第6話 夜の外出

 その夜、食事を終えたミーミルとアヤメは、部屋で話をしていた。


「街はどうだった?」

「食べ過ぎた……」


 アヤメはベッドに倒れ込んだまま言う。


 街を歩いていると、どうにも食べ物の露店が目に入る。

 見た事のない食材に、独特の香りを放つ料理、そして感じた事のない味。


 きゅうりのような物体がレタスのようにシャキシャキしていたり、肉だと思ったものが魚だったり、甘そうな果物がしょっぱかったり。

 当然ながら日本人向けの味付けではないが、好き嫌いの少ないアヤメには味覚の新世界が広がったような感覚すらあった。


 という事で食べ過ぎたのである。

 夕食の存在を忘れていた。

 もう入らない。


「俺達って太ったりするのかねぇ」

「食べられるって事は、するんじゃない」


「なら――太るぞアヤメ」

「縦に……縦に伸びるはず」

「ハハッ、馬鹿馬鹿しい。エタニア族は一生身長のびない設定だからな?」


 アヤメはミーミルにまくらを投げつける。

 ミーミルは片手でまくらをキャッチした。


「こっちはまあ、いつも通りに剣術練習だった」

「パークスとやったの?」


「サッパリだなアイツ。人を叩くのを異様に恐れてるっていうか――何かトラウマでもあるのかもしれんな」

「ふーん」


「途中で何かよく分からんが気絶したから、後は適当に戦って解散だった」

「ミーミルも街に出ればよかったのに」

「かもしれん。何か得る物があるかと思ったけど、特に無かったし」


 ミーミルはアヤメにまくらを投げ返す。

 まくらはアヤメのお腹に当たった。


「ふぐっ……今お腹は危ない」

「そういや毒、盛られないな」


 今日の夕食にも毒は入っていなかった。

 ジェイド家の別邸で毒が盛られれば、確実にジェイド家が手引きしたと思われる。

 毒殺では成功しても、失敗してもリスクが高すぎるのだろう。


「となると怖いのは――」

「フツーの暗殺者だな」


 単純に暗殺者を使って暗殺する。

 これならばどこで起きようが関係ない。

 マキシウスの人脈ならば、出身地不明の暗殺者という手駒くらいは持っているはずだ。


 もしかしたら今日にも仕掛けて来るかもしれない。


「……」


 ミーミルはベランダを見る。

 アヤメもベランダを見た。

 夜空の灯りしかない外は暗く、何も見えない。


「一応、外……確認しとくか」


 ミーミルはレ・ザネ・フォルの枝を出現させる。

 アヤメもベッドから降り、ミーミルの後に続く。


 ミーミルは剣を手にしたまま、ベランダへの戸を開いた。

 顔だけ出して、左右と上を確認する。


「うーん、多分だれもいない……」


 ミーミルは耳を澄ましながら辺りを見渡した。


「大丈夫そう?」

「大丈夫そうだな。まあ来るとしたら寝静まってからが妥当だろうし……」


「うへー、やだなぁ。ゆっくり眠りたい」

「忍者が使うような鳴子、だっけ? 糸に足ひっかけると鳴るやつ。ああいうの作って仕掛けてみるか」


「あれってどうやって作るの?」

「分からん」


 漫画やアニメで良く見るが、作り方を説明してくれる漫画やアニメなど無かった。

 形もうろ覚えである。

 木の板に竹の破片を括り付けていたような気がするが、そもそも竹が存在しない。


「パークスに相談して、それっぽいもの発注してみるか」

「そうだね」


「今日は順番に見張りをして――」


 言いかけたミーミルが、ベランダから下を見る。


「――」

「どうしたの? 暗殺者いた?」

「いや、違う」


 ミーミルはベランダから僅かに顔を覗かせ、下の様子を伺う。

 ベランダからはジェイド家別邸の玄関が見える。


 そして玄関から顔が見えないように、深くフードを被った人間が一人、出て来た。

 そのフードを被った人間は、門の辺りにいる人間達に会釈をする。

 門の周りにいる人間達も、やはり同じように深くフードを被っていた。


「あれ、誰? 家の中から出て来たよね?」

「パークスだ」


「パークス? 本当に?」

「顔が見えないが、体格がそっくりだ。そうそうあんな体格の奴はいない」


 今日の訓練で見比べたが、パークスは兵士の中でもずば抜けた体格を持っていた。


「どっか出かけるのかな?」

「ただ事じゃなさそうだが」


 パークスは用意されていた馬に乗ると、静かに走り始めた。

 他のフードを被った人間達も、その後についていく。


「よし、尾行しよう」


 ミーミルはそう言ってベランダの手すりに登った。


「ちょ、ちょっと待って。どうやって尾行するの?」

「普通に走って」


 ミーミルは言うが早いか、いきなりベランダの手すりから飛ぶ。

 そのまま、隣の家の屋根に飛び乗った。

 もちろん隣の家まで十メートル近くある。


「ちょ……ミーミル……! 駄目だって」


 アヤメは声が響かないように、小声でミーミルを呼び戻そうとする。

 だがミーミルは笑顔で、手招きするのみであった。


「もう、ほんとに……」


 アヤメは手すりに頑張ってよじ登る。

 ここからミーミルの位置まで飛べるだろうか。


「落ちたら死ぬかな」


 高さは三階建ての家の窓くらい。

 普通なら死ぬ。

 まあ身体能力的に、落下して地面に叩きつけられても死ななそうだが、痛みくらいは感じそうだし、単純に高い所はやっぱり怖い。


(はよ はよ)


 ミーミルは口パクしながら手招きする。


「あー、もうっ」


 アヤメは足に力を籠めると、隣の家に向かって飛んだ。

 風を切りながら、夜空を飛ぶアヤメ。

 想像以上に自分のジャンプ力は高く、割と余裕で隣の家の屋根に着地できた。


「と、飛べた!」

「静かに。見つかるぞ」


 ミーミルはアヤメの頭を掴み、下げる。


「よし、体勢を低くして、追いかける」


 パークスはすでにかなり離れつつあった。

 急がねば見失う。


「歌入れた方がいい? シュヴァリエの風」

「射程1000」

「あー」


 危うく街が大惨事になる所であった。


「あとうるさいしな。ここはドーピングすっか」


 ミーミルは高級速度増加ポーションを取り出した。

 現神触の時に使った瞬間速度増加ポーションとは、効能が少し違うポーションだ。

 瞬間タイプより効果が低い代わりに、持続時間が長い。


 ミーミルとアヤメはポーションを飲む。


 そうして、屋根の上を静かに走り始めた。

 屋根を伝って、パークスの後を追いかける。

 家から家へ、道路を飛び越え、まるで時代劇で見る忍者のように走る。


「やばい、何かめっちゃ楽しい」


 ミーミルは子供のように輝く瞳をしていた。


「こういう風に屋根の上走ったり、誰か尾行するのって浪漫だよな! ずっとやってみたかったんだよ」

「分かるけど静かにね」

「おう!」


 ミーミルは小声で、飛ぶときに「シュバッ」とか走る時に「ザザザッ」とか擬音を呟きながら走り始めた。

 そんな感じでパークスの後を追いかけていく。


 夜でも人気の多い繁華街を避け、人気のない道を選んで走っていた。

 街の中心から離れても止まる気配はない。


「もしかして外に出るつもりかな?」

「ギュオオーン シュゴオオオゥ」


「ミーミル、もしかして外に出るつもりかな?」

「この方向だと、それっぽいな」


 どうやらパークスはジェイドタウンの外に用があるらしい。


 だがジェイドタウンの外に何かあっただろうか?

 現神の森がある為、ジェイドタウンの周辺に村や集落は存在しないらしい。

 人口はジェイドタウンに集中している。

 だから外に出た所で、何もないはずなのだが……。


 そう思っている間に、パークス達は外門へ到着していた。

 馬を止めると、門の衛兵と何かを話し始める。


 しばらくすると通用口が開き、そこからパークス達は外へ出て行った。


「やっぱ外みたいだね」

「うーむ……気になる」

「でも、もう追いかけられないよ」


 門を通ろうと思ったら、衛兵に話しかけねばならない。

 アヤメとミーミルの顔を衛兵が知っているかどうか分からないし、仮に知っていたとしても護衛も無しでは門を通してくれないだろう。

 もし護衛なしで通して、皇帝に何かあれば、責任を取らされるのは衛兵だ。


 知っていようが知っていまいが、どっちにしろ、あの外門は通れない事になる。


「帰るしかないかなー。ね、ミーミル?」

「ニャッ!」


 ミーミルは屋根から街を護る壁に向かって飛んだ。

 壁にびたん、と張り付く。


「ニャニャニャ」


 壁の僅かな出っ張りに爪を引っかけながら、高速で壁を登るミーミル。


「いやいやいや、何してるの……!?」


 壁の高さは十メートルはある。

 ミーミルは壁を登りきると、上に立って手招きをした。


「いや……さすがに無理だから」


(はよ はよ)


「本気だ……」


 仕方なくアヤメは衛兵がこちらを見ていないタイミングを見計らう。


「――今っ」


 アヤメは壁に向かって飛ぶ。

 ミーミルのように壁のぺたっ、と張り付く。


 だが上手く壁を掴めない。


(ちょ……これどうやって……!?)


 ずるずると壁をずり落ちるアヤメ。

 このままでは衛兵の近くに落ちてしまう。

 壁に爪を立てろ、というジェスチャーをミーミルが繰り返す。


 んなもん無理に決まっていた。


(お、おちる……)


 アヤメは頭を巡らせる。

 だが何もいい考えが思いつかなかった。

 ミーミルは辺りにロープが無いか探し始めたが、都合よくロープなどある訳がない。


「…………えいっ」


 駄目元でアヤメは壁に向かって抜き手を放った。

 石壁に指が突き刺さる。


 落下が止まった。




 いける。




 アヤメは壁へ順番に指を突き入れながら、壁を登っていく。

 そうやってどうにか、城壁の上に辿り着いた。


 城壁の上ではミーミルが待っていた。


「何だ今のゴリ押し。壁エグりながら登ってくる幼女とかビジュアル的にヤバすぎるだろ。さすがに引くわ」

「うるさいよ」

「ま、それは置いといてパークスはまだ遠出するみたいだな」


 アヤメのじゃんぷ☆あっぱーを回避しながらミーミルは城壁の向こうを見る。


 パークスの一団は、街からどんどん離れていく。

 一体どこまで行くつもりなのだろうか。


「方向としては現神の森方向か」


 あの道はジェイドタウンに来る時に通った道だ。

 現神の森まで早馬ならば一時間ほどで到着できる。

 現神触を倒した時は疲労困憊で二時間くらいかかったが、普通ならその程度の距離だ。


「追いかけよう」

「どこまで追いかけるの……もう疲れてきた。精神的に」


「もしパークスが俺達を狙っていて、その一味と会う為だったらどうする? そりゃ最後まで確かめなきゃならんだろう」

「そんなの全然、思ってないでしょ」

「まあ思ってないが」


 パークスがミーミルやアヤメに害を成す存在とは、とても思えなかった。

 アレが全て演技ならばパークスは相当な大物である。


 それならば何故パークスはあんな怪しい行動をとるのか。

 そんな疑問と好奇心が頭をもたげてくる。


「確かに気にはなるけど……ね」

「だろ? じゃあ行こうぜ」

「仕方ないなぁ」



 二人はパークスを最後まで尾行する事に決めたのだった。

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