第4話 不機嫌な二人と署長を足して

「ちょっとぉ、もっとスピード出しなさいよ」


 お菊はカーナビとサマンサの相手をしていた。メモの住所は神奈川寄りとやや遠く、地図を見てもやや入り組んだ道の先にある。

 ちらりと助手席に目を向けると、足を組んで不機嫌なサマンサがぶつくさと文句を言った。

「トロいったらないわ。対向車もないしもっと飛ばしても大丈夫でしょ」

「警察が法定速度を守んなくてどうしなんす。道が複雑だから変にスピード出せないし」

「ハッ! これだから日本は……。道路狭いし遅いし! 真面目すぎんのよ!」

 サマンサは散々文句を言うと、すぐ外に顔を向ける。「副署長の脅しは怖いが、やっぱりお菊と一緒は嫌だ」と態度で示す。お菊もため息をついて舌打ちをこぼす。


 ──わっちだってお断りだい!



「すぐ右よ」



 信号を曲がるなり、サマンサが口を開く。お菊はカーナビを確認すると、黙ってハンドルを右にきった。サマンサはまた口を開く。


「先のレストランまで直進。その角を左」

「んー」

「このパトカー小回りきかないわね。ミニパトにすれば良かったんじゃない? 今後ろの車煽ったわね」

「ナンバー撮って情処課に送信。リストに追加して注意しんしょう。ちょっと止めんす」


『は〜い後ろの車ァ。ちょっと端に寄りなさ〜い』


 ***


 違反切符を切って、喧嘩を挟みながら車に揺られ、ようやく現場に着いた。

 そこは枯れた木の鳥居が寂しそうに立つ、小さな小さな神社だった。境内は既に到着した神奈川県警で溢れていた。

 お菊が鳥居に一礼し、神社に入ると、神ではなく人間が嫌悪感を放つ。

 やっぱり県警か、などと考えていると、一人の男が聞こえよがしに咳払いをした。


「全く、どんな子供が来るかと思えば、こんな大人が来るなんて……」


 小綺麗なスーツに身を包む男はがっかりだと言わんばかりにため息をついた。

「お世話になってます。神奈川県警の谷川たにかわです」

 谷川が警察手帳を開いて挨拶をすると、お菊もそれに倣って手帳を開く。谷川はあからさまにやる気のない態度をとった。

「この件は少秘警あなた方の担当になったんですよね。……はぁ、引き継ぎをしますので担当の方は? 部下の方はどちらに?」

「いんや、谷川警部補。この事件はわっちらが担当することになりんした。引き継ぎはわっちが」

 お菊がそう言うと、谷川は肩を落として部下を呼んだ。お菊が引き継ぎの書類に署名すると、また深いため息をつく。サマンサは落ち込む谷川に勝ち誇ったような笑いを浴びせた。

「ウフフフ。子供をいじめ倒そうなんて百年早いわよ。さっきからキョロキョロしちゃってぇ、子供を探してるのがバレバレよ。お見通しなんだから!」

「あ、いやサム、その人は……」

 お菊がサマンサを止める前に谷川は「くぅっ」と声を漏らし、顔を覆った。


 能力者は政府規模で嫌われている。当然、警察だってそうだ。しかし、全員が嫌っているかと問われると存外そうでもなく───



「今日は誰が来るかなって楽しみにしてたんです」



 谷川の様なもいるのだ。

 さめざめと泣く谷川に、サマンサは「えぇ…」と引き気味に反応した。

 谷川は目に浮かべた涙を拭い、引き継ぎの指示を出す。撮った写真や証拠品が次々にサマンサの腕に溜まっていく。

 谷川はお菊の手をぶらぶらと振った。

「確率的には火里くんと風谷くんが来ると思ってたんですよ。そうかぁ、大人か〜……」

「いつもお世話になって……あ、そういえば五十嵐いがらし警部の容態の方は……?」

「ああ火傷ですか。お宅の医者が綺麗さっぱり治してくれましたよ。お宅の子たちはいつも事件の早期解決に努めてくれて、警察としてもすごく頼りになってまして……」


「家庭訪問か! ちょっと話すのやめて! 肝心な遺体を見てないでしょ!」


 サマンサパトカーの後方座席に証拠品を積み終えると、二人の間に割って入った。

 谷川はハッとして「これです」と拝殿の前を指さした。


 拝殿の前で大の字になる男。胴体を大きな杭が貫き、石畳に亀裂を入れる。水風船を割ったように散った血飛沫が亀裂にまで染み込み、赤黒く変色して異臭を放っていた。

 男の顔は自身の血と恐怖がこびりつき、目を見開いたまま絶命していた。その喉は死ぬ直前まで叫んでいたようで、開いたまま顎が固まっていた。

 神社の端では、新人であろう鑑識が数人ぐったりとして木につかまっていた。それもまだマシな方だ。お菊はしげしげと見ているが、耐性が無ければその場で吐いてトラウマになる。

 それほどまでに酷い有様だった。

「確かに、こりゃダメな事件でありんす」


Grotesque気持ち悪い……」


 サマンサが遺体を見てすぐに近くの木にもたれた。仕方がない。刺激が強すぎる。

「で、被害者がいしゃの身元の確認は?」

「それが、何も持ってなくて……探しているんですが今だ手がかりなしです」

「ほぁ〜、……で、もう一つ聞きたいんすが」

 お菊は手水舎の方に親指を向けた。そこには複数の警官が誰かを取り囲んでいた。谷川は軽く汗を拭うと「聴取です」と答えた。

「第一発見者なんですが、どういうわけか部下が集っちゃって」


 あれが聴取か?

 尋問するかのように取り囲む警官に嫌悪感を抱く。サマンサが遺体をお菊に押し付けて、聴取の輪に近づくと、いきなり警官を突き飛ばし、叱りつけた。警官の壁が崩れたお陰で声が聞こえた。


 サマンサと警官の言い争う声に混ざって聞こえる、仲裁する落ち着いた──女の声。



「まさか……っ!!」



 お菊は弾かれたように駆け出し、慌てて警官を引き離した。サマンサが視線で「遅いわよ」と抗議する。それを無視してお菊はその女を庇うように腕を広げた。

 女は着物の裾を直すと、それをそっと下げた。



「大袈裟だな。私は指一本たりとも触れさせていない」

「そうもいきんせん。署長」



 署長はやれやれと首を振った。


 ***


 警官を追い払い、署長は軽いため息を吐いて腕を組む。お菊とサマンサを連れて遺体の前まで来ると、転がる男の顔をじっと見つめた。

「全く……外を歩けばすぐこれだ。通報に迅速に対応するのは結構なことだが、こうも勝手に決めつけられてはな」

「署長は何を聞かれてたのかしら?」

「単に昨晩の行動だ。この男、丑三つ時に亡くなっているからな」


 近くにいた鑑識官は目を丸くしていた。谷川に伝えた死亡推定時刻、署長はそれをぴったりと当てていたのだ。

 署長がハンカチを取り出すと、サマンサが慌てて声をかけた。

「署長、被害者はまだ身元不明なのよ。良かったらその、ちょっと

「む、そうか。仕事が滞っては困るからな」

 署長は了承すると、遺体の傍らにしゃがみ、じっと遺体を見つめた。お菊も側でそれを見守る。


 署長の長いまつ毛が根元から白く染まる。瞳も飲み込まれそうな深い闇色から輝かんばかりの山吹色に変わる。龍の双眸そうぼうでじぃっと遺体の顔を見つめ、静かに目を閉じた。

 まつ毛から白が抜け、再び目を開くと元の闇色に戻った。


田畑たばた幸司こうじ 四十五歳。住みは東京都の文京区だ。商店を営んでいて、家族は妻と息子が二人居るようだな。高校の友人との刻まで酒を交わし、帰り際にここで殺められた」


 署長の口からズラリと並ぶ男の詳細情報に、警察は揃って目を白黒させた。

 無理もない。捜査をする前に署長は男の身元を特定してしまったのだから。

 サマンサが署長の後ろで、胸の高さで手を挙げた。署長はそれを見もせず、聞きもせずに「居酒屋『椿の枝』の女将おかみ」とだけ答えた。

 サマンサが納得してパトカーに乗ると、現場を離れた。


「財布や名刺入れをそこに忘れたらしい。それが視えた故、身元特定の証拠を取りに行ったんだ」


 お菊が聞くよりも先に署長は口を開く。心を読んでいるかのような行動の速さにお菊も心臓が冷える。署長はカラッと笑って遺体にハンカチをかけ、手を合わせた。


 その瞬間、警官が一斉に署長に銃を向けた。


 鑑識は慌てて解散し、谷川は「よしなさい!」と部下を制する。

 その場の温度が下がっていく。凍てつきそうな空気で、お菊は腰の煙管ケースを握った。

 誰が動いても引き金を引かれる、迂闊うかつに動けない状況で、お菊は好機を待った。


 緊張感で肝がはち切れそうな中、署長はゆっくりと立ち上がった。


「署長っ……!!」

「動くな! 化け物がッ!!」


 誰かが叫んだ。

 チャキッと銃の音もした。

 しかし、誰も銃を撃たなかった。

 署長はぐるっと、警官たちを睨め回す。惹き付けるその瞳の奥は、無力な人を喰らおうと待つ鬼のようだった。



「撃ってみろ」



 そう吐き捨てた。鉛のように重い言葉に警官は足を震わせる。銃を落とす者もいた。

 署長はもう一度、牽制するように警官を見つめた。そして、何事も無かったかのように参道を歩き出した。

 緊張から解き放たれ、安心したのも束の間。お菊は署長の腕を掴んで足を止めた。


「本当に撃たれたらどうする気でありんす……!」


 お菊の心配をよそに、署長はカラカラと笑った。

「なぁに、どうせ撃たれても私は死なぬ。それに、奴らは人の命の何たるやを人並みに理解しているからな。……まぁ、お菊が撃たれたらかも知れぬがな」

 どちらにせよ危険であった事にお菊は心底安堵した。煙管を咥え、署長を見送ると、署長はくるりと振り向いた。

「私は署に戻るが、あと聞きたい事はないな? あるなら今のうちに頼むぞ」

「え? あぁ、じゃあ……署長が『視た』なら早いし、犯人は誰でありんしょ?」

 署長は顎に手を添え、少し考えた。

 すぐに難しい表情に変わると、境内を指差した。お菊が振り向きその方向を見ると、あるのはあの深く突き刺さった杭だ。


「…………


 お菊は杭を睨んだ。

 数人がかりで抜こうとしているあの杭が、犯人なわけあるか。凶器というのならともかく──

 しかし、署長は「あの杭だ」と断言した。

「私が視たのは被害者の電話にがきた直後、あの杭が被害者を狙い続けていたことだけだ。残念ながら犯人の顔は視えなんだ」


 ──いやいや、何だそれ。

 署長に礼をし、その背を見送った後で杭に近づいた。電柱並みに太さ、数人でも抜けないその重さ。確かに犯人、とも言える凶器だが、これがひとりでに動くとも考えられない。

 お菊は片手で杭を掴んだ。


 ちょうどサマンサが帰ってきた。

 袋に入れた男の所持品を運転席からかざして見せる。指で輪っかを作ってみせ、サマンサに後部座席のドアを開けさせた。

「これは証拠として預りんす。余ったブルーシートをくれなんし。解剖は任せんした」

 お菊は手早く指示を飛ばすと、杭を思いっきり引き抜いた。

 その遺体の内部や杭の付着物に何人かが耐えきれずに吐いた。

 谷川が顔を逸らして「解剖結果は分かり次第報告します」と口早に返した。

 杭をブルーシートで包み、後部座席に乗せる。長さのせいで運転席に突き出ると、サマンサがあからさまに嫌な顔をした。

「なんでこっちにまで出てくるのよ。降ろすのはあなた一人でやってちょうだいね!」

「はいはい。帰りんしょ」


 サマンサは気持ち悪いだの鉄臭いだのと文句を垂らしてアクセルを踏んだ。

 お菊は地図に印をつけた。

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