第8話 経過報告

 放課後の鐘と同時に教室を飛び出す。女子の足止めを躱して逃げるように校外の駐車場に向かう。

 本当は禁止だが、登下校用に借りた少秘警のバイクに乗って署へと走らせた。

 刑事課の建物の前にバイクを停めて、奥の事務室に入る。一足先に来ていた薫が、お菊とお茶の準備を進めていた。


「おかえり。学校はどうでありんす?」

「建物の構造がパンフと違うのでどこかに空き部屋みたいな空間があるかと。教員はこのについては知らないと言うので、明日残りの教員に話を聞いた後、生徒にも……」


「そうじゃなくて」


 お菊が隼の口にせんべいを詰めた。突然口に広がる醤油の味に驚くと、薫がすかさず緑茶を差し出す。お茶で一気に流し込んで咳き込むと、お菊は呆れたため息をついた。

「事件の進展を聞いたんじゃありんせん。担当は貞子ていこだし……」



「『普通』の学校生活はどうでありんすか」



 外で風が踊って消えた。差し込んだ黄昏色たそがれいろの光が黒い髪を透かしていく。お菊は慈しむような瞳で微笑んだ。

 そうだ。そうだよ。仕事とはいえ学校に行って、勉強して、『普通』の生活を送ってるんだ。


 剥奪された権利を今、取り戻している──


「そう、ですね。中学までは通ってましたけど、高校は初めてですし……、勉強を積み重ね、部活に励む姿は若者の特権ですから、見てて微笑ましいです」

「いや、体験してどうだって聞いてんだろ。ジジくさいこと言わないで、自分の感想を言いなんし」


 お菊にツッコミとやり直しを言い渡されて考え直す。こういう時、どう言えばいいのだろうか。

 ああ、簡単なことも言えないなんて……。




「楽しいよな」




 薫が隼の問答を斬り捨てる。せんべいを齧ってそっぽ向く。

と仲良くなれたし、……センセーと喧嘩っつーのも久しぶりだし、な」

 わざと暮れゆく外を見つめて赤毛を輝かせる。薫の返答にお菊は煙管をふかした。そして隼の返答を待つ。

 素直な言葉はどうして出てこないのか。上手く口が動かず、意味もなく手が泳ぐ。

 顔を逸らさなければ、喋れなかった。


「……その、楽しい……です」


 顔が熱を帯びていく。お菊の意地悪な声が漏れる。余計に恥ずかしくて報告書の準備をした。



 事務室のドアが小さく揺れた。全員がドアに注目する。

 また揺れた。次第に揺れは強くなっていく。廊下から足音が聞こえる。

 硬い床を叩く靴音は人間のスピードを超えている。尋常ではない。

 火照った顔は一転して、血の気が引いて目の前が真っ暗になる。

 蝶番が外れた。ドアが前のめりに倒れた。

 目の前に現れた長い髪の女は両手を広げて隼に襲いかかる。

 満面の笑みの長谷に頭が真っ白になった。ムチのようにしなる髪がすぐそこまで──




「半径二メートル宣言っ!!」




 口から出たのは先の約束。

 目と鼻の先で止まった髪束の侵攻。苦い顔でその場に留まる長谷は「やめます……」としょぼくれた。お菊が煙を吐いて「アホ」と呟いた。

「うぅ……、ベイビーちゃんが目の前にいるのに……ハグさえ出来ないなんて!」

「いや今回ばかりは懲りてくれ。隼が訓練中に本気出すとか初めてだぜ?」

「そのまま倒れんしたなぁ。過度な愛は胸に留めておきなんし」

「無理ぃっ!一日一回は触んないと気が狂っちゃう!」

 いやもう、狂ってるじゃないですか。


 言いたいことを飲み込んで長谷に報告する。報告を終えると長谷は腕を組んで壁にもたれた。

「教師が知らないって、どういう事よ。二桁も失踪してんのに」

「それが分かったら苦労しねぇよ。生徒間にも危機感ねぇしな」

「危機感無し?クラスメイトが減ってんのに?」


 静かな空気が漂う。各々が考えて答えを探る。手掛かりはほぼ無い。思考の働きは鈍いものだった。


 そういえば生徒達は怖がる様子もなかった。噂も流れていない。もし教師生徒全員が知らなかったとしたら……



 



「うん」

 長谷が頷いた。


「明日は生徒にも話を聞いて。教師陣に話を聞く機会があったら昨年の事件のことを聞きなさい。私も少し当たるとこ当たってみる」

「一つ、ついでで良いんですけど。事件を通報した人の特定もお願いします」

「分かったわ。二人共、気をつけて仕事してちょうだい」


「はい」

「おーぅ」


 返事を聞いて満足する長谷は、「お願いがあるんだけど……」と前置きした。

 何を頼まれるのか薫と視線を交わす。長谷は真面目な顔で手を出した。


「隼と薫の一部が欲しい」


 お菊が反応する。薫は言葉も出ない。

 ……一部?何で?


「触れないなら嗅げばいいんでしょ」


 どこぞの貴族の様なセリフを掲げて隼ににじり寄る。お菊が長谷にラリアットしてそのままどこかに連れ去った。

「靴下でいいから!それがダメならハンカチとかでいいから!」


 遠くで変態発言する長谷と、叱咤するお菊の怒鳴り声。事件の真相どころか自分の将来さえ見えなくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る