せだと……。
それでも……。それでも体を壊されたら元の子もないですよ。
ミルファーは抱きつく手を更に強める。
「ケンゴ様は頑張ってますよ。でも今はゆっくりと休んでください」
それでもなんとか抵抗しようとする研吾だが既に体の方は限界だったようでミルファーにもたれかかるようにそのまま寝入ってしまった。
その安らかな寝顔を見てると思わず胸の奥が熱くなるのを感じる。しかし、それがどういったことかもわからずにミルファーはそのまま研吾をベッドへと運び、その側の椅子に腰かけた。
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