第67話 レガリア・ジェイド

 アヤメの周囲が木の根も見えない程に、真っ暗になって、すぐだった。

 ざわり、と耳のそばで葉が擦れる音がしたと思うと、周りが眩い光に包まれる。



「アヤメ!」

「アヤメちゃん!」「アヤメちゃん!」


 アヤメを出迎えたのは光だけでなく、声もだった。

 ミーミルと、セツカ、リッカの声だ。


 アヤメは目をしょぼしょぼさせながら、周囲を見渡す。

 周囲には兵士達や亜人種達が人垣を作っていた。


「みんな……?」


 どうにか地上に戻って来たのだ。

 戻って来たら浦島太郎状態になっていないか不安になったが、それほど時間は経っていなかったらしい。

 

「良かった!」「良かった!」


 セツカとリッカがアヤメに抱きつく。


「無事に戻ってこれた……」


 二人の抱擁で、これがちゃんとした現実であると認識できた。

 とんでもない相手に出会ってきたので、何か現実とのズレがあったりするのでは、と思っていたが大丈夫のようだ。


「どこいってたんだ?」


 ミーミルの質問に、アヤメは信じて貰えないだろうなぁ、と思いながもも答える。


「……ええと……現神に会ってた」

「大丈夫だったのか?」


「うん……まあ大丈夫なような、大丈夫じゃないような。ていうか随分あっさり信じるね」

「この双子が、ずっと言ってたんだよ。アヤメちゃんが、今、現神に会ってるって」


 アヤメは驚いた表情で二人を見る。



「何となく、そんな気がしたの。どうしてかは分からないけど」



 セツカは首を傾げながら答えた。

 

 やはり二人は現神と深い場所で繋がっているのだろう。

 現神『アオイ』の言葉を信じるならば問題はないはずだが、ある程度は様子を見る事が必要となるかもしれない。



「下に沈んでから、どれくらい時間たったか分かります?」

「おおよそ三十分程ですね」


 アヤメの質問に、レガリアが時計を見ながら答える。


「それくらいかぁ……あの、セツカ、リッカ。立ち上がるから放して」

「うん……」「うん」


 二人は少し名残惜しそうにしながら、アヤメから離れた。

 ようやくアヤメは地面に立ち上がる。


「上の方は、あれから何も無かったですか?」

「特に問題はありません。部隊の編成やネーネ族の安否確認も終わっております。情報の共有もアヤメ様がいない間に済ませておきました。アヤメ様が行方不明の状況で、いつ、どんな事が起きるか分かりませんでしたからね」

 

 レガリアはテキパキと答える。

 やはりレガリアは有能だった。


 中央で参謀みたいな仕事について欲しいくらいである。



「……で、それは何を?」


 そして気にはなっていたが、アヤメは突っ込むのを後回しにしていた事をレガリアに聞く。



 アヤメとは別に、人垣ができていた。

 そこには体を縄で縛られた男が正座している。



「実はアヤメ様が戻られるのを待っていたのです。今からアイリス帝国転覆を狙った逆賊の裁きを行わねばなりません」



 レガリアが男の横に立つ。

 レガリアの表情は急に硬く、口調も冷ややかになった。



 途中参加で事情が分からないアヤメにも、辺りに不穏な空気が満ちている事が分かった。


 

「今回の件の、責任の殆どはジェイド家の当主にあります。ですので、それ相応の罰を与えねばなりません」


 

 レガリアは静かに言う。




 

 地面に座らされている男はレガリアの父親――マキシウス・ジェイドその人だった。



 


「別にいいって言ってるんだが」

「そうはいきません。これは必要な事なのです」

「こう言って聞かないんだ。何とか言ってやってくれ、アヤメ」


 ミーミルは冷たく言い放つレガリアに困ったような表情を浮かべる。

 

「私は……」

 

 マキシウスは項垂れたまま、呟く。

 

「私は、取返しの付かない事をしてしまったのです。裁かれて当然の事を……。ですが、私だけです。私だけが、全てを計画し、実行しました。息子達は何の関係もないのです。ですから、私はどうなっても構いません。一族……家族にだけはどうかお慈悲を――」


 マキシウスはそう言って、アヤメに懇願する。



 

「……ね、これどうなってるの?」


 アヤメは小声でミーミルに聞く。


「一族郎党皆殺しを恐れてんだろ」

「そんなことしないし!」


「法律の問題なんだよ。俺達は皇帝だから、未遂でも罪が半端ないらしい」

「うっ」


 アヤメは短く声を上げる。

 確かに『皇帝暗殺』なんて、未遂だとしても死刑になりそうだった。


「アベル」

「なんでしょうか」


 とりあえずアヤメはアベルに確認してみた。


「皇帝暗殺未遂で捕まったらどうなるの?」

「即座に死刑です」

「しけいかぁー」


 やはり予想通り極刑であった。


「法の上では、首謀者だけでなく一族も罰を受けます」

「どんな罰?」


「一族も死刑ですね……」

「おもい……」

「アイリス帝国は帝国ですので、皇帝を暗殺しようとするなど本来は絶対にあってはならない事ですから」


 皇帝を殺害するという事は、帝国を滅ぼす事に等しい。

 そんな重罪ならば、一族が処刑されてもおかしくは……。


「あれ、ちょっと待って。それってレガリアとかジオとかパークスも死刑!?」

「本来は、そうなります。ですがジェイド家一族を処断してしまうと、帝国に大きな歪が生じます。南部領を統治していた者がいなくなってしまうので。その辺りには法とは別に、政治的判断が入るのではないでしょうか」


「政治的判断……って?」

「私の口からは、これ以上は申せません……」


 アベルは言い淀む。

 どうやら大人の事情っぽかった。



「むむー」



 アヤメは唸る。



 普通なら一族皆殺しだが、四大貴族は帝国に必要な存在ゆえ見逃すべき。



 恐らく、そういう話なのだろう。



 だが、ただで見逃すのは不可能である。

 それはマキシウスの犠牲によって成される特赦なのだ。


 となると、ここでマキシウスを処刑しなければパークス達も罪に問われる?


 つまりマキシウスは、ここで……。



「アヤメ様。ミーミル様」



 レガリアはいきなり二人に向かって膝をついた。


「帝国を護るべきジェイド家。それも現当主が、皇帝暗殺を企てたなど、あってはならぬ事。この度の不祥事は、長男である私の自らの手によって決着をつけたいと思います」


 レガリアはそう言うと、マキシウスに向かって剣を抜く。


「ネーネ族の方々よ。この場を汚す事をお許しください。長きに渡りあなた方を苦しめた存在を、今、ここで断たねばならないのです。いえ、ここで、今こそ、断つべきなのです」


 そう言ってレガリアはネーネ族に頭を下げる。

 その様子にネーネ族は困惑していた。


 確かにマキシウスに苦しめられていたのは確かなのだろう。

 だがあくまで、それは間接的であり全ての首謀者は神護者である。

 マキシウスも騙されていた一人だ。


 ならば何もそこまでしなくても――という空気が辺りを支配する。


「皇帝に刃を向ける事は、絶対に許される事ではありません」


 そんな空気を感じ取ったレガリアは、はっきりと断言する。


「パークスは皇帝の剣を受けた者。その身内に皇帝殺しを企てた人間など、いてはならない。そうでしょう、ミーミル様」

「わ、わたしに振られても」


 ミーミルはオロオロするばかりであった。


 それも当然である。

 目の前で一人の人間が処刑されようとしているのだ。



 

 マキシウスは首を垂れたまま、微動だにしない。

 あれは自分の首を飛ばせ、という意思表示だろう。

 すでに死を覚悟している。

 

 しかも処刑しようとしているのは、息子である。

 親の首を、息子が打とうとしているのである。



 

 そんなもの、戸惑わない方がおかしい。


 

「ね、何とかならないの!?」


 アヤメは、今度はパークスに聞く。


「――父は、裁きを受けねばならないのです」


 パークスはアヤメの問いには答えず、俯いたまま言った。

 

 アヤメはジオを見る。

 ジオも腕組みして仁王立ちしたまま、微動だにしない。

 父親の最後の瞬間を見つめているだけだ。


 

 そうしている間にも、レガリアは抜身の剣を携えたまま、父親の傍に歩いていく。

 剣をゆっくりと振りかぶる。


 ネーネ族のざわめきが大きくなった。


 

「これより皇帝暗殺を企てた大罪人、マキシウス・ジェイドの処刑を行う!」


 

 そう言ってレガリアは声を張り上げる。



「えっ、もう!? 裁判とかしないの!?」


 突然の展開にアヤメが声をあげる。


「た、確かに死刑が確定するような重罪で、容疑が明確な場合は、裁判無しで処刑も可能ですが――」


 アベルもやや焦った声を出す。


 皇帝暗殺は、アイリス帝国の根幹を揺るがしかねない重罪である。

 一般人ならば間違いなく一族郎党は全員が死刑となるだろう。

 それ程の汚名をすすぐには、これくらいしなければならないかもしれない。


 それでも息子が、しかも長男が親の処刑を直接行うなど、後から大問題になってもおかしくは――。




「――!」




 アベルはそこで気づく。


 だからこそ、なのだ。


 後から問題が起きたとしても、レガリアが引き受けるつもりなのだ。

 だからこそ今、自ら剣を取っている。

 そうすれば。




 ――何かあっても自分が、パークスやジオの身代わりになる事ができる。




 そこまで考えての行動なのではないか。

 いや、間違いなく考えている。



 何故なら彼はレガリア・ジェイドなのだから。

  

 

「――マキシウス・ジェイド。最後に何か言い残す事は無いか」


 レガリアはマキシウスに問う。

 これが最後の、父と子の会話になると確信しながら。


「……」



 マキシウスはレガリアを見上げた。


 最も非力な息子だった。

 武の才能が無い子だと思っていた。


 だが、今はとても力強く見える。

 自分を遥かに超える機転の良さに恐ろしさすら感じた。

 いつの間に、こんなに成長したのか。


 

 ジオも力ばかりの男だと思っていたが、この状況をちゃんと理解し、動かない。


 そうだ。

 ここは当主が犠牲になり、一族を生かさねばならない場面なのだ。

 マキシウスは腕組みしたジオの指が二の腕に深く食い込んでいるのを見て、安心した。


 

 そしてパークス。


 我が一族から、剣の英雄が出た。

 パークス・ジェイドの名は帝国の歴史に永久に残るだろう。

 最も才能があった息子が、ついに開花したのだ。



 十分だ。

 もはや思い残す事は無い。


 

 自分が無知で、愚かだった。

 息子達は、こんなに素晴らしい人間へと育ってくれていた。

 それに気づけなかった。


 これはその報いである。

 

 

 そしてマキシウスは最後に、こう言い遺した。

 


「お前達――大きく、なったな」



 それまで一切、表情を崩さなかったレガリアの顔が歪む。

 剣が、僅かに震える。



 それもほんの一瞬だけだった。



「去らばだ。親父」


 レガリアの剣が、マキシウスの首に向かって、振り下ろされた。







「それはだめです!」


 アヤメが突然、割り込んできた。

 

 まるで瞬間移動したかのように、滑り込んでくる。

 もちろん剣を止める暇など無い。

 

 アヤメは右手で振り下ろされたレガリアの剣を止める。

 素手で刃物を掴んだのだ。

 

「アヤメ様!? 何という事を!!」

 

 せめて苦痛のないように、と全力で振り下ろした刃である。

 子供の腕など、簡単に切断される威力だ。


 レガリアは柄から手を離し、アヤメの右手を剣から外す。

 そしてまともに刃が食い込んだ掌を見る。



 無傷だった。



「大丈夫。ちょっとちくっとしただけ」

「…………」


 レガリアは少しの間、放心したが、すぐに自分を取り戻す。


「あ、いえ、それより何故です!? ここで止めては意味がありません!」

「意味がないのはこっち! せっかく助けたのに!」


「それは感謝しております。ですが、それとこれとはまた別の話です! 戦場で仲間を助ける事と、罪を犯した者を然るべき方法で処罰するのは全く別の話なのです!」

「それは分かってる、けど……!」


 レガリアの言葉は正論である。

 私刑と死刑の違いは分かっている。


 ここで犠牲が必要なのも分かる。

 きっと日本でいう切腹と同じような事なのだろう。

 誰かの犠牲で、家を守ろうとしている。


 それも分かっている。




「で、でも……でも、嫌なの!」




 上手く言葉が出てこなかった。

 気持ちを言葉にしただけだ。

 理屈も何もない。


 だが、それはその場にいた全員の心情を、完璧なまでに形にしたものだった。



「嫌……ですか」


 

 余りに素直な言葉。


 もはや子供の駄々であった。

 もちろん子供なのだから仕方ないのだが。


 

 レガリアは深いため息をつく。

 子供を諭すには、やはり自分も素直にならねばならない。



「……そりゃ私も嫌ですよ。こんな事やりたくはないですって」



 レガリアはアヤメに引きつった笑みを浮かべる。


 それがレガリアの本心だった。



 当然だ。


 マキシウスの事は少なからず憎んではいた。

 それでも殺したいほど憎んでいた訳ではない。

 父親を手にかけるなど、進んでやりたいはずがないのだ。


 

 だが、レガリアは顔を引き締める。



 ここで父を処刑せねば――。



 皇帝暗殺に加担した父に責任を取らせなければ、ジェイド家は無くなるだろう。

 時間をかける程に、ジェイド家の立場は悪化する。

 名誉は地に堕ち、回復不能な立場にまで追い込まれるはずだ。


 そうなれば父が生涯を賭けて守り、育てようとしてきたモノが無くなってしまう。


 それだけは許容できない。

 

 だからこそ、次期当主に最も近い長男の手で父を殺さねばならないのだ。

 それが『皇帝暗殺』というジェイド家の汚名を晴らす唯一の手段なのだから。



 

「それでも、ここは、やらねばならないのですよ。閃皇様」




 レガリアは悲壮な決意を胸に秘め、閃皇に、そう告げた。



「……!」


 

 レガリアの決心は固い。

 その場の勢いで止められるような決心ではなかった。


 だが、ここでアヤメが退けばマキシウスは処刑される。

 そしてレガリアが手を汚す事になる。

 パークス達は父親を失う。



 そんな事をさせる訳にはいかない。




 アヤメはレガリアと対峙する。




 力押しでは意味がない。

 歌や降臨唱など何の役にも立たない。

 無駄に多いHPやMP、過剰な攻撃力や防御力も無価値である。

 仲間の助けも得られない。

 説得も不可能。


 

 色気も――レガリアには幼女趣味は無さそうだ。



 だとしたら、後は。


 後は。






 ?






 後は何が通じる?


 何も通じないのでは?



 

「あ、あ……れ……?」



 精霊王を従え。

 現神触を倒し。

 現神と渡り合ったアヤメ。

 


 そのアヤメがただの人間に勝てない。

 勝てる要素が見当たらない。

 

 気のせいだろうか。

 何だかレガリアが自分やミーミルより遥かに強そうに見える。




 ――もしかして今回のラスボスはレガリアだったのかも。




 アヤメはそう思った。

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