第11話 午前零時

 ひんやりとした外に生暖かい風が吹くと、季節の訪れを感じる。お菊は夜空を見上げた。


 街灯の少ない街中でも、星はよく見えなかった。星が輝く空は、いつの時代に終わってしまったのか。夜空を独占する月に、お菊は煙を吹きかけた。


『あーテステス······お菊、聞こえる?』


 耳にかけたインカムから長谷の声が聞こえた。お菊はインカムに手を当てて応答する。

「聞こえていんす。全員定位置にいんしょうな?」

『長谷、B区画待機中。サムは?』

『ハイハイ、C区画待機中よ。ゴリラはぁ?』

「待機中でありんす。メリケンモンキー」

『はぁ!? この私に向かって何て······』

『はいはい、喧嘩しないで! もうすぐ零時なんだから、慎重に行動してちょうだい』


 長谷がそう言って喧嘩を遮ると、お菊は通信を切った。ちょうどそのタイミングで、音郷から電話が来た。

『お疲れ様です。言われた通り、待機してます』

「お疲れさん。そっちは大丈夫かい?」

『はい。ハッキングでサイト画面をこじ開けてます。これで誰の名前が書かれるかも、誰が書いたかも分かります』

「ハッキングかぁ……了解しんした。名前が書かれたら即連絡よろしく頼みんす」

『分かりました』


 お菊は通話を切ると、そのままスマホで時間を確認した。

 時刻は十一時五十八分。あと二分でサイトに名前が書き込まれる。被害者を出さずに犯人を逮捕するのが理想だ。お菊は頬を叩き、気合いを注入した。


 二分は長く感じた。街灯は無視を集めながら点滅し、お菊は煙管をふかし続ける。

 零時になった瞬間、音郷から通信が入る。


『書き込みがありました! 名前は【平岡ひらおか千晶ちあき】! 東京墨田区の深夜営業カフェにいます!』

「……遠くありんせん?」


 サイトに書き込まれた被害者が、関東中心に無くなっていることは知っていた。しかし、お菊がいるのは桜ヶ丘警察署──少秘警──のあるA区画だ。神奈川寄りにあるここからでは、東京都、さらに墨田区なんてかなり距離がある。


『私が行く! サムとお菊は巡回に切り替え! 不審人物は片っ端から職質して! 零聞こえてる?! インカムの通信範囲の拡大と平岡千晶のGPSの特定を私のスマホに送って!』

『了解です!』

「頼みんす。サム、駅前を通ってB区画まで行きなんし。わっちは旧道通ってC区画まで行く」

『はいはい。サボんないでちょうだいよぉ』


 お菊は高下駄を鳴らして夜を歩いた。風を切る音に混じってインカムから砂嵐が聞こえる。

 お菊は辺りを警戒しながら見回りをした。ピリピリと張り詰める意識に、風に揺れる葉音も、どこからか聞こえるいびきも、何もかもがうるさいと感じた。

 ふと、濃厚な墨の匂いを嗅ぎとった。


 お菊は袖の短刀を握った。

 背後から近づいてくる足音に耳を澄ませた。カツカツと、ハイヒールの音が聞こえた。お菊は短刀を抜く。自分の真後ろに、誰かが立った瞬間、振り向きざまに短刀を振り回した。



「ちょっとぉ! 危ないでしょ!」



 そこにいたのはサマンサだった。月光に反射する金髪がふわりと風になびく。

 お菊はサマンサの首元で短刀を止めた。そして深く息を吐いて、短刀を鞘に納めた。

「B区画に行けって、わっちゃあ言ったはずでありんす。何でこっちに来てんだい」

「あら酷いわぁ。不審者がこっちに来たから、追いかけてただけよ」

「へぇ、でもこっちには誰も来ていんせん」


 サマンサの頬を膨らませて不満を顔を出す。しかし文句も言わず、怒りもせず、サマンサは冷静だった。スマホを右手で操作すると、お菊に「連絡がある」と切り出した。


「署長から、署に戻れとメールが来たわ。何でも、今捜査中の事件についてだとか。お菊も行きましょう。待たせたら悪いわ」


 サマンサはそう言って、お菊の手を握った。お菊はサマンサの手を少し見つめると、弾くように振り払った。

 驚くサマンサに、お菊は静かに聞いた。


「サム、わっちに化けなんし」

「えっ?」

「いいから、化けてみなんし。出来ないなんて言いなんすな」

「いや、意味が分からないわぁ」

「さっさとやれっつってんだ。馬鹿女」

「そ、そんな言い方ないでしょ? お菊どうしたのよ。変だわ」



「…………変なのはお前の方だろ」



 お菊は仕舞った短刀をもう一度引き抜くと、何も言わずにサマンサの首を斬り落とした。

 その瞬間、サマンサの体は弾け飛び、辺りに墨を撒き散らした。

 地面に作った墨の池にお菊の顔が映る。橙色の髪はより鮮やかに見えた。



「やはり気づかれてしまったようだね」



 柔らかな声が聞こえた。お菊は横道に目を移す。路地の暗がりに、男が立っていた。上手いこと影に隠れていて、その顔は見えない。だが、自分と似たような気配を感じた。


「うぅん、身内の癖は全て知っているようだ。いいや、小生ワタシの調査不足かね?」

「……誰でありんしょう。こんなみみっちい真似をしてくれるおたんちんは」

「まだ名乗れる段階じゃあないんだ。許しておくれ。小生ワタシは通りすがりなんだ」

「サムに手ぇ出しんしたろう」

「ああ、あの異国美人かい? いやいや、あまりにも美しいものだから、少しだけ描かせてもらっただけさ。手なんか出しちゃあいないよ。安心したまえ」


 暗がりの男は物腰柔らかに話をする。お菊は短刀をきつく握った。

 男の言動にどこか見覚えがあった。だが、その声も、身長も、初めて見る。お菊はあったことがないと分かっていても、懐かしささえ覚えていた。

 警戒しているのに、どこか心が緩んでいる。


 男は言った。

「もし会うことが出来たなら、伝えておくれ。『割れた面は元には戻らない』と、ね」

 暗がりに消えていく男に、お菊は短刀を投げつけた。しかし短刀は電柱に突き刺さり、男にあたることは無かった。


「おお怖い。流石、昔に名を馳せただけのことはあるね。『辻斬り花魁』──菊池時信」

「どこでわっちの名前を……!」

「さぁてどこだろう。あぁ、さっきの伝言の件、身内の誰かに言えば分かるだろうさ。必ず伝えておくれ。これは宣戦布告なんだ」


 そして男はいなくなった。

 お菊は呆然としていたが、ハッとして短刀が刺さった電柱まで走った。その先の暗がりまで目を凝らしたが、男の姿はもう無かった。


 お菊は足の力が抜け、電柱にもたれた。張り詰めていた気が、全て引き抜かれてしまったようだった。自分が見ていたものも、夢のように思える。

 だがそこに刺さった短刀と、道に広がる墨の匂いが、夢ではないとお菊の首筋をなぞった。

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