第117話 さっさと終わらせよう

【魔大陸側帝国軍】


 帝国軍は脱出路を見つけ出すことができずに日没を迎えてしまった。

 渓谷の前も後ろも高い壁に閉ざされ、進路も退路も絶たれ、高い崖はよじ上ることさえ困難な状況だった。


「くうぅ……こう暗くなってしまってはどうにもならん。明るくなるまでここで野営を張る。全員分散せずに固まり、周囲の警戒をしつつ朝を待て。明るくなってから再度脱出路の探索だ」


 将軍はこののっぴきならない状況に呻吟しながら、やむを得ずそう命令を下した。どちらにしてもこの暗闇の中で動いては、余計な怪我人を出す可能性も否定できない。ここは朝を待つのが得策と考えるに至ったのだ。

 閉じ込められている以上、挟撃の恐れはない。懸念するとしたならば、崖上からの攻撃。しかし崖上からの攻撃に、崖下から応戦する術もない以上、警戒をしながら夜を過ごすしかないと将軍は苦渋の決断をするしかなかった。

 もしも、崖上から大岩等を落とされるだけでも、帝国軍は壊滅的な被害を受けることは想像に難くない。


「くそっ! こんな罠を仕掛けていたとは、魔王のいない魔族を少し侮り過ぎていたようだな……」


 魔王のいない魔族など、簡単に制圧できると考えていたが、こんな戦法を準備していたとは思いもよらなかった。


「なにか良い手立てはないか……」


 この状況を打開できる術はないか。そう思考していると、


『なぁ──ははははははっ‼』


 闇の中、そんな不気味な嗤い声が谷底に降って来た。


「な、何事だ⁉」


 帝国軍全員がその嗤い声に怯えを見せ、暗闇に視線を巡らせその正体を捉えようとする。

 しかし嗤い声が木霊するが、その正体はどこにも見当たらない。


「な、何者だ‼」


 将軍だけが虚勢を張りつつも、嗤い声の主に問う。

 次の瞬間、パッと目の前が明るくなり、道を塞いでいた大壁に何者かが映し出された。


『なぁ──ははははははっ‼ 帝国軍諸氏、魔国へようこそ。ささやかな歓迎だが喜んでくれただろうか?』


 大壁に映し出された妖艶な女性が、豊満な胸を強調しながらそんなことを言った。


「くうっ……ま、魔王……」


 閉じ込められているどこがささやかな歓迎なものか、と思いつつも、将軍は目の前の女性が魔王であると直感で悟った。


「ま、魔王! 貴様は異世界に飛ばされたのではないか⁉」

『ふっ、異世界にいようが、強大な力を持つ我に不可能はないのだ』

「なぁ……」


 大胆不敵にそう言い放つ魔王に、将軍は息を飲まざるを得なかった。

 まさか、そんな、そんなふざけた事ができようものか、と思考する。この世界とは別の世界から干渉できるだけの強大な力を有するとでもいうのだろうか。

 にわかには信じがたい。だがこうして目の前にその姿を現したのは紛れもない事実だ。


『さて、武器を捨て、素直に投降するのだ』

「くっ……」


 将軍のわなわなと震える手が、隣に立つ兵の槍を掴む。


「喰らえ! この化け物が‼」


 思い切り投擲された槍は、空気を切り裂きながら魔王の胸の辺りへと驀進するも、ギャン! と火花を散らしながら壁に跳ね返された。


『やれやれ……少しは話を聞こうともしないのか? 皇帝ともども帝国には脳筋が多いようだな』


 槍が当たったであろう胸の辺りをパタパタと指先で払いながら、涼しい顔で将軍を睨み付ける魔王。


『この姿は虚像に過ぎん。残念だが、そこから我を倒すことはできないと知れ。我に傷一つ付けることも叶わんさ。なぁーははははっ!』

「ええぃ! 弓隊、矢を射ろ‼」


 将軍の命令で弓隊が一斉に矢を射るも、全て壁に当たって弾かれる。多少壁は削られるものの、魔王には一切ダメージを与えられていない。


『やれやれ……ではマオ、少し脅かしてやろうではないか』


 魔王は辟易としながらかぶりを振り、傍にいるマオという幼女にそう言った。


『おう、任せろ』


 間断なく射られる矢の中、マオは魔王の前に出てきて口を開く。


『ふん、魔族に戦争を仕掛けるとは、お前等生きて帰れないと思え』

「なんだ、ちんまい幼女が! ふざけているのか⁉」

『ちんまい幼女言うな‼ これでも我は魔王の分身、魔王の魔力は我に引き継がれているのだ‼』

「何が引継がれている、だ。冗談も大概にしろ! 貴様のようなちんまい幼女に何ができるというのだ‼」

『あっ! またちんまい幼女言ったな⁉ もう許さんぞ‼ 我の力、存分に味わうがいい!』


 ──なぁーハハハハハっ!


 本家本元の嗤い声を上げながら、マオがばっと両手を開くと同時に、渓谷の両側の崖が一斉に照らし出された。

 帝国軍の後方までの長い距離の崖が、ごつごつとした岩肌を鮮明に照らしだした。

 その光景に帝国軍は度肝を抜かされる。


「こ、これがなんだというのだ!」

『なーははははっ! これで終わりだと? いやいや、まだまだこれからだ‼ 帝国軍諸氏よ、震え上がるといい、なぁーはははははっ‼』


 マオが今度は両手を高々と挙げると、ゴオオオオオオオオ、という地鳴りのような音が徐々に谷底の空気を揺らし始める。


「あ、ああああ、ああああああ、しょ、将軍! が、崖が、崖が崩れてきます‼」

「なぁ……」


 地鳴りの轟音と供に崖の岩が振動し、崖から大きく剥離しようとし始めているのを見て将軍は目を疑った。

 これだけの距離の崖を一斉に崩すだけの力が、このちんまい幼女にあったのか、と今更ながらに驚愕する。さらにこの規模の崩落があった場合、部隊は大打撃を受けてしまうと瞬時に思うに至った。


 大小様々な岩塊が岩肌から剥離し、崩落し始める。

 兵達は絶望の絶叫を発しながら、地面に丸くなって危機を迎えようとしている。谷底にいて両方の崖が大規模に崩れてきているのだ、逃げ場などないと全員が諦観している。


 ──うわーああああああああああっ!



 帝国兵の絶叫が谷底に木霊するのだった。




 ▢



 コンクリートブロックを積み上げた壁面に、大家さんとマオがプロジェクターによって投影された。


 帝国の将軍とやらは、大家さんを魔王と認識したようだが、実際はマオが魔王ですよ。

 マオは魔王の分身としての設定らしい。たぶん大家さんの考えがあるのだろうから、俺が口を挟む問題でもない。

 おそらくマオがそのまま魔王としてこの作戦に出ても、マオを魔王と認識されないと考えての事だろう。現にマオはちんまい幼女としか将軍に認識されていなかったようだし。

 ただマオにも少しでもこの作戦に参加させたいといったところだろうか。


 ということで、結局帝国軍は皆脳筋揃いということが分かった。

 進路も退路も塞がれてしまったというのに、それでも虚勢を張って反抗してくるところは、どうしようもなく滑稽だった。閉じ込められ、こちらに攻撃すら届かないというのに、何を根拠に勝てると思っているのだろうか?

 壁面に映し出された大家さんとマオを見ただけでも、攻撃するといった手段に打って出るという愚策を何故とるのだろうか?

 普通なら交渉のテーブルに素直に乗るのが定石だろう。進路も退路も断たれ、このまま放置していても数日と待たずに2万ほどの兵士は餓死するかもしれないのだ。もっと言うなら、力のない魔族軍が大挙して、崖上から人頭大の岩を落とすだけでも簡単に殲滅できてしまうのである。

 万に一つも勝ち目のない状況で、どうして最初から抵抗を示すのだろうか疑問に思ってしまう。

 これが戦争、ということなのだろうか?


「エンデル、異世界人てのは、みんなあんな考えなしなのか?」

「えーと、たぶん帝国人だけですよ」

「そうなの?」


 エンデルが言うには、帝国人というのは、強引に周囲の国々を侵略し、国土を拡げていった野蛮な国だという。

 自分たちの筋肉を絶対だと信じ、だたひたすら力任せに侵攻する集団だそうな。


「やれやれ……結局脳筋集団ってことなのね……」

「脳は筋肉じゃないのです。脳みそですよ?」

「いや、そういった奴らを総じて脳筋野郎と呼ぶんだよ。後先考えない猪突猛進型の力任せの短絡思考、戦略よりも筋肉で勝負! みたいな暑苦しい奴ね」

「イノシシの方が考えているのです、たぶん」


 わあ、イノシシの脳よりも劣っているらしいよ? 皇帝さん、将軍さん……。


 ともあれ大家さんたちの演技も、交渉をすっ飛ばして進んでいるので、幾分巻き気味に進行させねばならなくなった。


「映像班、スタート!」


 マオの合図とともに帝国軍が閉じ込められている両側の崖がプロジェクターによって照らされる。そしてそこからプロジェクションマッピングにより崖の崩落を演出させたのだった。崖上には大音響を響かせるスピーカーシステムがずらりと並べられ、空気を震わせる振動が、まるで実際に崩落が起きているかのように、臓腑を震わせる。

 いつの間にこれだけのプロジェクションマッピングを作り上げたのかは知らないが、また大家さんの力が遺憾なく発揮されたのだろうと呆れるしかない。納期の厳しい注文を受けた業者さんの苦労が目に浮かぶようだ……ご愁傷様。


崩れ落ちる崖に逃げ惑う帝国兵。だが逃げ場などどこにもない。

これだけの規模で本当に崩落が起きたのならば、帝国兵など一瞬で全滅することだろう、と思えるほど真に迫った映像である。

 そしてマオの次の合図で、その崩落の映像をぴたりと停止させた。


「なぁーはははははっ!」


 マオの嗤いが収まると、渓谷はシーンと静まり返った。

 頭を抱えながら崖の崩落に備えていた兵士達も、その光景に息を飲んだ。

 大規模な崩落が途中で静止している光景など、まるで幻覚でも見ているような驚きの表情だ。だがそれで終わりではない。


「このままお前らの頭上に落としても良いのだが、どうする? 我にかかれば、こーんなこともできるのだぞ! なぁーはははははっ‼」


マオの次の合図で、今度は映像を巻き戻す。

 静止していた崩落が、徐々に元の形に復元してゆく。帝国兵は声にならない声を上げ、その情景に見入っている。

 全てが元通りになると、辺りは静寂に包まれた。


 マオの超絶たる大魔法(インチキ)を見た帝国軍は、今起こったことが一人の少女の仕業と確信するしかなかったようだ。

 これだけの規模の大魔法を、それも異世界から行使し、攻撃は一切こちらに当たらないともなれば、よほどの馬鹿でもなければ勝てるとは考えないだろう。

 だが、そんな馬鹿がいた……。


『ええぃ! こんなものはまやかしだ! 攻撃を再開しろ‼』


 帝国将軍がそう叫んだ。

 は~ぁ……と、俺たち全員が溜息を漏らす。皇帝といい将軍といい、なぜこうも考えが浅いのだろうか?

 確かにインチキを見破る慧眼は認めよう。しかし、どう考えても勝ち目はないと、どうして考えられないのだろうか?

 渓谷内に閉じ込められ進退も許されず、ましてやいくら攻撃してもこちらに被害すら与えられない状況で、なおも攻撃してこようとする愚策を選択する考えが分からない。


「えーと、大家さん。サッサと終わらせません?」


 俺の提案に、大家さんは、こくりと頷いた。

 こんなことは皇帝の時でもうお腹いっぱいだ。長々と相手しているのも面倒になって来た。

 後方部隊も、先行していた斥候も既に全員捕らえている。このまま放置していても、帝国軍は数日後には隊を維持できなくなるのだが、そこまで監視しているのも面倒だ。サクッと終わらせよう。


「はーい、皆さん総司令から指示いただきました。バイトさん準備よろしく~」


 俺は最終工程を指示した。

 バイトのドローン部隊、それにラジコンヘリ部隊に慌ただしく指示を出す社員たち。


「では、総司令お願いします!」


 準備が整ったので大家さんへ指示を出した。

 この間も帝国兵は映像に向かって無駄な攻撃を続けている。


『はぁ……どうやら全員死にたいようだな。面倒だ一気に殲滅だ。やれマオ‼』

『なぁ──ははははははっ! 恐怖に打ち震えるがいい‼』


 マオの合図で、全てのプロジェクターを消す。

 辺りは真っ暗になり、帝国軍に戦慄が奔る。スピーカーからとある映画で有名なワーグナーのワルキューレの騎行の楽曲が大音量で流れると、帝国軍は一層震え上がった。


「はーい、順次飛び立ってください。満遍なく散布してくださいねー」


 コンクリートブロックの壁の上と崖上から、バイトさん達が操作するドローンと、ラジコンヘリが一斉に飛び立つ。

 小型ドローンには催眠ガスが封入されたカプセルが搭載されており、適当に投下。ラジコンヘリは、農薬散布用の機材を改良したものを搭載しており、展開したノズルから、広範囲に催眠ガスを散布する仕組みになっている。それが編隊を組んで渓谷の前方と後方、帝国軍の頭上から散布される。


『な、なんだ! いったい何が起こっているのだ⁉』


 そんな帝国将軍の声は拾えるが、残念なことにその慌てふためく表情は、暗くて見ることが叶わなかった。



 そして10分後、


「ん、全員寝たな。はいはいーバイトさん撤収! 魔族の皆さーん、ガスマスク装着で敵の武器や防具を奪ってきてねー」


 武器や防具、それと食料を奪うことで、敵の戦意をなくす作戦だ。

 インナー姿で目覚めた時の帝国軍の慌てふためく顔が想像できるよ。

 魔大陸には捕虜収容施設を作る時間的余裕がなかったので、この渓谷を天然の捕虜収容施設にすることにする。



 これで魔大陸の戦争は終結したのだった。

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