コーヒー一杯分の殺人劇

黒いもふもふ

一話目

『三人』

 喫茶店でコーヒーを片手に読書をするのがジークリットの休日の習慣だ。仕事に就いてからの習慣である。朝、いつもより遅く起き、簡単な朝食をとる。昼食はしっかりとりたいのであくまで軽くだ。その後、家から読みかけ、あるいは新しく買った本を持ち喫茶店に行く。昼食までの数時間をコーヒー数杯と読書で過ごし、適当な店で昼食をとる。昼食後に何をするかはそのときの気分によってだ。大体は本屋巡りになるのだが。




 その日もいつもと同じように喫茶店の隅のボックス席で一人コーヒーと本を楽しんでいた。久しぶりの休日——仕事柄、休みの間隔は長いが休日は一週間程続く——だからだろうか、読書をしているとはいっても気分が少し浮ついていてあまり物語には集中できていなかった。

 休日の午前中はこの行きつけの喫茶店にはあまり人がいない。そもそも、いつであっても客はそれ程多くない。結構美味しいコーヒーとそこそこのトースト、見た目は地味ながらもそれなりのケーキ、甘さ控えめのコーヒーゼリー。それらは多くの人を惹きつけるには少々足りなかったらしい。それに加え、立地があまり良くない。静かな路地裏にあるのは良いのだが、繁華街とは離れた所謂高級住宅街のはずれにあるこの店は少々入りにくいようだ。このような状態でも、マスターは趣味でやっている店だし利益のことは考えていないようだった。人の少ない静かな場というのは良いものかもしれないが、店主としてその態度はどうなのだろうか。ジークリットは店が潰れることはなさそうだと知っていながらも、どうしても心配だった。



 コツコツと足音がする。軽い音、女物の靴だろう。ジークリットにはそれが誰のものか分かった。少し面倒な、少しおかしな友人。彼女も休日のこの時間にこの喫茶店を訪れる。そして、一言二言ジークリットと話す。

「私の本、呼んでくれているのね。」

 彼女——クロエはそれなりに売れているらしい小説家だ。本人曰く劇作家らしいが、残念ながら彼女の台本が世に出たことはまだない。

 因みにこの場合の「売れている」は、本の細い売り上げなんてよくは知らないジークリットにとっては小説家という職業だけで暮らしていけているかどうかだ。

「この間買ったから、読もうと思って。」

 読みかけのページに栞を挟み、クロエの方へ顔を向けそう答えた。

「ありがとう、と言えばいいのかしら。」

 クロエはいつも通りのあまり感情が読めない笑顔でそう言った。

 口角を少し上げるだけのその微笑みは、彼女があまり興味がないとき、あるいは面白くないとき、そうでないとしてもその話題を続ける意思がないときのものだ。

「……ああ、そうだ。感想は言わないでね。私、友人が少ないの。」

 どういうことだ、とジークリットは思った。

 クロエはどうにも言葉が足りないことが多かった。彼女が書く小説はそんなことはないのだが、人と話すとき、特に相手が親しければ親しい程クロエの言葉は少なくなる傾向があった。

「読者と作者の関係にはなりたくないってことよ。私、『友人』と言い切れる人が少ないから。」

 ジークリットが自身の言葉の意味を分かっていないことを察したのか、クロエは目を細めて微笑みながらそう付け足した。

 感想を伝えたからといって、友人関係が崩れるわけがないとはジークリットは思ったが、彼女には彼女なりの考えがあるのだろうとも思い、特にその言葉に答えることなくぼんやりとクロエを見ていた。


 幾らか言葉を交わした後、クロエはジークリットの向かいの座席に手をかけた。

「ここ、いいかしら。」

 特に断る理由もなかったジークリットは頷いた。クロエとは休日のたびにこの喫茶店で会うが、ここまで長く話すのはあまりなかった。

「何か私に話でもあるの? 仕事の話だったら、今度にしてね。」

 クロエはやけに嬉しそうに、面白い悪戯を思いついた子どものように目を輝かせてジークリットに答えた。

「別に仕事の話を聴きに来たわけじゃあないわ。その話も聴きたいけど、それはまたちゃんと連絡するわよ。今日はちょっとジークと遊びたくって。」

「どこかに遊びに行きたいのなら、前もって言って欲しいのだけど。」

 ジークリットの言葉にクロエは横に首を振った。

「どこかに行くんじゃなくてね。そう、そうね。何と言えばいいのかしら。対話ゲーム? 会話型ゲーム? とにかく簡単なゲームを思いついたのよ。それで一緒にやってくれそうな人なんて、あなたくらいしか思いつかなかったから。」

「それを一緒に遊んでくれないかって?」

 クロエはにこにこしながら頷いた。

「で、どんなゲームなの?」

 その言葉に右手で少し待ってとでも言うようなジェスチャーを見せると、もう片方を軽く挙げてマスターを呼びコーヒーを二人分頼んだ。

「遊びに付き合ってくれるんだから、一杯くらい奢らせてね。」



「創作推理ゲーム。いいえ、推理創作ゲームかしら。まあ、どっちでもいいわ。」

 クロエは少し姿勢を崩し背もたれに体を預けた。

「実際にあった殺人事件。それについて推理し、創作するの。例えば、そうね……この間農家の老夫婦が惨殺された事件とかかな。犯人、動機、殺人方法。必要ならトリックやそれ以外も推理する。出題者が有している情報だけで全てのストーリーが出来上がらないのなら、それは回答者が創作するの。そうねぇ。題材の殺人事件は少なくとも公には解決しているもの。出来れば、動機が分かりにくいものがいいわ。その方が作りがいがある。……どう? 結構面白そうじゃない?」

 何とも趣味が悪い、とジークリットは思った。そして、それを面白いかもしれないと思っている自身も趣味が悪いのだろうとも。

「……趣味が悪いね。」

「あら、今更? 私の趣味がよろしくないのは十二分に分かっているでしょうに。」

 趣味が良くないのは友人のジークリットには、いや彼女の小説の読者も良く知っているだろう。普段の言動から、彼女の好むものから、彼女の書くストーリーにはそれがありありと表れていた。ジークリットはそれを示すものの一つである本を横に置いて、残っていたコーヒーを飲み干した。

「で、時間制限はあるの?」

「そうねぇ。コーヒー一杯を飲み終えるまでというのはどうかしら?」

 クロエは空になったコーヒーカップを見てそう言った。

 会話がひと段落するタイミングを見計らったようにマスターが二人分のコーヒーとミルクピッチャーをテーブルに並べた。マスターが少し動くたびに彼の右足の油の足りない義足がギシリギシリと音を鳴らす。

 普段なら近づいてくるのに気づかないことなんてなかったのに、全く気がつかなかったとは随分集中してクロエの言葉を聴いていたようだ、とジークリットは思った。

「……言うなれば、『コーヒー一杯分の殺人劇』?」

「ふふっ。いいわね。名前は大事、大事よ。それがいいわ。」



 クロエは組んでいた指を解き、コーヒーを自分の近くに寄せ一口飲んだ。

「では、始めましょうか。出題者は私、回答者はあなた。初めてだからね。分かりやすいものを用意してきたわ。」


「まずは登場人物の話をしましょう。登場人物するのは四人。そうね。仮にアグネス、ベティ、シェリル、そしてデリックとしましょうか。アグネスとベティとシェリルは学生時代からの友人、親友といっていいくらいのね。デリックはアグネスの同棲中の恋人よ。」

 クロエはテーブルの下で組んでいた足を組み直し、指を四本立てそう言った。


「十二月のこと。珍しく寒くない日だったわ。その日はアグネスの誕生日だった。……じゃあ、事実だけを時系列に沿ってあげていきましょうか。いいえ、まずは簡単に結末だけ言ってしまいましょう。」

 ジークリットはコーヒーに普段は入れないミルクを入れ、スプーンでくるくるとかき混ぜた。そして、使い終わったスプーンをソーサーに置き、クロエに向き直る。

「アグネスの誕生日の翌日、アグネス、ベティ、シェリルが死んでいるのをデリックが発見。アグネスは包丁で刺されて死亡。ベティは拳銃で撃たれて死亡。シェリルも拳銃ね。でも、状況からも検死からもシェリルは自殺とされているわ。自分で頭を撃ち抜いたみたいよ。」

 クロエはコーヒーの香りを少し楽しんだ後、一口飲んだ。


「今度こそ、時系列に沿って話していきましょう。午後一時、ベティとシェリルはアグネスの家の近くのケーキ屋で予約してあったホールケーキを受け取っている。バースデーケーキだったそうよ。」

 バースデーケーキがアグネスへのものだろうことも、二人がアグネスの誕生日を祝おうとしていたのだろうことも明白だ。

「次は少し飛ぶわね。午後五時半、デリックが帰宅。その際、アグネスの家のリビングでお茶をしている三人と少し会話をした。因みに、ここで初めてデリックとベティとシェリルは顔を合わせているわ。デリック曰く、『アグネスから二人の話を聞いてはいたけど、会ったのは初めてだった。』だそうよ。」

「……何でこんなに詳しいのかは聞かないほうが良いんでしょ?」

 それを肯定するかのようにジークリットのおかしな友人は口角を上げて笑ってみせた。

 クロエは政治家やら警察のお偉いさんだとか、どこで知り合ったのか分からない「知り合い」が多かった。彼女がそれについて話したことはなかったが、何かの節に口から出る話題が少々一般人には知り得ないものばかりなのだ。きっと今回もその「知り合い」から聞いた話なのだろう。

「続けても良いかしら?」

 その問いにジークリットは下げていた目線を再びクロエに戻すことで答えた。

「その後、デリックは軽い夕食をとり、お風呂に入って、寝室に向かった。睡眠薬を飲んだそうよ。不眠症なんですって。薬で眠ったらよっぽどでないと起きられないみたい。だから休日前にしか使わない。いつもはだいたい三十分程で効き目が出るらしいわ。……因みに、その夜は耳栓も使っていた。」

 ジークリットはコーヒーを一口、二口飲んだ。

「なぜ?」

「アグネスの家の向かいには劇場があるの。その日は何かイベントがあってそこには多くの人がいたそうよ。それはもう騒がしかったそうで。ああ、午後六時半頃のことね。」

 クロエは続けてもいいかとでも言うようにジークリットの目を見た。

「……続けて。」

「次に三人が確認されたのは午後七時半。劇場の警備員が三人を窓越しに見ている。それが生きている三人が確認された最後の時ね。」

 クロエはそこまで言い終わるとコーヒーを飲んだ。残りはもう半分もない。

「午後七時半までは三人は生きていたと。そして、その後に騒ぎがあっても、デリックは気づけないし、外の人達も劇場の騒ぎで気付くことは無さそうと。」

「そうね。それであっているわ。ここまでが誕生日当日のこと。その翌日、目覚めたデリックが三人の死体に気づき警察に通報した。これが事件のあらましね。」


 クロエはテーブルに乗り出していた体を元に戻した。

「じゃあ、何か質問があるならどうぞ。知っている範囲で答えるわ。」

 これは計画的なものだろう、とジークリットは思った。偶然だとしたらあまりにも出来すぎている。

「アグネスを殺したのはどっち? ベティ? シェリル? 第三者が殺したという可能性はある? 窓の状態は? ドアの鍵は閉まっていたの?」

「アグネスを殺したのはベティだと警察はみているわ。ベティを殺したのはシェリルということもね。第三者の犯行という線は薄いわ。朝、玄関の鍵は閉まっていた。窓の鍵も全て閉まっていたわ。そもそも、窓は人が入れるような大きさのものは全て通り側にしかないから、そこから入るというのなら、劇場の方にいた人が気づいたでしょうね。デリックが薬を飲んだのは本当だったし、死体の状態からして三人が亡くなったのは誕生日当日に間違いないわ。ええ、第三者の関与はないとは断言できないものの、ほぼないと考えて良いんじゃないかしら。」

「……もう特に質問はないわ。四人の人間関係について詳しく教えてと言っても、正しい答えは分からないだろうし。」

 クロエは目を細めて笑った。

「じゃあ、次は回答者のターンね。」

 ジークリットは頷いた。


「話を聴いている間に思いついたことといえば、アグネスに恋人がいることへの妬みかな。いや、弱いかな。計画するまでの強さはない。衝動的なものなら分からなくはないけれど。」

ジークリットは考えついたことを口からそのまま出していく。

「これは衝動的な犯行ではない。計画的なもののはず。言い切れる訳ではないけどね。恋人が休日前に睡眠薬を飲むことも、目の前の劇場でイベントがあることも、……その日がアグネスの誕生日であることも、ただの偶然ではある。でも、それを知って拳銃を用意して、ケーキを予約して、殺人時刻をイベントの開催中に合わせて……それは偶然ではないはず。」

それに、と続ける。

「ただの衝動的なものは少し在り来たりじゃない?」

「そうね。それにせっかく物語を作るのなら、面白くなくちゃあダメよ。恋人ができたことへの妬み? 好きだった人を取られた? そんな物語なら、先人のものを読めば良い。素人が手を出すには少し難しいわ。」

 クロエはそう捲し立てた。

「確かにそうかもね。在り来たりな使い尽くされたものを面白く作るのは、私には難しい……」

 ジークリットはコーヒーを飲んだ。もう残りは少ない。


 蓄音機から静かにジャズが流れる。カウンターに立っていたマスターはいつの間にかカウンターの端の席で新聞を読んでいる。

 ジークリットは息を深く吸った。

「……少し面白そうなことを思いついたんだけど、聞く?」

 クロエは目を細めてそれはそれは嬉しそうに楽しそうに笑った。

「アグネスとベティとシェリルは仲が良かった。本当に仲が良かった。もし、ベティとシェリルがよく言えば『重い』ともいえる感情を持っていたら? 執着だとか、独占欲だとか。……恋愛感情だとか。」

 ジークリットはそこまで言うと一口コーヒーを飲んだ。だいぶ温くなってしまっている。

「女性は男性に比べるとパーソナルスペースが狭いというけれど、その狭さが友情を深めるものではなかったのかもしれない。擬似恋愛という言葉があるでしょう? 二人がアグネスに期待していたものは、何? 少なくとも、二人にとってのそれまでの関係を変えるものではなかったはず。だから、二人にとってアグネスが同棲するほどの恋人を作ることは裏切りだった。自分たちよりも彼女と親しい存在が裏切りだった。でも、大切な『親友』だった。裏切りを認めるよりは殺してしまおうと計画を立てても、それは冗談に過ぎなかった。少なくとも、二人がアグネスの幸せそうな姿を見るまでは。幸せそうな住まいを見るまでは。」

 そこまで一息に言い終わると、ジークリットはカップから手を離した。クロエは何も言わない。

「幸せそうなアグネス。恋人との幸せそうな暮らし。それがトリガーを引いた。頭の片隅にあった計画を衝動のままに実行してしまった。その後は、その計画通りに二人は後を追う。死ねばもう二人にとっての『三人』を壊すものはない。最初からそんなものはなかったのに。それが歪んだ一方的な期待に裏切られた二人の選択。」

 ジークリットが話し終えると、それまで黙っていたクロエは小さく笑いを溢した。

「いいじゃない。そっちの方が断然良いわ。面白いもの。恋人でなくてもきっかけ足り得たのでしょう。より仲の良い友人でもね。……憎悪。ううん。違うわね。少し違う。失望? そっちの方が近いかしら。絶望、それも良いわね。最初からそんな関係は幻想だったってね。二人は昔に……幻想に思いを馳せて命を絶った。」

 クロエは残ったコーヒーを飲み干した。ジークリットもそれに倣う。



 時計は午後一時を指そうとしていた。話し始めてから結構経っている。

「少し簡単だったかしら?」

 クロエはジークリットに向き直ってそういった。

「簡単かどうかはどうでも良いんじゃない? どう面白くするかでしょう? クロエがしたいのは。」

 その通りだとでも言うようにクロエは目を細めて笑った。


 クロエは伝票を自分に寄せて、コートと日傘を持った。

「どう? この後、一緒にお昼食べない? 良いお店を見つけたの。」

「美味しいデザートはあるの?」

 ジークリットも外套を身につけ、本をカバンにしまった。

「美味しいチーズケーキがあるわ。少し高いけどね。」

 二人は会計を済ませ店を出る。

「ああ、楽しかった。また今度付き合ってね。今度もきっと良い題材を持ってくるから。」

 クロエは曇った空を見上げながらそう言った。ジークリットは外套を整えながら答える。

「気が向いたらね。ええ、きっと次の休みも気が向くはずだから。」

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