第10話 雨は平気ですか?
どうして雨が怖いのかわからないものの、
コンコン。
と静かに二度ノックしてから、
「八美夜さん? 彩七です」
ドアに向かって呼びかけつつノブに手を。
(これ、入ってもいいのかな……?)
八美夜さんの返事はありませんでしたが、鍵は開いています。
「失礼します……」
恐る恐る。ゆっくりとドアを開いていくと、廊下の明かりが部屋の中へと少しずつ広がっていくのがわかりました。
閉まったままの黄色いカーテン。
まだ開封されていない段ボール箱。
八美夜さんはベッドの
「八美夜さん。大丈夫ですか?」
尋ねずにいられません。彩七さんの目には八美夜さんの身体がふるふると震えているようにも見えたのです。
「彩七さん……」
ゆっくりと彩七さんの顔を見上げ……
一瞬だけ目線を伏せ、
「……あの!」
八美夜さんは振り絞るように声を出しました。それは彩七さんが聞いた彼女の声の中で、一番大きなものでした。
「……私のためにみなさんが時間を割いてくれたというのに……本当にすみませんでした……」
頭を下げる八美夜さんの肩は、ように、ではなく、しっかりと震えています。
「……頭を上げてください。誰も八美夜さんを責めようだなんて思ってないですよ」
「……では、何故……?」
恐る恐る八美夜さんが頭を上げて尋ねます。
「もしかしたら力になれるかもって(なれないかもしれないけど)。なんで雨が怖いのか、教えてくれませんか?」
「彩七さん……」
全然怒ってないですよと彩七さんが微笑みかけると、八美夜さんは目元を指先で
「……ありがとうございます」
「いえいえ。お気になさらず。それで? ひょっとして雷が怖いんですか? 確かに大きな音が鳴りますもんね」
「いえ、そうわけでは……。もちろん、雷も怖いですけど……当たるとすごい痛いですし」
「当たったことがあるみたいな口ぶりですねそれ(確か一千万分の一だっけ?)」
「びっくりして一瞬で灰になっちゃいました……」
「昨日も一瞬で灰になってませんでしたっけ? ……まぁ、雷の話は置いておくとして。じゃあ一体何が怖いんですか?」
「だから雨が怖いんです……」
「雨が? 雨って、あの雨そのものです、よね?」
空から降ってくるあれ。
(大雨で土砂崩れとか洪水になったら怖いけど、雨そのものが怖いというのはわかるようでわからないような……)
顎に指を当て、どういうことなのだろうと頭を働かせていると、八美夜さんがその答えを教えてくれました。
「彩七さんはご存じないようですね……」
「何をですか?(宇宙の真理とか?)」
「私たち吸血鬼にとって日光が毒であることはご存じですか……?」
「はい、そりゃあまぁ」
あまりにも有名な話です。だから吸血鬼は夜に活動するのだと、彩七さんは何かの小説で見たことがありました。
「日光と同じように、吸血鬼は流水に触れることが出来ないと言われているのです……」
「流水……?」
「読んで字の如く、流れる水です……。そして、雨は天から流れ落ちる水……故に私は雨の中を行くことが出来ないのです……」
日光と同じようにと聞き、彩七さんはなるほどと思いました。
(日光レベルってことは生命の危機なのかな。……昨日もびっくりして死んでたけど)
彩七さんは情報を租借するように頷いて、
(……)
頷いて、
(……)
頷いて、
(……?)
やっぱり小首をかしげます。
「……あれ? そういえば、昨日はどうやってうちまで来たんですか? すっごくいいお天気でしたけど」
「ええ、春にしては暑いくらいでした……。ですが、日焼け止めクリームを念入りに塗っていたので……」
「それで大丈夫なんですか?」
「最近のクリームは効き目がよいので……」
「その気持ちはよくわかります(塗り心地も年々よくなってますし)」
吸血鬼も安心ともなれば、日焼け止めクリームもいよいよ来るところまで来た感じがあります。
(でもまぁ、その話は置いておくとして……)
どこのクリームを使っているのか聞きたい気持ちを抑えて、話を流水についてに戻します。
「……ちょっと待ってください。さっき、吸血鬼は流水に触れることが出来ないと言われている、って言いましたよね?」
「はい……」
「ということは、
「はい……。パソコンにそう書いてありました……」
「パソコン? ああ、何かのサイトにですか?」
「さいと……? パソコンです……」
「……つまり、実際に雨に打たれたことや、雨に打たれる吸血鬼を見たことは、」
「ないです……。だって、パソコンに書いてあったんですよ……?」
何を言ってるんですか?と不思議そうにしている八美夜さんには申し訳なさを覚えつつ、
(うわ、馬鹿っぽくて可愛い……)
彩七さんは思わず微笑んでしまいそうになりました。相手が小学生だったら「しょうがないよね。パソコンに書いてあったんだもんね。よしよし」と頭を撫でていたところです。なんならお菓子まであげちゃうかもしれません。
「……あ、そうだ。お風呂は?」
パチンと彩七さんが両手を叩くも、どうやら質問の意図が伝わっていないらしく、八美夜さんはゆっくりと首を捻ります。
「お風呂は入りますか?」
「はい……。それが何か……?」
「湯船は大丈夫なんですか?」
「あ……」
そういえば……と八美夜さんの口がポカッと開きました。どうやら虫歯はなさそうです。
「あ、あれは大量の液体が溜められているだけで動いてはいませんから……」
「じゃあ、シャワーは使いますか?」
「はい……。頭や身体を洗ったあとに……」
「シャワーは完全に流水ですよね?」
「え……」
まるで鳩が豆鉄砲を食ったようにキョトンとしたかと思えば、
「そ、そうですよね……!? 私、シャワー……あれ……!?」
今度は目を大きく見開いて頭を抱える八美夜さん。
「……ち、違います……! ノーカウントです……!」
「ノーカウント?」
「そ、そうです……! ノーカウントです……! シャワーはお湯ですから……。流水は水なんですきっと……!」
「なるほど?(なるほど?)」
明らかに無理があるように聞こえましたが、
(私も吸血鬼博士ってわけじゃないしなぁ……)
もしかしたら本当にお湯なら平気な可能性もあり、彩七さんには判断が難しい問題です。
(……ん? お湯……?)
そういえばと思い出し、八美夜さんに確認してみます。
「……八美夜さん。昨日、歓迎会のあと、片付けを手伝ってくれましたよね?」
「はい……。皆さんには素晴らしい会を開いていただいたので……」
「お姉ちゃんと
「はい……」
「洗い流すとき、お湯じゃなくて水で流しましたよね?」
「それは……確かお水だったと思います……。冷たくないですか?って彩七さんが気遣ってくださったような記憶があるので……」
「水でしたよね?」
「はい、お水でした……。それが何か……?」
「え? いや、それが何かではなくて、」
「はい……?」
「え?」
「はい……?」
「え?(あれあれあれ?)」
あまりにも疑問を抱かずに疑問符を漏らす八美夜さんにつられ、
(水ってなんだっけ……?)
彩七さんもちょっとよくわからなくなってきてしまうのでした。
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