第11話 手を繋いで
十秒くらいでしょうか。
何も言わずにふたりで見つめ合っていると、
「……あっ!」
「私、水で……」
「水で流してくれましたよね? 蛇口から流れる水は完全に流水ですよね?」
「そう、ですよね……」
前髪で目が隠れてしまうくらい俯いて、八美夜さんが頷きました。意気消沈してしまっているのが、ありありとわかります。
「……もしかして、」
案外大丈夫なのかもしれませんね。
彩七さんがそう言いかけようとするも、
「……違うんです……! 私、嘘じゃないんです……!」
八美夜さんは大きく首を横に振りました。長い黒髪が波打つように大きく揺れています。
「八美夜さん……?」
想像していなかった反応に、彩七さんの思考はぴたっと止まってしまいました。一体何が違うのかと。
なんとなく気まずい空気の中、八美夜さんが顔を上げると彼女の目にはまた大粒の涙が溜まっていました。
「私だって、本当は外に出たいんです……! みなさんとご一緒出来るのが昨日からずっと嬉しくて……! でも、怖いんです……! 私……雨が……!」
今にも泣き出しそうな顔と悲痛な声。
涙を流していないというだけで、本質的には泣いているのかもしれません。
(……もしかして、私に責められるって思ったのかな?)
そう考えるとすごく申し訳なくて、
(だって八美夜さんは木下モク太郎って画家が好きで。雨が苦手で。……苦手なことのせいで好きなことを諦めるのってなんかこう……むなしいよね? ……うん)
やっぱりどうにかしてあげたいなという気持ちがわいてきます。
「八美夜さん」
「え……?」
「ちょっと待っててください(多分あれならいけるはず)」
安心させるように目を細めて頷くと、彩七さんは一時部屋をあとにするのでした。
「いってらっしゃい。気をつけてねぇ」
「うん。行ってきます」
お姉さんに見送られながら彩七さんは玄関のドアを開きました。
傘を差すのか迷ってしまうくらいの小雨でしたが、雨はまだ降り続いています。
「……あの、本当に行くんですか……?」
「はい。大丈夫です。絶対濡れないですから」
背後から聞こえる八美夜さんの声にバッチリですと答えます。
長靴。
フード付きのレインスーツ(上下)。
ゴム手袋。
マスク。
アイマスク。
これらのアイテムを完璧に装備した今の八美夜さんが傘まで差したら、雨に濡れる可能性はほとんどないと言っていいでしょう。本人の再生能力も合わせって、まさに難攻不落の要塞と化しています。無敵です、無敵。
「……あの、アイマスクって必要だったでしょうか……?」
「やっぱり怖いものを直視するのって大変かなって思って」
「見えないほうが怖いこともあるような気が……」
「大丈夫です。少しずつ慣れていきましょう」
「雨にですか……?」
「どっちもです」
マスク&アイマスクのせいで見えないものの、恐らく不安そうな顔をしているであろう八美夜さんを励まします。
(いきなりは無理かもしれないけど、少しずつ慣れていけば平気なんじゃないかな? 多分、本人の気持ちの問題って感じだと思うし。それに、真っ暗なほうが夜っぽくて吸血鬼的にはよさそう)
そんなことを適当に考えていると、
「ドラぁ。早くするドラぁ」
前の道路に停めてある車から、
家の前とはいえ、いつまでも道路に車を停めていたら迷惑になってしまうでしょう。
「すみませーん。今行きまーす(まだおでこに書いてある……)」
返事をしてなんとなく八美夜さんのことを見やります。
マスク&アイマスクのせいでやっぱり顔は見えませんが、緊張しているのがそれでも伝わってきました。
「八美夜さん、大丈夫ですよ。平気平気」
「で、ですが……。この姿で歩いているのを見られたら、怪しい人だと思われませんか……?」
「大丈夫ですよ。八美夜さん、人じゃないですし」
「で、でも、もしかしたら、警察の方に職務質問されるかもしれませんし……」
「大丈夫ですって。されるとしたら、私かドラさんですよ(八美夜さん、格好的に被害者って感じだし)」
「そ、そうかもしれませんが……」
それでも及び腰な八美夜さん。このままでは雨がやむ前に日が暮れてしまうかもしれません。
(……あ、そうだ)
目の見えない八美夜さんをリードするため、彩七さんは右手で彼女の左手を握りました。
「あ……」
「行きますよ? 八美夜さん」
ふたりして傘を差すと、彩七さんは八美夜さんに先んじて玄関から外の世界へと一歩踏み出しました。大冒険の始まりです。
「大丈夫ですよ。ほら」
安心させるように声をかけ、八美夜さんの手を引きます。
「わ、わっ……」
彼女の足取りはおっかなびっくりだったものの、ふたりは確かに屋外に出ました。傘にぶつかる雨音がその証拠です。
「ね?」
「……絶対に離しちゃダメですからね……?」
「わかってますって」
返事をしながらまた一歩。
八美夜さんはビクビクしつつも、彩七さんの後ろについてきます。
(なんか、親鳥と雛鳥みたい)
敷地を出るまでの二メートルほどの距離を、八美夜さんの手を引きながらゆっくりゆっくり歩みます。
「……絶対に、絶対ですよ……!?」
「はいはい」
念には念を押す八美夜さんには適当な相づちを。
大人っぽい見た目と子供じみた仕草のギャップに、不謹慎ながら可愛らしいなぁといつのまにか彩七さんは微笑んでいたのでした。
(どこかに放置して遠くから観察したいなぁ……)
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