02:速やかなフラグ回収
ローファーは森を歩くには適していない。
(生き返って早々、こんなサバイバル経験をさせられるなら、ジャージとスニーカーのコンボで良かったわ)
歩き出してゆうに三十分は経っただろうか。
腰に巻きつけたダッフルコートは何度も茂みに引っかかるため、厳重に袖を縛った。
下草を踏む度に、緑の汁がローファーを汚す。
茂みを強引に身体で割り、垂れさがる蔦を手と枝で払い、巨大な蜘蛛の巣は迂回し、倒木をまたいで歩く。
真ん丸な体躯の生物を見かけた。二頭身にデフォルメした雀のような生物。
地面をつっつく様子がとても可愛らしくて和んだ。
鮮やかな青い花の咲く花畑では妖精が飛んでいた。
頭に触角、背中に半透明の綺麗な羽根を生やした小さな妖精が、仲間たちと笑いながら花の蜜を吸っていた。
意外とこの世界は平和なのかもしれない。
(あのスライムも、見た目は凄く弱そうだったし、実はこの世界の魔物はみんな大したことないのかも)
などと、呑気に考えていると。
がさ、という音が聞こえた。
右手の茂みを震わせる音。
反射的にそちらを見る。
申し訳程度についた足で二足歩行する、緑色のニンジンのような植物がいた。
体長は三メートルくらいか。見上げるほど大きい。
頭には毒々しい紫色の花。
身体の半分を占める大きな口の中で、乱杭歯が林立している。
口の上には濁った二つの目。鼻に当たる器官はない。
蔦のような触手のようなものが身体の各所から生え、うねうねと動いていた。
スライムとは全く違う、恐ろしい姿に、さーっと顔から血の気が引いていく。
やはりこの世界は優しいだけではない。
こんな恐ろしい魔物が徘徊しているのだ。
「……フラグ回収早すぎじゃない?」
呆然と魔物を見上げ、半ば現実逃避しながら呟く。
一方で、心臓が激しく脈動を始めた。
逃げろと本能が金切り声で叫んでいる。
(馬鹿なこと言ってる場合!? 逃げなきゃ。逃げないと! 生き返ったばかりでまた死ぬなんて嫌!!)
震える足に力を込め、どうにか一歩を踏み出し、歩き、やがて走り出す。
相手は大きい。まさかあの巨体と小さな足で新菜よりも俊足ということはないだろう。そうであることを切に願う。
幸い、巨体は追いかけてこなかった。
どうにか逃げ切れそうだ。
ほっとした矢先に、右足を蔓に絡めとられた。
左足にも別の蔓が巻き付く。
絶望的な気分で悟る。
魔物本体が鈍重でも関係なかった。
魔物には自由自在に伸びる蔓があるのだから。
(――そんなのあり?)
身体ごと引っ張られ、持ち上げられる。
視界がぐるりと回り、上下さかさまの状態で止まる。
魔物は身体を逆くの字に曲げ、のけぞるような姿勢で、大きな口をさらに大きく開けている。
歯と歯を薄緑色の涎が繋ぎ、口の端からだらだら零れている。
「わ、私なんて食べたっておいしくないよ!? 食あたり起こすって! 寝込んじゃうから! いやほんとに!!」
あまりのおぞましさに、涙目で訴える。
頭の中は完全にパニックで、自分でも何を口走っているのかわからない。
四肢を無理矢理に動かすが、拘束が強すぎる。
絡みついた蔓はびくともしない。
「そうだ、あの木の上にいる鳥とかどう!? 鳥ってヘルシーで高タンパク低カロリーでオススメだよ!? 鳥が嫌いなら鹿とか猪とかさ!? 森の奥にいるかもしれないじゃん!? 諦めずに頑張って探そうよ! 絶対私よりおいしいから! なんなら一緒に探すの手伝ってあぎゃ――!!」
魂を込めた必死の訴えは無視された。
身体ごと引っ張られ、景色が滑り、凶器そのものの歯が迫る。
(もうダメ――!!)
新菜は死を覚悟し、強く目を閉じた。
刹那。
鈍い音が連続して耳に届いた。
梱包用の紐をカッターで断ち切ったときのような音。
そして、前方へと引っ張られていた勢いが消失した。
身体の拘束も緩む。
重力に負けて落下した身体を、誰かが抱き留めた。
(……へ)
気が付けば、新菜は誰かの腕の中にいた。俗に言うお姫様抱っこ状態だ。
しかし何か違和感がある。
人間の手にしては、異様に大きくて、皮膚がざらざらしているような――
(へ? なに? 何事!?)
赤面しながら視線を上げれば、端正な顔がすぐそこにあって、心臓が口から飛び出るかと思った。
新菜を抱きかかえ、見下ろしているのは二十歳前後と思しき青年。
野良仕事用なのか、服はシンプルなシャツとズボン。
飾り気のない服装だからこそ、彼の気品と美しさが引き立っている。
月光のように煌く銀髪はひと房だけ伸ばし、綺麗な組み紐でまとめていた。
何より印象的なのは、その瞳。
様々な色が混ざり合い、光の加減で色が違って見える。
――虹色の瞳。
(なんて綺麗な目なんだろう)
思わず見惚れていると、それを嫌うように、青年は新菜を地面に下ろした。
そこで気づく。
彼の左手は至って普通の人間のものだが、肘近くまでまくり上げられたシャツの右袖、その下の形状は人とかけ離れていた。
銀色の鱗に覆われた皮膚に、鋭い爪。
たとえるなら竜の前脚だ。
彼に抱きかかえられたときに覚えた違和感はこのせいだったらしい。
(この人……人間じゃないの!?)
びっくりしている間に、彼は魔物に向き直り、突進していった。
静から動への切り替えがとんでもなく速い。
身体能力が人間を越えている。
疾駆する彼の姿を目が追いきれなかった。
彼は魔物の前まで移動し、その右手の鋭い爪で魔物を斬りつけた、らしい。
あまりにも速くて何がどうなったのかよくわからない。
新菜の目に映ったのは、緑色の血を噴き出しながら倒れる魔物の姿。
軽い地響きを立てて仰向けに倒れ、やがて魔物は動かなくなった。
青年の異形の右手が人間のそれになる。まるで手品だ。
彼は調子を確かめるように、右手を軽く開いたり閉じたりしている。
「……あ、あの。ありがとうございました」
立ち上がってその背中に声をかけると、彼は動きを止めた。
まくり上げていた袖を下ろし、こちらを振り返る。
何を考えているのか判然としない、無表情。
虹色の瞳が新菜を見つめる。
射貫くような強い瞳だったが、新菜は目を逸らさなかった。
(大丈夫。この人はわたしを助けてくれた。たとえ人間じゃなくても、敵じゃない。疑うのは失礼だ)
もし彼が敵だとしたら、魔物から助けられた時点で襲われるなり食べられるなりしていたことだろう。
歩み寄ると、彼は身構えた。
どうやらかなり警戒心が強い人(?)らしい。
その警戒心を解くべく、にっこり笑う。
「わたし、平岡新菜っていいます。お名前を聞いてもいいでしょうか?」
「……。……人間に名乗るつもりはない」
低く透き通った声で、彼はそっけなく言った。
「お前を助けたのだって、ただの気まぐれだ」
彼は立ち去るそぶりを見せた。
「待ってください!」
慌てて引き留めると、肩越しに彼が振り向いた。
明らかに迷惑そうだが、でも、もう一人で森をさまようのは嫌だ。
また魔物に遭遇すれば、今度こそ命の保証はない。
「わたし、迷子なんです! 迷子というか、信じられないとは思いますが、気づいたらこの森にいたんです! 出口を知っていたら教えてもらえませんか?」
まくしたてると、何故か彼は驚いたような顔をした。
新菜の頭のてっぺんから足のつま先までざっと眺め、「ああ……」と、納得したように言う。
「リエラの招き人か」
「りえらのまねきびと?」
首を傾げる。
「異世界の人間」
「!!??」
まさかそのものずばりを言い当てられるとは思わず、新菜は目を剥いた。
「どうしてわかったんですか!?」
「ごくまれにそういう人間が現れる。特にここはパルスラインが走る場所だから、何が起きても不思議じゃない……そうか。リエラの招き人なら、そこまで警戒することはなかったな」
彼はひとりごちるように呟いた。
「? ええと、何を言っているのかよくわからないんですが、この世界の人はあなたに危害を加えようとしたりするんですか?」
「ああ。いまは人型を取っているが、おれは竜だから」
「あなた、竜だったんですね!?」
新菜はぱあっと顔を輝かせた。
変化した右手が竜のようだと思ったが、大当たりだったらしい。
「わたし、竜大好きなんです! でもわたしの世界では本やゲームの中にしか存在しないものだったから、こうして会えるなんて夢みたい! それも、あなたみたいに綺麗な竜に!」
新菜の反応が予想外だったらしく、彼は目をぱちくりさせた。
「……綺麗だなんて、どうしてわかる?」
「わかりますよ! 人型でもこんなに綺麗じゃないですか! 完全に竜になったときなんてもう、それはそれは綺麗に決まってるじゃないですか!」
己の語彙力のなさを悔やみながら力説する。
「陽を浴びて輝く白銀の鱗、青空を悠々と羽ばたく姿――ああ、想像するだけでときめきます……!」
手を組んでうっとりしていると。
「……綺麗かどうかは知らないが」
彼は困ったように目を逸らした。
「竜は人間に狙われるんだ。爪や牙や鱗は、武器や防具に。血液や内臓は薬に。余った肉は食用になるからな。一頭狩るだけでひと財産になる」
「ああ、なるほど……」
「人間は本当にしつこい。見つけたら地の果てまで追いかけてくる。あいつらのせいで、もう何度棲み処を変えてきたことか……襲われて死にかけた回数も、一度や二度じゃ済まない」
「大変だったんですね……」
憮然とした表情で語る彼に、新菜はそう言うことしかできなかった。
新菜もゲームでは張り切って竜退治をしていたが、もしも竜が実在したとして、彼らの立場になって考えるとたまったものではないだろう。
何もしてないのにある日いきなり襲撃されるのだから。
「ただでさえ竜は狙われるが、おれはさらに人間が欲しがるものを持ってる」
彼は長い人差し指で自身の目を指した。
「この目だ。一部の銀竜しか持たない、稀少な虹色の瞳。これを売れば人間が一生遊んで暮らしても、まだ余るほどの大金になる」
「そうなんですか……でも、これまで大変な目に遭ってきたのに、よくわたしを助けてくれましたね?」
心底不思議に思って尋ねる。
彼にとって人間は憎むべき敵であるはずだ。
新菜が逆の立場だったら、とっさに助けられるかどうか。自信がない。
「……まあ、人間にも良い奴はいるって知ってるからな」
彼は言い訳するように言った。
「優しいんですね」
身体の前で手を組み、微笑む。
「……ただの気まぐれだって言っただろう」
彼は美しい銀色の髪をふわりと翻した。
「あ、待ってください。あなたに置いて行かれたら死ぬしかないんです! お願いします、見捨てないで!」
新菜は慌てて彼の後を追った。
見知らぬ人間の生死など知ったことかと突き放されたらどうしようと思ったのだが、彼はただ一言、ぶっきらぼうな調子で。
「ハクア」
「え?」
「おれの名だ」
新菜は目を見開いた。
名前を教えるということは、つまり少しは心を開いてくれたということだ。
見捨てずにいてくれるらしい。
「……はい! ハクアさん!」
新菜は歓喜して、彼の後に続いた。
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