丑刻参り惨殺事件

特殊事例の大人編成

第1話 主任たちの会話


 少秘警──主任執務室


 情報処理課の三階、一番広い部屋を陣取る各課の主任たちの作業場。学校でいう『職員室』のようなものだ。

 無論、各々で個別の執務室をもっている。が、基本的に倉庫になるか埃だらけになるかの二択になって使われない。



 理由は『ここが一番居心地がいい』から。



 その執務室の二つに別れた机の島。入口から最も遠い机で、山のような書類を片付けるお菊がいた。

 橙色の髪は荒れ、化粧も口と目尻に紅を乗せただけ。だが着物だけは上等品。普段なら許せない手の抜いた格好だ。

 それでも、インクで黒ずんだ手を動かして先の事件の始末書と報告書、警察の委託事件の受諾の可否、部下の申請書の処理や、次の授業の資料作りを休むことなく捌き続けた。



「あーもう! 終わんないじゃない!」



 向かいの机では長谷が音をあげた。

 長い黒髪の隙間から充血した目が見えた。髪をかきあげ、大きく伸びをしてまた電卓を叩く。計算が合わなくなると机に頭を打ちつけながら唸り声をあげる。

 目の前で恐怖映画のワンシーンを見せられ、お菊は引き気味に目薬を投げつけた。

「目薬さして休憩とってきなんし。怖いわ」

「無理ぃ! まだ領収書の処理が終わってないのよ。なんで万単位で合わないのよ! 予定が狂う! まだ警視庁に謝罪行ってないのにぃぃー! どうしてパトカーの領収書があんのよ! 勝手に買ってんじゃないわよ!」


「薫がやりんした」

「じゃあ落としたげる!」

 ───チョロい。


 お菊はため息をついて書類の山に手を伸ばす。触れた山は半分以下に減っていた。

 ──おかしい。確かに長谷に気を取られたが、数秒程度だ。こんなに減るものか。

 横を見ると、黙々と筆を走らせる少秘警専属医──りょうがいた。

「お菊も休んでくるんだな。一応俺も関係者なわけだし、あと判子はんこ押すだけにしておく。また医務室に来られても困る」

「え、やだ。まだ教材の準備が終わって……」

 お菊はそこまで言って口を閉じた。療がぎろりと睨んでいた。療はおもむろに立ち上がると、机の引き出しから分厚いファイルを取り出し、お菊の机に叩きつけた。


「先月分の主任用治療記録だ。肉離れ、刺傷、打撲、まぁこれは仕事だからな。風邪、二日酔い、筋肉痛、馬鹿に塗る薬を寄越せとも言われたが、人間だからと妥協しよう」


 長谷が向かい側で笑った。「馬鹿に塗る薬ねぇ。あったわねそんな事も」と懐かしみながら目薬をさす。だが手を滑らせ、容器を目に落として悶え苦しんだ。

 療は無視して話を続ける。


「問題なのは長時間労働と残業による疲労だ。これが一番多い。アイツらには休ませるのに自分たちが休まないのはどういうことだ!」

「子どもは遊ぶのが仕事でありんしょう? こんな政府やら警察やらが押し付けた仕事で『青春』ってやつを潰したら可哀想じゃないか」

「子どもは大人を見て育つんだ! そんな背中見て育ったらワーカホリックになる! 労基法を守れ! 大体それやるから俺の仕事が増えるんだ!」


 ──それが本音かチクショー。



「まぁまぁまぁ、落ち着こう」



 ローブの男性が間に入って仲裁した。

 情報処理課主任──アルフレッド・N・ヘルキャットだ。丸メガネをキラッと光らせ、人差し指を天に向けた。


「仕事も大事だけど、休息も大事! そういう事で決着つけるのだ!」


「『つけるのだ!』じゃない。アンタが一番医務室に来てるんだぞ」

「なぬっ! それは多分記録の間違いじゃ……」

「間違えてない。研究や会議の連絡以外に診察回数が周りより頭一つ抜けてんだな」

「はぅっ!」


 療の矛先がアルフレッドに向いた。騒がしくなる隣にお菊は安堵して煙管をふかす。


「禁煙よ」

「電子煙管でありんす」


 目薬を投げて返し、長谷はカレンダーに目をやった。初夏の写真のついたカレンダーにため息をこぼし、その場の誰かに問う。



「ねぇ、ベイビーちゃん達が謹慎して何日目?」



 お菊も目を向けた。予定だらけのカレンダーは窓から入る風に揺れていた。

「……ちょうど、一ヶ月だな」

 療が答えた。お菊は煙を宙に吐き出した。


 薫と隼がヘマをしたなんて聞いた時は耳を疑った。生真面目な隼も、やる時はやる薫も、そういう失敗をしたことが無かった。

 署で一番の検挙率を競うあの二人が……と考えたところで、突きつけられた事実を覆すことはない。

 お菊は深いため息をついて煙管をしまった。


「かなりの痛手だわ。二人がいないだけで犯罪率は五パーセント上がるし、未成年の軽犯罪も五件増えたわ。刑事課が総動員しても間に合わないもの」

「まぁ、警護課もてんてこ舞いで、諜報課に応援頼みんしたしなぁ」

「居なくなってその有能さを痛感するわぁ。修理費の計算が必要ないのは嬉しいけれど、あの子達が無事ならそんなの苦じゃなかったのよ。元気な声が聞きたいわ。あー……匂い嗅ぎたい」


「最後の一言が余計だな。そっちが本音だろ」

「しみじみとした空気返しなんし」

「だから『リアルホラー映画』なんてあだ名がつくんだぞ」

「ちょっと待って、そのあだ名誰がつけたか教えてくれる?」


 シリアスな空気になったかと思えば、すぐにやる気のない雰囲気に戻る。お菊はアルフレッドに問い詰める長谷に呆れた。療は再び矛先をお菊に向け、小言を垂れる。

 それを聞き流し、お茶でも淹れようかと考えていると、机の隅に温かい緑茶が置かれた。顔を上げると、満面の笑みで立つ陽炎がいた。



「はっはっはぁっ! 皆仲良く話に花咲かせておるのぉ。実に結構!」



 突然の副署長登場に全員が面をくらった。長谷は慌てて立ち上がり、敬礼した。お菊や療もそれに倣う。アルフレッドは少し遅れて自分が置かれた状況に気がついた。


「すみません。すぐ業務に戻ります」

 長谷が申し訳なさそうにそう言うと、陽炎は笑い飛ばした。そして手にした全員分の緑茶を配った。

「構わん構わん! 息抜きも仕事の内じゃ。いやぁ安心した。わしが来ると誰も話さんで仕事しとるで、息でも止めとるのかと思うてたでな」

「そりゃあ副署長が来れば気を締めますよ。これ、判子お願いします」

「報告書じゃな。あいわかった」

 療は陽炎に報告書を託すとそのまま執務室を出ていった。お菊はまた煙管を出してふかし始めた。

「副署長、わっちゃあ気配を消して入るのは止めなんしって前にも言いんした」

「いやなに、そうでもせんと雑談に混ざれんでのぉ。寂しいんじゃよ」

「寂しがり屋か!」

「それに今みたいに声掛けたら、仕事に戻るじゃろうが。なら聞いてるだけでも混ざりたい」

「ホントに寂しがり屋かい!」

 陽炎は思い出したように手を叩くと、お菊に小さなメモを渡した。

 メモを開くとホテル名とその住所が書かれていた。お菊は心底嫌そうな顔で陽炎を見た。陽炎は意地悪な顔で笑った。



「今夜帰ってくるそうじゃよ」



 お菊はメモを握りつぶして緑茶を飲み干した。長谷は笑いながら、そっとお菊に手を合わせた。

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