Interlude
とある海辺
夢を見た。
幽体は絶対に眠れない。だから、夢とは言ったものの、たぶん気のせいなのだと思う。たぶん、横たわっているうちに無意識の空想世界へと没入していただけのこと。いわゆる白昼夢のなかへと。
でも、不思議な夢だった。
鳥瞰すれば正五角形になるだろうガゼボ、その4面には腰高の木柵が設えられてある。さらに、それぞれの柵の内側にはベンチが取りつけられ、ベンチに包囲される中央には、チッペンデールを想起させる猫脚の丸テーブルが据えられてある。
確か、アニメ映画『紅の豚』に、これとよく似た建物が出てきたような記憶が。
開かれている屋外の景色はといえば、手前側にわずかな石畳のスペースを置き、その向こう側に海が広がっている。水面は凪いでいて、しかし沖は際限なく彼方へと伸び、水平線は霞んで消失。船舶の類は1隻として航っておらず、カモメやウミネコも1羽として翔んでいない。雄大な景色なのに、どことなく物悲しい。
空は青い。薄雲のレースさえもかかっていない快晴。まるで真夏を思わせる青さだけれど、暑くはない。そうといって寒くもなく、涼しい。私は、深まりはじめの秋の空をイメージした。
しんと静まりかえっている奇妙な海辺、その汀に建つガゼボの出入口に私がたたずんでいる。正五角形の1辺、柵のないスペースに立ち、吹き抜けの向こう側に広がる紺碧の海を、靄のかかる頭で眺めている。
記憶にない景色のただなかに立ちつくし、神秘的な気持ちと普遍的な気持ちの両方を抱えている。はじめて訪れた場所なのに、あたりまえの景色だとも思っている。どっちつかずで、足もとがふわふわ。
と──、
「──空美」
前方、視界のどこかから、声がした。
「あなたに、謝らなくては」
吐息だけでできている女の声。
「摂理の宿命とはいえ、空美に対して、永く永く罪悪感をおぼえていた」
視線をおろす。
向かって左のベンチに、まっ白なワンピースをまとう女が腰かけていた。柵の手すりに左の肘を寝かせ、寄りかかるようにしながら、彼女もまた海の彼方を望んでいる。
わずかに覗く横顔のチーク、半袖からこぼれる腕、スカートから伸びるふくらはぎ──どれもが新雪のように白い。病的な白さではなく、まるで絵画のような白さ。この世には実在しない、でも身近な、まるで女神のような白さ。神々しいとはまさにこのこと。
反面、髪は黒い。悪魔的な漆黒が、まっすぐに腰のあたりまで伸びている。
陰と陽を併せる妖しい女。黒髪に隔てられていて面立ちは判然としないものの、観相10代後半ぐらいと推測させる幼い雰囲気がある。ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの描く、木の幹に腰かけるオフィーリアが脳裏をよぎった。
脚を組み、落ち着いている。でも、私の目には疲弊しきっているようにも見えた。落胆と絶望の末、すべてをあきらめてしまったかのよう。いまにも折れてしまいそうな肢体のいたるところに、虚無のシャドウがかかって見える。
「ごめんなさい。空美」
音になっていない声。囁き。なのに、ちゃんと耳に届く。無音の世界ということもあるけれど、彼女の吐息のなかに、切なる情が込められていると感じるからなのだろう。
だけど、私は、
「……あなたは?」
そう考えることだけで限界だった。思考回路がまとまらない。頭のなかに靄がかかってる。
「だれ、ですか?」
すると彼女は、
「マルガレータ・フォン・ヴァルデック」
「マルガレータ……?」
「私の、名前」
ゆっくりと、噛みしめるように囁いた。
この名前、どこかで聞いたことがある。
だけど、思いだせない。
頭が上手にまわらない。
「どうか、ゆるしてほしい」
立ちつくす私をよそに、マルガレータと名乗る女は、さらに囁きを紡ぐ。
「望まぬ静けさを、空美にあたえることを」
「望まぬ、静けさ?」
「いまではない、いつの日か」
「どういう……?」
「それが、
「……ごろうじょ?」
すると、マルガレータは、
「今日は、ここまで」
そう置いて、手すりに寝かせる左の前腕へと、静かに白い額を乗せた。まるで、眠りにつくよう。
「もう、戻る時間」
「もどる?」
「呼んでいる」
「え?」
「空美を呼ぶ音が、聴こえる」
「音?」
あぁ、言われてみれば、確かに。
無音の世界に、音色が。
聴こえる。
聴こえる。
聴こえる。
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