第17話 序章・手がかり

 僕はどこかの眼鏡の少年のように、と言ったら状況はだいぶ違うが、渚の家に居候していた。良く言えば助手として働いていると言ってもいいが、渚の資金に完全に身を任せているから、悪く言えばヒモということだ。しかし、渚は気にするなと言う。どういうわけか詳しくは分からないが、僕がいっしょに住んで手伝ってくれるだけで、渚にとっては金に換えられない価値があるらしい。

「そういや、真紀には会ったのか?」

そんな渚の研究所に、今日は楓が来ていた。用があって来たと言うことだが、急を要するものでもないらしく、まずは普段の会話からと、楓が思い出したように言った。

「ああ、この間な」

「ん」

何だ、会ったのか。どうやらずっと会っていないと思っていたらしい楓は、少し驚いて言った。

「いや、あいつ、ずっとお前のこと心配してたからな。元気もらったか?」

「ああ、ありがたいよ、本当に」



 僕が燃えてしまったアパートに、何か残っているものがないかと赴いたときだ。すっかり燃えついてしまい、結局何も見つけられなかったので、アパートから帰ろうとしたとき、アパートの前で真紀と出会った。僕を見つけるや否や彼女は僕の名前を呼びながら、ぎゅっと抱き着いて、心の底からまるで自分のことのように喜ぶ表情を見せる。年端もいかない子供のように、彼女は平気で異性にハグをする。僕はいつもそんな彼女の行動に、心の中ではどぎまぎしていた。

「お前、何でここに・・・」

僕たちは場所を真紀の家に移して、少し話しをすることにした。

「楓ちゃんから聞いた・・・。ねぇ、大丈夫・・・?辛くない・・・?」

真紀はすべてを知っているようだった。

「大丈夫、って言ったら嘘になるが・・・。一時よりはだいぶな・・・。楓にも渚にも、随分と救われた」

「・・・?渚?」

あ、そうか。僕はそう言った。何故だか僕は、真紀は渚のことを知っているとばかり思っていたが、知らずとも全然不思議ではない。

「実はな・・・」

僕は渚の説明を真紀にした。面白い研究をしていて、良い奴で、僕が気を許している奴だ、なんて説明を、もう少し詳しく長々と話した気がする。真紀も途中で、へぇ~と相槌を挟みながら、私も会ってみたいなぁ、なんて笑いながら言った。

「でも良かった。楓ちゃんもだけど、あなたの周りにそんな良い人がいて」

不安だったんだよ?真紀は少し声のトーンを下げた。

「もしかしたら、あなたの心が壊れちゃうかもしれない・・・。最悪、あなたはどこか遠いところへ行っちゃうかもしれない・・・。そんなこと考えたら、不安で・・・」

「真紀・・・」

彼女は話しながら声を震わせる。ありがたかった。こんなにも、僕のことを心配してくれるなんて。

「・・・良かった・・・っ、本当に・・・っ」

もう一度、真紀は僕のことをぎゅっと抱きしめる。僕の腕は宙ぶらりんだった。今は僕も感極まって、上手く体が動かせない。

「私、嫌だよ・・・。あなたがいない日常なんて・・・。わがままかもしれないけれど、あなたはあなたでいて欲しい・・・」

「・・・ああ」

ありがとな。僕はもう嬉しくて、どうしようもなかった。不謹慎だって、また思ってしまう。



「そ。元気もらったってんならなによりだ」

「真紀って?」

渚がその人物の情報を得ようとする。幼馴染だ。僕は説明した。

「で?ちゃんと料理でも振舞ってもらったんだろうな」

「え、何で知ってるんだ?」

次に会ったら料理作るって意気込んでいたから。楓が事情を話す。

「・・・わざとだろ、楓」

「・・・さて」

いや待てよ。話題を変えようとする楓に僕は気持ち的に腕を掴むようにぐいっと引き留める。

「んだよ・・・。あいつがそう言ったんだから、そこはあいつの気持ちを尊重したんだよ」

「お前は知ってるだろ、あいつの料理の腕・・・」

「え、なになに?」

何も知らない渚が興味深そうに喰いついてくる。

「いやな、あいつ努力してるっつてたから、もしかしたら上手くなってるかもって思ってな」

「もしかしたらって、どれくらいだ?」

「0.1%くらい」

「ほぼ0だろ、それ・・・」

そんなやり取りを聞いた渚が察する。

「はぁ~ん、なるほど。その真紀って子、料理の腕は壊滅的なのね」

「・・・ああ」

「・・・まぁな」

僕と楓が数々の思い出を思い起こしながら応える。

「ま、料理は気持ちだろ。お前、ちゃんと食ってやったんだろうな」

「そりゃあ、な」

「あいつはお前のこと大事に思ってんだから、それくらいは当然だろ」

「何さ。あんただってあの雨の日は、しおらしくなっちゃってたくせに」

「ばっ、その話はもういいってつってんだろ!」

楓が分かりやすく慌てる。

「だってねぇ、あんたともそこそこ長い付き合いだけど、あんなに愛おしいあんたを見たのって無いからさぁ」

「愛おしいとか言うなっ!」

「へへ~」

楓と渚がわいわいと元気そうにもめる。このやり取りを見るだけで、二人の仲の良さが分かる。それにしても確かに、あのときの渚は目を見張るものがあった。



「・・・見つけたっ!」

雨の夜のあの日、アパートの前で渚と二人傘に入っていた時、聞き覚えのある声が大きく僕の耳に響いた。

「渚ん家に行ってもいなかったから、もしかしたらここって思って・・・。はぁ、はぁ・・・」

相当必死だったのだろうか。肩で息をして、傘もさしていない。

「か、楓、さっきは・・・」

僕が一言謝ろうとしたとき、僕の頬には怒声とともに張り手が一発飛んできた。

「このバカっ!」

・・・ったぁ。今日は殴られたり物投げつけられたり・・・。多分今一生分の女子からの叱責を受けている気がする。

「ばかばかばかぁ!」

僕はマウントをとられ、何度も何度も往復で頬を赤らめる。強気な口調の楓だが、やはりその細腕は女のそれで、本人は力一杯叩いているのかもしれないが、痛くはなかった。

「・・・ばかぁ・・・」

でも、僕を叩きながらその目から溢れる水滴は、僕の心に十分すぎるほどの痛みを与える。

「心配しただろうが・・・」

僕の上にのったまま、楓は口を開く。

「もしかしたらお前、死んじまうかもしれないって・・・。辛くて自分で死を選ぶかもしれないって、そんなこと考えちまっただろうが!」

「・・・」

僕はただ言葉を受ける。渚が迎えに来てくれなかったら、それもあったかもしれない。

「心配かけんなよ、ちくしょぉ・・・。お前にまでいなくなられたら、ウチ、ウチ・・・」

楓の呂律が回らなくなってきた。気持ちが昂ぶって、何て言っているのか分からなくなってくる。

「うぅ、うぇぇぇぇええええええんんんん!!」

「・・・!」

その泣き顔は、今まで一番不安から解放されたような雰囲気で、その泣き声は、今までで一番女の子っぽかった。

「・・・安心しなよ、楓」

もう、大丈夫だから。僕の心は渚には筒抜けらしい。僕が言うべき言葉を、渚は言った。ある意味僕は女の子を泣かせたということだった。それなのに、僕の為に泣いてくれる人がいることが、たまらなく嬉しかった。



「子供みたいにわんわん泣いちゃって!可愛かったなぁ、ホント」

「るせっ!もう忘れろっつてんだよ!ほら、お前も何か言ってやれよ!」

楓が僕に助け舟を求めた。

「本当に、可愛かった」

「んなっ・・・」

僕は楓が求めている答えとは違う返事をする。楓は顔を真っ赤にさせて、バーカ!と照れながら言った。

「アンタももう少し女の子らしくすれば?口調を変えたりさ」

「もういい加減黙れっての!」

ったく・・・。楓は目を逸らしつつも、少し笑っていたように見えた。

「ほら、こんなくだらねぇ話は終わりだ」

楓は話題を慌てて変える。

「そもそも、今日ウチがここに来たのは、例のことなんだよ」

「!」

例のことと言われ、僕と渚はぴりっと空気を変えた。


「調べてきたぞ。琴音を殺した犯人について」


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