第13話 走る
とん、と最初の力を加えるだけで、あとは自分でどんどんとエネルギーは次へと波及していく。皆で協力して、もしくは一人で多くの時間をかえて並べたドミノは、倒す為に並べているのに、いざすべてが完成すると、その満足感からか、倒すのが惜しい気さえする。決心して最初の一つに手を添えて、ばらららと倒れていくそれは、最早一種の芸術で、見ている人の心を躍らせる。途中で止まらないでくれと、最後まで倒れてくれと、一所懸命並べた人は、神社に祈祷するくらい真剣に祈る。僕は願った。途中で止まってくれと。最後まで倒れずに、連鎖が切れて、時が止まってくれと、僕は願った。
僕は琴音がぐったりとしている死体を両腕で抱える。軽い。思ったよりも、なんて言ったら失礼かもしれないけれど、もっと食事を取ればいいのにと思うほど、軽かった。健二に何て言えばいい。琴音の最後を健二に見せるべきなのか。いろいろ疑問には思ったが、僕はできるだけ、できるだけ、赤子を扱うように、丁寧に、丁重に、琴音を運ぶ。近くの森へ行って、死体を埋めようとした。雨で濡れた地面はぬかるんで、足を取られそうになって、それでも僕は琴音を落とさないように気を付けて、森の中へ入る。後でいつでも参れるように、でも、目立ちすぎないような、そんな場所に埋めた。線香もないから、煙草の火で代用しようと思ったが、雨が止まない。僕は手を合わせ黙祷した。また、涙が出てきた。
傘がない。僕は濡れながら、健二のもとへと向かう。今は夜とはいえ、深夜ではない。まだ起きているだろう。明日に改めるか?いや、結局は伝えなければいけない。健二がただ只管に前に進むだけならば、一人で進むだけならば、死を知らせないという選択もあるかもしれない。でも、二人は結婚して、これからともに過ごしていこうとしていた。僕には言う、義務がある。
重い。足に重りが付いているのか、それとも死神でも背に乗っているのか、それくらい、僕の体が自分のものではないと紛うほど、重く、苦しい。一歩一歩進むたび、精神がすり減っていくような、体が衰弱へと近づいているような、そんな気がする。何か悪いことをして、それを告白しにいく道中に似ているが、精神の疲労はその比ではない。
周りは傘をさしている。今日は雨が降る予報だったのだろうか、僕は知らなかった。小雨なら傘を持っていてもささないという謎の選択肢もあるけれど、こんなに土砂降りなのに、傘も持たず、かといって走ることもせず、ゆっくり歩いている僕は、傍から見れば変人なのかもしれないが、そんなこと、まったく気にならなかった。
「・・・え・・・?」
僕が健二の家に着いて発した第一声は、戸惑いと絶望がブランドされた、信じたくないというものだった。家の電気が消えている。今は夜とはいえ、寝るには早い。その証拠に、周りはまだ付いている、停電でもない。僕は急いで走って、玄関の扉に手をかけて、半ば壊してやろうかと思うくらいの勢いで引いた。
「・・・ふぅ・・・」
僕は胸を撫で下ろし、安堵のため息を吐いた。開かない。扉はしっかりと鍵がかかっている。早とちりだった。僕は健二が真っ暗な家の中で、血を流して倒れているなんていう、ドラマみたいな光景を想像した。琴音の後だったから、もしかしたら、って思った。
「・・・良かった・・・」
僕は心から言った。
どうやら健二は出かけているらしい。ならば、雨宿りもかねて、ここで待たせてもらったほうが、一番いいかもしれない。僕が本当に、健二が帰ってきたとき、しっかりと本題を述べられるかは、定かではないけれど。僕は待った。待った。途方もなく長く感じた。まるで絞首台へと向かう階段を、一歩ずつ歩くときのように。
「---」
人というのは不思議で、こんなに雨が降って音が消える中でも、聴かなければならないことは、風の調べにのってやってくる。聴かなければならないことは、聞きたいこととは限らない。少なくとも今僕の耳に入ってきたことは、聴きたくないことだった。
「・・・運ばれたってさ」
誰が、とか、具体的な情報は分からない。でも僕は直感的に嫌な予感がして、背筋が凍る。
さっき、交通事故があって、一人が重体で、病院に運ばれたってさ。
僕は家の前から走り、一番近くの病院へと走る。途中でこけて足に怪我をした。雨が降っているから、体は泥で汚れた。でも僕は、走った。杞憂であってくれと、思い違いであってくれと、必死で願いながら。
「はっ、はっ、はっ・・・」
「・・・何で来ちまったんだよ、てめぇは・・・」
病室に来た。その過程は覚えていない。僕は病室に来て、涙を溢れさせる楓と会った。
「・・・来るんなら、もっとはやく来やがれ、ばかが・・・」
「・・・何で、何で・・・」
僕は壊れたレコードのように、何度も何度も繰り返し呟いた。
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