第47話 閃槍陣

 キーン。



 と耳鳴りがしている。




 気が付くとパークスは天を仰いでいた。


 身体を動かそうとすると、背中に痛みが走る。

 だが致命的な痛みは無い。

 身じろぎすると、体をゆっくりと起こす。


「パークス! 無事か!」


 いつの間にかパークスはアベルに揺さぶられていた。

 まるで寝起きのようなぼんやりとした感覚――いや、恐らくは気絶していたのだ。


 パークスは霞がかかった頭で、その事にどうにか気づく事ができた。


「――っ、ど、どうなった……?」


 パークスはアベルに状況の確認をしようとする。

 周囲は耳鳴りのせいか、驚くほど静かだった。


「痛い所は!?」

「背中が痛む」


「他には無いか!?」

「ああ……」


「――よし! 出血も骨折も無さそうだな!」


 アベルはパークスの背に手を振れる。


光霊治癒ラト・ヒーリング


 アベルの回復法術で背中の痛みは、あっという間に引いていった。


「どうなった?」

「シルバートゥースが現れて、突進を仕掛けてきた! ネーネ族の皆は無事だ。持ち前の身軽さで突進は避けられた!」

「そう……か」


 俯いていたパークスは顔を上げ周囲を見渡す。

 パークスの周囲はネーネ族がいた。


 やっと耳鳴りが収まり聴力が戻ってくる。



「ニニャ、下がって! 右から来る!」

「イカルガ、その怪我では無茶だ!」

「誰か! 回復を! 回復をお願い!」

「突破されるな!」


 静かなどではなかった。

 周囲は悲鳴と怒号に満ちていた。


 それでパークスが自分が、目を覚ますまで、ネーネ族に護られていた事に気づいた。


「!!」


 パークスは跳ね起きる。

 すでにパークス達とネーネ族はシルバーシドに周囲を取り囲まれていた。


 周囲の巨木は破壊され、更地になってしまっている。

 ネーネ族の村は残骸しかなかった。


 もはや籠城作戦は不可能である。

 平地でシルバーシドと正面から戦うしか無かった。


「アベル、私の部下は」

「――二人が落下の衝撃で動けない。一人は戦っている」


 アベルは視線を横に向ける。

 パークスの横には、伏したまま動かない部下が二人、寝かされていた。

 その息は弱く、今にも止まりそうだった。


「恐らく背骨か内臓をやられている。療術士に見せねば治す事はできないだろう」


 回復法術は非常に難易度が高い法術だった。

 浅い切り傷程度を治す法術ならば、修練を積めば使える。

 だが内臓の損傷といった深手になるとそうはいかない。

 人間の身体に対する深い知識と、療術の才能と、専用の施設が必要となる。


 そして現神の森に専用の施設など存在しない。

 ジェイドタウンまで帰らねば、二人を治療しきれない。


 

 ――つまり、もう二人は助からない。


 

「どうしてこんな……」

「パークス、今は指揮を頼む! このままでは全滅する! 何とかできるのは貴方しかいない!」


 感傷に浸りかけたパークスにアベルは叫ぶ。


「ネーネ族の皆が、お前を護っているのだ!」


 その一言で、霞がかかっていたパークスの頭が急速に覚醒した。


 悲しむのは後だ。

 この戦場の指揮官は自分なのだから。


「――全軍撤退! 火力を前に集中し、包囲を抜ける!」


 パークスの声が戦場に響いた。


「目が覚めたのか!」

「みんな、頑張って! 何とかなるわ!」


 周囲から安堵の声が漏れる。


「良かった……無事だったのですね」


 パークスにミョルドが駆け寄ってくる。

 その後にニニャとイカルガもついてきていた。


「済まなかったミョルド。心配を――」



 目の前に立つミョルドは、その長い右耳を失っていた。



 耳の付け根には僅かに耳が残っていたが、傷口は溶けたように爛れている。

 シルバーシドの溶解液による怪我に違いなかった。


「ミョルド――お前、耳が」


 耳だけではない。

 よく見ると全身が傷だらけであった。

 シルバーシドの爪や、牙によって切り刻まれている。

 

「少しやられてしまいました」


 そう言ってミョルドは力なく笑う。


「そんな……少しでは……」


 どんな回復法術でも、失ったものを再生する事はできない。

 傷は塞げても、無くなったものは創り出せない。


 つまりミョルドの片耳は、もう一生このままだ。


 パークスは震える手で、ミョルドに手を差し伸べようとする。

 その手から逃れるように、ミョルドはパークスから離れ、こう言った。


「さあパークス様、指揮をお願いします。皆が待っています」

 

 ――感傷は後だ。

 

 今は前に進まねばならない。

 進まねば、ならないのだ。


「ミョルド、イカルガ、ニニャの三人で道を切り開く。いけるか?」

「もちろんです。虫如きにやられるネーネ族ではありません」


 ミョルドは不敵に笑う。


「羽を失っても、足があるさ。まだ跳べる」


 イカルガは自嘲気味に笑みを浮かべた。


「わ、私も?」

「ニニャの火力でなければ、シルバーシドは倒せないだろう。いや、倒せなくてもいい。吹き飛ばせるだけの力が欲しい。とにかく道を作るのだ」


「うん……もう少し頑張ってみる」


 ニニャはそう言って手甲をコン、と打ち鳴らした。

 手甲は溶けてボロボロになっている。


 恐らく、その下にある手も無傷ではないはずだ。


「とにかく木のある場所まで逃げられれば時間は稼ぎやすくなるはずだ」


 どうした事かシルバートゥースは全く動かない。

 また突進してくるかと思ったが、仕掛けてくる様子は無かった。


 何にせよ好都合だ。

 アレが動けば、また大きな被害が出る。

 動かないうちに、この包囲を抜けねばならない。


 それは可能にするのは――。

 パークスの脳裏に、一つの陣形が閃く。



 閃槍陣。


 

 その陣形が、この包囲を破れる可能性がある陣形だ。

 手練れを前衛に固め、火力で敵陣を突き抜ける。

 まるで槍のように長く陣形が伸びる事から、この名が付けられた。


 敵を倒す事が目的ではない。

 一方的な包囲状態を抜ける為の陣だ。

 

 問題は手負いの三人で、そこまでの力を出せるかどうか。

 しかしネーネ族の中で最も強いのは、この三人だという事もパークスは把握していた。

 彼女達でなければ敵陣を貫く槍の穂先となり得ない。

 

「づああああああ!」


 その思考を遮る裂帛の気合いが、戦場に響き渡った。

 たった一人、残っていた帝国兵士がシルバーシドに斬りかかる。


 その一撃で、シルバーシドは真っ二つになった。


「ふぅっ! ふぅっ!」


 その男は肩で息をしながらも、剣を振るう。

 もはや何度、剣を振り下ろしたかも分からない。


 そして何度、切り刻まれたかも分からない。


 そのたびに彼は回復を受け、立ち上がり、前線に復帰する。

 シルバーシドを確実に倒せるだけの攻撃力を持っているのは、自分しかいないからだ。


 彼が落下の衝撃に耐えたのも。

 シルバーシドの攻撃で致命傷を受けなかったのも。

 パークスの運やアベルような技量のおかげではない。



 全てはアヤメが渡したブラストソードに『防御力+300』のステータス補正がついていたからだった。


 

「――四人だ。四人で槍の穂先となって、道を作る! 閃槍陣!」

 

 兵士の奮戦を見たパークスは叫ぶ。

 

 幾度となく練習してきた陣形名を聞いたブラストソードの兵士は、周囲にいたネーネ族に声をかける。


「全員、私の後ろに下がってください! 道を作ります! 後に続いて! 途中の敵は、通過点として捌きます! 倒さなくても構いません!」



 その隣に三人の亜人種が立った。



「閃槍陣というのをやるのだろう。先導を頼むぞ」

 イカルガは槍を構えながら兵士に不敵な笑みを浮かべる。


「よろしくお願いします」

 ニニャがぺこりと頭を下げる。


「援護はしますので」

 ミョルドの剣が法術に包まれ、蒼く輝いた。



「これは……心強い。さすがに……一人では……厳しいと思っていました」


 兵士は三人に息も絶え絶えに応える。


 ここに来て疲労が、どっと兵士を襲って来た。

 強い三人が来て、気が緩みかけたのかもしれない。


 しかし兵士は、すうっ、っと深く息を吸う。


 ここで緩んではいけない。

 閃槍陣の穂先は、敵陣を貫くほどの強さが必要になる。

 でなければ、一直線に敵陣につっこむだけの、自殺行為にしかならない。

 シルバーシドを蹴散らすだけの能力が、陣の先端には必要となるのだ。



 

 アヤメ様が来るまで。

 

 ――神が降臨するまで、絶対に死ぬ訳にはいかない。

 

 それが出来るのは、ネーネ族最強の戦士達と、神器を賜った自分だけなのだから。



 

 陣の穂先が展開するのを見届けてから、パークスはアベルを見る。


 敵陣を突っ切る閃槍陣。

 この陣形で最も危険な場所は前衛ではない。


 細長く伸びた陣の殿しんがりである。


 

「殿は私がやります」


 パークスが言葉を発する前に、アベルが答えた。

 その言葉は怒号飛び交う戦場なのに、とてもハッキリと聞こえた。


「私以外にいません。パークスは指揮官ですしね」


 アベルの言う通りだった。

 剣技や対応力を考えても、アベル以外に適任はいない。


 だが閃槍陣は、包囲から突破する為の陣だ。

 本来、あってはならない状況を打開する事を目的に考案されている。

 圧倒的に不利な状況で犠牲を減らせる陣であり、犠牲をゼロにできる陣ではない。


 当然、その事はアベルも知っている。


「やりましょう。早くしないと『民』に多くの犠牲が出ます」


 アベルはそう言い残すと、ミョルド達がいる位置と逆の方へ向かう。



 今の言葉が最後になる。

 あの背を見るのも、最後になる。



 それはアベルも分かっていたはずだ。

 だがアベルは振り返る事をしなかった。


「――」


 パークスは、その背に帝国軍人としての覚悟を見た。


 アベルにとって、もはや亜人種は亜人種ではない。

 アイリス帝国に根付く、守るべき民となっていたのだ。


 民を護る。

 その為には死も厭わない。


 それがアイリス帝国の軍人である。



 ならば軍人であるパークスが出来る事は一つしかない。



 民を護る為に全てを賭けて闘う事だ。


 

 今から動けない部下を見捨てる事や。

 傷ついたネーネ族を前線に突っ込ませる事や。

 アベルを死地に立たせる事を。



 全てを心の底に封じ込め、パークスは深く息を吸う。


 

 そして現神の森を揺るがす程の咆哮を上げた。



 

「閃槍陣! ミョルド達に続け! 突撃!!!!」



 その合図でミョルド達はシルバーシドの群れに突撃した。

 最も足の速いミョルドが、襲い来るシルバーシドに向かって剣を振りかぶる。

 

 






 




「すまんが、それは困る」



 ミョルドの前に神護者『ゼロ・イース』が立った。

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