その二
まさか山の中で呼ばれているとはつゆ知らず、俺は寝殿、つまりこの邸の主の部屋にいた。
「もう一度申してみよ、草野」
「はあ、だからですね、盗まれた直衣束帯を取り返しに行かれたみたいなんですよ。で、現在行方不明。危ないからって止めたんですけど」
さっきから何べん同じ台詞言わせるつもりだこのおっさん。
ぶるぶる震える手や髭を眺めていても狭霧様は戻らない。
とりあえず、下男どもに邸の周りを探させてはみたが無駄だった。
今のところ目撃情報もない。
あの人、こういう時だけ有能だからなあ。
「ゔお゛お゛お゛ん゛!かわっかわいそうな狭霧!儂が少し出仕しておる間にこんなことになっているとはぁあ゛あ゛!」
あーあ、こりゃ元服どころじゃなくなってきたな。
「えーつきましては、この草野がお迎えに上がろうかと」
「ゔむ!ゔむ!そうしてくれ!頼んだぞ草野、お前がっお前だけが頼りだあ゛ぁあ」
わんわん泣きながら寄って来られ、ばれない程度に後ずさる。汚い。
「あー…まあ、お任せください。一応これでも狭霧様の乳兄弟なんで。できるだけのことはしてみます」
賊に捕まってなけりゃいいけど。
ー草野…おい草野、どこにいるんだ。
ー主人が大変な時に側にいないなんて、従者失格だぞ。
『何言ってるんすか、勝手に飛び出していったくせに』
ーふん、僕が天邪鬼なの知っててああいう言い方したんだろ。
ーその辺察して追いかけてこいよ。
『それは無理です。俺、転職したんで』
ーは?転職?何言ってんだ?
ーお前は僕の乳兄弟だろ?
ー僕の従者以外に何するんだよ。
『まあいろいろですよ、いろいろ。あ、一応予備の衣、虫干してますんで。さいならー』
ーちょ、おい!草野!
待てよ、待って!
「待てってば!」
「うおっ危な!」
「なんだ…夢か…」
がばりと起き上がると穴ぼこだらけの壁が見えた。
というか、ほとんど崩れかけじゃないか。
どこだここ。
「やっと気ぃついたか。自分運が良かったなあ、わいがたまたま通りかからんかったらそのままお陀仏やったで」
「…え」
声のした方を見ると、鬼がいた。
「うぎゃあっ、ぼぼ僕は美味しくないぞ!草野っ草野ーー!」
赤銅色の肌に八尺はありそうな背丈、おまけに髪は雑草みたく伸び放題で、物語に出てきた鬼そのものだ。
「ちょ、おい!落ち着きや!わいは人や人!鬼やあらへん!」
「へ?」
鬼、じゃない?
何やら必死に否定する声の主をもう一度、しげしげと見てみる。
「…誰だお前」
さっきは慌てて勘違いしたが、よく見てみるとなるほど、自分で言うとおり人間のようだ。
かなり人間離れしてるけど。
ようやく冷静さを取り戻した僕に、そいつは畏れ多くも文句を言ってきた。
「助けといてもらってそれかいな。最近の餓鬼は躾がなっとらんわー」
どうやら僕を運んで介抱したのはこの男らしい。
まあこんな山の中でいたいけな美少年が倒れてたんだ、当然の対応だろう。
口のきき方がなってないが、その大義に免じて特別に不問ということにしておく。
「んで?こんな山奥で何してたん。その身なりや、どこぞの貴族やろ。花見には早いで」
「…盗品を探してる」
なるべく事情は明かしたくないんだが、しかたない。
じーっと見つめられてしぶしぶ口を開く。
「諦め、まず見つからんわ。とっくに売り飛ばされとる」
「そんなの分からないだろう、盗られたのは昨日の今日なんだし。それにもし売り飛ばされたなら買い戻すまでだ」
断言すると、鬼擬きが不思議そうに体を揺らす。
「けったいやなぁ、そんな必死になる物なんか?金なら有り余っとるやろ」
「世間体と自尊心の問題だ。それに金を積んだからって簡単に手に入るものでもない」
「ふーん?何なん?その品物って」
ふん、聞いて驚くなよ。
「直衣束帯、それも特注のな。糸の選別から始めて完成に一年近くかかったんだぞ」
「…それってもしかして、これか?」
ばさっと目の前で広げられたそれは、正しく今僕が語ってみせたものだった。
「へーえ賊はお前だったのか。左大臣家から盗むとはい〜い度胸だ。検非違使に突き出してやる」
ゆらりと立ち上がる僕に、奴は慌てて待ったをかけた。
「ちょ、ちょお待ちぃな!わいは頼まれただけや!」
「誰に」
「誰にって…おっさんや。どこにでもおりそうなのっぺり顔の。身なりはまあまあやったけどな」
「なんて頼んできたんだ」
「ええと、たしか…見取図渡されてこの部屋にあるって。あと忍びこむ時間も指定されたてたわ。変やなーとは思たけど報酬は半分前払いにしてくれたしま、いっかなあ…て」
ほれ見ろ草野、やっぱり僕のにらんだ通り誰かの差金じゃないか。
…ちょうどいい、少し懲らしめてやろう。
「おい、お前。要は金が入れば、その衣は用無しなんだろ」
「ま、まあな」
僕が奥ゆかしい笑みを浮かべると、鬼擬きが少し距離をとる。
とことん無礼な奴だ。
「喜べ。たっぷり稼がせてやる、この狭霧がな」
左の君はたとえ本人が糞であろうと、左大臣のご子息である。
「ほう…延期とな」
なので、病(嘘だけど)ともなれば形だけでも見舞いは多い。
そんな方々を上手く言いくるめて追い返すのも俺の仕事だ。面倒くさい。
「いやぁ実は、あれでもだいぶ緊張してたみたいでして…」
「臥せってしまわれたと」
誰だったかなーこの人、たしかへのへのもへじみたいな名前だったような気がするんだけど。
「ええ、まあ。ちょっとした知恵熱でしょう。祈祷するほどでもありませんよ。ただ、今はどなたにもお会いしたくないと駄々をこねてるんです」
しれっとしながら記憶を漁り続ける。
うーん、思い出せん。
左大臣の取り巻きの一人なのは間違いないんだが。
いっそのこと不細工だったら逆に印象に残るのに、残念な人だ。
「それはそれは…では出直すことにいたそう。狭霧様によろしくお伝え願えますかな」
そう言ってあっさり帰っていく。
何のこたない、普通の反応だ。
「…でもああいうのに限って、腹じゃ何考えてんだか分からないんだよな」
予想通りの対応に、牛車の中でほくそ笑む。
白々しく病などと言っていたが、今頃血眼であの装束を探し回っているに違いない。
ふん、散々見せびらかした分後には退けまい。
せいぜい這いつくばるがいいわ。
この大納言、茂辺が見届けようぞ。
あの糞餓鬼が次、どんな顔で出てくるか今からもう楽しみで楽しみでしかたない。
「お帰りなさいませ。左の君のご加減はいかがでしたか」
「お控えになった元服の儀を憂えていらっしゃるようだ。お気持ちを考えてお会いはせなんだ」
出迎えの従者にそう告げると、寝殿へと向かう。
今ならいい歌が詠めるぞ。
そうだ、なんなら元服の祝いとして贈ってやるか。
しかし、喜びも束の間。
「は…⁉︎な、なな」
御簾をくぐると、とんでもないものが目に飛び込んできた。
「なぜ私の部屋にあるんだ⁉︎」
なんと、盗ませたはずの直衣束帯がちょーんと衣掛にかかっているではないか。
「どうなさいました、何か不調法でも…」
「い、いや、何でもない!いいか、誰も入るでないぞ!」
「は、はあ」
御簾の影が下がるのを見届けると、力が抜けた。
置かれた畳に座り込む。
あ、危ないところだった。
誰ぞに見られでもしたら身の破滅だ。
なぜ左の君の直衣束帯が、私の邸にあるのかと追求されかねない。
「賊め…!あれだけ衣は処分しろと言っておいたのに」
今一度、いまいましい衣を見やる。
どうしてくれよう。
「そうだ、誰か!誰かおらぬか!」
「は、ここに」
「火鉢を持って参れ」
燃やしてしまおう、そうしよう。
跡形もなく燃えてしまえば、もう証拠はない。
さすが私。
「へ?あ、あの…」
「なんだ?早ようせい!」
「炭をもう抜いておりまして、使われるのでしたら今一度炭を買いにやりませぬと…」
……そうであった。
先日、もう要らぬだろうとしまわせたのをすっかり忘れておった。
「あの、いかがいたしましょうか?」
「…いや、もう炭売りもなかなかつかまらぬであろう。下がれ」
一人、部屋の中をぐるぐる回って思案する。
「お、そうだ」
足を止め寝所をごそごそ漁る。
確かこの辺りに…。
「おお!あったあった!」
手にした短刀を鞘から抜いてみる。
物の怪や賊に襲われた時の護身用で、使ったことはないが、まあ切れぬことはなかろう。
憎たらしい衣を振り向く。
「燃やせぬのなら、細切れにして雑巾にしてくれるわ」
一年がかりの衣がなんだ、こっちは十数年かけてやっと大納言までのぼりつめたんだぞ。
ここまで出世して、名さえまともに覚えない生意気な餓鬼のお守りなどまっぴらごめんだ。
へのへのもへじではない、茂辺だっつーの!
「ふん、裏地まで紋様か。大した凝りようだこと」
…まあ、確かに切り刻むには惜しい名品ではあるが。
いったいいくらしたんだろうか。
下手したら私が持ってる荘園丸ごと投げうっても足りないほどかもしれない。
「ぐ…」
も、もったいない。
背丈が合えば私が欲しいくらいだ。
頭では切らねばと思うのに手が動かん。
「こ、こんなもの、こんな」
だ、だめだ…切れん。
うう、貧乏症のこの身が恨めしい。
しかし、このままここに置いておくわけには…。
「失礼いたします」
「⁉︎呼んでおらぬぞ!」
び、びっくりしたー。
胸の辺りを押さえつつ何とか声を出す。
「は、申し訳ございませぬ。実は、妙な女人がお目通り願いたいと門の前に来ておりまして…」
はあ?この忙しい時に、今それどころではないわ。
「どこぞの姫の方違えでもあるまい。追い返せ」
「あの」
「?何だ?まずい相手なのか?」
「いえ、それがその、この邸に不穏な気配がすると言ってまして…放置すると大納言の御身が危うい、とのことでして」
目の前の直衣束帯を見つめる。
「通せ」
女人は一人ではなく二人で、それも大女と女童であった。
怪しい。
しかし、あれをいまだ寝殿に置きっ放しにしている以上無視できまい。
「して。我が身が危ういとはどういうことであろうか」
なるべく平静を装い尋ねると、女童が口を開いた。
「恐れながら、大納言は生霊に取り憑かれておいでです」
「な、」
「と、姫が申しております」
姫、と呼ばれた大女を見遣ると御簾の向こうでうなずくのが分かる。
取り憑かれている?この私が?生霊に?
んな馬鹿な。
「……確証は」
また女童が大女に近づき、こそこそ何やら話す。
「今、大納言のお手元にあって、処分にお困りの品があるのでは?」
「う」
あ、ある。確かに。
「元の持ち主が執着のあまり、その品に生霊となって取り憑いているのです。とのことです」
「それはまことか⁉︎」
それなら私の寝所にあったのもうなずける。
賊がいらぬ気を回したにしては綺麗に整えられていた。
衣の掛け方など知らぬだろうしな。
となると、あれはひとりでに…。
「ななな何とかならないだろうか、除霊とか祈祷とか」
真っ先に思い浮かぶのはあの糞餓鬼だ。
もし生霊の正体が奴なら、危ういどころではない。確実に殺られる。
「生霊の正体にお心当たりは?」
「…ない!ないが、どんな輩かは大体分かるぞっ。執念深いのはもちろんだが、人を散々いたぶってこけにする残虐極まりない質だ!とにかく凶悪なのだ!か、金はいくらでも出そう!何か方法があるのだろう⁉︎」
「…あるにはありますが、除霊にはいくつか手順を踏まねばなりません」
「かまわん、早くしてくれ」
女の陰陽師など聞いたこともないが、この際気にしていられない。
「かしこまりました。では禊から始めましょう」
冷水がなみなみ入った桶を前に、駄目元で聞いてみる。
「やはり、冷水でなくてはならぬか…?」
「はい」
火鉢を片したとはいえ、まだまだ肌寒いこの時季に冷水など浴びたくない。
うう、他に方法はないのか。
「さ、早うなさいませ。生霊は今この時も御身を狙っておりますぞ。とのことです」
大女と女童がせっついてくる。
……ええい、一時の辛抱だ!
ばしゃ。
「ぶえっくしゅっ!さ、さささ寒い」
あっという間に着物が水を吸って、肌に貼りつく。
こ、これを全身にするのか。
「さあ、どんどん参りましょう」
女童が勢いよく水をぶっかけてくる。
見た目は若紫を思わせるほど愛らしいのに、まるで鬼の所業だ。
大女も壺装束のまま、微動だにしない。
「ちょ、待っ」
「間をおいてはなりませぬ、生霊につけこまれますよ。そーれ!」
「冷たっおい!冷たい!」
怒鳴りつけようにも、体が、かじかんで。
「全身隈なく清めなければなりません。はーい次!」
「ぶっ…ひ、ひぃぃい!助け、くしゅっ、ぶぇーっくしゅ!」
なんでこんな目に合わなくてはならんのだ。
「ごほっごほごほっ…うう、さ、寒い。頭がくらくらする」
「生霊が抵抗しているのです。あと三日は辛抱なされませ」
御簾の向こうから声が聞こえてくる。
あいつらか。
そうか、あの後すぐさま体が熱くなり寝所に引っ込んだのであったな。
てかこれ風邪ひいただけなんじゃ。
「さて、次は本体ですね」
「ごほっ本体…?」
まだあるのか…。
「はい。いくら身を清めても、本体を引き離さなければ生霊は祓えませぬ」
「本体?…もしや」
上から上着を掛けてごまかしている、例の衣装に目がいく。
「ええ。今お手元に置かれている、その品です」
「処分してくれるのか?」
「…秘密裏に由緒ある寺院に預けるしかありません。時間も費用もかかりますが…よろしいですね」
「しかたあるまい…」
取り殺されては元も子もない。
まあ、あの左の君に一杯食わせたのだ。それで良しとするかな。
「では、この衣は引き取らせていただきます。もう御身に害をなすことはないでしょう。費用は今頂いても?」
「従者から受け取りなさい、ぶぁっくゅ!手間賃もはずもう。ずび、もう二度とここには現れないように」
中身の見えぬよう箱に入れて引き渡し、何とかそれだけ言うと再び横になる。
あー疲れた。
やはり左の君はろくなもんじゃない。
今後は少し距離をとるか…。
しかしこの時、実は手間賃どころか荘園ひとつを手離すほどの金をむしり取られており、かつ今まで以上に左の君にこき使われるはめになるとは全っ然!夢にも!思わなかったのであーる。
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